#545 生き証人が語る!池田大作大先生の偉大なる外交秘奥義大公開!「グレート、サンキュー、B&S!」とは? 長井秀和氏
(深田)
皆さん、こんにちは。政経プラットフォーム、プロデューサーの深田萌絵です。今回は、宗教2世であり、池田大作の生き証人でもある長井秀和さんにお越しいただきました。先生、よろしくお願いいたします。
(長井)
その肩書きで完全に通すのですか。池田大作の生き証人ということですね。
(深田)
そろそろ怒られるかもしれませんね。
(長井)
特に私が出演する時には、コメント欄でも、深田さんに対してかなりの誹謗中傷が出ています。
(深田)
でも私は、別に嫌いではないです。ただ、長井秀和さんが出演するようになってから、消えた先生が一人いるのですよね。
(長井)
あらら信仰者なのかな?今日は「池田大作大先生の生き証人」として、私が見てきたことをお話しします。池田さんは、人前でパフォーマンスをすることや、もてはやされることが大好きな方なのです。
(深田)
昭和にはそういう方が結構いましたね。
(長井)
ええ。昭和の“お調子おじさん”のような側面があって、それが力とお金を持ってしまったらこうなるという典型のような人です。
(深田)
とはいえ、成功者ではありますよね。
(長井)
その通りです。まさに成り上がった人間とも言えますし、世界を股にかけて「偉大なる民間外交を行ってきた人」という称号まで付いているのですが、この「世界を股にかけた」というのは「世界のいろいろなご婦人がお好き」という意味も含まれているのです。
(深田)
先生はもてるのですか?
(長井)
もてたという話もありますし、世界に寄り添う、という意味もあります。
(深田)
寄り添いすぎではないですか(笑)。
(長井)
距離感を詰めすぎた時があったらしいという話も漏れ伝わっています。ご婦人がお好きだったという話はまた別の回で扱うかもしれませんが、今日は先生が民間外交を進める中で、中国やアメリカなど、各地を訪れた時の話です。行った先々で「グレート、グレート、サンキュー、サンキュー、サンキューベリマッチ!」と、こう言うのです。
(深田)
英語もペラペラなのですか?
(長井)
実は、幹部の中では「GTI」と呼ばれていました。「Great Teacher Ikeda」の略です(笑)。結局、いつも「グレート」しか言わないのです。「オー、グレート、グレート」と「サンキューベリマッチ」。この二言で、外交をし続けていた方でした。
(深田)
その精神力は、少し憧れますね。
(長井)
そうなんです。とにかく「素晴らしい」という形容は全部「グレート」で済ませ、それ以外の言葉は覚えようとしなかったのでしょうし、使いたくなかったのでしょう。そういう意味でGTIと呼ばれていたのですが、池田先生のエピソードとして、私が「毛沢東・ノリエガ・チャウシェスクの手のひら返し案件」と呼んでいる話があります。これは何かというと、大先生は包容力があるがゆえに、独裁者のような人物を引いてしまうことがあるのです。私はこれを「独裁者ガチャ」と呼んでいるのですが、独裁者ガチャを引いてしまって、後から慌てて歴史を書き換えるということを、1回だけでなく何回もやっているのです。
例えば、毛沢東の時代には「文化大革命」がありました。1966年から1976年までの10年間、中国の文明や歴史といったものを破壊していくような、かなり問題のある運動で、要は毛沢東の復権を目指すために若い紅衛兵を使った、革命というより復権のための利用だったわけです。ところが大先生は、1960年代には「素晴らしい文化大革命だ」と言い、あの人の「人間革命」と結びつけて「日本では人間革命、中国では文化大革命!」と言っていたのです。
(深田)
ははは(笑)。
(長井)
そして「この革命で日中を変えていくのだ」と大絶賛していました。紅衛兵は若いですから「日本の若者も紅衛兵のように頑張れ。そして日本の紅衛兵になっていくのは創価学会の青年なのだ」といった言い方までしていたのです。今となっては、歴史考証の観点から見ても、かなりまずい発言ですよね。
ところが1970年代に入り、文化大革命はまずいのではないかという情報が日本にも伝わるようになると、急に文化大革命で弾圧されていた人たちを持ち上げる方向に転じます。例えば周恩来の妻である鄧穎超(トウ・エイチョウ)は、激しい批判と弾圧の中でも耐え抜いたと、むしろ生き残った人を持ち上げ、そこから究極の手のひら返しが始まっていくのです。あの狂気の時代を生き抜いた中国の方々を、民衆の力が支援して勝ったのだと変わっていきました。
(深田)
すごいですね。
(長井)
「あれ、毛沢東と紅衛兵を大絶賛していませんでしたか?」という黒歴史を作るのです。それが書籍では第3稿、第4稿になると、その部分を全部削除して、むしろ民衆の方が勝った「人間革命なのだ」と変えていくのです。
(深田)
