目覚めよ日本人! 自民党総裁選の候補者は、誰を選んでも〇〇の手先!? 大西つねき氏

【目次】
00:00 1.オープニング
01:18 2.次の自民党総裁選は日本人のバツゲーム?
05:38 3.どの総裁が一番悲惨か?
08:08 4.日本には既に権力乱用が蔓延っている
10:44 5.自分の意見を持って中身のある議論をすること
13:50 6.親が毒親の場合は反面教師にすると為になる
16:49 7.まずは依存心から脱却し自立心を持とう
(深田)
皆さま、こんにちは。政経プラットフォーム・プロデューサーの深田萌絵です。
今回は、無所属連合共同代表の大西つねきさんにお越しいただきました。大西さん、本日はどうぞよろしくお願いいたします。
そんなに「先生と呼ばないでくれ」と言いたげな顔をしないでくださいね。
(大西)
いきなりそういうふうに言うのは、やめてほしいですね。
(深田)
仕方がないではありませんか。
(大西)
いや、全然仕方なくないですよ。「つねき」でいいですから。
(深田)
さて、今日のテーマですが、「総裁選の行方」についてです。この国は一体どうなってしまうのでしょうか。自民党の総裁は次に誰がなるのか。そして、その人物が本当に日本の首相となるのでしょうか。こうした点について、お話を伺えればと思います。
(大西)
まさか今日その話題が出てくるとは、まったく思っていませんでした。本当に。
(深田)
いえいえ、こうして総裁選直前なのですから、当然聞くでしょう。
(大西)
いやもう、私はまったく気にしていないというか…。
(深田)
総裁選まで、あと1週間ですよ。
(大西)
その通りですけれどもね。確かにやってはいますが、これまでだってずっと総裁選は行われてきました。自民党の総裁が変わって、それに伴って首相も変わるという流れも繰り返されてきましたが、それで何かが変わったでしょうか。
(深田)
変わっていませんね。
(大西)
結局のところ、それには意味がないということなのだと思います。
(深田)
それでも、今の政界やその周辺では、「高市氏が良い」とか「小泉氏が良い」とか、「エボラかセクシーか」といったような議論がなされているのが現実です。
(大西)
もう、その話題には何も言いたくないくらいですね。そこに一切、意識すら向けたくないというのが正直な気持ちです。
(深田)
それでも、あえて一言お願いできませんか。「今、誰を応援すべきか」「誰が総裁になればこの国は救われるのか」といった議論を、まだ真剣にしている方々もいらっしゃるのです。そうした方々に、どうかとどめの一言をお願いします。
(大西)
今回について言えば、小泉進次郎さんは依然として相当数の票を集めています。地元でも圧倒的な支持を得ており、「進次郎ファンです」という人が少なからず存在します。若さもあり、ややポエティックな言動ではあるものの、「これまでの政治家とは違うのではないか」といったほのかな期待が、国民の中に残っているように思うのです。
(深田)
ああ、確かにそうですね。
(大西)
私はむしろ、そうした期待があるならば、いっそ総裁に就任して粉々に打ち砕かれてしまえばよいと考えています。最後に残っているかもしれない希望が完全に消え去り、「結局は根本から変えなければならない」と国民全体が認識する。そのような総裁選になってほしいと、少し期待しています。
(深田)
私はそれを石破さんに託して、この国が変わるのではないかと思っていました。
(大西)
確かに、ある意味で石破さんは異質な存在でしたね。
(深田)
そうなのです。私は最後に石破さんが「首相を辞めるのなら先に解散総選挙を打つ」といった形で、自爆的な一手を放つのではないかと期待していました。しかし実際にはそれもなく、「やはり辞めます」とだけ言って総裁選に入ってしまった。結果的に肩透かしでした。
(大西)
つまり、石破さんですら何も変えることができなかったということです。その後に控えている人たちは、結局“入れ替え要員”であり、体制に従順な人々が揃っているのだと思われます。
(深田)
石破さんというのは、自民党の中でも最も異質な存在でした。いつも独特の表情をしていて、あのような人物はなかなかいません。党内では「左派」と見られていた面もありましたが、首相としての舵取りが従来の首相と大きく異なっていたかといえば、必ずしもそうではありませんでした。極端に右に振るわけでも左に振るわけでもなく、中庸を保つような運営をしていたのです。つまり、あれほど異質と思われた石破さんですら、舞台裏の意向に従わざるを得なかったとすれば、高市さんを選んだとしても、小泉さんを選んだとしても、果たして何かが大きく変わるのかというと、期待は持てません。
(大西)
