犠牲者多数! 血に塗られたウクライナの『恨』の歴史の真相とは!? 宇山卓栄氏 #381

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【目次】

(深田)

皆さん、こんにちは。政経プラットフォーム、プロデューサーの深田萌絵です。今回は、著作家の宇山卓栄先生にお越しいただきました。よろしくお願いします。

前回は、ロシアの起源についてお話をいただきましたが、今ロシアと戦争状態にあるウクライナは、元々キエフ公国で一緒だったという話でしたよね。それがどうしてこのような事になっているのでしょうか。

(宇山)

ウクライナ人のルーツを探っていきながら、お話をさせていただきたいと思います。

元々、「キエフ・ルーシ(キエフ公国)」で、1つの国家、1つの民族だったのです。だからプーチン大統領も、この「ルーシ」という民族の括りの中で、ロシア人とウクライナ人は1つにならなければならないということを繰り返し言っているわけです。

ところが、ウクライナ人は決してそうは捉えていないのですよ。キエフ公国が9世紀の末に出来上がり、13世紀にモンゴルが侵攻してきます。これを率いていたバトゥという人物はチンギスハンの孫なのですが、彼がキプチャク・ハン国というのをウクライナにまたがるロシア地域に作りまして、キエフ公国を滅ぼしていくのです。

その後、15世紀、1480年にモスクワ大公国という純粋なロシア人国家が生まれます。これはキエフとは場所が違い、モスクワを中心とする1地域国家でした。キエフとは切り離されたわけです。そのモスクワ大公国がロシア帝国に発展していき、大きくなっていくという話を前回いたしました。

このモスクワ大公国の発展の中で、ウクライナ人は取り残されたのです。それに激怒したウクライナ人は、当初から「傍系である」という言い方をしていたのです。傍系とは、いわゆる分家のことですね。分家であるモスクワ大公国がどんどん大きくなり、そして最後は本家であるキエフまでを飲み込んでいった、「分家が本家を乗っ取った。けしからん!」ということです。

確かに、このモスクワ大公国というのは、キエフの本流に対する遠い親戚なのです。その遠い親戚が、暴力によって最終的には本家を合併していく形にはなっているので、「キエフ人とモスクワ大公国人とは、そもそも全然違うものだ。分けて考えてください。」というのがウクライナ人側の主張です。

(深田)

京都の人にとっての、「天皇陛下が東京にいるのは一時的なもので、あくまで御所がお住まいである」という感じでしょうか。

(宇山)

そうなのです。「江戸幕府がどんどん大きくなって、江戸国家のようになっているが、あれは分家だろう」というような発想ですね。

「だから俺たちの方が偉いのだ。本家本元は俺たちなのだ。」という歴史感の争いに、ウクライナ人とロシア人はなっているのです。

(深田)

でも、民族的には同じなのですよね。

(宇山)

血統の上では一緒です。「キエフ・ルーシ」ですからね。そこから両者派生していますが、ずっと辿っていくと、プーチン大統領の言うように、やはりこれは同じということにはなってくるのです。しかし、その後の歩んでいった歴史が全然違うだろうということなのです。

(深田)

確かにそうですね。

京都の人たちも全然違いますものね。特殊ですよね。

(宇山)

違いますよね。我々、関西人ですけれども、京都人のあのプライドの高さは鼻持ちならないところがありましてね。言葉もかなり違うじゃないですか。独特のイントネーションがあって、彼らはそれを誇りに思っていますよね。

(深田)

そうですね。ですが、やはりあの発音は雅ですよ。

(宇山)

まあそうですね。河内弁とはかなり違いますね。

同じように、本家本元の誇りがウクライナ人にはあるのですが、彼らはかなり混血をしていくのですよ。純粋の、いわゆる北欧からやってきたと言われるルス族の血というものを、ほぼ残さないくらいに混血をしていくのがウクライナなのです。

その辺の経緯ですが、「コサック」という言葉を聞いたことはありますか?

(深田)

コサックダンスですね。

(宇山)

遊牧民の踊りですね。このコサックは主にトルコの遊牧民の血が入っています。「コサック」という言葉自体が、トルコ語なのですね。これは「自由なる者」というトルコ語から発生しています。

このコサック部隊の人たちが、ウクライナに入り込むのですよ。モンゴルの襲来が起こる13世紀以前からの11世紀から12世紀には、これらの人たちが大量にウクライナに入り込んでいったのです。そして、13世紀にチンギスハンの孫たちが攻めてきて、ロシア全域、ウクライナ全域を支配します。このキプチャク・ハン国というのは、ウクライナとロシア、そして東欧にもまたがる大帝国だったのですが、北側からモスクワ大公国が大きくなってきて、南へ南へと押しやられていき、行き着いた先がクリミア半島です。そこで作った国が、クリミア・ハン国です。クリム・ハン国とも言いますが、これがモンゴル人の大きな拠点だったのです。

