#436 知事は能登復興に動かない?地元で囁かれる元総理の意向と復興願う建築家の苛立ちとは? 森山高至氏×深田萌絵 

(深田)

みなさん、こんにちは。政経プラットフォームプロデューサーの深田萌絵です。

今回は建築エコノミストの森山高至先生にお越しいただきました。よろしくお願いいたします。

これまでは、いわゆる「トンデモ建築家」と呼ばれるような存在、例えば腐る建築の隈研吾さんや、万博木製リングの藤本壮介さんなどの事例を取り上げてきました。今回は少し趣を変え、正統派かつ大御所と呼ばれる方についてお話しいただこうと思います。先日ご紹介いただいた山本理顕さんですが、この方は建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を受賞されました。

(森山)

そうです。プリツカー賞は「建築界のノーベル賞」と呼ばれるほど権威ある賞で、受賞者は世界的にも限られています。日本からは安藤忠雄さんをはじめ、山本理顕さんの前には妹島和世さんと西沢立衛さんによるグループ「SANAA」が選ばれています。受賞理由としては、単なるデザイン性ではなく、地域や社会において建築の近代化がどのような変化をもたらしたのか、という点が重視されています。

(深田)

山本理顕先生の作品が特に評価されているのは、どのような点なのでしょうか。

(森山)

評価のポイントは、造形の美しさだけではありません。もちろん造形的にも魅力的ですが、何より重視されているのは「社会と建築の関わり」です。つまり、建築が社会とどれだけ一体となり、人々の暮らしをより良い方向へと変えていけるのかという観点です。山本先生の場合、その社会の単位を「コミュニティ」として捉えています。建築が人々の生活をしっかりと支えられているかどうか、そこに強い関心を持たれていてその点が高く評価されています。

(深田)

現在、ベネズエラのカラカスにおいてスラム街の再構築に取り組まれていると伺いました。従来の建築活動から一転して、スラム街の再構築に携わるとはどういう意味を持つのでしょうか。

(森山)

山本さんは「共同体を建築によってどのように組織化し、表現し、守ることができるのか」を大きなテーマとされています。つまり、一つの建築を観光資源として際立たせるのではなく、むしろ町や村といった規模の中で、人々が互いに関わり合いながら暮らせるようにすることを重視しているのです。その結果、生活が有機的につながり合う社会をつくり出す。そうした発想のもとに、スラム街の再構築にも取り組まれているのです。

(深田)

こちらにご用意した「山本理顕展」のポスターも、スイスでの建築作品ですね。

(森山)

はい。これも地形に合わせた造形であると同時に、非常に複雑な機能を一つにまとめ上げた建築です。「有機的」という言葉で片づけるのは簡単すぎるのですが、山本理顕さんは初期の頃から「建築の形をどう作るか」という発想ではなく、「その建築がどのように使われるか」という点を主題に据えてきました。そして、その考えが最終的に造形やプランに反映されていくのです。初期の代表作に「山川山荘」という別荘があります。山の中に建てられたもので、屋根はありますが部屋はなく、吹きさらしの空間です。ただしフロント等は単体で有り、自然の中に溶け込みながら生活が成り立つよう工夫されています。自然と一体となって暮らすための仕組みを備えた住宅であり、大きな注目を集めました。

(深田)

それが高く評価されたということですね。

(森山)

そうです。アート作品のように見えますが、単なるオブジェではなく、生活を成り立たせる仕掛けを備えている点が評価されました。日本の建築家なら誰もが知る名作です。現在は山本理顕さんご自身がその家を引き継ぎ、維持されています。他の初期の作品では、家の内部に演劇ができるような大きな階段状のスペースを設け、普段の生活の中にある「ミニ劇場」のような造りを取り入れたものもありました。普通の住宅でありながら、生活と文化活動が一体化する仕掛けが施されている点も非常に興味深いものです。

(深田)