だからこそ、石破さんの後にはより大きな流れが存在するのです。特に日本の場合は、アメリカの影響下にあることがますます明確になってきています。その中で、小泉さんのように「神輿が軽い」存在であれば、なおさら都合よく操られてしまうでしょう。その結果、この国がどうなるのかを私たち自身が体験し、「本当に日本は独立しなければならない」という認識を持つようになる。それもまた一つの流れなのではないかと感じています。
(深田)
要するに、今回の総裁選は私たちに課された罰ゲームのようなものなのですね。
(大西)
そうです。結局、最後には痛感せざるを得ない方向へと、どんどん進んでいるのだと思います。
(深田)
これまでも十分に痛感してきました。しかし、もはや「誰が総裁になれば良いのか」という生ぬるいレベルの問題ではありませんよね。
(大西)
全くその通りです。むしろ「誰が総裁になったら、人々が本当に気づくほどの悲惨な事態が起きるのか」という視点で私は見ています。徹底的に目覚めざるを得ないような出来事が起きなければならない。これまで経験したことは、まだ全然足りないのです。もっと大きな出来事が起きなければ、人々は目を覚まさないでしょう。
(深田)
これまでで十分にお腹いっぱいなのですが、それでもまだ進まなければならないのですね。
(大西)
おそらくそうです。現実に、この数年で死者が大幅に増えているではありませんか。
(深田)
40〜50万人単位で増えているのです。
(大西)
その通りです。
(大西)
それに対して、私たちは「なぜそうなったのか」という検証を、過去に自分たちがやってきたことも含めて、ほとんど行っていません。あまり強く言うのもためらわれますが、この国ではそのような振り返りがまったくなされていないのです。
(深田)
だからこそ、右も左も嘘をついていたということに、誰も気づいていないのですよね。
(大西)
そうですし、私たち自身が本質に目を向けてこなかったという側面もあります。おそらく国民は、その現実を直視したくない、目を背けたいという思いがあったのでしょう。その結果、右や左など様々な立場の言説をうまく利用され、信じたくて信じ続けてきたのだと思います。
(深田)
本当にそうです。よく「深田さん、一体誰を信じたらいいのですか」という質問を受けますが、そのような声が非常に多いのです。
(大西)
そこが重要な点です。まず、「誰も信じるな。自分以外、何も信じるな」ということです。
私自身、政治の世界にいた経験があるので、どうしてもその視点に行き着いてしまいます。皆が財政や金融の問題など、いろいろな議論をしていますが、結局は「どうしたらいいのか」という答えを求めているのです。「こうすれば良い」という提案は、ある程度示すことができます。たしかに、現在の金融システムは限界を迎えており、古いものです。しかし、そもそもこの金融体制は世界的に100年単位で続いてきた仕組みですから、すぐには変わりません。
だからこそ、「変わらない中でどうするか」を一人ひとりが主体的に考えなければならないのです。「誰に投票すればいいのか」「誰を信じればいいのか」「誰を選べばいいのか」「誰が首相になれば助けてもらえるのか」という発想のままでは、何も変わらないだろうと感じています。
(深田)
本当にその通りです。私も選挙活動を経験する中で、さまざまなトラブルに直面しました。
例えば、選挙用のチラシを印刷会社に頼んだのに選挙当日に間に合わなかったり、街宣車をオーダーしても選挙開始日に届かなかったりといったことです。そうした経験を重ねるうちに、印刷業者や街宣車業者が特定の政治家に便宜を図り、一般の候補者にはサービスを提供しないことがあるのではないかと感じるようになりました。
つまり、私たちは「民主主義だから選挙で選べば良い」と思っているものの、実際にはこの国を操る“闇”によって用意された手駒の中からしか選択肢が与えられていないのではないか、そう考えざるを得ないのです。
(大西)
そもそも民主主義というのは、人間が「よく知っている中から選ぶ」という性質に基づいています。商品選びも同じで、人は知っている商品から選ぶものです。そう考えると、露出度の高い候補者が圧倒的に有利となり、その露出を作り出しているのは基本的にマスメディアです。したがって、そこでの取捨選択は表向き“ニュートラル”に見えても、実際には何らかの思惑が働いていると考えざるを得ません。誰かが意図的に操作する場合もありますし、意図せず構造的にそうなっている場合もあるのです。
