売国議員許すまじ。NTT法は天下の愛国法だ!稲村公望×深田萌絵 No.120

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【目次】

(深田)

自由な言論から学び行動できる人を 生み出す政経プラットフォームITビジネスアナリストの深田萌絵がお送りします。今回は総務省の元官僚である稲村公望さんにお越しいただきました。稲村さん、よろしくお願いします。自民党はNTT法廃案にあたって、「NTT法は固定電話のための古い法律だから、もう必要ない」と言っているのですが、今回はこの審議について、稲村さんから解説をお願いします。

(稲村)

当時、NTT法は電気通信事業法と合わせて作りました。

(深田)

その時先生がお作りになったのですか。

(稲村)

私が作ったというより、当時の提出法案です。当時、郵政省に電気通信局ができまして、私は課長補佐として日米交渉をしていました。私がまだとても若かった頃です。アメリカの名門校フレッチャースクールを出たので、その友人が国務省にたくさんいまして、情報を取りながらやっていました。私の役割はアメリカと日本の電気通信政策の調和を取ることでした。

当時、日本の電気通信技術は先進的でデジタル化が活発で、ISDN(従来アナログ通話だった固定電話網を利用し通信をデジタル化することで音声・データ・画像の伝送を実現したネットワーク)は64kbで動画像を送ることができる画期的な技術でした。クリントン政権はちょっと羨ましく思っていたのかもしれません。日本に制約をかけようとする意図も感じました。

私たちは、その技術もいずれアメリカにも転移されるから、日本をそれほど敵視する必要ないといつも言っていました。例えば、日本の電気通信市場を解放しろと言いましたね。

(深田)

そうなのですか。

(稲村)

あるアメリカの電気通信会社は、アメリカは土地も建物も大きいですから、でかい機械を作ってしまうのです。日本の電話局も大きい方ですが小型化します。要するに、日本の市場を見ていないので、日本で左ハンドルの車を売るのと一緒です。「俺たちのマーケットに合わせろ」という調子ではなく、アメリカ製品が日本で売れるには「日本のマーケットに合わせるべきだ」と交渉していました。

新しいNTT法を、当時のNTTの民営下で法律を作り、電気通信事業を作ったときも、「アメリカと日本をどのように調整するか」気を使いました。先ほどの固定電話が古い法律だと言うのですが、全くの嘘だと思いますね。

(深田)

全くの嘘ですか。

(稲村)

当時はデジタル化を固定電話回線を通じてもできると知っていました。私たちが関心を向けた課題は、アメリカも同じく、「光ファイバーで大容量化して、もっと高速で送ること」でした。当時として新しい電気通信事業法もNTT法も、固定電話はただ音声を送るためのものでは一切ありませんでした。

アメリカは実は光ファイバーの普及に遅れをとってしまったのです。

(深田)

そうなのですか。

(稲村)

私の友人はアメリカのワシントンに住むようなお金持ちが多いのですが、彼らが住む郊外には今でも光ファイバーがありません。お隣の独裁帝国の無線技術に頼らざるを得ないのですね。

そうすると、セキュリティの問題があります。アメリカではテレワークが自由にできません。日本は稲村公望が努力した甲斐もあるけど、光ファイバーを広範囲に敷いており、東京を網羅しています。

(深田)

そうですね。

(稲村)

山形県の山奥など光ファイバーを敷くのが難しいところは、申し訳ないですが人工衛星で代替します。大震災のときに、光ファイバーが切れてしまったら、スペースリンクで対応するしかないですが、結果的に光ファイバーを敷いて大成功だったと思いますね。

アメリカは途中、光ファイバーを敷くなと日本に圧力をかけたこともありました。例えば、ある電話会社のお偉いさんが、DSL銅線ケーブルはコストダウンできて、減価償却にも良いから「光ファイバーを敷く必要はない」と言ったこともあります。名前は言いませんが、古い物を使えば一儲けできると分かっていたのです。

光ファイバーはコストが大きく投資すると、一時的な赤字にはなりますが、長期の目で見た恩恵は大きいです。電気通信事業法とNTT法があったので、光ファイバーが敷けたので、「古い」と言うのは全く事実に反します。

(深田)

固定電話のための法律ではないということですね。

(稲村)

他のエピソードも紹介しますと、電気通信事業法を作った時に、有線放送電話法がありました。昔、有線放送電話が町や村にありまして、電話にもなるのです。今も日本にいくつか残っています。その法律も残しておきました。なぜなら、新しい光ファイバーが失敗したり、無線の電話が失敗したりすると、有線放送電話が最後の頼み綱になるからです。だから、残した方が良いという意見も当然あったのです。

今も、「むしろ固定電話を残すべきだ」と主張すべきであって、「固定電話を撤去しろ」と言うのは反対です。2段階認証技術を使って暗証番号を入れることもありますけれども、セキュリティ対策上ならば固定電話にかけてきて、そこにディスプレイを付け、暗証番号を入れると第3の認証システムが出来上がると思っています。例えば、お隣の国やアメリカも然りですが、固定電話がないところもありますから、その点で日本が有意性になると思いますね。ですから、今の課題は「固定電話をもっと高度化させていくこと」です。撤去することではありません。

