#504 行政書士が語る在日外国人問題の原点『在日韓国人、在日朝鮮人』は、なぜ戦後一転したのか? 浅川晃広氏
(深田)
皆さん、こんにちは。政経プラットフォーム・プロデューサーの深田萌絵です。今回は、外国人問題に詳しい行政書士の浅川晃広先生にお越しいただきました。浅川先生、よろしくお願いいたします。
(浅川)
よろしくお願いいたします。
(深田)
先日、外国人問題についてご解説いただきましたが、従前より長く議論されてきたのが『在日コリアン』の問題です。本日は、なぜ『在日コリアン』と呼ばれているのか、『在日韓国人』と『在日朝鮮人』の違いは何か、『在日北朝鮮人』はいないのかないのか、などについてご説明いただければと思います。よろしくお願いいたします。
(浅川)
まず前提となるのは、1945年の日本の敗戦で、同年9月2日に降伏文書に調印しましたが、ここが歴史上の大きな区切りとなります。その前段として、1910年に日韓併合が行われ、朝鮮半島の住民は大日本帝国の臣民、すなわち日本国民となりました。
当時、日本は『内地』と『外地』に区分しており、現在の日本が内地、朝鮮半島、台湾、樺太などが外地とされていました。同じ日本国民であっても、内地人と外地人とに分かれていたわけです。したがって、外地人たる朝鮮半島出身者が現在の日本へ移住することは『内地』への移動であり、大きく言えば国内移動です。
戦前の統計では『内地人』『外地人』『外国人』という三つの分類が用いられていました。外国人とは、植民地以外の外国、例えばアメリカ人やドイツ人などを指していました。以上を踏まえると、現在、在日コリアンと呼ばれている人々のルーツは、外地から内地に移住してきた外地人であったということになります。
(深田)
そうなのですね。『在日韓国人』と『在日朝鮮人』という言葉はよく聞きますが『在日北朝鮮人』という表現はあまり耳にしません。この点はどのようになっているのでしょうか?
(浅川)
この点は、もう少し戦後の経緯を整理する必要があります。終戦時、約200万人の朝鮮半島出身の外地人が内地にいたとされています。日本は敗戦により、最終的に1952年に発効したサンフランシスコ講和条約によって、植民地をすべて放棄しました。それに伴い、朝鮮半島出身者も大日本帝国臣民ではなくなるという前提のもとで戦後処理が進みました。
1945年から講和条約発効の1952年までの7年の期間が重要です。敗戦によって、朝鮮半島出身者は大日本帝国臣民でなくなり、当時、彼らは『三国人』と呼ばれていました。これについては、戦勝国である連合国民は上の立場にあり、敗戦国である日本人は下位に置かれました。朝鮮半島出身者は敗戦によって日本国民ではなくなりましたが、連合国側の国民でもありませんでした。すなわち、戦勝国民でもないが、敗戦国民よりは上位にあるという立場で、三国人でした。
(深田)
なるほど。現在でも、インターネット上で優越感を示すような論調が見られる背景には、こうした戦勝国ではないが敗戦国側ではないということですね。
(浅川)
そうです。ある意味では、植民地出身者として下に見られていたものが、日本の敗戦によって逆転したわけです。日本が序列では下となり、彼らは戦勝国民ではないが、敗戦国民ではないので上に行ったのです。
そこで『朝鮮人連盟』という組織が結成され、同組織は当時、かなりの暴力活動をしました。古い映画などにも、朝鮮人連盟と当時の暴力団が抗争する場面が描かれています。しかし、日本の警察は彼らを取り締まることができませんでした。敗戦国民が上の地位の人を取り締まれなかったのです。
(深田)
あっ、そのような時代があったのですか。
(浅川)
それが1945年から1952年にかけての状況です。
(深田)
1945年から1952年の間に、日本人の地位が曖昧だったことから、そのような状況を生み出したというわけなのですね。
(浅川)
当時の在日朝鮮人の立場は曖昧で、いわゆる第三国人で、少なくとも敗戦国民よりも上だった。ところが、当時の治安当局も「これだけ暴力活動を放置するのはまずい」と考えて、取り締まることにしました。そこで、1947年に『外国人登録令』が制定され「あなた方は日本国民ではないのだから、外国人として登録し、把握し、管理する」という方針が取られることになりました。