私は以前から指摘していますが、いわゆる「ディープステート」と呼ばれる存在があります。ディープステートとは、選挙で正当に選ばれたわけではない人々が権力を持ってしまう構造を指します。その背景には「お金の力」が大きく作用しています。商売の世界では、相手に忖度したり、自分に有利な方向で事を進めたりするのは自然なことです。政治は本来、非常に面倒な営みであり、そこに思想が入り込めば意見が分かれて衝突も生じます。その結果、「皆で仲良く商売をしたい」と考える立場からすると、面倒なものは排除しようとする傾向が強まります。議論を呼ぶような事柄は避けたいと考えるのです。
これは意図的に行われる場合もありますが、多くは「面倒を避けよう」とする人々の行動が積み重なった結果です。そこで働いている人たちも、自分の意思や善意、良心よりも、上司の指示や顧客との関係、商売やお金の事情を優先してしまう。そうした“余計な忖度”の積み重ねによって、今の社会が形作られています。
ですから私は最近こう考えています。構造的におかしなことが数多く存在する一方で、一人ひとりがもう少し自由意志を持ち、「これはおかしい」と思ったことに声を上げ、時には反発する姿勢を見せることが大事だと。言われたことをただ受け入れるのではなく、疑問を持ったら立ち止まる。その小さな行動の変化が積み重ならなければ、社会は根本的には変わらないだろうと感じています。
(深田)
まさにその通りです。
(大西)
どうしても意識の話になってしまうのです。結局、社会というのは無数の個人によって成り立っているので、それぞれが自分の意識を変容させていかなければならないと強く思っています。
(深田)
では、つねきさんが各地で開催されているお話し会に参加されている方々は、意識が高まっているのでしょうか。
(大西)
私は必ず座談会を組み込み、参加者からの質問を受けながら、それに答えるという形で進めています。すると、多くの人が「日本」や「右」「左」といった概念的な言葉を使って議論していることに気づきます。しかし「日本」といっても一億数千万人の集合であり、他の国も同様で、一つ一つの個別の人や事象によって構成されているのです。それにもかかわらず、具体的な実態を見ないまま、空疎な概念だけでやり取りしてしまうことが多い。そこで私は、対話を通じてその“言葉を砕く”作業をしています。そうすることで、参加者の意識は現実に対する解像度をより高めることができるのです。
(深田)
本当にその通りです。「憲法改正に賛成ですか反対ですか」と問われても、「では改正案の中身をどうするのか」という具体的な議論にまで入らないのが現状です。
(大西)
多くの場合、議論は手前の段階で分断されてしまいます。右か左かといった単純な対立や、「誰を選んだらいいか」という概念的な枠組みにとどまってしまうのです。しかし本来は、選ばれた人物がどのような行動を取り、具体的に何を実行し、その結果として何がどう変わるのか、そうした細部まで精査しなければなりません。そうすると、「誰を選んだから大丈夫」という単純な話ではないことが明確になります。したがって、「それぞれが何をしていて、何をしようとしているのか」という個別の事象をきちんと見極め、考えられるようにならなければ、社会は変わらないと思います。私は今、まずそのマインドセットを改めることから始めなければ、政治の改革も不可能だと考えています。
(深田)
つまり、お話会では座談会を設け、マインドセットの部分まで踏み込んでいるのですね。
(大西)
はい。私はオンラインで個人セッションまで行っています。
(深田)
個人セッションまで受けられているのですか。
(大西)
いえ、私が「提供している」側です。政治や経済に限らず、一人ひとりの生活レベルにまで踏み込み、人間関係や親との関係性が実は大きな影響を与えている場合が多いのです。
(深田)
具体的には、どのような関係性でしょうか。
(大西)
いや、もう本当にこの国は毒親ばかりだと思います。自分の考えを押し付けることを当たり前のようにしてきて、子どもが自由意志を持てるような育て方をされていない。それがこの社会を形作っているのです。だからこそ、それを再生産しないようにすることが重要です。実際、子育てや人間関係に悩んでいる人は非常に多い。そこで「子としてどう自立していくか」というテーマでセッションを行うこともよくあります。
(深田)
私は自由すぎて、こんなふうになってしまいましたけど。
(大西)
全然問題ありません。自由すぎるということは、決して悪いことではありませんから。
(深田)
ほとんど親に怒られたことがなく、好き放題に生きてきました。ただ、東京地検に捕まりそうになった時だけは母から電話があり、「あんた捕まった後、家賃どうするの?」と聞かれました。それくらいですね。
(大西)
なるほど。
(深田)
でも毒親って、ある意味では良いのではないでしょうか。毒のない親より、毒のある親の方が、どこか味わい深い気がするのです。