「人間革命」…すごいですね。
(長井)
文化大革命のことには触れないわけです。ところが、その失敗から学ぶかと思いきや、次に出てくるのが、パナマのノリエガ将軍です(笑)。ノリエガ将軍は“稀代の麻薬王”と呼ばれ、マネーロンダリングが大好物な人でした。
なお、小沢一郎さんと創価学会が組んで一緒にマネーロンダリングをしていたのではないかという疑惑も、決定的な証拠はないものの、今も残っています。
ノリエガの時にも、池田大作大先生は海外に行くと元気になってしまい「ノリエガさんは素晴らしい」と大絶賛します。そして、パナマ運河のあたりで、二人で真っ白のタキシードを揃えたペアルックで並び、詩を読み上げるのです。その内容も「オー・ノリエガ、オー・パナマの偉大なる英雄、オー」といった具合で、大体こういう調子です(笑)。要するに「オー・グレート」がベースになっている。
(深田)
オー・グレート・ノリエガ、サンキュー(笑)。
(長井)
そうです。長編詩で続きもあるのですが、私は池田大作大先生を「文才なき偉大なる桂冠詩人」と呼んでいます。最初の「偉大なるパナマの英雄」までは出てきても、そこから先の言葉が続かない。あとは「弟子に任せた」という形で、弟子に書かせたものを学会員が読むのです。
最初は、とにかくノリエガ大絶賛、大礼賛していました。さらに「記念に庭園を東京でも作りましょう」と言って、ノリエガ庭園まで作ってしまいました。場所は東京・八王子市の創価大学です。ノリエガ庭園は素晴らしい、いつか本人にも来ていただきたい、といった話まで出ていたところで、ノリエガが麻薬とマネーロンダリングの問題で一気に失脚しました。
犯罪者となった瞬間、その日の真夜中にノリエガ庭園を一晩で全解体したのです。鯉を勝手に持ってきてミラクルを演出するような解体業者がいるらしく、そういうこともできるわけです。
(深田)
凄いですね。なんだか私は池田大作先生のことがだんだん好きになってきました(笑)。
(長井)
ちょっと面白い人なのです。
(深田)
自分が凡人で、池田さんは偉大になる人なのだなと思えてきます。
(長井)
俗物を極めると、こうなるのかという感じもしますけれどもね。
(深田)
結構大変ですよ。夜中に鯉を放ったり、夜中に庭園を潰したり、かなり忙しいではないですか。
(長井)
そうして、以前はお祝いのテープだったようなものが、いつの間にか立ち入り禁止のテープに変わっていて「あれ、これ何だ?ノリエガの庭園だったよね?」となっていたのです。
さらに、チャウシェスクというルーマニアの独裁者のエピソードもあります。最終的に東欧の民主化で、民衆の前で殺された人物で、知っている人は知っているでしょう。これもまた「おお、チャウシェスク、おお、ルーマニアの偉大なる民衆の王者」と、冒頭はいつも同じ調子で持ち上げる。ところが、そのチャウシェスクも民衆に引きずり下ろされ、最後は、ヒトラーや民衆の前で処刑されたムッソリーニと同じような結末になりました。チャウシェスクの碑も作っていたのに、それもまた一夜にして壊してしまいました。
創価学会、特に池田大作大先生は民間外交が大好きなので、聖教新聞に「北米の旅」「欧州の旅」といった記事が載り、いわば「池田大作珍旅行シリーズ」のようなものが結構あったのです。若くて元気だった時代です。そして中南米にも行くのですが、ウルグアイ、パラグアイ、エクアドル、コロンビアなどの地域は、独裁者ガチャを引きそうではないですか。
(深田)
南米は多そうですね。
(長井)
そうなのです。聖教新聞に池田大作大先生の「ズンドコ中南米レポート」が載り始めると、嘘のような話ですが、日本の建設業者や解体業者が色めき立って「これはまた仕事が来るぞ」「激アツモードに入ったぞ」と言い出すのです。
(深田)
儲かりそう、みたいな(笑)。
(長井)
先生が中南米に入ったと聞くと、建設業界はもう「うちがやります!」と名乗りを上げるのです。建設業界には、スクラップ&ビルドという言葉がありますが、こちらはむしろビルド&スクラップと呼んでいました(笑)。要するに、一度立ち上げたものを、どうせ後で解体するのだから、仕事が来れば2倍報酬をもらえるわけです。
(深田)
確かに儲かりますよ。
(長井)
そうなのです。だから、少し調べて「大作さんどこどこに行った。この展開はヤバいのではないか」「また石碑を建てるのではないか」「庭園を作るのではないか」と、先回りして見ているわけです。
(深田)
分析されてしまっている。
(長井)
分析されて、建設業界では、場合によっては「このあたりで今度橋を作るのはどうでしょうか」と創価学会に頼みに行ったりもするのです。「どうせぶっ壊すから」という前提です。中南米モードに入ると建設業界が一気に色めき立つという嘘みたいな話ですが、そういう創価学会の珍遊記がありました。
(深田)
最後には、創価学会の歴史から池田大作先生が消えませんかね?
