#437 終末医療の闇? 薬漬け栽培で儲ける製薬会社と病院の関係とは? 内海聡氏×深田萌絵
(深田)
皆さん、こんにちは。政経プラットフォーム プロデューサーの深田萌絵です。
今回はTokyo DD Clinic院長の内海聡先生にお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
(内海)
よろしくお願いします。
(深田)
先日、別の医師である森田洋之さんにご登壇いただき、「終末医療問題」についてお話を伺いました。その際、森田さんは「最後の時を迎えるなら、病院でスパゲッティのような治療を受けるよりも、家で最後の晩餐に寿司を食べて死を迎えたら良い」と語っておられました。非常に印象的な、楽しそうな表現でしたが、内海さんは終末医療問題についてどのようにお考えでしょうか。
(内海)
そのお話は詳しくは存じませんが、おそらく私も似た考えを持っています。現在の終末期医療は、いわゆる「スパゲッティ治療」、つまり点滴に頼る治療が非常に多く見られます。薬漬けの状態と言ってもよいでしょう。私は長年、薬漬け問題に取り組んできましたが、実際には9割がそうした状況です。在宅診療やホスピスでも同じで、薬を処方しない医師は1割程度しかいません。
(深田)
やはり薬漬けなのですか。
(内海)
はい。患者は何でもかんでも薬を処方され、15種類、20種類といった薬を普通に飲んでいます。終末期には糖尿病や脳梗塞、心筋梗塞、認知症などの病気を抱える人が多く、それらに対応する薬が次々と追加されます。さらに副作用を抑える薬も加わり、結果として処方箋は山のようになります。それを服用し続けるうちに、患者はどんどん衰弱していきます。やがて立てなくなり、寝たきりになり、食事も取れなくなる。その段階では延命治療に移行せざるを得ません。社会でよく言われる「ピンピンコロリ」を、医師たちはあまり実現したがらないのです。
(深田)
「ピンピンコロリ」では駄目なのでしょうか。
(内海)
私はむしろ「ピンピンコロリ」で最期を迎える方が望ましいと思います。しかし、現場にはそれを許さない風潮があります。そのために点滴で延命するのです。少し過激な表現かもしれませんが、私はこれを「栽培治療」と呼んでいます。
(深田)
「栽培治療」とは、まるで患者を植物のように扱うということですか。
(内海)
まさにその通りです。カチカチに体が固まって動けない人が、点滴で「栽培」されているのです。場合によっては胃瘻(いろう)といって、腹部に穴を開けてチューブをつなぎ、栄養剤を直接流し込む方法も取られます。私は消化器の専門医として、内視鏡や胃カメラを用いた胃瘻の施術を多く経験しました。脳梗塞で寝たきりとなり、声も出せない人に対しても、この方法で栄養を供給します。その結果、患者は寝たきりのまま長期間生かされ、栄養も薬も点滴やチューブを通して与えられ続けるのです。そうすると確かに長生きはします。
(深田)
それは本当に「生きている」と言える状態なのでしょうか。
(内海)
私はそうは思いません。しかし、そのように発言するだけで差別的だと批判されることがあります。左派的な立場をとる人々の中には「最後まで意思がなくても、何もできなくても、機械につないででも延命しなければならない」、「3年でも4年でも5年でも生かさなければならない」、「心臓が止まっても再び動かして生かさなければならない」、という発想です。
(深田)
心臓が止まっても、ですか。
(内海)
はい。心臓が止まれば心臓マッサージを施し、強心剤を投与して蘇生を試みます。その際には「延命治療をするか否か」という尊厳死に関わるサインが求められるのです。サインをしていれば、心臓が弱ってきた時点で自然な死を迎える流れとなります。しかし、脳梗塞で身動きができず、声も出せず、目も動かせず、言葉も発せない方でも、長ければ5年ほど生き続けることが可能です。その結果、病院のベッドは埋まり、それ自体が収益を生むモデルになっています。海外ではあまり見られませんが、日本ではこれが一般的となっています。私は逆に、早く「ピンピンコロリ」で最期を迎える方が望ましいと考えています。
(深田)
