#596 【世界もチェック!】イラン人、実はアーリア人?アラブとの違いや美男美女が多い理由を徹底解説! 宇山卓栄氏(2026.2.10)

(深田)
皆さん、こんにちは。政経プラットフォーム プロデューサーの深田萌絵です。今回は作家の宇山卓栄先生にお越しいただきました。先生、よろしくお願いします。

(宇山)
よろしくお願いいたします。

(深田)
最近話題のイランですが、国内で暴動が起こり、イラン人は過激なのか、シーア派は過激なのかという印象があります。日本人にとってイスラム教は遠い国のことで、そもそもイランとはどのような民族なのか、イラクと何が違うのか、そうしたところから教えていただければと思います。

(宇山)
前回、イラン体制の崩壊があるのかということについて、それは難しいとお話ししました。しかし、短期的には難しいが将来的には現体制の崩壊は避けられないだろうと私は考えています。現状には限界があり、仮に体制が崩壊した後、イランはどうなるのか。そのとき当事者となるイラン人とは何者で、どのような考え方で、宗教は何なのか理解する必要があります。

(深田)
ダルビッシュ・有投手はイラン系でしたよね。イケメンが多いのですか?

(宇山)
ええ、とにかくイランは美男美女が多い国です。イランに行った時はもうびっくり仰天でしたよ。イラン人の美しさは、アラブ人の美しさとは少し異なり、賢そうでキリッとしているのが特徴かなと思います。アラブ人にも独自の魅力がありますが、例えば肌の色でいえば、イラン人には比較的色白の人が多く、アラブ人には色の黒い人が多いという一般的傾向があります。では、そもそもイラン人とはどのような人たちなのかという話に入りたいと思います。

(深田)
イケメンの民族とそうでない民族があるのですか?

(宇山)
あります。イラン人がみんなそうではないですが、容姿端麗な人が多い印象です。

(深田)
トルコでも地域によって全然違いますよね。イスタンブールでは中東や地中海風の妖艶な美男美女が多い一方で、カッパドキアではゴルバチョフ(旧ソ連元大統領)みたいな雰囲気の人もいて、かなり幅広い印象があります。

(宇山)
その通りです。中東といっても民族分布は多様です。イラン人は基本的にアーリア系、すなわちインド・ヨーロッパ語派に属します。紀元前15世紀頃に分派し、西へ向かった人々がヨーロッパ人となり、南や東へ進んだ人々がイラン人やインド人になりました。この二つに大きく分かれていったのです。

(深田)
ヒトラーがアーリア民族と言っていましたよね?

(宇山)
そうです。ヒトラーは「純粋アーリア人」はドイツ人や北欧人だと主張しました。もともとの居住地はウクライナ南部からカスピ海周辺で、そこから東欧や北欧を経てヨーロッパに広がったと捉えていました。そして純粋アーリア人の象徴としては「金髪碧眼」を挙げたのです。

(深田)
金髪碧眼ですか。

(宇山)
しかしヒトラー自身は金髪碧眼ではありませんでした。またナチスはアーリア人かどうかを判定するためにクラニオメーター(頭蓋骨測定器)で測り、後頭部が大きく張り出していることを特徴としました。

(深田)
日本人は仰向けに寝るので絶壁が多いですよね。

(宇山)
日本では絶壁の方が美しいとされてきました。平安美人のように髪を下ろす美意識があります。一方ヨーロッパでは髪を上にまとめ、後頭部を丸く見せる美の基準があるとも言われます。ただし、こうした特徴は、ナチスが勝手に言っていたことです。

(深田)
なるほど。では蒙古斑があるのはモンゴル系ですか?

(宇山)
そうとも限らないと言われています。日本人とモンゴル人も遺伝的にはかなり違うので、蒙古斑があるかどうかは関係ありません。

ところで、アーリア人つまりインド・ヨーロッパ語派の人々は、中央アジアからカスピ海、ウクライナ方面にかけて広がり、そこから各地へ拡散しました。もとは同じ根源です。

(深田)
インドに向かった人たちは、カースト制度の上位層になったのですか?

