#295 隈研吾設計の致命的ミス!? 『腐る歪む建築』を続出させる不適切利用とは? 湧口善之氏
(オープニング)
腐る建築家の代名詞になりつつある隈研吾さんの木材利用——これ、木材の利用が間違っているということなのですか?
やはり、長く持つべきだと思うし。そういう意味で言えば、間違っているというか、不適切な使い方しているよねって思います。
これってもしかしたら、隈研吾さんだけの問題じゃなくって、今の時代の流れ的に……。
(深田)
こんにちは、政経プラットフォームITビジネスアナリストの深田萌絵です。今回は、都市林業家の湧口善之先生にお越しいただきました。湧口先生、宜しくお願いします。
(湧口)
宜しくお願いします。
(深田)
湧口先生といえば、例の隈研吾さんが建築した新市庁舎や美術館が「もう腐っている」という話題のときに、「そもそもそんなものは……」という動画を出されて、もう50万回ぐらい、ね。
(湧口)
そうです、たくさん見られています。
(深田)
私、何度か拝聴したのですけれども、やはり最近の“隈被害”って、建築家の森山高至先生も「隈被害だ」とおっしゃっていますよね。
そもそも建築家って、木材の使い方ってある程度勉強してないのかな? あんな使い方って、普通するのだろうか? 日本の神社とか見ていると、白木がボーンと立っていて「日本っぽい、カッコいい」のようなふうに、日本人としては思うのですですが、それがあんなに腐ってカビが生えて、崩れちゃう……あれを見ると、「建築って一体何?」のような。
今、そんなムードになっていますが、これって木材の利用が間違っているということなのですか?
(湧口)
結果を見れば明らかなのですけれども、使い方に関しては間違っているという言い方ができるかと思います。
ただ、僕の出した動画にもたくさんコメントが来ていて、「芸術家だからしょうがない」とか「芸術と実用・耐久性を求めるものを一緒にするな」とか、結構意見もいただくのですけれども。
ただ、僕自身の建築観、「建築はこうあるべきだ」のようなところで言えば、やはり長く持つべきだと思うし、だからそういう意味でいえば、あれは間違っているというか、不適切な使い方はしているよねって思います。
(深田)
私はそのコメントに対しては、「じゃあ君たちは、オブジェと建築の違いが分かってないね」と。
(湧口)
うん、そう。だから「建築とは何か」とか、「建物と建築の違いは何か」とかね。
建物を特別なものにするために建築家という、まあ場合によっては“先生”なんて呼ばれるような人たちがいるとしたら、その人たちの職能って何だろうって。ただ建物を作るだけなら、公務店の人だったり、大工さんだったりの方が優れているとも言えるわけで。
それ以上のものを作るってことを考えたのが、もしかしたら“建築家”という定義もできるかもしれないし。だからその、言葉の定義のようなところから、「建築とは何だ」とか、やっていかなきゃいけないのですが、さすがにそのコメントにいちいちそれをズラズラっと書いていくわけにもいかないから、僕自身もモヤモヤした思いをしているのですけれども。
(深田)
今回の腐る隈の建築被害について、根本的に何が間違っていたとお考えですか?
(湧口)
単純に言えば、木材に「苦手なこと」をさせているということです。無理なことをさせている。
昔の木造建築で、1000年以上もつようなものがあるのは、やはり日差しをしっかり出したり、雨が直接かからないようにしたり、たとえ濡れてもすぐ乾くように設計されていたからなのです。木材そのものも良いものを使っているし、仕上げも丁寧。木を磨いて水切れをよくしたりします。もちろん、何百年も経った今、どこまで当時の性能が残っているかは別として、そうした複合的な工夫があって長持ちしている。
でも今回のケースで一番分かりやすいのは、庇(ひさし)を出していない。濡れる場所で使っている。 これが最大の問題です。
トイレットペーパーで洋服を作ったらすぐ溶けちゃったというような話に近いですね。
そのトイレットペーパーに特殊な処理をして「10年持ちます」って謳っていたとしても、やはり元々の性質には限界がある。
処理によって木の苦手な特性をカバーしようというのは、材料メーカーにとっては自然なアプローチですが、それに過信があったのではないかと思います。
(深田)
実際、40億円もお金をかけた富岡市新庁舎も、天井裏の木材が剥がれ始めていたり、塗っていた薬剤が溶け出してアルミのサッシを侵食しているとか、いろいろな問題が出てきていますよね。そうなると、「隈研吾さんって、材料の使い方をきちんと学んできたの?」って疑問にもなりますよね。
(湧口)
富岡の庁舎の腐り方をみると、雨漏りしている可能性があると思います。ただ市庁舎と美術館の場合では原因が違うかもしれない。
建築家って材料のこと勉強しないのですか?って、僕も聞かれるのですが、勉強はしています。
これは少しお医者さんに例えると分かりやすいかなって思うのですが、お医者さんって、学校でしっかり勉強しますよね。しかも優秀な人が多くて、解剖とか、人体に直接触れる授業もやる。でも実際には、患者さんに日々接して、触って診て、体の変化を感じ取って、という臨床医と、研究に進む人とではかなり道が違う。
感覚レベルに至るまで理解があるかというと、つまり「知っている」と「使いこなせている」というのは違う話なのです。
(深田)
あ〜、確かに。論文では有名でも、意外と手術は苦手という先生も聞きますよね。
(湧口)
木のことをよく分かってない人が居たとしても、各々の職種で強いところを上手く連携していければ、それでいいのです。何か価値をもたらすことができれば、それでいいのだと思います。
(深田)
今回は施工会社も間に入っているわけじゃないですか。何年も現場で建築やってきた大工さんたちもいて、そういう人が「白木を雨風にさらしちゃだめだよ」って普通は言いそうなのに、そういう話し相手が居なかったのか、すごく不思議に思っているのですよね。
(続きは動画で!)