【間違いない!】創価学会と中国共産党の極秘パイプ!胡錦濤元主席との衝撃のオフレコ会談 長井秀和氏 #539

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【目次】
00:00 1.オープニング
00:42 2.創価学会・池田大作氏との思い出
02:30 3.創価学会と胡錦涛氏との深い繋がり
09:36 4.中国との文化交流、ビジネス交流に深いパイプ
16:02 5.習近平政権以降の関係

(深田)
みなさん、こんにちは。政経プラットフォーム・プロデューサーの深田萌絵です。今回は、創価学会2世であり、生き証人でもある長井秀和さんにお越しいただきました。先生、本日はよろしくお願いいたします。

(長井)
凄まじい導入フレーズですが、私もそのように呼ばれたのは初めてです。生き証人ですか。

(深田)
池田大作先生という偉大な方の、貴重な生き証人ですからね。

(長井)
私は、70回ほどお会いしています。池田大作大先生は、晩年に脳梗塞で2回ほど倒れ、記憶の面に多少の障害が出た時期がありました。その頃は、昔のことを急に話し出すなど、さまざまなことがあったのです。

そうした中で、付き添いの幹部に「長井君は最近どうしているのかな」といったことを、やたらと聞くことがありました。私は10年ほど前から創価学会を批判していたことを、幹部は知っているので「長井さんは元気にやっています」と答えていました。すると大作大先生は「そうか、長井君に会いたいな」と言っていたそうです。私が、池田大作大先生からこよなく可愛がられていたということなのでしょう。

(深田)
それほど可愛がられていたのに、今は池田大作先生を批判していて、心は痛まないのですか。

(長井)
私は、池田大作大先生の、いわゆる粗というか、人間味あふれる側面も含めて、皆さんに、そして後世に語り継いでいきたいと考えています。

(深田)
あまりにも神格化され、遠い存在になっている一方で、こうした愛嬌のある一面もあるのだということを、皆さんに知ってほしい、ということですね。

(長井)
はい、もちろんコメント欄はいつも荒れています。最近は深田さんについても「深田という女は、最近顔の相が非常に悪い」「あいつは地獄行きだ」といった趣旨の書き込みがありました。

(深田)
ありがとうございます。性格が悪いものですから。

ところで池田大作先生といえば、創価学会は、以前から中華人民共和国との関係が深いといわれています。今でも、公明党がいるせいで日本は中国とズブズブだと言われていますが、そのあたりを少し紐解いていただけませんか。

(長井)
もちろん今でも、創価学会と中国共産党とのパイプは深く、強いと思います。ただ、習近平政権になってからは、巷間で言われているほど、固く結びついているほどではありません。

その前の胡錦濤さんですね。2003年から2013年まで国家主席を務められた方ですが、池田さんは胡錦濤さんと非常に深いつながりがありました。先ほど生き証人と言われましたが、胡錦濤さんがまだ若手で初々しい頃、私は小学生で、その時に会っているのです。小学生が接待をするのですが、池田大作大先生が「今日は大事な人が来るんだよ。これからすごい先生になるんだぞ」と言って連れてこられた方が、胡錦濤さんでした。

(深田)
何なんですか、そのシチュエーションは!?

(長井)
私たちからすると池田大作先生が「先生」なのですが、胡錦濤さんのことも「先生」と呼ぶことになり、今回は「先生」が二人だ、という話になります。子どもの頃、「先生、先生」と、二倍呼ばなければならない状況だった、ということです。

(深田)
それは忙しくなりますね。

(長井)
それで「謝謝(シィエシィエ)」や「太好了(タイハオラ)」など、簡単な中国語を少し口にしたりしました。

(深田)
なかなか良い発音ですね。勘違いしている方は「シェイシェイ」だと思いがちですが、実際は「シィエシィエ」なのですよね。

(長井)
「謝謝」や「太好了」といった言葉をかけたり、中国語の歌も、私は歌いませんでしたが、覚えさせられて歌っている子もいたりしました。ただ、それは公式の場ではなかったのです。小学校の時に「今日来ている先生はすごい先生だけれども、聖教新聞には載らないから、みんなに言わないでね」と言われていました。いわば“オフレコ胡錦濤”でした。

(深田)
“オフレコ胡錦濤”ですか(笑)。

(長井)
実際に“オフレコ胡錦濤”だったのです。何か事情があったのでしょう。ここへ来たことが表に出すぎるとまずい、といった事情があったのだと思います。

(深田)
公安警察が来るのではないですか。

(長井)
ですから私は、小学校4年生くらいの時点で、物事には表と裏があるのだ、という事情を理解しました。その後、高校3年生の時にも、もう一度来られています。

(深田)
それは“オフィシャル胡錦濤”ですか?

