#651 自衛隊特殊部隊の創設者が告白!政府転覆の5ステップとは?世界の仕組みと闇 荒谷卓氏(2026.4.8)
(深田)
みなさん、こんにちは。政経プラットフォームプロデューサーの深田萌絵です。今回は、熊野飛鳥結びの里代表の荒谷卓先生にお越しいただきました。荒谷先生、よろしくお願いいたします。
(荒谷)
よろしくお願いいたします。
(深田)
荒谷先生には今回、初めて番組にご出演いただきました。先生は自衛隊の特殊部隊を創設されましたが、私たち一般人には自衛隊のことがよくわかりません。そもそも、特殊部隊とは何をするところなのか、教えていただけますか?
(荒谷)
特殊部隊は、大きく分類すると2種類あります。1つは、映画によく出てくるような攻撃、伏撃、襲撃などを行うコマンドースタイルの特殊部隊です。もう1つは、アンコンベンショナル・ウォーフェア(Unconventional Warfare)、つまり「非通常戦」で、こちらはかなり政治的な性格を持ち、政府の転覆や、転覆した政府を元に戻させないための外国支援などに関わります。
僕が留学したのはグリーンベレー(米国陸軍特殊部隊)ですから後者ですね。特殊部隊の教育を受け、それに少し要素を加えたものを作りました。
(深田)
グリーンベレーに留学されていたのですか?ということは、アメリカで英語による訓練を受けられたのですか?
(荒谷)
そうですね。だいぶ前の話ですが、ちょうど冷戦が崩壊する頃のことです。その頃、ベルリンのチェックポイント・チャーリーという冷戦下の東西ベルリンを隔てる代表的な検問所を、みんながハンマーを使って壁を壊している映像が流れました。それを見て、これは世界が変わると思ったのです。
僕は当時、自衛官の現職でしたが、休暇を取ってベルリンに行きました。その時に、東側の国を全部回り、ベルリンでは一緒に壁を壊す作業も手伝って、帰ってきました。
その時点で、ここから世界の仕組みが大きく変わっていくと感じました。基本的には東西の経済や政治システムの対立だったのですが、軍事システムの対立もあったわけです。そうした対立がなくなるということは、当時のブッシュ大統領(父ブッシュ)が言ったように「これからはニュー・ワールド・オーダー(新世界秩序)の時代だ」ということです。つまり、世界が一つの秩序によって運営される時代が来たと宣言したわけです。
軍隊も、戦車や戦闘機で戦うスタイルではなく、ニュー・ワールド・オーダーを世界中に普及、あるいは徹底させる方向に変わっていきました。そうなると、軍隊自体の性質が根本から変わり、より警察的に秩序を守らせる性質へと移っていったのです。世界中の軍隊がそのように変わっていく中で、自衛隊だけがぽつんと取り残されてはいけないので、これは変える必要があると提案しました。そこが出発点です。
(深田)
ご自身で、これからは特殊部隊のようなものが必要になるのではないかと提案されたのですね。
(荒谷)
その後、僕は2年間ドイツに留学しました。その頃は、NATOもドイツも国防の見直しを進めていて、ニュー・ワールド・オーダーに向けた秩序づくりのための軍隊へと、構造もミッションもすべて変わっていたのです。僕はちょうどその時期にドイツへ留学していましたので、帰国後、たまたま陸上自衛隊の幕僚幹部の戦力設計を担当する部署に配属されました。
そこで、日本も国防を見直そうということになりました。僕はニュー・ワールド・オーダーには否定的なのでしたが、少なくとも軍隊の性質が変わる以上、情勢に対応していかなければならないと考えて、長期防衛力整備を計画したのです。僕はプランニングの部署にいましたから、さまざまな提案を行い、その一つが特殊部隊でした。
こうした警察行動のような、秩序を強要するオペレーションは、通常の力と力が正面からぶつかり合うタイプの軍隊にはできないのです。もっとデリケートで、インテリジェンスも必要ですし、政治的配慮や外交的なやり取りも求められます。それらをすべて組み合わせたオペレーションを行わなければならないのです。
(深田)
かなり高度な能力が必要なのですね。
(荒谷)
そうです。そこで、全体構想の中にエリート部隊を作ることを提案しました。その後、僕は防衛省の戦略研究室で、防衛そのものの見直しを行いました。そして、再び陸上幕僚監部に戻り、今度は実際に予算をつけて部隊を作ることになったのです。
