隈研吾氏は迷惑系YouTuberみたいなもの? 現代建築の裏側で起きている衝撃の真実とは?   湧口善之氏  #324

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【目次】

(深田)

皆さん、こんにちは。政経プラットフォームITビジネスアナリストの深田萌絵です。

本日は、都市林業家の湧口善之先生にお越しいただきました。湧口先生、どうぞよろしくお願いします。

(湧口)

よろしくお願いします。

(深田)

前回は、木造建築といえば隈研吾氏ということで、隈研吾氏の建築について少しご解説いただきました。近年、特に「建物に木材を使用しましょう」という動きが目立つようになっていますが、これはおそらく林野庁が推進しているものではないかと思います。こうした木材利用の建築が増える中で、特に注目されるのが大阪万博の「リング」です。この「リング」は建築家の藤本壮介氏がデザインされたものですが、すでにいくつかの問題が発生しているようです。具体的には、雨染みによる汚れや、水を入れたことで土台が浸食されるなど、ある程度予見できた問題が発生しています。こうした状況について、先生はどのようにお考えでしょうか?

(湧口)

そうですね、現時点ではまだ正式に引き渡されて「皆さんどうぞ」という段階には至っていないと思われます。そのため、現場が一時的に汚れたこと自体については、必ずしも大きな問題とは言えないかもしれません。これは私の個人的な見解ですが、小規模な建築現場でも同様の問題はよく発生します。最終的には、清掃や仕上げ作業が行われ、「ここに問題はありませんか?」と確認したうえで引き渡しが行われるのが一般的です。そのため、正式な引き渡し後に明らかになる問題であれば、それは本当に深刻な問題といえるでしょう。

(深田)

現時点ではまだ何とも判断できない部分もありますね。

(湧口)

確かに、施工に関わる公務店や現場の職人たちにとって、現在の段階で批判を受けるのは少々気の毒かもしれません。まだ完成に至っておらず、今後の仕上げ作業や調整によって改善される可能性も十分にあるはずです。こうした問題はある程度予見されていた可能性もあり、最終的な完成形に向けて調整が進んでいる段階かもしれません。

(深田)

ただ、あの「国産の木材を大量に使用するからこそ350億円もの巨額な費用がかかる」という話で注目を集めていたはずですが、実際にはその半分ほどがフィンランド産の木材だったという点は驚きでした。

(湧口)

確かに、それには私も少し驚かされました。

(深田)

本当に驚きですよね。最近、こうした「一発芸」的な印象の強い建築家の作品が増えているように感じます。一見派手で視覚的なインパクトがありますが、実際の機能性や実用性に欠けるケースも増えている印象です。こうした現象の背景にはどのような要因があるのでしょうか?

(湧口)

やはり「写真映え」を意識したデザイン志向は、古くから建築の世界に存在していたと思います。かつては雑誌に自分の作品が掲載されることが、建築家にとって一種のステータスであり、そのために目立つデザインを追求する動きは常にありました。実際、世間に名前を広めなければ、自分が本当に取り組みたい建築プロジェクトに携わる機会を得ることは難しいという現実もあります。ですから、「目立ちたい」という意識は、多くの建築家にとって避けられないものだったと言えるでしょう。正直なところ、私自身も若い頃にはそうした志向がなかったとは言えません。

(深田)

いや、それはよくわかります。私自身もこうしてYouTubeの番組を運営していると、少しでも多くの視聴者に見てもらえるように、タイトルやサムネイルを工夫して目立たせようとすることがあります。

これは埋もれないための戦略であり、ある意味で努力の一環です。ただ、その一線を越えてしまうと、いわゆる「迷惑系YouTuber」のように、過度に刺激的なコンテンツに走ってしまう危険もあります。例えば、最近話題になったクマ被害事件のように、視聴数を狙いすぎた結果、問題を引き起こしてしまうケースも少なくありません。

(湧口)

そうですね。実は、この話題も含めて今日はお話ししたいと思っていたのです。考えてみると、かつての雑誌メディアも、良いものを作りたいという純粋な情熱を持って努力していたクリエイターが多くいました。建築に対する愛情や情熱があり、少しでも優れた作品を世に出したいという思いから、写真映えや派手なデザインに走った部分もあったのでしょう。

しかし、時代が変わり、現在はウェブメディアやYouTubeが主流となり、発信の手段も大きく変わりました。特にYouTubeは広告収入が主な収益源であり、視聴数が成果の全てという側面があります。その結果、どうしても目立とうとする方向に引っ張られてしまうことが多くなっています。これは、もともとは純粋に世の中を良くしようという気持ちから始まった動きが、いつの間にか別の方向に進んでしまう「ボタンの掛け違い」のような現象だと感じます。

