#588 【真相】高市早苗氏はなぜ叩かれる?旧友の八幡氏が語る「早苗のぶっちゃけ話」 八幡和郎氏(2026.2.2)

(深田)
みなさんこんにちは。政経プラットフォームプロデューサーの深田萌絵です。今回は政治評論家の八幡和郎先生にお越しいただきました。先生、どうもお久しぶりでございます。

(八幡)
よろしくお願いいたします。

(深田)
先生はフェイスブックでもいろいろな方とお話しされているようですが、最近、コメント欄で「八幡先生は高市早苗さんとお友達だったはずなのに、どうしてそんなに批判してばかりなのですか?」と言われているのを見かけます。何か心境の変化があったのでしょうか?

(八幡)
いえ、そういうことではありません。私は高市さんのことは、今でも好きですし、例えば大臣として普通に仕事をするとか、あるいは代議士としてどうかといえば、良いと思います。

(深田)
もともとお友達だったのですか?

(八幡)
お友達というか、最初は「朝まで生テレビ」のスタジオで出会いました。そのとき、高市さんが私のところへ、とことこと来て「八幡さん、私のことをあまり知らないでしょう。でも私は、あなたのことをよく知っているんだからね」と言ったのです。

(深田)
すでに政治家になられていたのですか?

(八幡)
いえ、まだまだでした。それで私が「どうしたのですか」と尋ねると「私の元彼がね、何々君って知っているでしょう。八幡さん、友達でしょう」と言って、これが初めての出会いです。

(深田)
すごいですね。

(八幡)
ですから、1980年代の終わる頃の話です。その後、高市さんは松下政経塾に入り、アメリカに留学というか研修に行って、パトリシア・シュローダーさんというリベラル派の女性議員(民主党下院議員)のスタッフをしていたわけです。そのときの肩書きが、若干盛りすぎと言われることもありますが、何もしていなかったわけではありません。

(深田)
コングレッショナル・フェローですね。

(八幡)
それで帰国後、テレビなどに出ていたところ、自民党から「君、出ないか」と声をかけられ、1992年の参議院選挙の時に誘われたのです。しかし、途中ではしごを外されて落選しました。ところが翌年、細川護熙さんが総理になった時の総選挙があり、奈良1区定数5人の選挙区で無所属で出馬して、当選したのです。

(深田)
立派ですね。

(八幡)
それで最初は、武村正義さんの新党さきがけに入りたいと言ってみたのですが、断られました。

(深田)
入れてもらえなかったのですか?

(八幡)
それで新進党に入ったのです。ところが新進党に入ってみたものの、財政政策について「ええかげんなことを言っている」と言われて「私は健全財政主義だから」などと言っていました。

(深田)
高市さんが健全財政主義者なのですか?

(八幡)
そうです。そうしたこともあって辞めて、自民党に移りました。その時も、実は創価学会との間でいろいろなやりとりがあったのです。それから紆余曲折があり、一時は落選したり、タレント活動を再開したり、近畿大学の先生を務めたりもしました。

(深田)
何の先生をされていたのですか?

(八幡)
政治でしょうね。ただ、例の郵政選挙(2005年)の時に、奈良2区から刺客として、自民党の郵政(民営化反対)派の議員に対抗して出馬し、当選しました。

(深田)
あの時は、小泉純一郎さんの時ですよね。

(八幡)
小泉さんの方に乗ったわけです。

(深田)
小泉純一郎さんとは、仲が良かったのですか?

(八幡)
仲が良かったというわけではないのですが、たまたまそこで出してもらえたのです。それから選挙の話で言うと、奈良2区は大和郡山とかあの辺です。比較的安定して当選を重ねつつ、最初は清和会に入って森喜朗さんの親衛隊のような立場だったのですが、派閥の活動をあまりやらなかったので「上納金を出せ」と言われると「嫌だ」と言って一匹狼になりました。結果的に一匹狼になったことで、清和会のお金の問題に縁がなかったということです。

(深田)
それは、それで良かったでしょうね。

(八幡)
安倍さんが総理を辞めた後、安倍さんとしては、自分の派閥から後継候補を出せば、派閥の代替わりのように見られてしまう一方で、保守派の候補も立てたいという事情があったのだと思います。

そこで「私、出たいですけど」と手を挙げたら、安倍さんが「20人ぐらい貸してやるよ」などと言って、最初の総裁選挙に出ることになり、結果として意外に健闘したのです。なぜかと言えば、僕たちがそれまで知っていた高市さんは、いつも飲んだくれている印象の高市さんだったからです(笑)。

(深田)
どれぐらい飲んでいたのですか?