(深田)

あそこが拠点だったのですか?すごく意外です。

(宇山)

意外ですよね。モンゴル人がなぜそんな所にと思いますが、遊牧民というのは、ものすごい距離を移動するのですよ。

(深田)

そうですよね。ハンガリーぐらいまで行っていましたよね。

(宇山)

そうなのです。ハンガリーマジャール人もアジア系の遊牧民です。よくご存じですね。

そして、現在のトルコ共和国ですが、トルコ人というのは、元々モンゴル高原の西の端にいたのです。

(深田)

よく杜甫や李白の歌に出てきますよね。あの人たちは、西の砂漠地帯で警備をやっていて、北からテュルク(突厥族)が攻めてくるのですよね。

(宇山)

そうなのです。「安史の乱」というのがありますけれども、唐王朝の玄宗と楊貴妃の話が、まさにそのトルコ系の民族が暴れた時の話なのです。

(深田)

ディズニーで言うと、ムーランですよね。

(宇山)

まさにその話です。

彼らが、ずっと西側中央アジアを超えて、現在トルコ共和国を作っているのです。当時は、もの凄い距離を移動して、モンゴル人も、トルコ人も来るような状況だったのですよ。

このモンゴル人が、クリミア半島だけではなく、ウクライナの南半分一帯も席巻していき、そして、トルコの部族とも交わっていくのです。さらには、ウクライナの「キエフ・ルーシ」の白人の血も入っていきます。遊牧民の血を基盤にしながら、白人の血も入ってできたのがコサック部隊なのです。

そのコサック部隊の国家のことを、「ヘーチマン国家」と言います。「ヘーチマン」というのは、ウクライナコサックの頭領のことを指します。中世の時代から、そういう国家がウクライナには一貫してあったのです。その時、北側には今で言うロシアのモスクワ大公国があったし、ポーランドにはヤゲロー朝という大国家もありました。そして、ウクライナのヘーチマン国家。東ヨーロッパは、この三つ巴状態だったわけですよ。

ですから、ウクライナという国家の起源は、直接的にはヘーチマンのコサック部隊にあるのです。

(深田)

そうすると、全然系譜が違うのですね。

(宇山)

違います。もうルス族とは大きく離れて、そこにアジアの血も入ったという中で、ウクライナの国歌の中にも、「我らがウクライナコサックの我らは子孫である。我らの父祖たちの誇りを歌いあげよう」とあります。

ウクライナの国歌にも、「我らはウクライナコサックの子孫である。我らの父祖たちの誇りを歌いあげよう」という意味合いが含まれています。彼らの民族の中核が「コサック」にあるのですね。

我々にとって、ウクライナ人は金髪碧眼で色の白いイメージがありますよね。ですが、実際にはロシア帝国の時代に、ロシア人の血が大きく入ってきて、「金髪碧眼のウクライナ人」になっているのです。元々の中世の時代、特に17世紀までのウクライナ人は、かなり私たちのような顔つきに近いと思いますよ。今でも、ウクライナのオデッサにしてもキエフにしても、そんなに金髪碧眼だらけというようなことはありません。そういう人たちがカメラで取られて、綺麗なのでフィーチャリングされるのでしょう。(日本で知られているウクライナの方で)ナザレンコさんやグレンコさんがいらっしゃいますが、彼らの顔をよく見てみると、金髪碧眼というよりかは、むしろ少しアジアの血も入っていますよね。グレンコさんは特にそうです。そういう意味では、彼らの民族の系譜は、誇り高きコサックから引き継いでいるものだという部分が、かなりあるのです。

そして、このコサックの部隊が、ロシア帝国の時代になって吸収合併されていくわけです。

それが18世紀の話です。18世紀に、ピョートル大帝というロシアの近代化を成し遂げた人物が出てきて、南ロシア一帯のウクライナコサックたちを吸収合併していくのです。

この時のウクライナコサックの有名な人の中に、有名な作曲家のチャイコフスキーのひいおじいさんもいらっしゃいます。実際、チャイコフスキーというのは、チャイカというコサック部隊のかなり上の人だったのです。そのチャイカさんがロシア帝国に恭順して、ロシア語読みのチャイコフスキーに苗字を改めていくのです。彼らは、ピョートル大帝の北方戦争にも従事していくという有名な一族で、その子孫が「くるみ割り人形」のチャイコフスキーなのです。ですから、チャイコフスキーは、血統の上では「ウクライナコサックウクライナ人」になります。

さらに18世紀後半のエカチェリーナ二世の時代には、完全にクリミア・ハン国も併合され、ウクライナの「ヘーチマン国家」というものが無くなってしまいました。ですから、ウクライナ人はこういう言い方をするのです。

(続きは動画をご覧ください)

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