#542 在日特権は嘘?前田日明氏が激白する在日アイデンティティの闇とは 前田日明氏
(深田)
皆さん、こんにちは。政経プラットフォーム プロデューサーの深田萌絵です。
今回はリングスCEOの前田日明さんにお越しいただきました。前田さん、よろしくお願いいたします。
(前田)
よろしくお願いいたします。
(深田)
最近はさまざまなYouTube番組で「在日朝鮮人・韓国人の特権とは何か」といった話題が取り上げられ「在日には大きな特権がある」と結構言われています。実際のところ、どうなのでしょうか?
(前田)
特権など聞いたことがないし、税金が優遇されるというのですが、そんなことも聞いたことがありません。みんな税金を払うのに大変ですよ。
(深田)
税金は払っているのですか?
(前田)
もちろんです。親戚にも、製鉄原料やスクラップなどの大きな商売をしている者がいますが、皆、税金の支払いには四苦八苦しています。
(深田)
では「在日朝鮮人・韓国人は税金を払わなくてよい」という都市伝説は、どこから出てきたのでしょうか?
(前田)
全く分かりません。ただ、在日問題は紆余曲折があまりにも多いのです。そもそも1910年の日韓併合で半島には国がなくなり、日本になったのです。そこにいる人たちは全員、日本人となったのです。そして1910年以降に生まれた人は2世になります。
(深田)
1910年以降に生まれた方が2世なのですね。
(前田)
その通りです。終戦の1945年の時点で、すでに3世がいる家もありました。年長の3世なら兵役に就けるぐらいの年齢です。例えば私の一族で言えば、父方も母方も、5世、6世で、そして今、7世がお腹にいますよ。
(深田)
そうなのですか。前田さんは何世ですか?
(前田)
俺は3世ですよ。うちの親父と、その兄は日本で生まれています。日韓併合後の日本で生まれたということです。父も母も大阪生まれですね。
(深田)
そうなのですね。在日朝鮮人とか在日韓国人とかがありますが、前田さんはどちらにですか?
(前田)
うちの家系に関して言えば、在日韓国人でも在日朝鮮人でもありません。父方も母方も、こちらに来た頃は李朝の時代だったからです。
(深田)
そうなのですね。いつ頃いらっしゃったのですか。
(前田)
日韓併合後の大正年間です。
(深田)
なるほど。李氏朝鮮の時代ですね。
(前田)
本来は李氏朝鮮人なのです。もっと正確に言えば「在日李氏朝鮮人」ということになります。ですから韓国も北朝鮮も、自分たちには関係がありません。あれは第二次世界大戦後にできた国ですから。
(深田)
「在日朝鮮人」といっても北朝鮮という意味ではありませんよね。
(前田)
違います。在日社会には、紆余曲折の話がてんこ盛りにあるのです。分かりやすい話では、プロレスの力道山先生、そして空手界で有名な大山倍達総裁(極真会館創始者)は、いずれも半島出身です。大山総裁は1926年生まれ、力道山先生も1926年生まれです。1910年以降のことですから、1910年の時点で彼らのご両親は日本人になっており、その後に生まれた彼らは二世に当たります。つまり、日本人になろうとしてなったのではなく、日本人として生まれたのです。
(深田)
日韓併合によって、すでに生まれた時点で日本人になっていたということですね。
(前田)
その通りです。教育についても義務教育制度が半島に敷かれました。京城帝国大学は、大阪帝国大学より先に作られているのです。
(深田)
確かに、そうですね。
(前田)
また、朝鮮総督府の管轄は、台湾総督府とは異なり、宮内庁の管轄だったのです。ですから、皇室からお嫁さんが李氏朝鮮に行っていますよ。
(深田)
なるほど。私は全然分かっていなかったですね。
(前田)
そうでしょう? そして、今問題の通名も、元々は「創氏改名」と言って「できれば日本人と同じような名字にしてください」と言われたのです。半島から日本に来た人たちは「祖国」と言われるものが完全に消滅して日本になった以上、その前提で生きていこう、という感覚がありました。特に2世の人たちは「おぎゃあ」と生まれた瞬間から日本で暮らしていて、半島の歴史は郷土史として扱われます。国史を習う時は日本の歴史ですよ。
(深田)
国史が日本の歴史で、半島の歴史は郷土史になるのですね。
(前田)
そうです。そういう教育を受けてきたものだから、何の疑いもなく、言われる通りに通名を名乗っていたのです。
(深田)
うん、なるほど。
(前田)
生まれながらに日本人として扱われ、日本人として義務教育を受け、その世界が当たり前に続いていくと思っていたところへ戦争が起きた。そこで、疑いもなく徴兵や志願兵として戦争に行きました。靖国神社には半島系が2万3000柱で、特攻隊員も30人いました。そこまでしたのに、戦争が終わった途端「あなたたちは朝鮮人です」と扱われたら、これは激怒しますよね。
(深田)
確かに、それはそうですね。ただ、その決定権は日本ではなく、連合軍の決定なのでしょうね。
(前田)
しかしそれに対して、何の説明もなかったのです。昭和21年(1946年)に突然国籍が外され「はい、君たちは朝鮮に帰りなさい」となった。当時は朝鮮戦争の直前で、半島では李承晩政権が、北側で勃興してきた金日成をはじめとする共産主義に神経を尖らせていました。一方、日本では共産党党員が各地の牢獄から解き放たれ、共産主義的な思想が広がっていた時期です。日本から戻る半島の同胞の中には、そうした思想の者が混じっていないか、強く警戒されたのです。朝鮮戦争が起きた時に、親が止めるのも聞かずに「先祖が生まれ育ったところなので、行かなければならない」と向かったのです。しかし、彼らは「北朝鮮のスパイだ」と言って、みんな殺されてしまいました。
(深田)
へー、怖いです!そのようなことがあったのですね。
(前田)
朝鮮戦争直後、昭和26年(1951年)に国籍を外されて「帰りなさい」となった時も同じで、李承晩は「日本から一切帰ってくるな」と言ったのです。無防備に渡って見つかれば銃殺ですよ。
(深田)
なんと、そういう時代があったのですね。私たちもほとんど習いません。では、在日の韓国人の方は、こうした経緯をご存知なのですか?