やはり「コミュニティと建築」というテーマに一貫して取り組んでこられたのだと感じます。

私はこの姿勢を見て、ヨーロッパのファッションデザインに通じるものがあると思いました。日本の女性向けアパレルブランドは「かわいい」を重視する傾向が強く、上司や恋人、あるいはその家族など、相手にどう見られるかを基準にデザインされていることが多いのです。いわば「相手から好感を持たれるための服」という枠組みの中で成立しています。これに対してヨーロッパやアメリカのデザイナーズブランドは「これからの女性はどう生きていくのか」という生き方と服を一体で提案しています。つまり「住む人と家」を一体のものとして、その人の将来の生き方を見据えて提案しているのが山本理顕さんの建築なのだと感じました。

(森山)

おっしゃる通りです。その人の「今の要望」を聞いて家を設計するのではなく、「将来あなたはこうあるべきだ」という考え方を建築に込めていくのです。かつての日本の村落共同体は、現代の生活様式には合わなくなっていますが「都市における共同体や街に開かれた生活をどう実現するか」という課題に山本先生は取り組んでこられました。例えば「職住接近」、すなわち住宅でありながら仕事ができる空間や商店が入る空間を組み込む。学校においても、地域の人々が自由に出入りできるように設計するなど、複合的な機能を一つの建築に収める試み、すなわち生活とコミュニティを結び付ける取り組みを続けられています。

(深田)

ところで今度、能登半島に物資を持って視察に行こうと考えています。その点で考えるのは、能登の復興が遅れているものの、失われたものを単に復元するだけではなく、山本理顕先生のような方が設計を担えば、かつて住んでいた人々が集まり、交流し、商売を営み、生活を再建できるような大型建築が実現するのではないかということです。

(森山)

確かに山本理顕さんであれば、能登の人々の声を直接聞きながら「こうした方がよいのではないか」という多くの事例をもとに提案されるでしょうから、適任かもしれません。私もよく訪れていますが、自然に恵まれ、海と山があり、伝統文化も残っています。戦国時代には一向宗(浄土真宗)が支配し「民の国」と呼ばれていた土地です。当時、他地域では戦国大名が軍事力で支配していたのに対し、能登では本願寺の門徒たちが大名を追い出し、自ら平等な共同社会を築いた。約100年、能登半島は本願寺勢の国だったのです。

現在も古い本願寺系のお寺が数多く残っていますが、立派な本堂は地震で壊れ、檀家も減少し、少子高齢化で地域住民も減っています。しかし、300人規模の立派な本堂や講堂が存在しており、数百年の歴史を持つ建築で素材も極めて優れています。これを「地震で壊れたから仕方ない」と放置し、解体して廃材にしてしまうのは本当に忍びないです。そのため、利活用や移築の可能性について、私もお手伝いしています。

(深田)

9月か10月あたりに能登半島を訪れたいと思っています。現地でボランティア活動をされている方に電話取材をしたのですが、被災された方々の中には、いまだに段ボールの仕切りで生活している方もいらっしゃるそうです。仮設住宅に入っても、元の集落の仲間と離れ離れになってしまい、新しく隣に住む人とすぐに打ち解けるわけでもなく、接点もないまま孤立感が強まっていると聞きました。

そうした方々にとって、新しいコミュニティを形成できるような建築の提案はできないでしょうか。

(森山)

確かに、山本先生さんであれば可能かもしれません。

(深田)

現在の仮設住宅は、一つ一つが簡易的に作られており、完全に分割されてしまっていますよね。

(森山)

そうです。本来、仮設住宅はあくまで臨時のものであり、災害直後に当面の暑さや寒さをしのぐためのものです。能登半島地震の際には、私の友人で名古屋工業大学の北川(啓介)先生が、数時間で建てられる「インスタントハウス」を開発し、自ら車に積んで救援に向かいました。その後、数ヶ月にわたり能登で数多くのインスタントハウスを建設したのです。

(深田)

名古屋工業大学の北川先生ですね、お会いしたいです。

(森山)