安楽死や尊厳死といった議論もありますが、その以前に別の問題があるように思えます。
(内海)
その通りです。製薬会社の利権や「人工作為」的な陰謀論で語られる側面もありますが、それ以上に「人間らしく死ぬことさえ許さない」モデルが存在するのです。延命され続けると、薬を投与し続ける必要が生じ、製薬会社にとっては安定した収益源となります。したがって「ピンピンコロリ運動」は製薬会社や医師会、病院にとって不都合な存在なのです。
(深田)
そうなりますか。
(内海)
きっと私自身もそうした仕組み側にとっては邪魔者なのでしょう。
ただ、厚生労働省も全く無策というわけではなく、保険診療の仕組みに「定額モデル」を導入しています。これは、どのような診療を行っても「1か月いくら」と決まった額が支払われる制度です。つまり、過剰な治療を行わない方が病院の利益が上がる仕組みであり、薬の使いすぎを抑制する狙いがあります。医師であれば誰でも知っている話です。悪い制度ではありませんが、実際には使わない医師も多く、また制度を利用していても薬漬けにする医師も居ます。
(深田)
定額医療というのは、終末期に意識がなく、ただ機械につながれている状態でも適用される、いわばパッケージ料金のような制度なのですか。
(内海)
その通りです。定額で、月に30万円台程度だったと記憶しています。正確な金額は覚えていませんが、薬をどれだけ使っても定額です。したがって、点滴をほとんど行わず、安らかに看取るようなモデルでは、むしろ利益率が高くなります。本来なら最低限の対応を行い、昔でいう「自然死」に近い形で看取ればよいのです。ヨーロッパなどでは当たり前に行われていますが、日本ではまだ普及していません。
(深田)
かつては自宅で亡くなる方が7割でしたが、現在は病院で亡くなる方が7割に変わっています。自宅で普通に亡くなることは、なぜ認められないのでしょうか。
(内海)
現在の日本では難しい状況です。まず家族が看取ることを嫌がる場合があります。自宅で看取っている際に亡くなると「殺人の疑い」が生じることがあり、死体検案が必要になります。つまり、殺人事件として捜査される可能性があるのです。隠蔽すれば完全に犯罪になってしまうため、警察が調べざるを得ません。こうした事情から「在宅で看取るのは色々面倒だから病院で…」という流れになっています。在宅で看取るには強い意志と覚悟が必要です。
本来であれば、家族も医師も「自然に亡くなっていくのが当たり前」という意識を共有していれば問題はなく、手間もかからないはずです。しかし現状では、在宅で看取ると「冷たい家族だ」と見られ、自然に亡くなったことが「殺人なのではないか」と疑われる風潮が強いのです。
(深田)
子どもの頃に、祖母が散歩から帰ってきて「疲れた」と言って横になり、そのまま亡くなる、ということがありました。
(内海)
それは昔だからこそ許されたことであり、今は違います。現在ではそうした死を「簡単には許さない」という風潮が広がっています。
(深田)
80歳を超えた方が「疲れた」と言ってそのまま亡くなるのは、不自然なことではないはずです。
(内海)
その通りです。不自然ではありません。しかし現代の日本社会では、それが多数派とは言えなくなっているのです。
(深田)
私の母親にも、できればそうした自然な最期を迎えてほしいと思っています。母も「病院で死ぬのは絶対に嫌だ」と言っており、元気に生きて、最期はパッと逝きたいと望んでいます。そうした最期を迎えるためには、何か秘訣のようなものがあるのでしょうか。例えば「病院に行かない」ことが大事なのでしょうか。
(内海)
病院に行かないというよりも、余計な薬を飲まないことが重要です。精神薬、生活習慣病の薬、痛み止め、ホルモン剤など、共通して言えるのは「余計な薬を避ける」ことです。
ただし、全く病院に行かないというのも問題です。本当に病院に行った方がよい人を診察しないと、かえって事件扱いになり、死体検案やトラブルにつながることがあります。そのため大切なのは、森田洋之さんのように「ピンピンコロリ」を推奨する医師を探しておくことです。1つの県に数名いるかどうかという少なさですが、探せば必ず見つかります。在宅診療医は徐々に増えてきていますが、まだ全体の1割程度にとどまります。
