健康診断の闇! 早期発見で金儲けを狙う医療産業の真相とは? 森田洋之氏 #385

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【目次】

(深田)

皆さん、こんにちは。政経プラットフォームプロデューサーの深田萌絵です。

今回は、「ひらやまのクリニック」院長でいらっしゃる森田洋之先生にお越しいただきました。森田先生、どうぞよろしくお願いいたします。

(森田)

はい、よろしくお願いいたします。

(深田)

森田先生には、前回、終末医療の問題についてお話をいただきました。

今回は、過剰な健康診断が、むしろ健康を損なっているのではないかという問題について、詳しくお伺いしたいと思います。

(森田)

実は、健康診断には非常に深い闇の側面があるのです。

(深田)

闇、ですか?

(森田)

はい、まさに闇です。世界の中でも、日本ほど頻繁に健診を実施している国はほとんどありません。

(深田)

確かに、そのようなことはよく耳にしますね。

(森田)

その通りです。日本では健康診断が過剰に行われており、「早期発見・早期治療」が良いとされています。もちろん、それによって良い結果がもたらされる場合もあります。

しかし一方で、早期に発見したとしても、あまり意味のないケースも少なくありません。

(深田)

「意味がない」とは、どういうことでしょうか?

(森田)

多くの方は、早期発見すれば必ず良い結果につながると考えています。ところが実際には、早期に見つけることでかえって悪い結果を招く、すなわち逆効果となることすらあるのです。

(深田)

つまり、早期に発見しすぎることによって、誤診を招いている可能性があるということでしょうか?

(森田)

その通りです。正確には「誤診」とまでは言いませんが、本来であれば治療しなくても自然に治るはずのものに対して、あえて治療を行ってしまうという問題があります。

たとえば、子宮頸がんの検診がありますよね。これは細胞を採取して、がん化していないかどうかを調べるものです。

その際に、「前がん病変」と呼ばれる段階が見つかることがあります。これは、がんになる前の異常な細胞状態、いわゆる「異形成」と言われるもので、まだがんではありません。

この段階の異形成については、実はそのまま放置していても問題にならないケースが多くあります。現在の医療データによれば、通常の生活を続けているだけで、およそ9割の人が自然に治癒するとされているのです。

(深田)

自然に9割が治るのですか?

(森田)

はい、その通りです。前がん病変のうち、9割は自然治癒すると言われています。

(深田)

ということは、特別な処置をしなくてもいいわけですね。

(森田)

そうです。もちろん、残りの1割はそのまま進行してがんになる可能性がありますので、それをどう評価し、どう対応するかは個別の判断が必要になります。

ただ、「前がん病変」と診断されると、多くの人は「すぐに処置をしなければいけない」と考えてしまいます。「この細胞は取ってしまわないと危ない」と判断してしまうのです。

確かに早めに対処することが悪いとは一概に言えません。しかし、手術などの治療には必ず副作用があります。その副作用を考慮せずに処置を選ぶと、本来避けられたはずの負担を体に与えてしまうことになります。

こうした問題は、まさに「早期診断を行ったからこそ生じる不安」によって引き起こされているのです。

(深田)

なるほど。確かに、その通りですね。

(森田)

検査で何かを見つけてしまうと、どうしてもその結果にとらわれて不安になるのです。

(深田)

たとえば、自分の顔を鏡で見るからこそ、「私はブスなのかな、どうなのかな」と悩んでしまいますよね。見なければ、そんなことを気にせずに済むのに、と思います。

(森田)

まさにその通りです。もしも鏡のなかった時代であれば、女性たちも今ほど化粧に熱心ではなかったかもしれません。

(深田)

そうですね。鏡の精度がまだ低かった時代には、自分の顔をはっきりと見ることもできませんでしたから、それほど一生懸命に化粧をすることもなかったと思います。

(森田)