ここで問題となったのが国籍の扱いです。当局は、朝鮮半島出身者は朝鮮人であると定義しましたが、1947年当時、韓国と北朝鮮はまだ国家として成立していませんでした。両国がそれぞれ独立国家として成立するのは1948年のことです。外国人登録令によって在日朝鮮人を外国人として管理する制度が始まった時点では、韓国も北朝鮮もなかったので、朝鮮半島出身者は『朝鮮人』として登録されたのです。
(深田)
つまり、南も北もまだ国家として成立していないので、朝鮮半島出身者はまるごと朝鮮人と分類されたということなのですね。
(浅川)
その通りです。ここが、在日朝鮮人が外国人としての出発点となりました。まさにまるごと朝鮮からスタートしたのですね。その後、1948年に韓国と北朝鮮が成立します。韓国は一人でも多く在日朝鮮人を自国の影響下に置きたいと考え、日本政府に対して、韓国を国家として承認するように強く働きかけました。その結果、韓国政府による国民登録を行えば、韓国籍と表示されるようになった。つまり、それまで全員が『朝鮮』と登録されていたところから、韓国側の国民登録を経ることで、外国時登録上の表示を『韓国』にできるようになったわけです。
(深田)
在日韓国人という概念は日韓の国交が結ばれたが後からできたということなのですね。
(浅川)
そうです。1947年には全員が『朝鮮』として登録され、その後に韓国が成立し、韓国に国民登録を行った者には、日本の外国人登録における国籍表示も『韓国』とされるようになったという流れです。
(深田)
では、そのとき北朝鮮側に属する人たちはどうなったのでしょうか?彼らは『在日朝鮮人』という枠のまま残ったのですか?
(浅川)
先ほど申し上げたように、当初は全員が朝鮮でした。その時に、韓国表示に変更しなかった人々、あるいは変更する必要がなかった人々は、そのまま朝鮮として残ったということになります。もともと全員が朝鮮であった状態から、徐々に韓国と表示される人が増えていったという経緯です。
したがって、、当時の外国人登録における朝鮮、韓国の区分が、政治的に韓国支持か北朝鮮支持かを示していたわけではありません。韓国への表示変更は、例えば「韓国へ渡航したい」「韓国の旅券が必要である」といった、現実的な目的に基づくものが多かったと考えられます。それ以外は、特に変更する必要はありませんでした。
さらに付け加えると、韓国側が国民登録を促した際、手続きの窓口となったのは在日韓国人団体である『民団』でしたが、そこで入会金や年会費など、お金を結構取られたのです。
(深田)
ああ、なるほど。
(浅川)
ある意味ビジネスになっていたのです。積極的に韓国に国民登録を行い、韓国のパスポートを取得したいという明確な目的がなければ、わざわざ韓国に変更する必要はありませんでした。
(深田)
そうすると、在日朝鮮人たちが必ずしも北朝鮮を支持しているという意味ではなく「在日韓国人になるために余計な費用がかかるのであれば、無理に変えなくてもよい」という理由で朝鮮のまま残っていた人も多かったということなのですね。
(浅川)
その通りです。実利的なメリットがなければ、登録上の表示を韓国に変える必要はありませんでした。したがって朝鮮表示が必ずしも北朝鮮支持ではなかったということです。
現在の移民問題に関わるデータですが、敗戦時には約200万人の朝鮮半島出身者が日本にいましたが、帰国などにより最終的には約60万人にまで減少しました。つまり、日本に来て間もない人々は多くが帰国し、日本に定着したのは比較的少数であったということです。
(深田)
少なかったのですね。
(浅川)
はい。その60万人というのは、1930年代から日本に渡り、すでに生活基盤が日本にあったため、帰国せず残った人々です。これは1959年の在留外国人統計ですが、韓国・朝鮮を合わせて在日朝鮮人は約60万人で、そのうち、1945年以前から日本に入国していた、いわゆる1世は約14万人に過ぎませんでした。
(深田)
え、14万人ですか?