(大西)
それは毒の種類によるのではないでしょうか。
(深田)
ええ、確かにそう思います。
(大西)
ある意味、そういう親がいるからこそ、それを自分が体験することで「自分はどうするか」を決められる。そこで切り離すことができれば、どんな親であっても反面教師にも教師にもなります。私自身はそう思います。
(深田)
私は、自分が父の娘でなかったら、一生懸命働こうとか、一生懸命世の中に反抗しようとは思わなかったと思います。
(大西)
だからこそ、大切なのは自分の外側で起きた出来事を実証として受け止めつつ、あまり囚われずに「では自分はどうするのか」と切り離して考えることです。そうできれば、あらゆる出来事が自分の糧となり、良いも悪いも存在しなくなります。
(深田)
確かにそうですね。PTSDという言葉がありますが、その逆に「PTG」、最後のGは“グロース”、つまり「成長する」という意味の言葉もあります。私はむしろ踏みにじられた経験があった方が成長できると感じます。
(大西)
まさにその通りです。自分自身で考えられるようになれば、外側で起きることは「仕方がない」と受け止め、自分はどうするかを主体的に考えられるようになります。そうして切り離せるようになると前に進めるのです。しかし、この切り離しができずに苦しんでいる人が多いのも現実です。
(深田)
そうですよね。
(大西)
「あれはあれ、自分は自分」と分けられないと、いつまでも影響を受け続けてしまいます。そういう人が非常に多いため、私は「もうどうでもいいじゃないか」と割り切れるようにお手伝いをするセッションも行っています。
(深田)
そのような意識の変化から、政治も良くなっていくということなのですね。
(大西)
みんなが個人として自立することによって、外側の誰かやシステムにあまり影響されず、「自分がどうするか」を決められるようになります。そうすれば余計な感情移入もなくなり、自分に集中できるようになる。そして、誰かのせいにすることもなくなります。
(深田)
やはり私は「良い親に育てられた方が、かえってダメになるのではないか」と思う部分があります。「政治家の誰を信じたら良いのか」と悩むのは、親を信じて守られて幸せに生きてきた人が、「では政治家は誰を信じれば良いのだろう」と考えてしまう発想につながるのかもしれません。
(大西)
それは結局、「良い親」「悪い親」という白黒の話ではありません。要は、自分の行動をどの程度、外側の親や上司、あるいは社会のルールによって決めているかどうか、そこに尽きるのです。日本は、自立がまだまだ心もとない国だと感じます。多くの人が「自分で決める」ということができていないし、そもそもそうさせない仕組みにもなっているのです。
(深田)
自分で決めない人、本当に多いですよね。
(大西)
まさにその通りなのです。
(深田)
自分で決めればいいのに、と思います。
(大西)
確かにそうなのですが、「そうしてはいけない」というプレッシャーが非常に強いのです。
(深田)
ああ、なるほど。
(大西)
萌絵さんのように、そうした影響を受けずに自由でいられる人は、むしろ不思議に思うでしょう。しかし現代の日本人の大多数は、そのプレッシャーに強く縛られ続けています。外側の常識やルール、政治や親の価値観などに依存してしまっているのです。その結果、「では政治家は誰を選べば良いのか」「総裁が誰になれば良いのか」という発想に陥ってしまう。結局、「自分は自分」「あの人たちはあの人たち」と切り分けられないからです。
(深田)
総裁が誰になろうと、首相が誰になろうと、「自分の国は自分で作る」という確固たる意思が大切なのですね。
(大西)
そうです。そのためには「自分の行動は自分で決める」という確固たる意識を持つことが大切です。その意識があって初めて、そうした人々による自立した国が実現できるのです。
(深田)
本当に良いお話ですね。
(大西)
結局、すべてはそこからなのです。
(深田)
今日、総裁選の話を伺えて良かったです。
(大西)
総裁選の話そのものは、正直何分も語れるものではありません。
(深田)
重要なのは「誰が総裁になるか」「誰が首相になるか」で国が良くなるのではない、という点ですね。国民一人ひとりの意識が高まることで、「誰が首相や総裁になろうが関係ない。自分が決めるのだ」と各自が確信を持てば、この国は必ず良くなります。
(大西)
その通りです。そこに尽きます。ありがとうございます。
(深田)
ということで今回は、無所属連合共同代表の大西つねき先生に「総裁選、次は誰になるのか」というテーマでお話を伺いました。先生、本日はどうもありがとうございました。