#568 台湾にバックアップがあった!ジャポニカ米由来の腸内細菌で定義する日本人論とは? さとうみつろう氏(2026.1.13)
(深田)
みなさん、こんにちは。政経プラットフォームプロデューサーの深田萌絵です。今回は、作家のさとうみつろうさんにお越しいただきました。よろしくお願いいたします。
(さとう)
よろしくお願いします。今回は僕のほうから急遽、深田萌絵さんにお願いし、もう一度出演させてほしいと無理矢理入れていただきました。本当にありがとうございます。
(深田)
実は明日、警察に出頭するのです。
(さとう)
知らなかったです。僕は沖縄に住んでおり、東京に来る機会があまりありません。今回東京では、誰とYouTubeを撮るのがいいかなと考えたら、以前にファンのコメントで「やはり深田萌絵さんともう一度やってほしい」という声が非常に多かったのです。
(深田)
ありがとうございます。
(さとう)
それで、もう一度いろいろと教えてほしいと思って来ました。前回の政経プラットフォームのコメント欄は、すべて読みました。「みつろう、喋りすぎ」とか「何の学びもない回は今回が初めて」とか、ありがたいコメントをたくさんいただきました。今日はとても良い気分で来ていますので、前回コメントをした人に向けて、喋り散らしてやろうと思っています。
(深田)
再生数はすごく伸びていますから、大丈夫です。今日はぜひ「日本人とは何ぞや」ということを喋り散らしてください。
(さとう)
はい、今日は「日本人とは何か」というテーマですね。僕は先週まで1週間ほど台湾に行ってきました。台湾の裏事情は知らないのですが、中国共産党と仲がいいのですか?
(深田)
はい、裏では結構いろいろありますね。
(さとう)
そのようなことを一切知らない、一般的な人間としての感想になります。
(深田)
それはとても大切だと思います。
(さとう)
台湾には80人ほどを連れて行きました。
(深田)
すごい人数ですね。
(さとう)
ツアーで行ったのですが、なぜ行ったのか、少しスピリチュアルな話になってもいいですか?
(深田)
大丈夫ですよ。
(さとう)
僕がさまざまな話を聞いているシャーマンの方がいらっしゃって、その方が数年前から「台風が沖縄ではなく台湾に行くようになっている」と話していました。それは、台湾には人々の意識が集中する何かがあり、または鬱積したエネルギーがあるため、台風がそれを鎮めるために行っていると説明を受けたのです。僕は最初、その話をなかなか理解できませんでした。この世界のエネルギーとは、段差間に自然に発生する流れと定義しています。
僕は電力会社で10年間働いていました。送電線には電位の高い線と低い線の間に段差があり、コンセントに差し込むと段差間に自然に発生するのがエネルギーです。川も高いところから低いところへ流れ、ダムという段差によって発電が行われます。定義が大事なのでもう一度覚えてもらうと、段差間に自然に発生する流れをエネルギーと言います。
台湾にどのような段差ができたのかは分かりませんが「みんなが意識を集中した」と言うと怪しく聞こえるかもしれません。しかし、何らかのエネルギーの段差が生まれており、それを解消するために台風が行っているのではないかと納得しました。自然だけでは解消できない段差もあるかもしれないのであれば、日本人が80人ほどで現地を訪れることで、何かしら勉強になるのではないかと考えました。行ってみたら本当に勉強になりました。
まず下調べとして、半年前に僕一人で台湾を訪れた時、台湾には日本人の心がバックアップされて残されているのではないかと感じました。初めて台湾に行って驚いたのは、治安の良さや、市場にいる96歳のおばあちゃんは日本語がペラペラなのです。日本は50年間、台湾を統治していました。それは日本にとって、初めての統治なので一生懸命いろいろものを敷設し、ダムや鉄道を整備し、さまざまな技術を伝えました。
それ以前には、鄭成功が明を再興しようと台湾を拠点に清と戦ったことがあります。その後、日本が日清戦争に勝利したことで、台湾を50年間統治することになりました。その時、僕たちの先輩たちが、いつか将来、日本人が日本人らしさを失う時が来たならば、そのためのバックアップセンターとして、日本の文化や心、日本人とは何かということを台湾に残しておいたのではないかと、僕は感じたのです。
例えば、礼儀正しさです。今の日本では、コンビニなどで列に並んでいると、後ろから「早くしろよ」といった声が聞こえることもあります。しかし台湾では、みんな非常に落ち着いており、僕たちが市場や夜市でまごついていても、急かされることはありません。治安が良く、礼儀正しいです。
なぜこうした文化になったのかを考えると、50年間の日本の統治が効いているはずですよね。これがかつての日本人の姿だったと伝えられているのではないでしょうか。現在の東京や大阪、あるいは日本という国は、土地はあるかもしれないけれどもそこに住んでいる人たちが日本人と定義するのはどうなのかと思っています。もし異なる考えを持つ人ばかりになれば、それはもはや日本国ではないと考えるからです。
台湾という土地は日本ではありませんが、そこには日本人の心に近いものが、バックアップセンターのように残されているように感じます。そして日本人が台湾を訪れ、その心に触れ、日本に持ち帰り、再び広げていくために残されているのではないかと僕は思うのですが、この考えは厳しいでしょうか?