(深田)

そうですよね。結局、再生数を稼がなければならないというプレッシャーがあると、次第に本来伝えたかったメッセージが届きにくくなってしまいます。本当はもっと深く掘り下げたいテーマがあっても、それでは視聴数が伸びないと判断されてしまうことも少なくありません。

その結果、どうしてもセンセーショナルな方向に走りがちになり、多くのクリエイターが視聴者の注目を集めるために過激なコンテンツを選ぶようになってしまうわけです。

さらに、中には意図的に他者に迷惑をかけるような行動を動画に収め、それを投稿することで一時的な注目を集めようとする人もいます。しかし、そのような行為はしばしば批判の対象となり、結果的には炎上につながることが多いです。つまり、最初はそれほどの意図がなくても、少しずつエスカレートしていき、最終的には大きなトラブルに発展してしまうケースもあります。ただし、隈氏や藤本氏のような建築家が、炎上を狙って作品を発表しているとは思いませんが。

(湧口)

全くその通りだと思います。隈氏や藤本氏は、純粋に良い建築を作りたいという信念を持ち、その情熱でこれまで評価されてきた方々です。しかし、その評価の基準自体に問題があるのかもしれません。つまり、外見のインパクトやデザインの奇抜さだけで作品が評価されがちで、その内部の構造や実際の機能については、あまり重視されていないケースが多いのではないでしょうか。

「中身がスカスカだ」と批判されることもありますが、実際には、その作品の本質的な価値や技術的な工夫は、表面からは見えにくい部分にこそあるかもしれません。ただ、そのような側面を真剣に伝えようとしても、なかなか一般の人々には届かないことが多いのも事実です。

(深田)

そうですね。あまりに細かい技術的な解説や専門的な話題を発信しても、多くの視聴者には興味を持ってもらえないというのは、よくある話です。

(湧口)

その通りです。実は今回、この番組に出演するにあたり、改めて考える機会をいただいたのですが、私自身も建築や木材の使い方がより良い方向に進むことを願って発信を続けてきました。しかし、実際にはなかなか多くの人に見てもらえないことが多いのが現状です。

ただ、ふと考えてみると、昔の本当に素晴らしい建築、例えば世界遺産や国宝級の建物を作り上げた人々は、現代のようなメディアが存在しない時代に活動していたわけです。限られた人々が実際にその場所に足を運び、その建築を目にして「これはすごい」「ここにはこんな工夫がある」と、口コミや噂によってその価値が広まっていった時代の方が、もしかすると本質的に優れた建築が生まれやすかったのかもしれません。こうした背景を考えると、現代の我々が目指していることは何なのか、少し考えさせられる部分もあります。

(深田)

確かに、実際にその場所に行って見た人たちのリアルな口コミの方が、説得力や真実味があります。

(湧口)

そうですね。実際にその建築を使っている人たちの声や実感は、非常に重要だと思います。

(深田)

その通りですね。現在はインターネットやメディアの時代で、どうしても写真や映像だけで判断されがちですが、そのようなメディアがなかった時代にも、優れた建築は数多く存在していました。

(湧口)

そうですね。本当に今は、表面的なデザインや見た目のインパクトが極まった時代だと感じます。こうした極端なトレンドも、いずれ必ず転換点を迎えるものですが、ここ数十年を振り返ってみると、「スター建築家」の作品集には、まるで彫刻のようなデザインばかりが目立ちます。

例えば、かつてオリンピックのスタジアムでも、実現には至らなかったものの、CGのようなヘルメット型のデザインが提案されたことがありました。こうしたデザイン志向が、まさに極みに達している時代といえるかもしれません。

(深田)

ただ、こうした象徴的な建築物が次々と劣化していく状況を見ると、それ自体が国家や社会全体の衰退を示しているのではないかと、最近強く感じています。この話は、建築家の山口隆氏も同じようなことをおっしゃっていましたが、結局、国や自治体が巨額の資金を投入する際には、それを正当化するための大義名分が必要になります。

例えば、「木材を使ってエコに貢献する」や「SDGsに配慮している」といったわかりやすい理由に、有名な建築家の名前を組み合わせれば、反対意見も出にくくなります。こうした発想は、いかにも官僚的で、役所的な感覚が色濃く反映されていると感じます。

(湧口)