(長井)
そうなるかもしれませんね。ただ、池田先生の失敗エピソードはもう全部なかったことにしているのです。SNSもなかった時代ですから。しかし、国会図書館などに行くと、先ほどのノリエガ将軍の話や、チャウシェスクの独裁者ガチャを引いた話などは、全部載ってしまっているのです。
(深田)
でも多分、それもいずれ消えることになると思うのですよ。すごい力をお持ちなので。
(長井)
まあ、そうでしょうね。実は国会図書館では、昭和22年頃から昭和30年頃までの聖教新聞は、見られないようになっているらしいのです。謎の力でもあるんでしょうかね。
(深田)
そうですよね。蓮舫のおばあさんの話も消えているそうです。
(長井)
そうなのですか。それで、なぜ消したかというと、池田大作さんは当時の聖教新聞に、他の宗教をやったら狐つきになるとか病気になる、障害を持つといった、コンプライアンス上かなりまずいことをたくさん書いているのですよ。
池田大作大先生が最初に創価学会に入った時というのは、戸田城聖(第二代会長)と劇的な出会いをしたという設定になっているのですが、これは全くの嘘です。実際には近くにいた美人の学会女子部が好きで、その人に勧誘されて嫌々行ったというのが始まりだったのです。大学のサークル勧誘のような話ですね。
(深田)
美人を出すという、恋愛商法みたいな。
(長井)
そうです。3、4年生の美人な女子の先輩がいて「鍋でもやろうよ」などと言ってサークルに誘う、よくある話ではないですか。それに見事に引っかかったのが池田大作大先生だったというわけです。
そして入信はしたものの、信仰自体はあまりやりたくなかった。ところが、9月ごろに台風が来て、どんどん自分の住んでいるところに近づいてきて「これは本当にやばいのではないか」と思った時に、押入に入れていた御本尊を出して祈ったらしいのです。「怖いよ、雷に撃たれないように、おへそを取られたくないよ」という調子です。すると雷が去っていった。そこで「やはりこの信仰はすごい」となったのです。
(深田)
これは、視聴者の皆さんが「ご利益があるのでは」と思ってしまいますよ。
(長井)
確かにご利益なのかもしれませんが、ただ「雷がそれた」というのが信仰の始まりだったという点が、大指導者としては少しそぐわないという話です。
(深田)
なるほど。それにしても、その池田大作先生を釣った美人女子大生は、なかなか先見の明がありますね。そんな大物になるとは思っていなかったでしょう。
(長井)
その時は、そこまで見抜けていなかったのですね。実は池田大作というのは、もともと信仰にはあまり興味がなく、戸田城聖がやっていた金貸しの仕事や、エロ本の仕事などを取り仕切り、さらに戸田城聖の愛人の世話をしなければならない立場として、さまざまな汚れ仕事をしていたのです。
そこで「俺は汚れ仕事のまま終わりたくねえわ」と思ったのでしょう。学会の戸田さんの遺産を受け継ぐ方向に舵を切っていくわけです。
(深田)
池田大作先生だけではなく、戸田城聖という人もすごい人なのですね。
(長井)
ええ、本当はそうなのです。ちょっとヤマ師のような人で、捕まりそうになったから名前を何度も変えたかなり危ういタイプの人ですね。しかし、今は「偉大なる宇宙平和指導者」であり「人類100万年に一度生まれてくる」という設定の人になっています。
(深田)
とはいえ、それだけ信者の数も増え、影響力を持って中国をも動かし、日本をも動かしてきた。与党にもなっていた。そうなると、池田先生のことがすごい人だなと、じわじわ感じてきますよね。
(長井)
ある意味では、本当に昭和を彩る傑出した怪物だったというのは確かでしょう。一介の海苔屋の息子で、しかも一部では愛人の子どもだったという説まであるのに、そこから中国や日本のトップどころを仕切られるところまで上り詰めたというのは、やはりすごいことです。
(深田)
度胸もすごいなと、だんだん尊敬するような気持ちになってきます。
(長井)
生き証人としては、たまにはポジティブな話もしておきませんとね。
(深田)
その通りですね。今回は、池田大作生き証人の長井秀和さんに、池田大作先生のことをついに褒めていただきました。どうもありがとうございました。
(長井)
ありがとうございました。