(前田)
知らないですね。自分ですら、そういう事実を目にするようになったきっかけは、新井将敬さん(政治家、元大蔵官僚)でした。新井将敬さんが全盛の頃、共通の知人を通じて、よく声をかけてくれたのです。「同じ在日韓国人同士、頑張ろう」と言われましたが、自分は信用しなかったのですよ。在日朝鮮人の国会議員などいるはずがない、仲良くなりたくて嘘をついているのではないか、と考えて無視したのですよ。
ところが、しばらくして国会の予算委員会での追及で新井さんの話を聞いた時に、申し訳ないことをしたと思いました。そう思った矢先に自殺されたではないですか。(※1998年の出来事)
(深田)
そうだったのですね。
(前田)
その後、当時日本のマスコミを賑わせたのは「新井将敬というのはエリートの在日だ」という話でした。しかし、在日にエリートなどいるはずがないのです。今でこそ一流企業やメディアに在日の人たちが就職できるようになりましたが、自分の時代はそれがまったくゼロだったのです。いつから可能になったかと言えば、ソウルオリンピック(1988年)以降です。
(深田)
前田さんは何年生まれですか。
(前田)
昭和34年(1959年)です。
(深田)
とてもお若いですね。
(前田)
若いでしょう。頭が少しパーだから(笑)。
(深田)
いえいえ、冴えていますよ。
(前田)
そして俺は後々、民主党に誘われて政治活動を少し行ったのですが、その頃に「いったい誰が在日の人でも就職できるような流れを作ったのだろう」と思って調べました。それは亀井静香さんが、金大中が大統領になった時に呼ばれ「日本国内における在日の扱いを、もう少し一流企業に就職できるようにしてくれ」と言われたそうです。そこで亀井さんが、西武グループの堤清二さんにまずお願いしたのです。堤さんが西武グループで在日を採るようになり、そこから一気に広がっていった、という話です。それまでは在日が一流企業に入ることはまったくできませんでした。
(深田)
テレビ局は在日韓国人の方を採っているとよく聞きますね。
(前田)
それも、あるとするならばソウルオリンピック以降です。それ以前はありません。これは断言できます。
(深田)
なるほど。最近は、「TBSで出世しようと思うと韓国語ができないといけない」といった都市伝説も出ているようですね。
(前田)
それは嘘です。はっきり言って、あり得ないです。
(深田)
前田さんはテレビにも出ておられたので、そのあたりもご存知かと思いました。
(前田)
いえ、まったく分かりません。そういう話を聞くにつけ「お前そんなことがあるわけないだろう」と思いますね。日本のマスコミで揶揄される話に、在日の人間を何でもかんでも『あいつは、本当は朝鮮人だよ』と言いたがることがあります。元々の話は、自分たち以前の世代が「将来こういう仕事に就きたい」と親に言った時に、世の中をよく知る大人が「一流企業は難しい」「何々は難しい」「国籍があるからできない」と言っていたところにあります。
自分は大型船舶の船員、航海士になりたかったのですね。そのために商船高等専門学校や神戸商船大学(現神戸大学海事科学部)などへの進学を考えたのですが「日本国籍を有する者」という縛りがあるのですよ。であれば、無線技師の免許を取って入れないかと思っても、そこにもやはり「日本国籍を有する者」という条件があったのです。
(深田)
そうでしたか。
(前田)
当時、在日で取れる資格は、なぜか弁護士と、医者と、運転免許だけだったのです。
(深田)
そういえば、弁護士は在日の方が多いとも言われます。運転免許は取れてよかったですね。
(前田)
はい。だから、若い子どもたちが「将来こうなりたい」と言ったときに、大人から「就職は無理だ」とか「国家試験に国籍の縛りがあるから無理だ」と言われたら、子どもたちは下を向きますね。その時に「実はあの力道山は日本人と違うんやで。俺らと同じなんやで」と言って慰めるために、誰でも彼でも朝鮮人にしてしまった。つまり、そういう話なのです。
(深田)
力道山さんは、日本人として生まれて、その後はどうされたのでしょうか。
(前田)
その後は昭和21年(1946年)に、朝鮮籍に戻っています。その後、何らかのすったもんだがあったのか、相撲協会の中で手続きをしたのか、あるいはプロレスラーとして行ったのか、ともかく最終的には日本国籍に戻ったのです。