もっとも、すべての事業が一気にそう変わったわけではありません。僕はその中で、「特殊部隊の創設」を直接担当する立場になりました。しかも、誰を指揮官にするかという問題になった時、それまで特殊部隊を作ることに反対していた人たちが多かったのです。
ほとんど僕の周囲の人間しか、特殊部隊を作るべきだという意見を出していなかったのですが、いざ予算がついて事業が始まると「自分がやる」と手を挙げる人が出てきたのです。しかし、こうした人たちにやらせても特殊部隊にはならないと思いました。
部隊を担えない人が指揮官になってはまずいので、僕がそのポジションにいたこともあり、最初の指揮官はノウハウが必要だから「グリーンベレーに留学させましょう」と提案したのです。すると、みんな手を下ろしました。
(深田)
みなさん、英語が怖かったのですか。
(荒谷)
英語ではないのです。要するに、特殊部隊の指揮官は大佐ですから、年齢はみんな40歳を超えています。グリーンベレーは、アメリカでもレンジャーやエアボーン(空挺)を卒業した、若くて体力にあふれた20歳代くらいの隊員が行くコースなのです。対象はキャプテン(大尉)クラスですね。
そこへ、40歳を過ぎたカーネル(大佐)が行くというのは、体力面を含め、さまざまな意味で厳しいわけです。そのため、みんな手を下ろしたのです。そこで僕は「それは残念ですね。仕方がないので私が行きます」と言って、自分で行きました。
(深田)
当時、荒谷さんはおいくつだったのですか?
(荒谷)
41歳です。
(深田)
体力的な不安はなかったのですか?
(荒谷)
意外と大丈夫でした。僕は、プロテインだけはしっかり飲んでいましたから。
(深田)
プロテインを飲んでいたら、グリーンベレーに行けるのですか(笑)。
(荒谷)
結果的には行けたのです。グリーンベレーはエリート部隊ですから、若い20代の、頭もよく体力も抜群な、シュワルツェネッガーやランボーのような隊員が集まってくるわけです。
(深田)
まさにムキムキですね。
(荒谷)
僕のほかにも、海外から来ている者がいました。その中で、年齢が高くてもせいぜい30代前半のメイジャー(少佐)くらいなのに、僕だけが40歳を超えたカーネル(大佐)だったわけです。すると学生たちの間で、「おい、あのじいさん、間違って来ているぞ」という話になったのです。そして「彼がいつ落第するか賭けよう」ということになりました。
(深田)
賭けの対象になっていたのですか。
(荒谷)
そうです。一番長く残ると見られていた隊員でも1週間だったのですが、僕はちょうど生活費にも困っていましたから、ここで少し稼いでおこうと思って、1週間以上に自分で賭けていました。
(深田)
その賭けに、ご自身も乗ったのですか(笑)。
(荒谷)
自分でも、一番長いと賭けていた人より、さらに少し長いところに賭けました。あまり大きく賭けすぎると、次の賭けでもまた稼がなければならなくなるので、少しだけ長くしたのです。そうすると、1週間を過ぎるたびに僕のところへお金が集まってくるという具合で、無事に卒業しました。そして帰国し、特殊部隊を作ったという流れです。
(深田)
しかし、その時、グリーンベレーのトレーニングコースで「何か変わった日本人がいる」「あの人は意外と強いのではないか」といった話にはならなかったのですか。
(荒谷)
まさに規格外だったのでしょう。20代が中心の場所に、40歳を過ぎたカーネルがいるのですから、みんな「いつへばるのだろう」と見ていたわけです。しかし、意外にもこなしていけたものですから、グリーンベレーの仲間たちからも少し敬意を持たれましてね。「グリーンベレーのカーネルで、お前ほどできる奴はいない」と言われて「yee haw(イエーイ)」と返していました(笑)。
(深田)
そして日本に帰って、特殊部隊を作られたのですね。
(荒谷)
はい。自分が学んできたことを、口で説明するだけではなく、射撃をはじめ、さまざまなことを一緒に実践しながら隊員に伝えていきました。
(深田)
グリーンベレーでは、どのようなことを教わるのですか?
(荒谷)
それは内緒です。お話しできないのです。
(深田)
特殊部隊ですからね。ところで、先日、荒谷先生のお弟子さんだという方がYouTubeで先生のことを話しておられました。その中で、技術的な部分はほんのわずかで、ほとんどが精神力、つまり精神論だとおっしゃっていたのですが、荒谷先生のいう「精神論」とは、どういうことなのですか?