確かに、その側面は大いにあると思います。建築業界は非常に大きな資金が動く分野であり、その裏には複雑な利権構造が絡んでいることも否定できません。これは建築に限った話ではなく、キャラクターデザインやプロジェクトの名義だけで巨額の予算が動くことも珍しくありません。一般の人からすれば、信じられないような金額が動いていることもあり、その背景には必ずしも純粋な芸術的な動機だけがあるわけではないのが現実です。

(深田)

そうですね。結局、スター建築家や有名デザイナーの名前が出てくると、それだけで価値があると判断されることが多いのも事実です。

しかし、それが本当にその対価に見合うものなのかどうか、一般の国民が正しく判断できない状況が続いているように思います。そして、そのことを発注する側も十分に理解した上で、あえてそうしたプロジェクトを立ち上げているように感じます。つまり、「国民にはどうせわからないだろう」という前提で進められているように見えるのが、私としては非常に腹立たしい部分です。

(湧口)

確かに、それは建築に限った話ではなく、経済や政治の世界でも同様に見られる現象だと思います。ただ、近年はYouTubeなどの新しいメディアの普及により、一般の人々の情報リテラシーも大幅に向上していると感じます。実際、こうした情報発信が市民の理解を深める一助になっている点は非常に素晴らしいことだと思います。

(深田)

ありがとうございます。

(湧口)

このように、建築の世界においても、一般の人々の理解が深まることは極めて重要だと考えます。もしそのような理解がなければ、「あの建築には本当に価値があるのか?」といった根本的な議論すら成り立たなくなってしまうからです。一般の人々がもっと自信を持って、建築やデザインの価値を判断できるようになることが、今後さらに重要になるでしょう。

(深田)

その通りですね。その点で、日本と海外を比較すると、美術や建築に対する接し方には大きな違いがあるように感じます。例えば、多くの日本人観光客が海外の有名美術館を訪れても、「正直、あまりよくわからなかった」という感想を持つことが少なくありません。これは、日常的に美術館に足を運ぶ習慣があまり根付いていないからではないでしょうか。

普段から美術や建築に興味を持ち、それらに触れる機会が多い人であれば、海外に行っても自然と現地の美術館や建築に興味を抱くはずです。しかし、多くの人々にとっては、「旅行ガイドに載っていたから訪れた」という程度の関心にとどまってしまうことが多いように思います。

だからこそ、日本でももっと早い段階から、美術や建築に触れる機会を増やすことが重要だと考えます。例えば、小学校や中学校の段階で美術館への入場を無料にするなどして、子どもたちが自然に芸術に親しむ環境を整えることが大切ではないでしょうか。

(湧口)

それは確かに重要な視点だと思います。

(深田)

さらに、その芸術がなぜ評価されているのか、その背景や価値についての説明が、日本の美術教育にはあまりにも不足しているように感じます。単に作品を見せるだけでなく、その作品がどのような歴史的背景の中で生まれ、どのような意味や価値を持っているのかをしっかりと教えることが大切だと思います。

(湧口)

その点に加えて、そもそも教える側にそのような知識や経験を持ち、適切に説明できる教員が少ないことも大きな課題だと感じます。

(深田)

その通りです。美術の授業が単に絵を描くだけの時間に終わってしまっていることが、日本の教育における大きな問題だと思います。

本来であれば、「なぜこの芸術がこの時代に生まれたのか」「なぜその作品が評価されたのか」といった、評価のポイントや背景を教えるべきです。しかし、それが欠けているために、多くの人が美術館を訪れても、ただ「綺麗だね」や「これはあまり良くなかったね」といった表面的な感想にとどまってしまうことが少なくありません。

(湧口)

この話は、自分自身の感性や直感をどれだけ信じられるか、つまり「自分で感じた価値」をどれほど大切にできるかという問題にも関わってくるように思います。

単に「これはなぜ素晴らしいのか」という説明がなければ価値が理解できないような人を育てても、本質的には意味がないのではないでしょうか。むしろ、自らの感性や判断基準で作品を評価し、その価値を見極める力を養うことが重要だと思います。

さらに、その評価に基づいて、自分が見出した価値に対して実際にお金を投じる覚悟があるかどうかも、文化や芸術の発展にとっては大切な要素です。たとえ世間がまだその作家や作品を高く評価していなくても、自分の信じる価値を大切にし、その感覚に基づいて投資できる人が増えることこそが、真の意味での文化や芸術の発展につながるのだと考えます。

(深田)

確かに、そのような感性は非常に重要だと思います。ただ、その感性を育むにはやはり経験が不可欠です。なぜその作品が評価されてきたのか、その背景や歴史を学ぶことが、自らの感覚を磨く上で非常に重要だと感じます。