しなかったかもしれません。そういうことですね。

たとえば、今回の新型コロナに関連して行われたPCR検査についても、非常に過剰な「見える化」が行われた側面が大きかったと思います。

そもそも、「不顕性感染」と呼ばれるように、ウイルスに感染していても症状がまったく現れない人が、かなりの数存在していたわけです。

(深田)

でも、症状がなければ、それは病気とは言えないですよね。

(森田)

おっしゃる通りです。症状がなければ、本来それは「病気」とは言えません。

それにもかかわらず、PCR検査で陽性と判定されただけで、「ホテルに隔離」といった対応がなされていたのです。

(深田)

私たちの体の表面には、もともと無数の細菌がついているものですよね。

(森田)

まさにそのとおりです。たとえば手のひらには、皮膚ブドウ球菌や表皮ブドウ球菌といった常在菌がたくさん存在しています。私たちは日常的に、そうした菌やウイルスと共存しながら生きているのです。

このように、過剰な「見える化」は、私たちに恐怖や不安を与えるだけで、実質的な意味が乏しいこともあります。これは健康診断にも共通する問題で、異常を過度に顕在化させることで人々の不安を煽り、それが医療を受ける動機となっていく。こうした構図は、医療利権にとって極めて都合の良い仕組みでもあるのです。

(深田)

医療利権ですか?

(森田)

そうです。たとえば、コロナ禍におけるPCR検査でも、検査によって莫大な利益を上げていたクリニックが存在しましたよね。通称「なんとかたんたんクリニック」などと呼ばれていたようなところです。

(深田)

確かに、そうした例はいくつもありましたね。

(森田)

あれもまさに、医療利権の典型例です。人々に何かを「見える化」し、不安や恐怖を煽ることで医療の介入を促し、そこから利益を得る。これが、いわゆる“ゴールデンパターン”と呼ばれる構図なのです。

(深田)

私自身、以前から感じていたのですが、病気というのは基本的に自分でわかるものです。自覚症状が出てくるので、体の異変には気づけますよね。

(森田)

おっしゃる通りです。逆に言えば、自覚症状がない段階で「早期発見」と称して何か対処をしようとするのは、実は慎重に考えるべきことです。

確かに、そのことで救われる人が一部にいることも否定できませんが、一方で、たとえば先ほどお話しした子宮頸がんのケースのように、不要な医療介入がかえって健康を損なう結果になることも少なくありません。

今回のコロナ禍でも、YouTubeなどでは明言できない“例の注射”に関して、安易な介入がかえって不幸な結果を招いた例が数多く見られました。

この経験を通じて、多くの方が「医療利権」という構造、つまり、人々の恐怖を利用して医療が介入し、利益を得る仕組みを実感されたのではないかと思います。

もちろん、介入によって救われる方もいますが、それ以上に不幸になる方が圧倒的に多いという現実があります。

これは構造的な問題であり、健康診断においてもまったく同じです。「見える化」によって不安を煽り、医療が利権を得る。この流れがそのまま繰り返されているのです。

たとえば血圧や血糖値の管理もその一環です。血圧に関しては、現在では「130を超えたら何とか麦茶を飲め」などと言われることもありますよね。

こうして、基準値が次々と引き下げられ、それによって人々の不安が増幅されていく。そして医療分野では、その不安を受けて薬や治療などが提供されることで、さらに利益が発生するという構図になっています。

(深田)

本当にそうですね。美容体重の基準も年々引き下げられ、私たち女性は常にプレッシャーと恐怖にさらされています。

(森田)

まさにその通りです。

(深田)

「自分は太っているのではないか」と、いつも不安に感じてしまいます。

(森田)

深田さんは、まったく太っていませんよ。

(深田)

それでも、美容体重の基準などを目にすると、本気で心配になります。

(森田)

そのような不安を抱くこと自体が、実は非常に良くないのです。

(深田)

はい。

(森田)

そもそも、人々を不安や恐怖に陥れ、それを利用してビジネスにつなげるというのは、世の中でよく見られる常套手段です。しかし、それを医療が行うようになってしまっては本末転倒です。