(荒谷)
特殊部隊は、人の国の政府を転覆させたり、転覆後に国民が「これはおかしい、立て直そう」と動くのを妨げたりするようなオペレーションをするわけです。そのような国は、最近も含めて数多くあるでしょう。
しかし、日本人の感覚からすれば、それは正しくないですよね。ところが、グリーンベレーや、イギリスのSAS(特殊空挺部隊)が、第二次世界大戦後にそうした活動を始めたのですが、その元になったというか、最初にそうしたことを始めたのは、実は日本なのです。
(深田)
あっ!?そうなのですか。陸軍中野学校は、そのようなことをしていたのですか?
(荒谷)
ただし、陸軍中野学校が行った政府転覆は、植民地化されたアジア諸国の植民地政府を転覆させ、その国の民族自立を助けるためのものでした。
(深田)
意外にも良いことをしていたのですね。
(荒谷)
もちろんです。その結果、実際にインドネシアやインドなどで植民地解放運動が起き、自分たちの力で自分たちの政府を作るという動きにつながりました。要するに、それを支援する、あるいは一緒にオペレーションしていたわけです。
(深田)
では、今の自民党政権を転覆させるには、どうしたらいいのですか(笑)?
(荒谷)
それも内緒です。中野学校は、他国の支配から解放し、自国民による正しい政府転覆を支えていたのですが、それをまねて、アメリカやイギリスは、せっかく自国民が作った政府を転覆させ、自分たちに都合の良い政府に変えるために悪用したのです。そして、それを世界中で始め、今も続けています。
(深田)
そうですよね。イランでも、戦争が始まる少し前に特殊部隊が入ったとも言われていますし、アメリカが何かを始める前には、先に特殊部隊が行って、何か地ならしのようなことをしているのでしょうか。その後に本格的な動きが始まるという印象です。
(荒谷)
政府転覆にしても、いったん変えた政府を元に戻さないためのオペレーションにしても、段取りがあるのです。最初から軍事オペレーションが始まるわけではありません。最初はリーダーの買収です。次にリーダーへの脅迫があります。それでも駄目なら、リーダーの暗殺です。さらに、内戦、内紛、内部対立へと進み、それでも駄目なら戦争になる。そういう段階があるのです。ですから、買収で済めばそこで終わります。
(深田)
脅迫で済めばそれで終わり、それでも終わらなければ暗殺ということですね。
(荒谷)
そうです。本格的な戦争の一歩手前あたりが、アンコンベンショナル・ウォーフェアと呼ばれるものです。最近は、そのような事例が数多くあります。イランでは失敗しましたが、ベネズエラでは実行されました。あれも、まさにそれです。シールズ(海軍特殊部隊)が、人の国の大統領を誘拐するというのですから。
(深田)
大胆不敵ですよね。
(荒谷)
本当に、いずれ歴史的に裁かれることになると思います。
(深田)
しかし、イラン戦争はそれほどうまくいっていないように見えます。準備不足だったのでしょうか。
(荒谷)
失敗したということです。イランは、もともと一度、パーレビ体制の下でイギリスに従い、政府転覆を経験したのです。その後、自国民が自分たちの国の主体性を取り戻すために革命を起こし、今の体制ができたわけです。
ところが、彼らにとってはそれが気に入らないのです。その時、外国に政府を転覆され、外国資本によって儲けた人が、イスラム革命の時にイランから逃げ出し、今の政府を非難しているわけです。
「イラン人が非難している」と言われますが、実際には、外国政府の支配下にあった時代にぼろ儲けをしていたイラン人が海外へ逃れ、そこから今の政府を批判しているという構図なのです。今のイランに残っている人たちは、きちんと国を守っていこうとしているのではないかと、僕は思っていますが、その話はまた後でゆっくりいたしましょう。
(深田)
そこで「精神性」の話に戻りたいのです。荒谷先生のお弟子さんが、技術以上に精神論がすごいとおっしゃっていたのですが、それはどういうことなのですか?