(八幡)
毎晩のようにだらだらと飲んでいました。ところが、21世紀の初めに病気になってしまったのです。病気をしてからは、夜の席へ出なくなりました。それで、ものすごく勉強するようになったのです。

(深田)
お酒をやめてから勉強したのですね。

(八幡)
その通りで、お酒は飲まず、いわゆる夕飯の誘いも全部断って勉強していたのです。

(深田)
勉強家だということは、すごく有名ですよね。

(八幡)
だから最初に総裁選挙に出た時に、あまりにも立派なことを言うので「どうしてしまったのだ」とみんな言ったわけです。ただ、晩年の安倍さんからは、あまり評価されていませんでした。

(深田)
どうしてですか?

(八幡)
要するに、安倍さんがいろいろなところで話をつけて票が入ったのに、挨拶に行かないのです。例えば「岸田さんに挨拶に行ったら」と勧められても「岸田さんは私のことが嫌いだもん」とそういう感じですよ。そして、彼女の得意なのが、いわゆる「ぶっちゃけトーク」です。率直な物言いではありますが、内容は的を射て面白いのです。

安倍さんが後見人となり、きちんと支えていれば、良い総理になるかもしれないと、みんな思っていたわけです。しかし、安倍さんが亡くなると「それは無理だよな」という批評がありました。

(深田)
それにしても、今すごく支持率が高いですよね。

(八幡)
それで、相変わらず続けているのが、ぶっちゃけトークのスタイルで、もうすでに3か月の間に4つ、ものすごいことをやりました。普通の内閣では絶対にできないような大変革になったのが、まず公明党との連立をやめるという話です。

(深田)
すごいですね。

(八幡)
あれも、要するに、公明党がどうしてもやめたいと言っているわけではなく、斉藤鉄夫さんが「この話がゼロ回答だったらやめます。もうやめさせてもらうしかありません」と談判に行ったのです。そうすると「それはちょっと、そんなこと、うんと言えません」と言われて、「じゃあ私たちは連立をやめます」となった。そこで普通だったら「何とか思い留まって、閣外協力ぐらいできないか」と言うじゃないですか。

(深田)
斉藤さん側が「大臣を引き上げる」とおっしゃったのですか?

(八幡)
連立は解消だと。ただ、閣外協力は芽があったわけです。だから大臣は出さないけれど、いまでも維新だってそうじゃないですか。ところが「なんで斉藤さんがあんなに怒ってるのかわからないもん」と言ってしまったわけですよ。それで身も蓋もなくなって、維新と組んだ。

それから今度は中国ですよね。アメリカ軍が、おそらく介入するだろう。そうすると、日本の基地を使っていいと言わないといかんわけです。それから、アメリカ軍が「ちょっと手伝え」と言ったら「はい、はい」と物資を輸送したりしないといけない。

場合によっては、アメリカ軍が中国軍から攻撃されているとなったら、脱出するのを手伝うこともある。だから私は「渋々手伝うというところが限度だ」と言っているのです。なぜなら、本格的に介入したら沖縄が戦場になるからです。

(深田)
高市さんについて、少し不思議に思うのですが、沖縄にある米軍基地を撤退させようとしていますよね。

(八幡)
いえ、そんなことはないのですよ。

(深田)
しかし、大臣指示書に「米軍基地があることによって沖縄の現地の人の負担が重いから、目に見える形で沖縄の人の負担を軽減させましょう」という指示書に書かれていますね。

(八幡)
それは思い付きですよ。これは難しい問題で、完全に撤退したらどうなるかという懸念がある一方で、中途半端に撤退すると、むしろ攻められるわけですよ。それから、台湾の人は沖縄に対して好意的ではないのですよね。

(深田)
沖縄独立運動を仕掛けているのは台湾人ですからね。

(八幡)
それもありますし、台湾の飛行場に行くと、ついこの間というか、何年か前までは「沖縄行き」という便がなく「琉球行き」になっていました。かたくなに「沖縄」という言葉を使うのを拒否していたのです。

(深田)
そうですよね。だから琉球独立運動を応援しているのは、台湾の政党ですものね。

(八幡)
そうです。さらに、沖縄復帰運動の時にも、中国は「沖縄は日本であるから本土復帰を応援する」という立場だったわけです。しかし、台湾の方は、自分の領土だとまでは言わないけれども「沖縄の最終的な帰属については、中華民国政府の了解が必要である」という立場だったのです。

(深田)
どうしてですか?なぜ中華民国なのですか?

