#510 元祖外国人問題!在日特権の複雑な歴史と「資格なし」で在留できた裏事情とは? 浅川晃広氏
(深田)
皆さん、こんにちは。政経プラットフォーム、プロデューサーの深田萌絵です。
今回は、外国人問題に詳しい行政書士の浅川晃広先生にオンラインでお話を伺います。先生、よろしくお願いします。
(浅川)
よろしくお願いします。
(深田)
先生には先日、在日韓国人と在日朝鮮人の違いについて教えていただきました。ただ、以前から在日問題で取り沙汰される『在日特権』は「在日外国人はこんなにも得をしている、特に在日朝鮮人は…」とおっしゃる方が多いです。在日朝鮮人や在日韓国人には、日本国内で特権と呼べるものが本当に存在するのでしょうか。
(浅川)
世間で「在日特権だ」と声高に言われているものが、具体的に何を指すのか、私自身もよく分からないところがあります。ただ、特例的なものとして『入管特例法』という法律があるのは事実です。これは1991年にできた法律で、前回もお話しした通り、戦前に日本に朝鮮半島から来た人たちとその子孫に関しては、何世代にもわたって『特別永住者』という地位が与えられ、日本で永住できる制度です。おそらく、この入管特例法が在日特権の一つだと言われるのかもしれません。
(深田)
よく聞くのは「実は税金が安い。弁護士資格が取りやすい。大学入試は日本語で受けるより簡単だ」と言うのです。大阪で私の周りにいた在日コリアン3世たちは、普通に学校へ行き、税金を払い、受験や資格試験を受けていました。そこに特権があるのかな?という疑問があったのです。なぜそう言われるのか、本当に特権が存在するのか、そのあたりを教えていただきたいです。
(浅川)
どうなのでしょうね。大学入試に関しては私も詳しくは分かりませんが、以前のセンター試験では英語以外にも多様な外国語があり、その中に韓国語や朝鮮語もあったかもしれない。その難易度が英語より低いので、朝鮮学校出身の人が朝鮮語で受ければ有利だという話なのかもしれません。税金、弁護士資格については、私はよくわかりません。
ただ私は、入管法に詳しいので、入管特例法について、もう少し説明したいと思います。戦前に朝鮮半島から日本へ来た人たちとその子孫には、未来永劫日本で永住できるという制度があります。これには歴史的な経緯があります。前回の収録でも触れましたが、朝鮮半島出身の移住者が全員朝鮮籍になった後に韓国ができ、そこから『韓国籍』という概念が生まれました。
そして1965年に日韓基本条約が締結されて国交が正常化し、合わせて1966年には日韓法的地位協定が発効しました。これは在日韓国人の法的地位を定めたもので、肝となるのは韓国民には永住権を与えるという点です。
(深田)
韓国民にだけ永住権が与えられるということですか?
(浅川)
はい。朝鮮籍の人には永住権がありません。ただし、1952年のサンフランシスコ講和条約の発効で日本が主権を回復した時に「在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる」ことになりました。
(深田)
ご説明の意味がよく分からないです。
(浅川)
1952年に朝鮮半島出身者の日本国籍は確実に失われました。日本国籍がない外国人は、在留資格がなければ日本に住めません。ところが、彼らは戦前からすでに日本に住んでいた人たちです。1951年に『出入国管理令』という入管法の前身ができ、そこから日本が出入国管理を始めましたが、その制度ができる前から日本に住んでいた人たちです。
戦前の感覚では大日本帝国の移動でした。そのため、戦後日本ができた後の出入国管理制度を経ないで日本にいる人をどうするのか、という問題が生じました。
つまり、入管制度ができる以前から日本にいた人と、その子孫の話ですから、通常の外国人のように入国審査を受けて在留資格を得たわけではありません。そのため「在留資格がなくても、とりあえず日本にいてよい」という非常に曖昧な扱いが生まれました。これが1952年4月28日の法律で定められた地位です。
(深田)
つまり、在日朝鮮人は、在留資格はないが、その制度ができる前から日本にいたため「枠外で特別に永住が認められている」ということでしょうか?
(浅川)
永住が認められているというのではなく、とりあえず日本にいてもよいという程度の、宙ぶらりんな存在です。当時、日本政府は、いわゆる三国人(朝鮮半島や台湾出身者)による騒乱などを警戒していたため、安定した地位を与えたくなかったのだと思います。そのため、不安定な地位のままにしたのです。
一方、韓国籍を取得して韓国民になった人たちは、1966年の日韓法的地位協定で永住権を取れるようになり、そこから韓国籍への変更が一気に進んだということです。
(深田)
1966年から、韓国籍の人は永住権を取れるようになった訳ですね。
(浅川)
はい。これは『協定永住』と言って、韓国との協定に基づいた永住権です。これによって韓国籍の人数が一気に増えました。韓国側としては在日朝鮮人をなるべく韓国側に引き寄せたかったので、それを餌のように使ったという側面もあります。
日韓法的地位協定で永住権を得られたのは、1世と2世だけでした。では3世以降はどうするのかについては「25年以内には何とかする」という、付帯決議のようなものが入りました。
(深田)
25年とは2025年ですか?
(浅川)
いえ、違います。1966年から25年間のうちに、お互いに3世以降の扱いをどうにかしましょう、という条文です。その25年後が1991年にあたるわけです。
(深田)
そこで入管特例法ができたのですか?