(浅川)
はい。敗戦から14年後の時点で、日本に残っていた在日朝鮮人のうち、戦前から日本に来て、生活基盤を築いていた人いた1世は約14万人程度で、日本で生まれた2世が多数を占めていたということになります。
(深田)
残りの46万人は、日本で生まれた人たち、ということなのですか?
(浅川)
そうです。日本で生まれた人たちです。
(深田)
日本で生まれた2世ということですね。
(浅川)
これが1959年の、現時点で確認できる最も古い統計データの一つだと思われます。移民問題で移民を『朝鮮半島から日本へ実際に移住してきた人々』と定義するのであれば、戦後間もない段階であっても、すでに主流は2世であったということになります。2世ということは、本人自身は「移住」という経験を経ていないということです。
(深田)
国境の方が勝手に変わってしまったという話になるのですね。
(浅川)
その通りです。日本の敗戦によって日本の国土が縮小し、国境線が変化しました。朝鮮半島から日本への移動を事後的に移民と呼んでもいいのですが、その経験をした人は戦後間もない段階ではそれほど多くなかったというわけです。
外国人や移民の受け入れにおいて最も重要な要素のひとつは言語能力ですが、日本語能力という点では、1世であっても日本語を十分に使える人が多く、2世に至っては母語として日本語を話していました。むしろ、朝鮮学校などで意図的に朝鮮語を学習させる、いわば逆の方向性の教育が行われていたほどです。
したがって、現在の外国人問題でしばしば指摘される、日本語ができないことによる社会的摩擦はなかったと言えます。言語、つまり日本語能力が不足することによって生じる問題は、当時はほとんど存在しませんでした。社会的・経済的な地位が低かったという現実はあったものの、日本語が話せないために生活が成立しないという状況ではなかったのです。
(深田)
『在日北朝鮮人』という呼び方はないのですか?
(浅川)
そもそも日本政府は北朝鮮を国家として承認していません。
(深田)
そうですよね。
(浅川)
現在、在日コリアンと呼ばれている人は、戦前に日本に渡ってきた人とその子孫のことを指します。北朝鮮は戦後に成立した国家ですから、本来的には戦前に北朝鮮から移住してきた人がいるはずはありません。工作員が密入国していた可能性は否定できませんが、正規に北朝鮮から移住者が入ってくるということはあり得ません。したがって、北朝鮮成立後に北朝鮮から正式に日本へ移住した人々は、工作員などの特殊な例を除けば存在しないと考えるのが合理的です。
(深田)
概念上は在日北朝鮮人という言い方も成り立つが、日本が北朝鮮と国交を結んでいない以上、公式にはそのような分類は存在しないので、そういう呼称は一般的に用いられないということなのですね。
(浅川)
もう一つ重要なのは、戦前に日本に来た人々の子孫の中には、心情的に北朝鮮を支持した人たちが一定数存在したという事実です。ただし、これは『北朝鮮成立後に北朝鮮国民として日本へ移住した』という意味ではありません。戦前に日本へ移住していた人々の子孫の中で、戦後、韓国側か北朝鮮側を支持するのかという選択で、北朝鮮側を選び、総連に属した人たちがいたということです。これは歴史的な事実です。
(深田)
ありがとうございます。今回は外国人問題について、行政書士の浅川晃広先生に在日朝鮮人、在日韓国人、在日北朝鮮人、在日コリアンの違いについてお話をうかがいました。まだ続けてお伺いしたいことがありますので、またよろしくお願いいたします。
(浅川)
ありがとうございました。