(宇山)
その通りです。自らを神に選ばれた上流階級と位置づけ、ヴァルナというカースト制度を築きました。これがアーリア人による統治の仕組みでした。

(深田)
知人の化粧品会社社長が、インドでは美白化粧品が売れると以前から話していました。やはり白い方が上位という意識があるのでしょうね。

(宇山)
そうした背景はあります。イラン人はアーリア系であるため、色白の人が多いですが、アラブ人との混血も進んでおり、肌の色は多様です。

(深田)
ダルビッシュさんも日焼けで格好いいですよね。

(宇山)
彼は彫りが深い顔立ちで、あれがアーリア系の特徴の一つです。しかし、アラブ系は系統が異なり、言語や風習も違います。アラブ系のイラク人とアーリア系のイラン人では、民族の系列そのものが異なるのです。

(深田)
えっ、イラクはアラブ系なんですか!?全然分かっていませんでした。

(宇山)
サウジアラビアやイラクはアラブ系で、アラブ人の領域はエジプトまで広がっています。エジプト人はさらに北アフリカのベルベル人の血も含んでいます。一方でイラン人はアーリア系で、比較的色白で彫りの深い顔立ちが特徴です。例えばアメリカに亡命しているパフラヴィー家の皇太子は西洋人のように見えるほど欧米的な顔立ちをしていますよね。

(深田)
確かに私もそう思いました。

(宇山)
それはアーリア系という同じ起源があるからです。イラン人の中には、ヨーロッパ人と見間違うほどの容貌の人もいます。もっとも、イランは多民族国家で、いわゆるアーリア系のペルシャ人は全体の6割ほどで他にも多くの民族がいます。

(深田)
他の民族はどこから来たのですか?

(宇山)
そこが重要な点です。私は、仮にイラン体制が崩壊した場合、多民族国家なので民族ごとの分断・分立が進む可能性が高いと見ています。ソ連崩壊後にCIS・独立国家共同体ができたように、人口約9,000万人を抱える中東の大国イランで、民族単位での動きが起こり得ます。そのため、各民族がどこから来てどの地域に分布しているのかを理解する必要があります。イランの北にはカスピ海があり、その東北部はトルクメニスタンと接しています。この国境地帯にはトルクメン人がいます。

(深田)
トルクメニスタンから来た人たちですか?

(宇山)
もともとその地域にいた人々です。彼らはトルコ系民族で、トルクメン人と近縁のアフシャール人もいます。彼らはトルコ語を話し、イラン語とは全く異なります。そして歴史的に大きな影響力を持ってきました。

(深田)
なぜ力を持っているのですか?

(宇山)
18世紀にナーディル・シャーがアフシャール朝を始めました。彼はトルクメン系アフシャール人です。その後、18世紀末にはさらに発展しアーガー・モハンマドによってカージャール朝が成立し、約150年間イランを支配しました。これもトルコ系王朝です。

(深田)
かなり長いですね。

(宇山)
そうです。近現代においてもトルコ系王朝がイランを統治していたのです。イラン人自身による統一王朝を取り戻すのは、第一次世界大戦後の1925年、パフラヴィー朝以降なのです。今話題のパフラヴィー家の皇太子は、その系譜です。

(深田)
今は国外に逃げているのですよね。

(宇山)
いわゆるパフラヴィー朝の3代目がアメリカから発信しています。その前のカージャール朝はトルコ系王朝でした。つまり、イランは常にイラン人の国だったわけではなく、歴史的にトルコ系が大きな権益と発言力を持っていたのです。

さらにカスピ海西側、アゼルバイジャンとの国境地帯にはアゼリー人がいます。このチャンネルに出演されている、アリベイさんもそうですね。

(深田)
なるほど、アゼリー人もトルコ系ですか。確かに、トルコやアゼルバイジャンの方々はどこの系統かよく分からない顔立ちの人が多いですね。

(宇山)
さまざまな血統が混ざっているからでしょう。トルコ共和国の国民も、アラブ、ヨーロッパ、イランなど多くの血が混ざりトルコ人の原形をとどめていません。

(深田)
中央アジア的な顔立ちの人もいますよね。

(宇山)
もともとトルコ人はモンゴル高原の西端に起源があり、7世紀頃からユーラシア大陸を横断して西へ進出しました。そして現在のトルコの地に勢力を築きました。もとは我々と同じアジア系の民族です。