撤去するなんて聞くと、ケーブルを切ってくず鉄にして儲けようとしているのではないでしょうか。

(深田)

なるほど。

(稲村)

そういうことを許してはいけません。固定電話を作る長い歴史がありまして、税金なんかは使っていません。税金を使っていないから、政府がどうこう言う話ではありません。国民に電電債を返してから言いなさい。

(深田)

国民が固定電話を契約するために支払った契約料も全く返していません。

(稲村)

どのくらいの調達額だったのでしょうか。

(深田)

4兆円ぐらいです。

(稲村)

電電債は旧明治以来、お金持ちにお金を出させて作ったのです。欧米以外で家庭に電話を普及させたのは日本がトップだった。自慢しても良いです。電話には、特殊な日米間の歴史があります。電話で使用された言語は、今の時代はインディアンと言わないのですけれども、アメリカの原住民のイロコイ族の言語でした。アメリカの言語ですけれども、イロコイ族の言葉が最初で、その次が日本語です。グランベルの電話の実験に小村壽太郎という日本の外交官と、言語学専門家の伊沢修二氏も立ち合っていました。

グラムベルという人の奥さんは耳が全く聞こえない人でした。ボストンにまだありますけれども、耳の聞こえない人のための学校の先生がベルで、生徒がメイベルです。メイベルさんは耳は聞こえないのですが、とても豊かな人です。電話の発明者のベルは発明家として成功しお金持ちになったのです。

弱者のため、障害者のための電話の開発の歴史を忘れているのではないでしょうか。電話は元々、そういう障害者のために開発されたものですから、単なる株屋さんや金持ちのためではないのです。そうした歴史も知らずに、NTT法を廃止しろというのは傲慢極まりないです。

(深田)

NTT法では、NTT株の三分の一以上を国が持たなければならないと定められていながら、今回この条文のことに自民党は全く触れないままNTT法を廃止し、この条文までも抹殺しようとしているのです。

(稲村)

国が持つ株の比率に関するクラウン条項では政府が一株でも持てばオールマイティに拒否権が発動できるやり方もあるのですが、日本で採用されたことがありません。株の比率を上げて規制するという議論があったことを覚えています。今3割ぐらいになっています。その比率をどんどん下げてきていると思います。私は政府に拒否権を与えても良いと思いますね。郵政民営化よりも、NTT法廃止の方がもっとインパクトがあると思います。

(深田)

もっとインパクトがあるのですか。

(稲村)

今、郵便が2日ぐらい遅れても体制に影響はありませんが、電話が1時間止まったら大混乱になるのではないでしょうか。

(深田)

そうですね。

(稲村)

また、東北大震災が起きた頃私はもうOBになっていましたが、日米間の海底ケーブルに米軍は兵隊を出したのです。日本はぼんやりしているのか知りませんが、兵隊を出さないのです。私は防衛庁の知り合いに「早く出したらどうだ」と言ったこともあります。通信が世界を生死を制していることに鈍感になってきているのではないでしょうか。

例えば、チャフというアルミの粉を撒けば、携帯電話は一発で止まってしまいます。その時に、固定電話なしにどう救済するのでしょうか。携帯電話が使えなくなったときのことも考えるべきでしょう。考えどころが悪い人たちが多いのかもしれません。

(深田)

停電のときも黒電話は使えるのですよね。

(稲村)

電気は電話局が非常電源でエンジン回して補給しますので、停電が起きても、黒電話は使えます。1日、2日持たせれば良いので意外と使えるのです。私は黒電話を使えるようにいつも注意しています。いつの間にか、「黒電話を撤去しろ」という話になっています。黒電話はむしろ高度化させるべきでしょう。黒電話に64インチのディスプレイをつけてもいい。

私は基盤技術研究促進センター出資部長だったのですが、ASTIの西さんと一緒にテレビ電話を開発したのです。テレビ電話は64kbで動画が送れるので、チップを下請けの製造会社に作ってもらい、NTTに売り込み行ったのですが、NTTはあまり会話をしなかったのです。当時はテレビ電話はオフロから裸の姿が見えるから嫌だという意見もありました。

日本で最初にテレビ電話を考えたので、動画が64kbで送れるとよく分かっていました。光ファイバーになる時代だと理論的に分かっていましたので、私は光ファイバーをいかに導入するか狂ったようにやりました。

(深田)

1985年、稲村さんに電電校舎、NTTが民営化になった経緯を教えていただきたいのです。

(稲村)

日本でも多少自慢をする人がいます。「アメリカから買うものがない」と言った人もいたのです。当時日本は、アメリカの機械を一つも買っていません。アメリカの製品で、性能が良いものもあったので、それを買えばいいのに買わず、全部日本のものでやろうとしていました。当時はクロスバーという電話が主流でした。日本で余ってしまったので、中国にあげていました。INSの先駆者である元NTT・電電公社副総裁の北原安定さんが活躍されており、私も北京によく行って開発の応援など色々をしていました。