(荒谷)
西洋の軍隊は、基本的に奴隷の延長として形成されてきた軍隊ですから、兵士は考える必要はなく、命令に従えばよいという仕組みになっているのです。僕もグリーンベレーに留学していたので、グリーンベレーには友人がたくさんいます。皆、とても立派で賢い人たちです。しかし、命令そのものが間違っていれば、彼らの行為もまた間違ったものになってしまうわけです。結果として、非常に残念なことになっているのです。
僕は、そもそも日本の軍隊なのですから、日本の伝統的な性質を持つべきだという考えを以前から持っています。日本の兵士は、歴史的に見ても奴隷の軍隊ではありません。それぞれの兵士が主体的に物事を考え、何が正しく、何が正しくないのかを自ら判断するのです。たとえ命令が下ったとしても、正しくない命令は拒む。そのような姿こそ、僕にとって正しい日本の軍隊のあり方なのです。
(深田)
えっ!?上司からの命令には、背いてもよいのですか?
(荒谷)
よいのです。武士はそうでした。間違った君主には従わなかったのです。忠義の「忠」という言葉がありますが、日本における忠とは、奴隷のように与えられるものではありません。主体的に自ら君主を支え、自分の思いを達成しようとすることが忠なのです。
その相手が間違っていれば、まず必ず意見を言います。「それは違う」と。そして、正しければ、命を惜しまず命令を実行する。これが、日本の伝統的戦闘者である武士の精神です。
ですから、現代の自衛官もまた、そうあるべきだと思っています。本来はすべての自衛官がそうあるべきです。特殊部隊はさらに政治的に重要なオペレーションを遂行するわけなので「命令だから何でもやる」という姿勢では困るのです。やはり、自分で判断し、正しい作戦に従事してもらわなければなりません。その時に、自ら何が正しく、何が正しくないのかを見分けられること、それが「精神性」です。
(深田)
正しいことと、正しくないことを見分けられるということですね。
(荒谷)
そうです。自分で分別がつく、ということです。
(深田)
そこまで高い境地に達するには、どれくらいかかるものなのですか?
(荒谷)
それは、どこまで到達するかという話でもありますし、何かマニュアルのようなものがあるわけではありません。すぐにピンとくる人もいれば、なかなか腑に落ちない人もいます。ただ、そうした文化というか、組織の空気ができてくれば、一緒に食事をし、生活し、訓練を重ねるうちに、次第に身についていくものです。だからこそ、最初にどういう文化を作るかが非常に重要なのです。
(深田)
最初に、文化まで作ってしまうのですか?
(荒谷)
そうしなければ難しいのです。正しい日本の戦闘員としての、正しい精神文化を部隊として築いていかなければ、とんでもないものができてしまいますからね。
(深田)
そうですね。例えば、どのようなことを教えていらっしゃるのですか?
(荒谷)
要するに、日本の歴史に対する正しい認識や、日本人が何を大切にしてきたのか、日本人にとって国家とはどういうものなのか、そうしたことです。戦後の教育の中で否定されてきたようなものを、もう一度きちんと認識し直そうということですね。
(深田)
そうしたことも含めて、すべて授業で教えるのですか。
(荒谷)
授業という形ではないですね。そうした日常の空気感を、私が醸し出しています。
(深田)
そうなのですね。
(荒谷)
何しろ、スペシャルオペレーションにはやるべきことが山ほどあります。勤務中は、技術や知識を身につけるだけで精いっぱいです。ですから、そういう話は仕事の時間ではなく、終わった後に飲みに行こうとか、家に来なさいとか、そういう時間の中で伝えていくのです。
(深田)
そうやって、飲みながら、食事をしながら、精神性を伝えていくのですね。
(荒谷)
それを仕事としてやってしまうと、逆に「こういう考え方になれ」という話になってしまうではないですか。それでは、かえって主体性の欠如につながってしまいます。その人の心の中から、じわっと湧いてこなければいけないのです。ですから、そういうことはあまり仕事として、講義形式で行うものではないように感じています。
(深田)
たしかにそうですね。やはり、きちんとした方が来るという空気が自分の中にできると、ちゃんとしなければという気持ちになりますからね。
(荒谷)
そうですか。
(深田)
私はどちらかというと緩い方なので、私が人を雇うと、みんな緩んでいくという残念な現象が起きるのですが、やはり文化なのですね。
(荒谷)
リーダーの精神性は、そのまま部下に伝わるものです。
(深田)
そうなのですね。やはり、リーダーの精神性がチーム全体に波及していくのですね。今日からみなさんも、気を引き締めてお仕事をしていただければと思います。
今回は、結びの里代表の荒谷卓先生に、自衛隊、そして特殊部隊の精神性についてお話をうかがいました。どうもありがとうございました。
(荒谷)
ありがとうございました。