(深田)
もともとはアジア系なのですね。確かに、アリベイさんもアーリア的な彫りの深さや知的な印象もあれば、中東的な雰囲気もあり、どの系統かわからないですね。

(宇山)
そうなのです。結局、このアゼリー人と呼ばれる人たちもトルコ系で、トルクメン人と同じく北部一帯に住んでいます。このアゼルバイジャンやイラクに近い地域には、いま噂のクルド人もいます。

(深田)
そこにクルド人がいるんですか?なんだかクルド人のいる地域が分かれてしまったから散らばって、トルコだけがビザ免除国なのでそこから大量に来てしまったということですか?

(宇山)
そういうことです。イラン、イラクとトルコにまたがり、国を持たない民族がクルド人で、そのクルド人が埼玉に多くやってきています。

(深田)
スタン、川口スタンですね。

(宇山)
そうです。ワラビスタンなど○○スタンと呼ばれるようなコミュニティを作っている人たちがイランにも多くいます。ロル人と呼ばれる人たちもクルド系で、クルド人はアーリア系イラン人に属します。だからクルド人も彫りが深くイケメンが多く、渋谷で女の子をナンパする時には「イタリア人だ」と嘘を言うのです。イタリア人と言われたら、見えなくなないですが。

(深田)
なんでイタリア人と言うのですかね?ドイツ人といわないのですか?

(宇山)
ドイツ人だと金髪で背が高いイメージがあり、イタリア人は肌の色が少し黒く、クルド人の見た目に近いのです。

(深田)
イタリア人ならばナンパしても違和感のない民族ということですね。

(宇山)
そうです。クルド人の中には、渋谷でイタリア人になりきる者もたくさんいます。血を糺すとアーリア系なので、ヨーロッパの人々と近いことは事実です。

(深田)
ナンパには気をつけないといけませんね…(笑)。

(宇山)
え、クルド人にナンパされたことありますか?

(深田)
いや、正確にはわかりませんけど、銀座などを歩いていると外国人にナンパされることはあります。

(宇山)
ああ、それにはクルド人も含まれていると思います。

(深田)
でもこちらが渋った時にすぐ怒るのはヨーロッパ人ではないと感じます。嫌ならはっきり言えという態度は、しっかり教育を受けている人なら取らないです。一度断られたくらいで気にしないのが本来のイタリア人の流儀で、目の合った女性全員に「あなたは春の女神だ」と言い、引っかかる人だけを口説く。このスタンスは見習うべきですね。去る者は追わず。

(宇山)
それで、さらにテヘラン(イランの首都)の北に山脈があり、その山脈を越えるとカスピ海沿岸地域に出ます。そこにはタバリー人が住んでいます。

(深田)
タバリー人は何系ですか。

(宇山)
イラン系です。

(深田)
カスピ海ヨーグルトはどこで採れるんですか?

(宇山)
カスピ海ヨーグルトは全域で作られますが、タバリー人もヨーグルトを生産しています。イラン人はヨーグルトをよく食べますね。

(深田)
なるほど。中東料理ではご飯にヨーグルトを混ぜることも多いですよね。

(宇山)
カレーにヨーグルトを添えることもあります。

(深田)
サラダにきゅうりとヨーグルトを混ぜ、オリーブオイルをかけるものもありますよね。

(宇山)
そうですね。香辛料も混ぜます。タバリー人はラシュト(イラン北西部)という都市を中心に住んでおり、山脈とカスピ海に囲まれた孤立した地域です。そのため、純粋のアーリア系の人たちが今でも生活しています。

(深田)
じゃあ金髪碧眼の人もいるんですね。意外です。

(宇山)
そうなのですよ。私の知り合いでラシュト出身のイラン人がいるのですが、初めて会ったときはヨーロッパ人だと思いました。本当に金髪碧眼の人もいて、彼らはタバリー語という独自の言語を話します。

それから、南部にもトルコ系でカシュガーイー人がかなりいます。これらのトルコ系の人たちは、13世紀にモンゴルがイランを蹂躙した時に、モンゴルの支配を嫌って南部に逃れた人々の子孫で、広大なテリトリーを持っています。