(長井)
“オフィシャル胡錦濤”です。胡錦濤さんについては、池田大作大先生が、青田買いというか、かなり若い時から目をつけて、接待というかもてなしを重ねてきた人なのです。

(深田)
なかなか先見の明がありますね。

(長井)
そうした流れの起点としては、1968年に池田大作大先生が「日中国交正常化提言」を発出し、公式の形にしたことが挙げられます。実はその1年後に「言論出版妨害事件(※1)」があり、日本国内で非常に大バッシングがありました。
※1)言論出版妨害事件:政治学者藤原弘達著『創価学会を切る』の出版を巡り、創価学会が内容の書き直しや出版の中止を求め、書店や取次に嫌がらせにより出版の妨害をしたとされる事件

一見、まったく関係がないようにも見えますが、これが中国とのルートを作っていく上で、一つの引き金にもなったのです。その後、1972年に「日中共同声明」が出されました。中国と台湾は「一つの中国である(※2)」として、現在の存立危機事態においても、その文言が参照されるなど、今話題になっている内容です。
※2)日中共同声明:第三項 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。

その4年前に国交正常化を提言し、実際にそこへ尽力したのは、竹入義勝委員長をはじめ公明党の人たちが、中国との仲介に大きく関わった点は確かにあります。その前段階として、周恩来総理ともつながりを作り、日中国交正常化に向けて水面下で交渉していたということです。

その後、池田大作大先生は10回ほど訪中しています。その過程で、池田大作大先生は、もともと学歴がなかったことによるコンプレックスもあったのか、自分の偉人化計画の一環として、世界各地から名誉学術称号を得ることに力を入れ始めます。名誉学術称号は約420あるのですが、そのうち143が中国からのものです。

(深田)
すごいですね。

(長井)
北京大学、清華大学、浙江大学、上海大学、南京大学など、ありとあらゆるところを総ざらいする形で、勲章や称号を受け取ったという経緯があります。

国交正常化から2年後にも中国へ行っていますので、1974年以降、池田大作大先生は中国に行くたびに、いわゆる革命委員会や人民公社、さらにさまざまな工場など、もちろん共産党に対して寄付・寄贈を、いわば創価版ODAのような形で相当に行っていったわけです。しかも当時は、日本の円と中国の元のレートがまったく違い、円の価値が非常に大きかった時期でもありました。

つまり池田大作は、自分の名誉のため、そして言論出版妨害事件によって国内で失墜した自分のブランドを立て直すために、平和外交を民間できる人間だという新たなブランドを作りたいと考え、その最初が中国だったのです。

一方で周恩来も、当時ソ連と中国共産党の関係が険悪になっていた時期に、新たなチャンネルが必要だった。ただ、日本とは国交がない。そこで創価学会に目をつけ、利害が合致したという面がありました。そこから、創価学会と中国共産党との関係が長く続いてきたのです。

ところで、共産党同士なのだから、日本共産党と中国共産党は仲が良いのではないか、という感覚を持つ人もいます。

(深田)
そのように思われている方は、結構多いですね。

(長井)
しかし実際には、最も中国とパイプを持ち、交流を重ねてきたのは創価学会です。民主音楽協会、いわゆる民音という組織があります。もともとは勤労者音楽協議会、いわゆる労音が先にあり、労働者が文化や芸術に親しめるよう、比較的安く芸術文化に触れられる仕組みを作ってきた経緯がありました。

それを真似たのが、創価学会の民主音楽協会です。民音では、氷川きよしさん、細川たかしさん、研ナオコさんといった国内公演も行っていますが、実はこの40年間で、中国雑技団や歌舞団、京劇などを2500回以上招聘してきました。

(深田)
中国雑技団には、子どもの頃に強く憧れました。見に行きたいと思っていました。

(長井)
確かにそうですよね。あれは国営の組織ですから、そこを丸ごと招聘し、費用も民音が負担し、日本側で受け入れのケアもしてきたわけです。こういうことなので、元祖である勤労者音楽協議会は、ほとんどやっていないのです。

(深田)
ああ、そうなんですね。

(長井)
したがって、中国へのチャンネルは、周恩来以来、ほぼ創価学会が独占してきたのです。特にクライマックスだったのは2003年から2013年で、私も接待をさせていただいた、いわゆるオフレコ胡錦濤の時代です。私はオフとオン、両方の胡錦濤さんを見ていますが、その時期が最も、池田大作というか創価学会とのつながりが強かった。何しろ、若い時から目をつけていましたから。