(深田)
いえいえ。台湾も韓国も、日本統治時代に日本型の教育を受けていますので、その時代を生きた人々は日本のことをよく理解していると思います。ただし、台湾には後から別の人々が来ています。
(さとう)
国民党の蒋介石ですね。
(深田)
そうです。大量に来ました。国民党軍にはる花嫁不足の問題があり、大陸から多くの女性を迎え入れました。そのため、文化的には分断や差異があると思います。大陸的な文化を持つ人々と、日本統治時代の教育を受けた人々とでは、やはり違いがあると思います。
(さとう)
いわゆる外省人と本省人ですね。
(深田)
その通りです。
(さとう)
今回はかなり地方にも足を運びました。台北だけでなく、台湾中部の台南、さらにその近くのすごい田舎町の埔里(プリ)まで行ったのです。そこでは、夜になると農村のおばちゃんたちが集まり、屋台でみんなが「わいわい、がやがや」と歓談していました。その雰囲気は古き日本だなと僕は思いました。
(深田)
やはり都心部には、大陸から多くの人が集まっていますよね。日本もそうですよね。東京や大阪も外国人が非常に多く、特に東京は競争社会ですから、人間関係がぎすぎすしています。一方で、田舎に行くとのんびりしていて日本らしい日本を感じます。
(さとう)
今回の旅行にあたって台湾について調べたのですが、かなり浅い知識ではありますが、少しお話ししてもよろしいでしょうか。もし間違いがあれば、ぜひ指摘してください。僕自身も勉強したいと思っています。
まず台湾の場所は皆さん分かりますよね。中国大陸から見ると、中国が海へ進出しようとする時、日本列島と並んで大きな障害となる場所にあります。
(深田)
その通りですね。
(さとう)
この二つのうち、どちらか一方を制することができれば、中国にとっては海へ出やすくなります。そのような地政学的背景の中で、中華思想が台湾へ流れ込んでいった歴史があります。しかし、そもそも台湾には、先住民族が多数暮らしていました。彼らは肌の色が黒く、南方のスンダランド周辺に起源を持つ人々と同系統で、いわゆるポリネシア系、あるいは東南アジア系に近い人々だったとされています。日本人とは系統が異なります。
台湾と与那国島は非常に近く、晴れた日には互いに見えるほどの距離にあります。僕の母は与那国島の生まれですが、この間には黒潮が流れており、絶対にたどり着けないのですね。
(深田)
そうなんですか。
(さとう)
これは誤解されることが多いのです。日本列島にホモ・サピエンスがどのように到達したのかというと、台湾から渡ってきたという人がいますが、学説上は否定されています。ホモ・サピエンスは約6万年前にアフリカを出発し、世界各地へ広がっていき、日本列島へは北からのルートが確認されています。でも台湾から先にはいけないのですよ。この間を黒潮が流れているので。
国立科学博物館の研究では、台湾から何千個ものブイを流しても、与那国島には着かないのですよ。当時と同じ条件を再現し、草で編んだ草舟を用いた実験では沈没してしまい、さらに木をくり抜いた舟を作り、日本中のヨットの精鋭を集めて挑戦した場合でも、ようやく到達できるかどうかというレベルでした。黒潮の影響により、与那国島から台湾へは行くことができても、台湾からは行けないのです。
(深田)
一方通行なんですか?