医療の本来の目的は、人々を健康にし、幸福へと導くことにあります。つまり、医療はビジネスとして成り立たせるものではありませんし、そうあってはならないのです。

実際に、医療法の中には「医療を営利目的で行ってはならない」と、明確に記されています。

(深田)

医療法に、そのように書かれているのですね。

(森田)

はい。「営利を目的としてはならない」と明記されています。とはいえ、現実には多くの医療機関が実質的には営利を追求しているのが実情です。

ただし、ヨーロッパの国々の中には、営利目的で医療を行うことを厳格に禁じている国もあり、制度としても真剣に取り組まれています。

(深田)

それは本当ですか?

(森田)

はい。たとえばフランスやイギリスなどのヨーロッパ先進国では、病院のほとんどが公立・公営です。

(深田)

そうなのですね。私立の病院が中心というわけではないのですね。

(森田)

いわゆるプライベートの民間病院というのは、非常に少ないです。

(深田)

それは意外でした。

(森田)

ただし、アメリカは例外です。アメリカでは、病院の多くが民間であり、医療の提供もビジネスの色が非常に濃くなっています。

(深田)

アメリカは本当に、高額な医療を提供する民間病院ばかりですよね。

(森田)

アメリカの医療制度は、正直言って「最悪中の最悪」と言っても過言ではありません。

(深田)

私も、アメリカで仕事をしていた経験があるので、その実情をよく理解しています。

実は2年ほど前にアメリカ滞在中、肺炎にかかったことがあるのです。

(森田)

それは大変でしたね。

(深田)

そのとき、「病院を予約してくれ」と頼んだのですが、肺炎は通常、抗生物質で比較的すぐに治る病気ですよね。

(森田)

ええ、一般的にはそうです。

(深田)

私は肺炎を何度か経験していたため、自分でも症状がわかるのです。「これは風邪ではない、酸素レベルが下がっているから肺炎だ」と。しかし、抗生物質さえあれば回復するにもかかわらず、病院には入れず、予約も取れませんでした。

(森田)

まさに、アメリカの医療の深刻な問題です。一方で、イギリスなどヨーロッパ諸国では状況がまったく異なります。

仮に今、深田さんがイギリスで肺炎を患い入院したとしても、病院の窓口で支払う医療費は一切ありません。つまり、自己負担はゼロです。

(深田)

それは本当に驚きですね。

(森田)

そもそも、イギリスなどでは病院に「支払い窓口」が存在しないのです。医療費はすべて税金によって賄われており、診療の際に患者が料金を支払うことはありません。

その代わりとして、「本当に必要な人には手厚く対応するが、そうでない人は医療サービスを控えてもらう」という考え方が根付いています。たとえば、風邪程度では病院に行くことはできない場合があるのです。

(深田)

それは、「どのような人が病院に行けるか、行けないか」といった明確なルールがあるということですか?

(森田)

はい、ルールがあります。「GP(General Practitioner)」と呼ばれる、いわゆるかかりつけ医や地域の指定医がその役割を担っています。まずはこのGPを受診し、その判断に基づいて病院へ行くというのが基本的な流れです。

(深田)

救急とは別に、ファミリードクターのような存在がいて、そこから紹介状が必要になるのですね。

(森田)

おっしゃる通りです。こうした医師たちは「ゲートキーパー」と呼ばれており、病院へのアクセスにおける門番のような役割を果たしています。

もしも重症であれば、その場で「すぐに病院へ」と判断されますし、「ひとまず抗生物質を服用して、1~2日自宅で様子を見て、それでも改善しなければ再受診を」と言われることもあるのです。

(深田)

なるほど。そうしたシステムは、確かに合理的ですね。

ただ一方で、日本人の気質かもしれませんが、健康診断が好きな人がとても多いように思います。

(森田)

そうですね。日本人は、病院が好きな傾向があります。

(深田)

ええ。美容院や各種サロンに通うのと同じ感覚で、医療機関にも通うのが好きなのだと思います。ある種の習慣というか、生活の一部になっているように感じます。

(森田)

通院すること自体が好きというよりも、「きちんと通院しておくことが良い」「通えば何か得られる」といった意識があるのかもしれませんね。

(深田)

そうですよね。私は正直なところ、美容院も病院もあまり好きではないのです。椅子に長く座っているのが、どうにも苦手で……。

(森田)

病院はまだしも、美容院にはさすがに行かれるでしょう?