したがって、イランはイラン人だけの国家ではなく、トルコ系の人々も含む国家で少々複雑です。この点、ハメネイ師は巧みで、トルコ系民族にも利権を分配することを怠らず、統治をうまく行ってきました。

(深田)
なるほど。清洲会議(※1)のように、きちんと配らないと丸く収まらないですね。
※1)清州会議:本能寺の変で織田信長が死んだ後、事態収拾のために行った会議

(宇山)
そうです。人材登用においても、トルコ系の人々を中央政界に登用するなど、統治システムはうまく機能してきました。

(深田)
賢いですね。

(宇山)
賢明でした。逆にパフラヴィー朝はそれができず、イラン人だけが優先され「俺たちはイラン人だとトルコ人何するものぞ」という感じで、その反乱をトルコ系が起こしたという歴史もあります。

(深田)
ところで、ペルシャはどこだったんですか?

(宇山)
良い質問です。ペルシャとは、イラン人の古い呼び方です。元々イラン語では「パールス」と呼ばれ、意味は騎馬民族、馬に乗る人のことです。

(深田)
チンギス・ハーンのような遊牧民族ということですね。

(宇山)
そうです。イラン人はもともと遊牧民族で「パールス」という言葉がギリシャに伝わり、ラテン語化されて「ペルシャ」となりました。一方「イラン」という国名はアーリアに由来します。アーリアが変化してアーリャ、さらに訛ってイランになったのです。ちなみにアーリアはインドのサンスクリット語で「高貴なる者」を意味します。つまり、イランとは高貴の国という意味で国号に採用されているわけです。

(深田)
面白いですね。ヒトラーがアーリア民族ということで優越感を抱いてることに関係しているんでしょうか?

(宇山)
まさにそうです。さらにアフガニスタン国境沿いにはパシュトゥーン人がいて、現在のタリバン政権を率いるのも彼らです。パシュトゥーン人もイラン系で、昔アレクサンドロス大王がインドまで攻め込む時に、アフガニスタンで彼らの部族からロクサネという女性を娶ります。パシュトゥーン人は美しい人が多く、アレクサンドロス大王もロクサネの青い目に惹かれました。ヘレニズムのギリシャ人たちがイラン人とどんどん結構していきます。パシュトゥーン人も含めてイラン系の人は非常に美しいということを物語っています。もう一つ、パキスタン国境近くにはバルチ人がいます。

(深田)
パキスタンとも国境を接しているんですね。

(宇山)
そうです。バルチスタンと呼ばれる地域に住むバルチ人は、パキスタン国内で、中国が進める一帯一路に対して抵抗する勇敢な人々です。バルチ人もイラン系で、イラン国内にも多く住んでいます。このようにイランは非常に多民族国家であるのです。

(深田)
すごいですね。多くの民族が共存しているわけですね。それぞれ宗教なども異なると思うのですが、そのあたりを次に教えていただけますか。

(宇山)
はい。イランは基本的にシーア派が多いです。トルコ系の人も大半がシーア派です。普通トルコ人はスンナ派と思われがちですが、例えばアゼルバイジャン人の約6割もシーア派です。カージャール朝もシーア派を容認しており、トルクメン人もシーア派で、イランではシーア派が約9割を占めています。ところで、ハメネイ師のターバンの色を覚えていますか?黒ですよね。

(深田)
でも、ターバンというと白いイメージがありますね。それはインド人のイメージですか?

(宇山)
実はイランでは白と黒の2種類があります。黒いターバンを巻く人は、サイイドと呼ばれ、預言者ムハンマドの血統を引く人です。その血脈にある人だけが黒のターバンを巻くことを許されており、ハメネイ師もその一人です。ライシ前大統領も黒ターバン、ロウハニ前大統領は白ターバンでした。白ターバンは一般のイスラム学者が巻くものです。

(深田)
なるほど、黒帯白帯みたいなもので、黒帯が格上みたいな感じですね。

(宇山)
そうです。こうした区別があるのは、シーア派が血統主義を重んじる宗派だからです。預言者ムハンマドの娘ファーティマと結婚したアリーを信奉する者たちがシーア派で、アリーの子孫が血統を受け継ぎます。ハサンやフサインといった子孫が12代にわたりイマーム(指導者)としてつながっており、これを十二イマーム派と呼びます。一方、スンナ派は実力によってカリフ(最高指導者)になれると考える実力主義の宗派で、イスラムでは多数派です。