私の病院にも末期がんの患者さんが訪れることがありますが、当院では末期医療は行っていません。そのような場合には「ターミナルケア・終末期医療を行う医師を探してください」と伝えます。その際には必ず「何件も病院を回って探すように」と助言します。病院のホームページは信用できません。表向きは立派なことが書かれていますが、実際に診てもらうと薬漬けであるケースがあるのです。したがって、医師と直接会い、自ら確認することが大切です。
(深田)
とはいえ、そうした在宅医療や終末ケアに理解のある医師に出会えないこともありますよね。
(内海)
出会えないというのは、多くの場合、探す努力が足りないだけです。県内には必ず数人は存在しますし、全国的にも在宅診療医は数多くいます。その中に「薬漬けにしない」という考えを持つ医師も必ずいます。要は「探していないだけ」なのです。
また、よくあるのは家族が医師に不満をぶつけるケースです。私もそうした相談を受けますが「あの医師はこの薬もあの薬も飲ませようとして、本当に最悪だ」と。しかし、私は「最悪なのはあなたの方です」と伝えます。そもそも薬漬けにする医師を選び、その病院に通っていること自体が問題だからです。高齢で身体も固まり、どうしようもない状態の場合であるならば、家族がある程度判断をして「薬を飲ませたくない」と、医師にそうした意見を伝える必要があります。
ただし「薬漬けにする医師に薬を減らしてほしい」と頼むのは、まるで薬物依存症の人が「これは本当に危険なクスリですか?」と売人に尋ねているようなものです。ですから、本当に重要なのは“病院選び”に努力を惜しまないことです。それを怠って「文句を言えばいい」と考えるのは、極めてナンセンスなのです。
(深田)
確かにそうですね。弁護士探しも同様に、良い弁護士はなかなか見つかりません。同じように、努力をしなければ望む結果は得られません。
私は正直、親の最期を看取る覚悟はあまりないので、今は「週5で筋トレに通いなさい」と勧めています。本人も喜んで通っています。
(内海)
その方が「ピンピンコロリ」になれるでしょうね。筋トレに限らず、高齢者は筋肉を保たなければ元気に最期を迎えることはできません。
(深田)
ヨガ教室や友人同士での軽い運動もやっているようです。
(内海)
それも非常に大切です。友人とコミュニティの中で活動することは、認知症予防にも大きな効果があります。また、常飲薬の問題もあります。例えば血圧の薬を飲むと、脳に血が十分に行かず、認知症が進行することがあります。
(深田)
それは恐ろしいですね。
(内海)
コレステロールの薬も同様です。コレステロールは本来、脳にとって重要な栄養素です。それを無理に下げることで認知症が進んでしまうのです。しかし、血圧もコレステロールも、医師に言われるまま処方され、患者は疑うことなく服用してしまいます。それの基準自体が疑わしいのですから、患者サイド自身で学ぶ必要があります。その点については私も著書で詳しく書いています。ぜひ参考にしていただきたいです。
残念ながら、今は多くの人は医師に言われるがまま薬を飲み、家族も同様に飲ませてしまいます。その結果、身体が弱り、さらに薬を飲むという悪循環に陥ってしまう。そうした人が非常に多いと実感しています。
(深田)
政府の言うことが虚偽であるならば、「病院に行き、薬を飲みましょう」という政府推奨の健康法も信用できませんね。
(内海)
その通りです。この国は世界一、製薬会社に食い物にされている国ですから。
(深田)
本当ですね。政治家の勉強会に厚生労働省の役人が出席すると、必ず外資系製薬会社の経営者たちが集まってきます。そして、講演中は居眠りをしていたのに、終わった途端に名刺交換の列をつくり、「ぜひ食事に行きましょう」と声をかけている。その光景を目にして、この国の医療は危ういと直感しました。
(内海)
まさにどうしようもない状況です。
(深田)
要するに単なる利権構造なのですね。今回は、内海聡さんに「ピンピンコロリ、皆さん元気に最期を迎えましょう。そのためには余計な薬を飲まないことが大切です」というお話を伺いました。どうもありがとうございました。