(深田)

美容院も、本当に苦手なのです。「嫌い」と言うと、美容師の方に失礼かもしれませんが、どうしても好きにはなれません。

というのも、あの化学薬品のにおいが強く、頭には水をかけられ、熱湯や熱風を浴びせられる。その一連の体験が、どうしても快適とは思えないのです。

(森田)

たしかに、それはよくわかります。

(深田)

結局のところ、「自分が醜く見えるようになったら困る」という恐怖心から通っているだけであって、鏡がなければ、そうした不安も持たずに済むのにと、先ほどの話に戻ってしまいますね。

(森田)

とはいえ、やはり日本人は病院が好きな傾向があります。

「好き」と言うよりも、日本社会において、欧米と異なり宗教的な背景が希薄であることが大きな要因だと思います。

日本には、神父や牧師といった精神的な支柱が身近に存在していません。

その代わりに、「この人の言うことには逆らえない」と社会的に認識されている職業があり、それがほぼ医師なのです。

(深田)

なるほど、そういう背景があるのですね。

(森田)

はい。多くの人が医師に対して逆らうことができず、「医者の言うことだから」と無条件に従ってしまう傾向があります。それだけ、医師が持つ社会的影響力が大きいということです。

(深田)

本当にその通りです。

私の父など、誰の話にも耳を貸さないのに、医師の言うことだけは素直に従っているのです。

(森田)

まさに、宗教の影響が薄い日本社会において、医師こそが最強の“宗教的存在”だと言っても過言ではありません。

(深田)

いわば、教祖のような存在ですね。

(森田)

まさにその通りです。生活全般を医師に委ねてしまう人が多く、健康診断の受診や薬の服用など、医師の指示に従うことが当たり前になっています。

そして、そうした依存的な在り方を社会全体が当然のこととして認めているように見えます。

しかし、そもそもこの前提自体が間違っているのです。

もちろん、外傷や緊急時の場合や、若年層に関しては医療の介入は必要不可欠ですが、特に高齢者に関しては、過剰な医療依存はむしろ問題です。なぜなら、老化は病気ではなく、医療で治せるものではないからです。

(深田)

そうですよね。老化というのは、ただの自然現象ですから。

(森田)

その通りです。老化現象は医療では解決できません。したがって、老化を医療の対象と考え、医師に任せてしまうのは適切ではありません。

(深田)

私もよくネットのコメント欄で「深田萌絵は劣化した」などと書かれますが、私は「これは劣化ではなく老化です」と言いたいのです。

(森田)

でも、老化と言うには、まだそういう年齢ではないでしょう。

(深田)

やはり、年を重ねると、それなりに身体や見た目の変化が出てきますよね。

(森田)

年齢相応の変化ということですね。

(深田)

ええ、年齢相応になっていくというだけの話なのです。

それは決して病気でもなければ、ましてや劣化でもありません。

単に、順調に老化しているだけのことです。

私が思うに、こうした変化に対して、無理に抗おうとするのではなく、

「治らないものにはお金をかけない」「病気であれば自然と気づけるものだ」といった感覚で、もっと肩の力を抜いて生きることが大切なのではないでしょうか。

(森田)

おっしゃる通りです。それが一番だと思います。

(深田)

ということで、今回は『何かがおかしい』の著者であり、「ひらやまのクリニック」院長の森田洋之先生にお話を伺いました。

森田先生、本日はありがとうございました。

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