#499 【全額没収!】日本政府がやらかした借金踏み倒し「100%課税」の衝撃とは? 三木義一氏
(深田)
皆さん、こんにちは。政経プラットフォーム、プロデューサーの深田萌絵です。今回は、税法専門の弁護士の三木義一先生にお越しいただきました。先生、よろしくお願いいたします。
(三木)
よろしくお願いします。
(深田)
先日、先生のAIアニメーション動画を拝見しました。あの動画で『日本政府ダメダメ税制』や『借金を踏み倒す税制』そして『戦時補償特別税』という言葉が出てきました。あれは一体どういう意味なのですか?
(三木)
そこに関心を持ってくれたのですね。
(深田)
とても関心があります。
(三木)
要するに、借金の踏み倒しです。戦争中、政府は多くのことを民間企業に依頼して行っていました。その代金、つまりツケが戦後に残っていたわけです
(深田)
でも、基本的には年度が終わるたびに支払うものではないのですか?
(三木)
支払ったものもありますが、ツケのまま残していたものもあったと思われます。当時は国債を多く発行しており、戦費の調達でとにかく資金が必要でした。戦争は金食い虫ですからね。そこで『特別行為税』といって「贅沢な行動をしたら税金を取るぞ」という税金を作ったのです。
(深田)
特別行為税とはどのようなものですか?
(三木)
例えば、カメラで写真を撮るとか。
(深田)
えっ、写真を撮るだけで税金がかかるのですか?
(三木)
特別行為として三つぐらいあります。
(深田)
お姉さんのいるお店に行くのですか?
(三木)
いえ、特別行為税にはもっと幅広い対象がありました。
(深田)
今、調べてみました。写真の撮影、印刷・製本、ヘアカット、演劇鑑賞、飲食、宿泊などですね。
(三木)
象徴的なのはヘアカット、それからカメラです。写真を撮った、髪を切ること自体が贅沢な行為と見なされたのです。
(深田)
髪を切るだけで贅沢とされるのですか?
(三木)
そうなのです。代表的には三つか四つほどで、演劇を観に行くことも贅沢と見なされたのです。そういう行為に税金をかけなければならないほど大変だったのです。それほどまでに政府はお金を集めないといけなかったのです。
また、租税概念を変えようとする動きもありました。税金は「法律に基づいて臣民が負担するもの」と定義されていましたが、それを「臣民が自発的に納めたくなるもの」と概念を変えようとしたのです。しかし、戦争に敗れたことでその研究会の存在を伏せて、慌てて解散したのです。
このように政府は非常に苦しい状況にありました。戦争は終わったが、借金がたくさん残りました。
(深田)
軍票は紙くずになりましたよね。
(三木)
紙くずになりました。いずれにしても借金として払わなければならない金額が相当あったようです。国債の利払いだけでも約73億円に上り、政府にはさまざまな補償金を支払う義務がありました。しかし、とても全額を返済できる状況ではありません。
では、どうするか。単純に「徳政令」を出して借金を帳消しにする方法もありますが、それでは問題が生じます。たとえば、「あなたに支払う」と約束しておきながら、「戦争に負けてお金がないから勘弁してくれ」と言えば、当然訴訟になります。国家賠償請求も起こされるでしょう。
裁判所としても、国を助けたい気持ちはあっても、法律上の問題が生じるため非常に扱いにくい。そこで政府は、単に「返さない」という形を取ることが難しくなりました。返済を放棄すれば、後々さまざまなトラブルを引き起こすおそれがあるからです。
そこで考え出されたのが『戦時補償特別税』です。政府は「あなたに返すべき金額を戦時特別補償として支払う」としたうえで、その同額を課税対象として税金を課しました。
(深田)
えっ、お金は返してもらえるのに、その受け取ったお金がすべて課税対象になるということですか?
(三木)
そうです。たとえば政府が100万円を支給したとすると、その金額がそのまま100%課税され、結局100万円を納税しなければならないのです。これは税制の問題であり、どのような税制にするかは政府、すなわち国家の権限です。税制である以上、国民はこれに文句を言うことはできません。
(深田)
税金として徴収された場合、国家に損害賠償請求はできませんよね。「税金を取ってはいけない」と訴訟を起こすことはできませんよね。
(三木)
そうです。国会がそれを可決したのです。つまり、国民が選挙で選んだ代表者たちの了解のもと『戦時補償特別税』は正式に制定されたのです。
(深田)
そうなのですね。戦後の日本人は「なぜそんな法律を作る人に投票したのか?」という気持ちになりますね。
(三木)
確かにそうですね。この戦時補償特別税の導入によって、政府はおよそ917億円もの借金を帳消しにしたのです。
(深田)
当時のGDPはどれくらいだったのでしょうか。調べてみたところ、1940年の名目GDPは449億円。1946年時点で917億円の借金を棒引きにしたということは、規模としても驚異的です。
(三木)
そうです。そうした荒技を使わなければ、戦後の財政は立ち直せなかったのです。「返すが、税金で全額取り戻す」というすごいアイデアです。こうすることで、後々のトラブルも回避できたわけです。
(深田)
まるでペテンのようですね。我が国の政府はペテン師です。
(三木)
しかし、ある意味で見事でもあります。非常に頭の切れる発想です。
(深田)
だから、東大官僚は嫌いなんですよ。
(三木)
こうした仕組みを税制として設けることができたわけですから。国債も同様で、棒引きにせずに「返済はするが、その分を課税する」ことも理論上は可能です。もっとも、外国人が国債を保有している場合は簡単にはいきませんが、国内であれば「返済するが全額課税」ということもできなくはない。ただし、一度やったら、おしまいです。
(深田)
そうですよね。「もう二度とこの国の仕事は受けない」となる。まるで大阪万博の未払い問題のようですね。
(三木)
そうかもしれませんね。ただ、人間は割と忘れるので、20年もたつと大体同じことしています。たとえば、どぶろく(密造酒)事件などをいろいろ見ていると、20年ごとに、どぶろくを作っています。密造酒を造って国税庁の調査を受けるという事例があります。人間社会はだいたい20年で忘れてしまうと私は感じています。
(深田)
体験から得た学びを忘れるのですね。
(三木)
またこういうことになるかもしれない。今の若い世代は、そうした過去をほとんど知らないでしょう。参政党に投票している人は特に知らないのではないでしょうか。何があるかわからないですよ。
(深田)
そうですよね。この国を本当に信用していいのかというと、私は信用できないと思っています。国債を購入しても利子はほとんどつかないし、場合によっては「国債償還特別税」のような形で税金を取られることもありますよね。
(三木)
そうならない社会にしていきましょう。心配したらきりがない。
(深田)
まずは政治の仕組みそのものですね。選挙制度を改善し、まともな人が当選できるようにしていかなければなりません。
(三木)
そうですね。皆さん、いい国にしていきましょう。
(深田)
はい。本日は、税法専門の弁護士三木義一先生にご登壇いただきました。先生、どうもありがとうございました。
(三木)
ありがとうございました。