(さとう)
その通りです。仮に一度たどり着けたとしても、子孫が繁栄するためには何回か行かないといけないわけです。近親婚になってしまいますから。今分かっていることとして、ホモ・サピエンスはものすごく戦略的にアフリカからいろいろなところ人を送り込んでいたらしいのです。最初に送り込んで血が濃くなったらまた次を送り込んで血を薄めるということやっていたらしいのですね。そういうことで、台湾から日本への人の流れはなかったということです。
僕が言いたかったのは、台湾にはもともと土着の人々が暮らしていたということです。そこに初めて西洋が台湾に進出します。ポルトガルとオランダが北部と南部をそれぞれ占拠し、ポルトガル人は先住民族と衝突しました。先住民族は非常に強く、首狩り族もいました。
(深田)
そうなのですね。
(さとう)
もっとも、日本も戦国時代には敵将の首を取って、馬に乗って大将の首を持っていました。首狩族が怖いという印象は、自分たちの文化を基準にしているだけで、日本も野蛮に見えるのですよ。
やがてポルトガルの圧政を受けるようになります。その頃、中国大陸には明がいましたが、そこへ清という訳の分からない勢力が北から来て、明は次第に追い詰められ、福建省周辺から台湾へと逃れていきます。そこで中心的な役割を果たしたのが鄭成功(ていせいこう)です。鄭成功については、父親か母親のどちらかが日本人です。(母親が日本人)
※1)鄭成功:明が滅亡後、台湾を占拠中のオランダに勝利し、台湾を再興の拠点としたが、39歳で死亡する。死後20年で台湾は清に統合された。
(深田)
そうなのですね。知りませんでした。
(さとう)
鄭成功は「いつの日か、この明の国を台湾を足がかりにして清をやっつけるぞ」と活動していたわけです。その後、清と日本が戦争になって、日本が勝利して台湾を獲得します。そこから50年間、日本は台湾で教育を含む統治を行いました。その後、中国では中国共産党と国民党が手を組み「日本を倒す」といって日中戦争になりました。戦後中国共産党と国民党が対立し、中国は再び割れて毛沢東と蒋介石戦い、蒋介石の国民党が台湾へ流れ込むことになりました。
この一連の流れの中で、僕が皆さんにお伝えしたかったのは、台湾の歴史のです。もともと土着の人々が暮らしていました。そこへ西洋文化が入り、次に明が押される形で入り、初めて中華文化が入りました。その後、日本人がやってきて50年間統治し、最終的に国民党が再び中華文化を携えて台湾に入ってきたのです。
振り返ると、中華文化が台湾に深く関わっていた期間は、実は二番目ぐらいに短いのです。一方で、日本の統治は50年続いていますし、その前には土着の人々の時代がありました。僕の祖母は与那国島の出身ですが、何度も台湾に行って、土着の人の写真を数多く撮って残しています。白黒写真なのですが、見た目はインディアンのようで、頭部に羽飾りをつけた姿が写っています。
(深田)
そうなのですね。
(さとう)
祖母の残したその白黒写真には土人と書いていて、とてもきれいな召物を着た人々が写っています。何をしていた場面なのか、ホームステイのような形だったのかは分かりませんが、その写真は今も家に残っています。
台湾という土地は、土着の人々が暮らし、西洋文化を受け入れ、西洋勢力を退けたかと思えば、次に中華の人々による強い支配を受け、さらに日本人が50年間統治し、その後、蒋介石がやってきて戒厳令を敷き、長く独裁体制が続いたという歴史を持っています。これらを経験してきた台湾人の記憶の中では、比較の対象として、日本の50年間は非常に良い時代だったと思うのです。
もちろん、日本が悪いことをしなかったとは言えません。現在でも、90歳を超える方の中には、日本人からつらい扱いを受けたと語る人が多くいます。しかし、他の勢力と比較したとき、良かった面のほうが圧倒的に多かったのではないかと僕は思います。そのため、台湾の人々は日本人に対して好意を持ってくれているのですよ。
僕もそのようなシンパシーを強く感じました。今回台湾を訪れたとき、なぜこれほどまでに心が震えるのか、自分でも驚きました。現地に立って「昔の日本はきっとこうだった」と強く感じたのです。その要因はいくつかあります。今日はそれをだらだら話していますが、続けてもいいですか。コメント欄で「みつろう、黙れ」となっていませんか?