(浅川)
入管特例法ができた1991年の時点では、在留資格がないまま在留できる曖昧な地位の人もいましたし、協定に基づいて永住権を得た人もいました。同じ経緯で日本に来た人たちなのに、バラバラの在留資格のままでは法的整合性が取れません。
そこで「戦前に日本へ来た人たちとその子孫は、全員まとめて特別永住者にしましょう。法的地位を安定させましょう」という結論にしたのが、1991年の入管特例法だったのです。
(深田)
そういう経緯だったのですね。それは在日韓国人だけで、在日朝鮮人は約束の外側なのですか?
(浅川)
いえ、全員です。特別永住者は全員対象になります。
(深田)
ああ、在日朝鮮籍を選んでいる人たちも特別永住者になるのですね?
(浅川)
そのとおりです。
(深田)
なるほど、そういう経緯ですか。
(浅川)
はい。これは確かに“特権的な地位といえば、そういう解釈も可能でしょう。要するに、祖父母や曽祖父母が朝鮮半島から日本に来たという事実だけで、日本に永住できるわけですから「特権だ」と言われれば、特権と言えます。ただ、これは戦後処理のようなものです。
現在、特別永住者の数はどんどん減少しています。制度が始まった1991年には約69万人いましたが、直近の2024年ではその半分以下の約27万人にまで減っています。
(深田)
なぜ減っているのですか?
(浅川)
理由は三つあります。一つ目は、1985年の国籍法改正で「父母両系主義」になったことです。それ以前は父系主義でしたので、父が外国人で母が日本人の場合、その子供は外国籍だったわけです。母親から日本国籍を引き継げなかったのですね。しかし「これはさすがに女性差別だろう」ということで、1985年の改正で父または母のどちらかが日本国民であれば、その子供は生まれながらに日本国籍を取得できるようになりました。
当時、在日コリアンと日本人の国際結婚はすでに増えていました。1985年以前であれば、父が外国人で母が日本人であると子供は外国籍でしたが、改正後は父からも母からも日本国籍を引き継げるようになり、生まれながらに日本国籍を取得するケースが増えました。これが1つ目の要因です。
そして二つ目は、高齢の在日コリアンが亡くなっていることもあります。
三つ目は、朝鮮籍や韓国籍の方が自分の意思で日本に帰化をしています。この三つの要因によって、特別永住者の数はどんどん減っていると考えられます。
興味深いのは、すでに亡くなっていますが、元東京入管局長の坂中英徳さんが、1999年の段階で「在日朝鮮人は自然消滅する」とおっしゃっていたことです。これがその通りになっていて、先ほど挙げた要因を考えると、減る要素しかありません。いつになるかは分かりませんが、特別永住者は時間がたてばたつほど少なくなり、いずれは自然に消えていくのではないかということです。何年後かは私にも分かりません。
(深田)
特別永住者であることにメリットはあるのですか?外国籍のまま日本で永住権を持つことは何か特別な意味があるのでしょうか?
(浅川)
特別なメリットは無いのではないでしょうか。当事者からすれば、日本で生まれ育ち、朝鮮学校に行かない限りは日本の教育を受け、母語も日本語です。韓国に行ったことがない方もいらっしゃると思います。
ですから、これは現状追認に近いものです。特別に権利を与えているとは思えないのです。あくまで戦後処理の一環なので、これを特権と言っていいものなのか、私はよく分かりません。
(深田)
まあ、そうですよね。私は、カリフォルニアでも仕事をしていますが、メキシカンがすごく多いです。その人たちが不法入国者なのか?というと、そうではなく、何代も前からカリフォルニアに住んでいる人たちです。
もともと米墨戦争(1846年~1848年、アメリカとメキシコ間の戦争)以前は、カリフォルニアの半分以上がメキシコ領でした。そこをアメリカが勝手に取ってしまったという歴史があって、そこに住んでいたメキシコ人たちは移住したわけではなく、気がついたらアメリカの領土になっていたという状況だったのです。そういうものに少し似ているのかなと思ったのですが、どうでしょうか?
(浅川)
そうですね。自分の意思とは関係なく、国境線が勝手に変えられてしまったという点では似ています。戦前は大日本帝国の国民として、国内移動で日本に来ていたのに、日本が敗戦して国土が縮小したことで、いつの間にか外国人になってしまったわけです。
本来は同じ大日本帝国の国民として、より良い経済機会を求めて国内移動してきただけなのに、戦後の制度で外国人扱いになってしまった。その意味では、カリフォルニアの例と似ているかもしれないですね。
(深田)
では「強制連行で連れてこられたんだ」と主張する人についてはどうでしょうか?
(浅川)
私もその点に詳しいわけではありませんが、いわゆる強制連行や徴用があったのは、敗戦直前のごく短い期間だったそうです。仮にそれが強制連行に当たるとしても、先ほどお話しした通り、日本に定着していった多くの人は1930年代など、もっと前に渡って来た人たちです。戦後の段階でも2世が相当多かったことを考えれば、強制連行で来た人はいたとしても、極めて少数だったのではないか、と考えられます。
(深田)
なるほど。つまり、巷でいろいろと語られている在日問題には、誤解が多いということですね?
(浅川)
かなり多いですね。今回インタビューにあたって私も改めて勉強し直しましたが、複雑すぎて、理解が本当に難しいです。1945年の敗戦から1952年のサンフランシスコ講和条約の発効までの間の扱いの変遷、日韓法的地位協定、在留資格がないのに引き続き在留できるという理解しにくいロジックなど、とにかく複雑です。
(深田)
はい、よく分かりました。今回は、外国人問題に詳しい行政書士浅川晃広先生に「在日特権とは何なのか」について解説いただきました。先生、どうもありがとうございました。
(浅川)
ありがとうございました。