(深田)
なるほど。チベット仏教と普通の仏教の違いのようなものですね。

(宇山)
その通りです。日本の皇統は血統主義で、血統だけが唯一の正統の根拠です。一方、中国の皇帝は実力で皇帝になった歴史があります。スンナ派はそのような実力主義的な考え方で、シーア派は血統主義で、血統が何より大切だという立場です。

(深田)
シーア派は王朝的な考え方ですね。

(宇山)
そうです。では、なぜイランがスンナ派に対抗して血統主義のシーア派を重視したのかというと、民族の違いが関係しています。イスラム教は創始者のムハンマドを始め多数がアラブ人ですが、アーリア系のイラン人は少数派でした。

(深田)
なるほど。インドでは肌の白い方が上位でしたが、イスラム教では肌の色は関係ないのですね。

(宇山)
そうです。ある意味、神の前の平等という理念ですが、ムハンマド地震がアラブ人でウマイヤ朝時代はアラブ人優先の考え方が強かったのです。アーリア系は少数派で、スンナ派のアラブ人に対抗するために独自の宗派、すなわちシーア派を形成したのです。さらに、三代目イマームのフサインは、ササン朝ペルシャ最後の王・ヤズデギルド3世の娘シャフルバヌと結婚したという伝承があります。そのため、歴代イマームにはササン朝王族の血が受け継がれていると考えられています。

(深田)
ササン朝ペルシャは学校で習った記憶があります。

(宇山)
覚えていますか。イマームの中にペルシャ王族の血が入っており、シーア派はイラン人のための宗派と考えられており国民の約9割が信奉しているわけです。ただし、シーア派の人々が原理主義的で恐ろしいという印象を持たれるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。

(深田)
タリバンのイメージが強いせいかもしれませんね。

(宇山)
そうですね。タリバンは強硬路線を掲げました。サウジアラビアの王族はワッハーブ派で、スンナ派の一つです。ワッハーブ派も厳格な原理主義で、戒律を厳守させます。そのため、サウジアラビアでは女性は皆ヒジャブを被ります。一方、イランは女性の服装やファッションが比較的自由で、むしろ緩いくらいです。

(深田)
そうなのですね。逆のイメージを持っていました。サウジアラビアは最近、新しい王子(ムハンマド・ビン・サルマン皇太子)が開放的な路線を進めていると聞いていたので、サウジの方が自由で、イランの方が厳しいと思っていました。

(宇山)
それが全く逆なのです。サウジアラビアでは女性はイスラムの伝統衣装をしっかりと身にまとっています。実はその下にはブランド品をジャラジャラつけているのですね。

(深田)
そうですよね。脱いだら金ピカなんですよね。

(宇山)
そうです。脱いだらもう黄金だらけで、シャネルやアルマーニなどのブランド品をたくさん身につけています。サウジアラビアのハイブランドの売り上げは非常に大きいですよ。

(深田)
ヒジャブをつけて中に着ていると、防犯上は良いかもしれないですね。

(宇山)
あれを被って、そこまでハイブランドを身につける意味があるのかと思いますね。

(深田)
イギリスのハロッズに行ったとき、全身黒のヒジャブの人たちがバーキンを持ち、100万円のカバンを買っていくのです。やっぱり彼らは違いますね。オイルマネーですね。

(宇山)
中はもうバッチリとブランド品で固めています。それに対してイランでは、女性は普通に私服やジーンズで街を歩いています。戒律は比較的緩いのです。

(深田)
それは意外でした。タリバンとかは厳しそうに思えます。

(宇山)
実はそうでもありません。シーア派の人々は欠かさずお祈りをするわけではなく、普通に遊んだり歌ったり踊ったりしています。サウジアラビアではそれは許されません。

(深田)
よく言われるのが、外国に行っても道端や公園で絶対お祈りするのは、本当のイスラム教徒ではなく、新興宗教的なカルトみたいな人だ、という話を聞きます。その辺はどうなんですか?