(深田)
いえいえ(笑)。今日はゲストとしてお越しいただいていますから、喋ってください。
(さとう)
台湾の人々がなぜ日本に対してこれほどの親近感を持ち、日本人側もそれを感じ取るのかについて、これはあくまで僕個人の考えですが、最も大きな要因の一つは、台湾でジャポニカ米が栽培されていることだと思います。実際に訪れて、ご飯がとてもおいしいと感じました。これは、韓国や他の地域で食べる米とは明らかに違います。
米にはジャポニカ米やインディカ米、タイ米などがありますが、台湾では日本人が当時持ち込んだ「蓬莱米(ほうらいまい)」が根付いており、日本人にとって非常に親しみやすい味になっています。
僕が考える「日本人の定義」とは、現在その人の腸内にジャポニカ米が入っている、あるいは過去にジャポニカ米を食べ続けた結果、その由来の微生物、例えば光合成細菌や酵母菌、乳酸菌などが腸内に発生した状態にあることだと考えています。
(深田)
それは、日本人が長年お米を食べてきたことで、日本の米を効率よくエネルギーとして吸収できる腸内細菌が、きちんと体の中にあるということですね。
(さとう)
そうです。そもそも僕たちの体は、微生物が操っていることが分かってきています。腸内にいる微生物が、僕たちの行動や選択にまで影響を与えているのです。昔は脳が先に命令を出すと考えられていましたが、今では脳腸相関が注目され、腸からの影響が先に来るとされています。つまり、腸内に何が存在しているかが、その人の思考や行動様式を形づくっているのです。
生物学的に植物と動物を分けると、植物は動くことができず、動物は「動けるもの」と書きます。その生体内の細胞構造は、葉緑体を除けばほとんど同じです。
(深田)
そうなのですね。
(さとう)
僕たちの生命の起源をたどると、約38億年前に存在した単一の生命体、いわゆるLUCA(Last Universal Common Ancestor、全生物最終共通祖先)に行き着きます。そこから枝分かれして、古細菌などさまざまな系統が生まれ、動物界と植物界に分かれていきました。その違いは、生物全体から見れば比較的小さなものですから、体の基本的な仕組みはほぼ共通していると考えてよいと思います。
植物は自ら動くことができませんが、その代わり、動物を利用して自分たちの種を広げてきました。僕たちが花の香りを「良い香りだ」と感じたり、見た目を美しいと感じたりするのは、かつて虫だった頃の細胞の記憶に由来するとも言えます。結果として、植物の戦略によって僕たちは花に引き寄せられ、花粉を運び、拡散に加担しているのです。
植物が広がる方法は大きく三つあります。一つは種を風に乗せる方法、もう一つは、いわゆる「ひっつき虫」のように他の生物に付着させる方法、そして三つ目が、動物に食べてもらい、排泄物とともに別の場所で発芽させる方法です。この最後の「食べてもらう」という方法を例に挙げると、大麻の中毒者があまりにも気持ち良すぎて、自宅でこっそり栽培してしまうじゃないですか。これは植物に、植えさせられているわけですよ。
(深田)
そうなのですね。確かにそうでね。
(さとう)
大麻によって得られる幸福物質と、糖質で得られる幸福物質は同じだと僕は考えています。そして僕たちは、約4,000年前頃から、世界各地の大河――中国で言えば黄河、またチグリス・ユーフラテス川流域など――の周辺に生えていたイネ科植物によって、いわば「糖質中毒」にさせられてきたのではないでしょうか。
(深田)
糖質中毒になる、なるほど。
(さとう)
僕も今なお糖質中毒で、甘いものがないときでも、自分の意思とは無関係に冷蔵庫を開け、チョコレートに手が伸びていることがあります。その時、糖質が僕を操っているのです。
植物の戦略は先ほど述べた通り、自ら動けない以上、誰かに植えてもらうことにあります。イネ科は極めて戦略的で、この点については、ジェームズ・C・スコットの『反穀物の人類史』にも書かれています。国家とは結局のところ、税を徴収する人々の専門集団であり、最初期の都市国家であるウル(ウルル)以来、その性格は変わっていないという前提に立つと、イネ科がいかに都合のよい作物であったかが見えてきます。
例えば、さやえんどうのように一年中ぽろぽろ実る作物であれば、徴税官は毎日のように農民のもとへ行き、収穫量を確認して一割を徴収しなければなりません。しかし、イネ科は年に一度、まとまって実ります。その時期に訪れさえすれば、「これだけ収穫があるなら、その一割を納めてほしい」と、比較的容易に徴収できます。