(八幡)
歴史的に見て、自分の領土だとは言わないにしても、日本にそう簡単に「あなたの領土だ」というのは「けたくそ悪い」というのが、当時の清国系(中華民国)の立場だったからです。

(深田)
なるほど。清王朝の継承国としての中華民国台湾からすると、琉球王国は清王朝の属国だったはずだということですね。

(八幡)
そこまでは言いません。

(深田)
言わないけれど、ニュアンスとしては、そういうことなのですね。

(八幡)
なぜかというと、属国だったからこそ、いま特別の地位にあるという考え方が出てくるのです。向こうから見た場合、沖縄の琉球王国のポジションは、朝鮮王国およびベトナム王国と琉球王国が、要するにある種特別な関係の国だったのです。

その中で一番、中国に対して従属性が高かったのは朝鮮王国で、その次がベトナム王国です。日本は、何しろ沖縄は島津が現実に支配していたのです。島津藩の琉球王国だったわけですから、朝鮮王国に比べれば属国性は少ないのです。

だから中国が「沖縄は我々の属国だった」と言うなら「あなたがそう言うなら、韓国もベトナムも属国だったと、あなたは言うのですか」と私は切り返しますよ。日本が欲張って、台湾のことを強く言えば、向こうも「沖縄はどうなのだ」と言ってくるでしょう。

(深田)
絶対そうですよね。

(八幡)
そこに話題が行かないために、沖縄と台湾の話は、日本としてもあまり大声で言わずに、いろいろと対応していけばよいということです。

(深田)
台湾と中国の間でも「一つの中国」という点では合意しているけれども、その「一つの中国」の解釈については、それぞれ自由にやりましょうとし言っているわけですね。

(八幡)
それは国民党が言っていることです。一方で、民進党はそこを曖昧にしています。いまのところ建前としては、中華民国政府は「中国のただ一つの合法政府である」と、憲法上、相変わらず継続しているのですね。

(深田)
彼らは中国大陸に帰りたいから、その権利を放棄したくないということですよね。1969年の段階でアメリカが中華民国側に「台湾共和国になれ」と言っていたけれども、それを断っていますよね。国連に残るようにも言ったけれども、蔣介石は中華民国としての大陸の権益を捨てたくないから、それは嫌だと言って、今も「大陸と台湾は一つの国なんだ」ということを、台湾側が絶対に手放そうとしないわけですよね。

(八幡)
今は曖昧にしておきたいのです。面子の問題よりも、台湾の人たちは現状維持を望んでいるのだから、波風が立たないようにしておいた方がよい。しかし、高市さんが派手にやったものだから、習近平の方からすれば「そう言われたら、やってやろうじゃないか」という気分になっているわけです。

(深田)
台湾の人たちも、あまりにも煽られてしまうので、少し怖くなって台湾軍を辞めていますよね。

(八幡)
「台湾を助けてやろう」と言って喜ぶのは、まあ台湾の政治家の一部だけですよ。

(深田)
国民の多くは置いてけぼりですね。

(八幡)
これが二つ目ですね。それで高市さんの三つ目は、財政政策です。アベノミクスについての考えとして、1つは「アベノミクスは完全に間違いだった」という考え方、2つ目は「しばらくならよい、短期間アクセルを踏む、いわばカンフル剤のつもりならよい」という考え方です。3つ目は「インフレになるまでは、あるいはインフレの間はよい」という考え方で、4つめが「いくらでも財政資金は投入してよい」という考え方があります。それで、私は2つ目です。田村秀男先生は3なのですがね。

(深田)
私も2です。ここで一致しました(笑)。やはり、アベノミクスが始まった当時の日本は円高がすごく進んでいましたし、リーマンショックの直後で市場にお金が流れていなかった。だから、あの時にアベノミクスで金融緩和を大々的に打つという判断は正しかったと思います。

(八幡)
ただ、その間にきちんと実体経済の手当てをしなければならなかったのに、それが足りなかった。しかも、それでインフレになったのだから「お前、何をやっているんだ」と、高市さんに対して言っているわけです。絶対にやってはいけないと教科書に書いてあることをやっているのですから、もう危ないですよね。

よくそんなことをするなと。実際、金利がどんどん上がって大変な局面で、アメリカから買った武器の値段もどんどん上がって、大変なことになっているわけです。これが、3つ目の大変革です。

4つ目は、別に予算案が止まりそうでも何でもないのに解散するといって、これは無茶苦茶でしょう。

(深田)
そもそも27日からなのに、20日まで発表すらせず、引っ張りに引っ張るというのは、現場の人にかなり迷惑ですよね。小学校の人たちとか公民館の人たちにも、それなりにご迷惑をおかけしているというか、総務省も大変ですね。

(八幡)
結局、人事に対する配慮がないのです。

(深田)
自分が勝つためには、他人が苦しんでも構わないという考えが出ているのですよね。

(八幡)
彼女の考え方は「やっちゃった、やっちゃったわよ。まあしょうがないわよね、アハハ」「選挙に出ちゃったわよ。○○しちゃったわよ」とさばさばしている。それはある種の魅力でもあり、話としては面白いです。しかし、総理という立場で考えると「それでよいのか」という疑問が残ります。そういうことをやっているから「中道改革連合」などというものが、突然出てきたわけでしょう。

(深田)
それは次回お話をしていただくとして、今回は、高市さんとお友達だったはずの八幡先生が、どうしてそんなに高市さんに批判的になったのかということをご解説いただきました。次回はまた新党の話をよろしくお願いします。どうもありがとうございました。

(八幡)
ありがとうございました。

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