デジタル化によって時代が変わったのです。当時はテレックスが主流でした。カタカタと音パンチを作ってテレックスを送ったのです。懐かしいです。

ビル・ゲイツさんに会ったことがあるのですが、ビル・ゲイツさんは面白いこと言っていました。「あなた、インターネットやっていますか」と聞いたら、「そんなものは、たくさんメールが来るから見ません」と答えたのです。「あなたとどうやって連絡を取ったらいいですか」と聞いたら「テレックスがいい」と言いました。テレックスはアメリカにまだ残っていまして、ウエスタンユニオンという会社が送金業務に使っています。日本ではテレックスもなくしてしまいました。

日本は根幹を捨てるという失敗をします。最後まで残るべきものを残して、危険管理のために何をすべきか考えるべきです。例えば、銀行は黒電話を持っていた方が良いでしょう。

一つ、怖い話になるかもしれませんが、福島第一原発が暴走した時に、画像を現場から送れなかったのです。

(深田)

そうです。

(稲村)

なぜなら、インターネット型通信で構成していたからです。エンドtoエンドの黒電話なら64kbで非常にスピードは遅くとも、動画像が送れたでしょう。大容量で送れるインターネットが、「どんなことが起きても繋がる」と思ったのでしょうが、電源がなくなったから使えなかったのです。黒電話は電源がなくても64kbで画像が送れたと思っています。

(深田)

そうですよね。

(稲村)

異論があるならば、Youtubeの後で、専門家がコメントしていただければ。

(深田)

やっぱり、福島原子力発電所に黒電話があればもっとスムーズに連絡ができたと指摘されている方もいます。

(稲村)

黒電話がもっと高度化して大容量で送れたらなお良いのですが、そのようなものはありません。それでも64kbの動画像が送れたら良かったと思いますよ。電源の問題なのですから。塩水をかぶってしまったので、考える余裕もなかったかもしれません。黒電話はそういう意味で命綱になっていただろうと思います。

(深田)

先生、最後に一つ質問です。1985年にNTT法を作る際に、アメリカ側の政府が株を持つべきではないと横やりは入れて来なかったのでしょうか。

(稲村)

そういう意見もありましたけど、アメリカが完全に合意して当時の法律はできています。

私は今でもその秘密の文書を持っています。

秘密の文書は持っていますが、国家公務員法によりあなたにも見せられませんが、アメリカと完全に合意した上で法律ができています。以降、アメリカは文句を言ったことはありませんし、合意の上で作ったと知っていますから言わないでしょう。

(深田)

NTT法を作る時は、アメリカも合意の上で政府が三分の一以上株を持つとなったのですね。

(稲村)

それ以上だったと思いますが、合意しましたので、私は問題ないと考えています。

(深田)

ブラックロックが日本にやってきて、「廃止しろ」と言ってきています。

(稲村)

ブラックロックの悪口を言うつもりはありませんが、バイデン政権に大きな影響力ある人物を派遣している会社です。今年の3月に岸田総理ともお会いして話していました。

7月10日には国賓待遇の晩餐会がありました。国賓待遇ではなかったのですが、NTT幹部の澤田さんとブラックロックの人が出席しました。国賓待遇ならば普通、奥さんを連れていきます。私も公式の会合にはいつも女房を連れていたのですが、そのような会合のレベルだったのに、連れてこなかったのです。私はあまりにも良くないと思います。

(深田)

確かに、あの晩餐会に参加された海外の方の写真を見ると、奥様を連れていらっしゃいますよね。

(稲村)

連れてきた人もいるし、裸同然の女性をフィアンセと称して連れてアメリカ人もいて、顰蹙をかっていました。ブリンケン長官とカマラ・ハリス副大統領のご主人はダークスーツでしたが、国賓待遇ではなかったです。国賓待遇ならディナージャケットではなく、燕尾服でしょう。私もよく海外のパーティーに行きますから、いつもタキシードを持って歩いていました。

(深田)

そうなのですね。今日は素敵なかりゆし(沖縄版アロハ)スタイルですね。

(稲村)

私は島の人ですから、ハワイと一緒ですけれども。タキシードを着るのは非常に大事なことです。晩餐会で国賓待遇なら燕尾服でしょう。

(深田)

燕尾服はお持ちですか。

(稲村)

燕尾服は持っていませんが、タキシードは持っていました。この前、勲章をもらった時に、レンタル燕尾服を着ました。

(深田)

素晴らしいと思います。今日は元総務省の官僚、稲村さんに

(稲村)

官僚と呼ばれるのもね。給料が高ければ高級官僚です。

(深田)

では低級官僚の稲村公望さんに

(稲村)

ハイクラスと言ってくださいよ。

(深田)

ハイクラス官僚の稲村公望さんに、NTT法を作ったのは私だと

(稲村)

いえ、私ではありません。当時の炎のように燃えるような熱血官僚たちです。

(深田)

熱血官僚が国を守るために作ったとお話いただきました。先生、ありがとうございました。

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