実は私も以前、株式投資をしていたことがあるのですが、そのときに「これは将来有望だ」と思う企業や事業に資金を投じるという点で、芸術の評価と共通する部分があると感じました。その確信を持つためには、他の投資家やアナリストがどう評価してきたかを学ぶことが不可欠でした。

同様に、芸術の世界でも、過去の人々がどのように作品を評価してきたか、なぜその作品が時代を超えて評価され続けているのかを理解することが、自己の価値基準を磨く上で非常に大切だと思います。

(湧口)

そうですね。他の人々がこれまでに積み重ねてきた経験や成果が、私たちに勇気を与えてくれることは多いと思います。

例えば、株式投資においても、「この会社を応援したい」「この事業に自分の大切な資金を投じたい」と心から思って決断した場合、仮にその選択が裏目に出たとしても、あまり自分を責めることはないでしょう。なぜなら、それは自分の意志で下した判断だからです。

しかし、他人から「ここは絶対に上がるから」と勧められて投資し、それが失敗に終わった場合はどうでしょうか。そのときは、ついその人を非難し、自分の判断力に対する自信を失ってしまうこともあります。やはり、自分自身で納得して決断することが本当に大切だと感じます。

(深田)

その通りですね。結局、他人の推奨や評判に頼るのではなく、自分自身で見て「これは良い」と感じたものにこそ、本当の価値があると思います。

(湧口)

まさにその通りです。たとえ一時的に世間からの評価が低くても、自分が信じた作品や企業は、長い目で見ればその価値が認められることもあるはずです。だからこそ、自分が納得できる選択をすることこそが、本来の哲学であり重要な姿勢だと思います。

芸術を鑑賞するという行為も同じで、そもそも芸術とは、問答無用で心に響くものであり、それをどう感じるかは他人に委ねるものではなく、自分自身がどう受け止めるかが全てだと思います。

(深田)

私も芸術作品を見て「楽しい」と感じる瞬間は、その作品に時代の転換点が反映されているときです。人間はどうしても他人の技法やスタイルに影響を受けやすく、時にはそれを真似たり同調したりしてしまうものです。しかし、そこから抜け出して、新たな表現に挑戦する瞬間こそが最も面白く、心を動かされる瞬間だと思います。

(湧口)

そうですね。多くの作家の人生を振り返っても、さまざまな流派に影響を受けたり、迷走する時期があったりします。

(深田)

その通りです。そして、そのような独自の表現力を身につけたとき、その表現を実現するために必要な新しい素材や技法が自然と生まれてくるものだと思います。

つまり、表現を追求する過程で、それに伴う新たな技術や素材が誕生するということです。これは、私自身が芸術を評価する際に最も重要なポイントであり、同時に自分自身の自信の源でもあります。

(湧口)

確かにその通りですね。作家が独自の表現に到達するまでには、多くの苦しみや葛藤が伴うものです。そして、そのような時代の変わり目や価値観の揺らぎが、新しい表現が生まれるきっかけになることも少なくありません。

結局、今もなおその名を残している偉大な作家たちは、独自のスタイルや個性にたどり着くまでに情熱と執念を持ち続けた人々です。例えば、絵画であれば一生をかけて絵を描き続ける、建築であればひたすら建築に没頭する、といったように、その時間の積み重ねこそが彼らを唯一無二の存在にしたのだと思います。

そのレベルに達した作家の作品は、見る者に強い感動やインスピレーションを与える力があります。「こんな建築を作りたい」「こんな絵を描きたい」と思わせるような影響力があり、それは作り手の情熱や覚悟が直接伝わってくるからだと感じます。

そして、そのレベルに到達するためには、途中で経済的な損失や批判に直面することがあっても、全く後悔しないほどの情熱を持ち続けることが不可欠です。そうした「夢中で取り組む姿勢」が、多くの人々に勇気を与え、新たな道を切り開く力になるのだと思います。

(深田)

本当にその通りだと思います。私もYouTubeでインフルエンサーやYouTuberを育てる講座を行っていますが、その中で気づいたのは、あまりに技術やテクニックに重きを置きすぎると、かえって本質を見失ってしまうことがあるという点です。

これは非常に大きな反省点であり、単に技術やテクニックを教えるだけでは、その人が本当に何を伝えたいのか、本質的な表現が見えなくなってしまうことがあると感じました。

(湧口)