(深田)
創価学会すごいですよね。すごい先見の明ですね。

(長井)
実は、そうなのです。今日は結果的に、創価学会を持ち上げるような話になってしまい、申し訳ないのですが。

(深田)
いえいえ、たまには褒めてあげてください。

(長井)
そうですね。それで、習近平氏は日本に公式で来たことがないのです。国家主席になってからは一度もありません。中国の国家主席が最後に来日したのは2008年で、民主党政権が始まる直前、自民党の福田康夫さんが総理だった時です。そして、すごいことに、胡錦濤さんが来日して、福田さんと会見する前に、誰に会っていたかというと、池田大作だったのです。

(深田)
おお、何だか、すごい話ですね。

(長井)
当時の最高権力者である総理大臣が、池田大作先生と胡錦濤さんの話が終わるのを待たなければならないというほど、順番でいえば上だったのです。

(深田)
その頃、池田大作先生はまだ生きていたのですね。その少し前から死亡説が出ていましたよね。

(長井)
2010年説、2013年説、2016年説などがありました。ただ、私も創価学会に公式に細かな確認をしてきましたが、2016年までは、創価学会の一部幹部が池田大作と面談というか話をしていました。ただ、言葉はあまり話せない状態だったようです。

2018年以降は、池田大作は家族のもとで療養していたことなり、創価学会の幹部も会えていないのです。したがって、2018年に、本当に死んだのではないかという可能性はあります。

(深田)
でも、池田大作先生が胡錦濤氏に目をつけ、長井先生にも目をかけていたということは、長井先生も首相になれるのではないですか。

(長井)
いえいえ、もう鬼籍に入られていますから。

(深田)
「こいつは偉くなる」と思われたのですから。

(長井)
もしそれが事実であれば、それはそれで、すごい話ではあります。ただ私は、とにかく池田大作大先生の表も裏も、光も影も明かす。『光と影のTSMC』という本がありますが…

(深田)
「光と影の池田大作」という本を、うちで出版しても良いですよ。

(長井)
そのような話です。2000年以降に中国でビジネスをしやすくする規制緩和なども進み、日本企業も中国で積極的に経済活動を行う時期でした。2003年から2013年までの間は、ビジネスでも最も強いチャンネルを持っていたのが創価学会だったのですよ。

ご存じの通り、中国でビジネスを行うには、基本的に共産党とのパイプがなければ商行為が極めて難しい面があります。商売であれ何であれ、地縁や血縁だけではなく、党縁というか共産党とのパイプをしっかり確保しておかなければ、共産党が「だめだ」「開示しろ」「停止しろ」と言ったら一発で止まってしまいますから。

そうした前提のもとで、創価学会の関係者は、企業の人たちとも一定のパートナーシップを持ちながら活動していたということです。今、創価学会と関係があるのではないかと指摘される企業は、概して当時、中国でも活発に活動していたケースが多い。具体的な企業名は挙げませんが、その足掛かりを作っていったのが創価学会であって、ビジネスでも創価学会が中国とパイプがない、あるいは関係がないということはないです。

(深田)
最近はどうなのですか。習近平政権になってからは、状況はどうなのでしょうか?

(長井)
習近平政権になってからは、これまでトップとつながっていたチャンネルは薄れてきました。ただ、地方幹部との付き合いは今も残っており、地域によってはつながりが強いところもあります。中国は広いですから、場所によって事情が違うのです。むしろ今は、山口那津男(元委員長)さんもそうですが、斉藤(委員長)さんも含めて、「中国様、中国様」と言いながら「もう一度関係を戻していただけないでしょうか」と立場が逆転しているような印象です。

(深田)
なるほど。

(長井)
例えば、天安門事件の時も、尖閣諸島の領海侵犯の時も、ウイグル非難決議の時も、どのようなことが起きても、いわば雨が降ろうが槍が降ろうが、薛剣(大阪総領事)が「首をはねる」と言おうが、訪中や、創価学会の青年部・学会本部と中国側とのパイプは壊れることなく続いています。

(深田)
寄り添っているのですね。

(長井)
寄り添っているのです。問題になった薛剣氏についても、これは創価学会の公式ホームページにも出ていますが、11月5日だったと思います。薛剣氏が、創価学会の関西会館の中で大講演会を行っています。さらに創価学会の青年や子どもたちが、私の時と同じように「薛剣さ〜ん」といった形で接待をさせられる。そういう状態が続いてきました。創価学会はパイプの太い細いはあるにせよ、今も続いている関係だといえます。

(深田)
なるほど。やはり、創価学会と中国との関係はしっかりある。最近、習近平政権になってからトップとのつながりは薄れたものの、地方レベルではまだまだ繋がりはあるということですね。今回は、創価学会2世であり、生き証人でもある長井秀和さんにお越しいただきました。どうもありがとうございました。

(長井)
ありがとうございました。

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