(宇山)
そういう面もあると思います。しかし、イスラムの世界ではそれぞれに伝統主義があり、伝統から離れた新しい要素が入ってくることありません。だから、イスラム世界にはカルトは存在しないのです。

まとめると、スンナ派であれシーア派であれ、イスラム教徒が非寛容で原理主義的で危険だ、というわけではありません。過激な人もいますが、どの宗教でも同じことです。基本的にイスラム教には寛容な面があります。キリスト教やユダヤ教に対しても「経典の民」として「他宗教を許すべきだ」とコーランに書かれており、ジズヤという税金を払えば信教の自由が保障されます。

(深田)
税金は払わなきゃいけないんですね(笑)。

(宇山)
そうです。税金さえ納めれば大丈夫ということです。キリスト教は他宗教を認めませんから、歴史的に見ればキリスト教の方が原理主義的で危険な面もあるわけです。

(深田)
でもユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ系列ではないですか?

(宇山)
そうです。元を糺せば同じで、一神教として旧約聖書から新約聖書、そしてムハンマドの物語へとつながっています。イスラム教徒が日本に来て脅威扱いされています。日本の風習や法を守らない。それがイスラム教で、過激な原理主義だといいますが、単に移民として来た人々の行動や道徳規範が問題なだけだと、私は思います。

(深田)
でもステルス土葬問題等もあって、日本の法律では死体遺棄罪になります。多文化共生と言いながらも「日本人のことも多少リスペクトしてください」と言っても受け入れないのは、大きな問題だと思います。

(宇山)
おっしゃる通りです。土葬の問題については、イスラムの人たちは譲りません。ここがキリスト教と違って不寛容に見える部分でもあります。そのため、イスラム教徒を日本に入れるべきではないという意見も理解できます。

一方で、外交上はイスラム諸国と仲良くやっていく必要があります。オイルの取引などもありますから、イスラム諸国を敵視する必要はありません。

しかし、イスラムの移民が日本に入ってきた場合、土葬やモスク建設などの問題が必ず発生し、自分たちのコミュニティを作ろうとします。これは日本にとって迷惑になるので、制限をかけざるを得ないのです。だからといってイスラム教徒がみんな原理主義者というわけではないことを理解する必要があります。

(深田)
お墓は祖国に帰って土葬していただくのが良いのではないですか。

(宇山)
そうです。日本に定住する必要はありません。

(深田)
私も親から「死後は海に散骨してほしい」と言われているんですが「お母さん。それやったら死体遺棄罪だから」と言っています。

(宇山)
なるほど。実は日本の法律では、土葬自体は違法ではありません。市町村の基礎自治体の長(首長)の許認可を得れば、土葬することができます。

(深田)
散骨もちゃんと許可を取れば問題ないんですよね。

(宇山)
散骨ぐらいなら、許可もいらないと思います。衛生上の問題もほとんどありません。骨が灰になったものをまくだけです。アイヌの人たちも土葬です。許可を得て土葬をすること自体は可能ですが、日本人にとっては問題なのです。

(深田)
昔の日本も土葬ではありませんでしたか?昔話で、樽にお山座りで入れて埋めていた話を聞いたことがあります。

(宇山)
もともと日本は土葬です。

(深田)
いつから火葬になったのでしょうね。

(宇山)
中世以降です。仏教の考え方が広まるとともに、火葬の風習が取り入れられるようになりました。また衛生上の観念も影響しています。古代の日本では庶民は土葬でした。

(深田)
疫病は死体からも移ったのですか?

(宇山)
そうです。虫が湧き、その虫が飛んでいくことが問題とされました。しかしながら奈良時代に火葬していたのは、仏教にかぶれた一部の貴族だけです。庶民は土葬でした。

(深田)
蘇我氏や藤原氏は火葬ですか?

(宇山)
火葬の人が多いと言われています。

(深田)
では物部氏は土葬ですね。イランの話から日本の葬送文化まで、とても面白かったです。今回は作家の宇山卓栄先生に、イラン民族と宗教の歴史についてお話をいただきました。先生、どうもありがとうございました。

(宇山)
ありがとうございました。

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