はい、ご紹介します。北川先生は、長期的な解決策ではなく、まず数か月間、厳しい寒さの中でも生活できるようにと取り組まれました。そのインスタントハウスの多くは今も残っており、集会所として活用されることもあります。本来は次の段階に進まなければなりませんが、今なおそこに住み続けている方もいるのです。その状況を見ると「なぜ復興が進まないのだろう」と考えざるを得ません。

また、漫画家のちばてつや先生が漫画家協会を通じて「能登を応援しよう」と呼びかけられ、チャリティー漫画を制作し、多額の寄付を集められました。しかし、そうした努力や善意は報道で大きく取り上げられることが少ないのです。

(深田)

確かにその通りですね。そこで、私自身でそのような状況を伝える新聞を作ろうと考えています。よろしければ記事を寄稿いただけませんか。

(森山)

いいですよ。

(深田)

私はそうした活動も進めていきたいと考えています。

福島の震災の際にも指摘されましたが、原発受け入れを推進していた地域と反対に回った地域とでは、復興補助金に大きな格差があるのではないかという声がありました。能登の復興が放置されているのも、同じような背景があるのではないかと話す被災者の方もいらっしゃいます。

(森山)

もともと能登でも原発建設の計画がありましたからね。

(深田)

だから「反対した見せしめとして復興が遅らされているのではないか」と、そう感じている方もいるようです。

(森山)

ただ、私が聞く限りでは、能登を意図的に冷遇している人がいるようには見えません。むしろ「能登を応援したい」「ボランティアに行きたい」という申し出は多いのですが、石川県側から「待ってほしい」「何もしないでほしい」といった声があると聞きました。これは東京都庁の職員から伺った話ですが、都の職員たちはすぐに支援チームを送り込み、いろいろな提案をしても、県側がなかなか受け入れない。受け入れ体制そのものが整っていないのです。役所内には「余計なことをしないでほしい」という雰囲気があるそうです。

その背景には、県知事である馳浩氏の姿勢もあるのでしょう。彼が積極的に動いているようには見えません。「森喜朗元首相の指示がなければ何もできない」という雰囲気があるらしいのです。しかし、森元首相はすでに政界を退いた身です。今は、「元首相の意向がなければ動けない」などと言っている場合ではありません。

(深田)

それはショックです。実際に被災者の方が今も段ボールベッドで寝ている状況が続いているのに。実は、私の実家は段ボール製品を扱っていて、東日本大震災の時には段ボールベッドを提供しました。

(森山)

それなら、ぜひ名古屋工業大学の北川先生にお会いください。先生は簡易住宅や、体育館などの避難所でプライバシーを守れるように工夫された「ダンボールハウス」をデザインされています。

(深田)

ダンボールハウスですか。

(森山)

はい。それを量産し、非常に安価に被災地へ届ける活動を続けておられます。

(深田)

ありがとうございます。能登半島の復興が一日も早く進むことを願っています。もし山本理顕先生が能登半島で新しいコミュニティを形成するための建築を手がけられるなら、国からの支援も得られるのではないかと思います。

(森山)

それは十分に可能だと思います。世界的に認められたプリツカー賞受賞建築家の取り組みですから、意義も大きいでしょう。ただし、能登半島の復興建築に関する委員会が設けられていて、その委員長を務めているのが隈研吾さんなのです。

(深田)

やはりそうでしたか、また隈さんですか。

(森山)

ですから「能登=腐る建築」にならないか危惧しています。その中で和倉温泉の有名な旅館「加賀屋」では隈研吾さんに新しいホテルの設計を依頼していますので、その場合は予算も出れば真剣に取り組まれることでしょう。

(深田)

しかし、かまぼこ板のような仕上げにされては困ります。

(森山)

まさにそこを皆さんが心配しています。「しっかりしたものを作ってほしい」と。

(深田)

能登にまで「隈被害」が足音が忍び寄っているように思えてきます。

(森山)

やはり、理顕先生にお願いするしかないですね。

(深田)

ここはぜひ山本理顕さんに力を発揮していただき、能登のコミュニティ復興のための新しい建築を実現していただきたいと思います。

今回は建築エコノミストの森山高至さんにお越しいただきました。ありがとうございました。

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