(深田)
帰化されたということですね。
(前田)
でもそれは、日本人になりたいからという話ではありません。日本人として生まれたので、当然日本人という感覚しかないからです。あくまでアイデンティティの問題です。「おぎゃあ」と生まれて、最初に見たもの、最初に感じたものが一生続きますよね。中ぶらりんなアイデンティティに関して、在日というのは非常に複雑な状況なのです。
(深田)
なるほど。確かに日韓併合で日本人になったのに、戦争に負けたら日本人ではなくなる。これが日本政府に責任があるかどうかは分かりませんが。
(前田)
当時の半島出身の2世と言われる人たちは、幼い頃は日韓併合前で韓国籍だったけれど、その後は日本人となって兵役に就いた人たちがいます。その人たちがどのような気概で生きたかを示す話として、山本七平さんの著書に『洪思翊(こう・しよく)中将の処刑』があります。
半島出身の日本陸軍・洪思翊中将がいて、終戦時には山下(奉文)兵団(第十四方面軍、在フィリピン)の補給部隊のトップ、最上位にいた人です。捕まって処刑されるという時に、部下から「閣下は半島出身なのだから、ここで『私は朝鮮人だ』と言えば処刑されることはないのですから、なぜ言わないのですか?」と進言されたのです。しかし「私はそういうつもりはない。私は日本人として生きてきたのだから、ここで日本人として死んでいく」と言ったというのです。
(深田)
ああ、なるほど。
(前田)
そういう人はたくさんいたのです。だから特攻機に30人も乗ったのです。ですから、戦争にまで行ったのに、いつまで「在日」と言われるのですか。
ブラジルにいる日系人が「在ブラジル日本人何世」などと言われますか? アメリカにいる日本人が「在米日本人何世」と言われますか? 在日という言葉そのものが差別用語なのです。うちの家系のように古い時代に来た人たち、あるいはもっと古いところは、多分8世とか、そのくらいになっている。在日は何世まで続くのか。(現在の天皇陛下が126世なので)126世ですか?
日本は元々、いろいろなところから来た人たちに寛容な国です。平安時代には、この人は国外から渡来した人、この人は天津神系の神様の子孫、この人は何系の神様の子孫などというように、様々な人の名字をもとに、戸籍のようなものを作っていたのです。
今は「放送局が牛耳られている」「企業が牛耳られている」などと言われます。しかし、もしそういうことがあっても、その人は上位者に認められようとして、社内の競争で頑張った人のですよ。
古い時代にこの国に来た人であればあるほど、頭の中も古い(伝統を守る)のですよ。このことについて、俺はいつも次のような話をします。以前、韓国KBSのドキュメンタリーで李朝の伝統を守る村が放送されました。韓国のある村が、21世紀の現代社会になっても李朝の伝統をそのまま守って暮らしている。「へえ、そうなのか」と思って、俺は見ていて何の違和感もなかったのです。なぜかと言えば、うちの親戚がみんなそうだったから。
(深田)
そういう感じだったんですね。
(前田)
親と話すときは敬語を使い、どこかに出かける時はおじいさんに報告して、何かあれば相談をする。食事もおじいさんおばあさんから、という具合に、ドキュメンタリー全部そのままなのです。
これは日本でもあるのですよ。ブラジルの日系人社会です。古い時代に渡った日系人の家には、天皇皇后両陛下の真影が飾られていて、3月3日は桃の節句、5月5日は端午の節句、お月見だ、何だと、昔の習慣を続けています。昔の日本人の生活を、そのまま残しているのです。
(深田)
逆に日本にいると、どんどん現代化が進んで、忘れていきますものね。
(前田)
だから、私の家系は、李氏朝鮮時代の半島に住んだ人たちのタイムカプセルのように、そういう生活をずっと守っているのです。
(深田)
でも、今は猫とお暮らしなのですね。
(前田)
そうです。今は猫と(笑)。
(深田)
今回は、リングスCEOの前田日明さんに「在日韓国人は特権などない」というお話を伺いました。前田さん、本日はありがとうございました。
(前田)
ありがとうございました。