おそらく、そのテクニックを駆使しているものの、それを差し引いても十分に鑑賞価値がある。つまり、単に技術だけでなく、その背後にある思想やコンセプトがしっかりしているかどうかが、真の価値を決定づける要素ではないでしょうか。

(深田)

その通りです。なぜ私たちはこうして言論活動を続けているのか、その根本的な部分を決して忘れてはならないと常に感じています。その基本には、「声を上げられない人たちのために現状を改善すること」や「間違った政策に対して批判を行うこと」があります。

結局、これは公共の利益のために行っている活動であり、決して自分自身のためだけであってはならないと思うのです。しかし、これまでインフルエンサーを育てる講座などで、その大前提となる「なぜ私たちは言論を行うのか」「なぜ番組を運営するのか」といった基本的な理念を十分に伝えきれていなかったことを反省しています。これからは、そうした基礎的な部分も含めて、しっかりと見直し、修正していきたいと考えています。

(湧口)

確かに、その視点は非常に重要だと思います。

建築の話に戻りますが、大規模な公共建築や国家にとって象徴的な建築物であればなおさら、その建築家が強い情熱と使命感を持って取り組むべきです。それがなければ、その建物に込められた意味や価値が薄れてしまい、単なる形だけのものになってしまう可能性があります。

(深田)

まさにその通りです。例えば、大阪万博の「リング」の件でも、当初は「国産木材を使用して作る」と宣言していたにもかかわらず、実際には100%国産ではなかったという点は非常に残念です。

(湧口)

そこで「なぜ戦わないのか」という疑問も浮かびます。そもそも、もし木造である必要がなかったのであれば、それはそれで構わないかもしれません。しかし、「木造で行きます」と一度宣言したのであれば、その決定には相応の責任と覚悟が伴うべきです。

仮に予算や工期の問題が発生し、最終的に木造が難しいという判断に至ったのだとしても、その場合はその決定に対してしっかりとした説明が求められるはずです。

例えば、「本当に国産木材を使うべきなのか」という議論があった場合、その選択に説得力がなければなりません。もし「国産木材を使う」と決めたのであれば、たとえ困難があっても、その選択を最後まで貫くべきであり、そのために戦う覚悟が必要です。

逆に、「木造じゃなくてもよかった」と言ってしまうと、その時点でその建築の意義やメッセージが揺らいでしまいます。結果として、その建築物が単なる見た目やコストだけで評価されるようになり、長期的な価値を持つ象徴的な存在とはなり得なくなってしまうのではないでしょうか。

(深田)

本当にその通りですね。「木材じゃなくてもよかった」と言われた瞬間に、「では、あれは一体何だったのか?」という疑問が湧いてきますよね。

(湧口)

本当にその通りですよね。もし私がその立場にあったなら、「お金の問題で国産木材が使えなかった」と言われた場合、「それなら私も資金を出すから」と言ってでも実現させたいと思うでしょう。それほど一世一代のプロジェクトであり、建築家にとってはまさに人生をかけた挑戦のはずです。

もちろん、物理的な供給力や技術的な限界がある場合は、ある程度の妥協が必要になることもあるかもしれません。しかし、それでも最後の最後まで戦う覚悟が求められるべきです。そこに対する情熱や決意が感じられないのは、正直なところ非常に残念です。

(深田)

そうですよね。私が最も残念に感じるのは、大阪万博という国家の象徴的なプロジェクトが、そのような中途半端な姿勢で進められていることです。

さらに、そもそも夢洲という軟弱な地盤に深い杭を打ち込んでまで開催する理由が明確でないのも疑問です。そこまでして建設する「リング」が本当に国の象徴としてふさわしいのか、それが国民に支持されるのかという問題があります。

「国産木材を使う」と最初に宣言しておきながら、実際には海外産の木材が大量に使用されているという現実があるなら、それは重大な問題です。たとえ雨染みや細かな不具合があったとしても、その建築が本当に国の象徴として誇れるものでなければ、私たち国民がそれを心から支持するのは難しいと感じます。

もし「木材じゃなくてもよかった」という話になってしまうと、あのリングそのものの存在意義すら揺らいでしまいます。結局、何のために作られたのか、その理念がしっかりと示されていなければ、広く支持を集めるのは難しいでしょう。

(湧口)

そうですね。もう少し骨太で力強いストーリーがあっても良かったと思います。

(深田)

そうです。もっと力強いメッセージや理念を全面に押し出してほしかったです。

ということで、今回は「建築が崩れるのは国家そのものが腐っているからではないか?」というテーマでお話を伺いました。

本日は、都市林業家の湧口善之先生にお話をいただきました。ありがとうございました。

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