さらに、芋類は土の中にあるため外見からわからないので、どれだけ税を取るべきか判断しづらいという問題があります。加えて、芋は水分が多く重いため、徴収して運搬すること自体が非常に手間です。その点、イネ科は年に一度まとまって実り、軽くて運びやすい。これは人間側の戦略に見えるかもしれないけれど、植物側の戦略だったのです。
(深田)
植物に操られているのですね。
(さとう)
実際、世界中にタンポポを植えて歩く動物はいません。しかし、世界中に稲を植えて歩く動物はいますし、世界中に米を植えて歩く動物もいます。
(深田)
日本中でお米を作っていますね。
(さとう)
現在は増反の動きもありますが、それも植物の戦略通りに、僕たちがまんまと動かされているのです。大麻中毒者がこっそり大麻を育ててしまうのと同じように、糖質中毒になった僕たちが、日本中、さらには世界中にイネ科を植え続けているのです。
イネ科には大きく四つほどの系統があり、例えば小麦はチグリス・ユーフラテス川流域などで栽培が広がり、その土地で文明が形成されました。僕たちは現在、主として米、すなわちイネ科の米に依存しています。トウモロコシもイネ科です。ほかにもキャッサバなど多様な作物がありますが、それぞれの植物がホモ・サピエンスを動かしているのです。
(深田)
面白いですね。ただ、猫が好きになるのも、猫の寄生虫みたいなものがいて人間に入り込むと猫を好きになって猫の匂いを嗅ぎたくなるらしいですよ。そうして猫を嗅ぐようになると、その寄生虫の本来の宿主は猫なので、人間を操って猫のもとへ行かせ、接触させることで猫へ移動する。怖い話です。
(さとう)
それは「宿主行動変容」といって、宿主とは、こちら側の入れ物、つまり体のことです。今のお話はおそらくトキソプラズマ(※2)の例だと思いますが、トキソプラズマは最終的に猫の体内に入ることを目的とし、まずネズミに入り込みます。そしてネズミの警戒心切るのです。結果としてネズミが猫に捕食されやすくなり、無事に猫の体内へ移る、という流れになります。これは、ネズミの体内で宿主の行動を変容させているのです。
※2)トキソプラズマ:細胞内寄生性原虫。マウスの実験では天敵であるネコの匂いに対する嫌悪感が減少(恐怖記憶に関与する神経機能の異常)し、感染による宿主動物の行動が変化した。
他にも有名な例として、カマキリが水辺で自殺することがありますが、これは体内にハリガネムシが寄生し、ハリガネムシが水中で産卵する必要があるため、宿主であるカマキリを水辺へ追いやるのです。これも宿主行動変容です。人間も宿主であり、行動を変容させる微生物が腸にいるということです。
今言った小麦族、お米族、キャッサバ族、トウモロコシ族などいろいろいるのですが、僕たちはおよそ3,000年前からジャポニカ米を植え続けているわけです。日本列島にホモ・サピエンスが到達した時期は、現在の定説では最も早くて約4万年前とされています。それ以前は、狩猟採集でどんぐりや貝などを採って食べていたわけです。
稲作は大陸から伝わったと言われていますが、伝来後も一気に全国へ広がったわけではなく、狩猟採集を長く続けた地域もありました。特に沖縄などの島嶼部は大体そうです。つまり、糖質中毒にさせられ、稲作を担う人々が流入してきたとしても、日本全体が一気に広まったわけではなく、地域差が残ったということです。
DNAの傾向で、稲作に関わる系統が特に濃いのは大阪であり、次いで三重県や北九州などが挙げられる一方、青森は相対的に薄く、沖縄も薄いとされています。そこまで到達しなかった地域では、従来通り、糖質中毒にならず、狩猟採集の暮らしを続けていた。
お米に操られた人が大和という国を取った結果、当時は一つの村にすぎなかった大和が、日本国の中核として位置づけられるようになりました。ここを主とすれば「腸内にジャポニカ米が入っているか、あるいはジャポニカ米由来の微生物が活性している状態にあること」が日本人の定義だと思います。
しかし現代では、米を食べない人が非常に増えています。その一方で、台湾に行くと、台湾の人々はジャポニカ米を育て、日常的に食べています。僕の理解では、そのような形でジャポニカ米が根付いているのは、台湾と日本が中心です。だからこそ、台湾に「昔の日本の心」がバックアップされているという感覚を、僕はより強く抱きました。
ところで、時間は大丈夫でしょうか。明日、警察に出頭されるとのことですが、問題ありませんか。
(深田)
明日出頭ですが、全く余裕です。ただ、この動画が配信される頃には、僕はこの世にいないかもしれません。
(さとう)
いえ、絶対大丈夫ですよ。
――次回に続く――





