#391 不正選挙問題 カルトの手口を暴露!池田大作の秘蔵っ子が降臨! 長井秀和氏
(深田)
皆さん、こんにちは。政経プラットフォーム、プロデューサーの深田萌絵です。今回は、西東京市議会議員の長井秀和さんにお越しいただきました。長井さん、よろしくお願いします。
(長井)
「間違いない!」
ありがとうございます。
(深田)
(笑)先日、街頭演説で長井さんの演説を拝聴しました。その際に、不正選挙の問題について触れられていたのが印象的でした。不正選挙といえば「ムサシが怪しい」と言っている方も多いのですが、私自身は期日前投票の本人確認の甘さが気になっていました。
何度か「本人確認がないのは不正の温床になるのでは」とお話したことがあるのですが、「そんなことあるの?」とか「身分証明書ぐらい必要でしょ」と言われたり、否定的な反応も受けました。
そのあたりについて、長井さんから詳しく教えていただけますか?
(長井)
はい。身分証の提示に関しては、各自治体の選挙管理委員会によって対応が異なります。自治体によっては確認をしっかりしているところもあれば、全くしないところもあります。また、スタッフが「この人は怪しい」と思えば求めるし、そうでなければスルーするという、非常に裁量的な運用になっています。
つまり、かなり緩い対応が現状なのです。
(深田)
え、それはかなりいい加減ですね。
(長井)
いい加減です。実際に議員が「なぜ身分証の提示を求めないのか」と地方議会で選挙管理委員会に質問しても、「煩雑になる」とか「業務をスムーズに進めるため」といった答弁が返ってきます。また、「身分証の提示自体が法的に義務付けられていない」という説明がなされる地方議会もあります。
(深田)
そうなのですね。
(長井)
別人が本人になりすまして、住所や生年月日を記入して投票に来ても、正直スルーされると思います。性別や年齢の範囲だけ合わせていれば、たとえば50歳の人であれば「45歳から55歳くらいの同性の人」が来れば、だいたい通ってしまうというのが実態です。
(深田)
そんな実態があるのですね。
(長井)
はい。かつて、創価学会の「替え玉投票事件」というものが全国的にありました。1968年(昭和43年)に新宿で起きた事件では、創価学会員約50名が替え玉投票を行い起訴されました。これは実際に有罪判決が出ています。
(深田)
50人ですか!それは期日前投票のときですか?
(長井)
期日前投票も含まれていたようです。当時、全国で選挙の投票用紙5万票が届かなかったという被害報告がありました。
(深田)
怖い!
(長井)
57年前の話です。実際にかなりの数の不正行為、つまり替え玉投票があったのではないかと疑われています。実際にその中で50人ほどが摘発をされて刑事罰を受けています。それが創価学会員だったという事例があります。
(深田)
全員ですか?
(長井)
はい。全員が創価学会員でした。
(深田)
全員が!
(長井)
ですから、組織的な犯行だったということです。この件に関しては、実際に処罰もされています。
創価学会として、組織的な関与は否定しています。ただ、現在の内部告発者の中には、組織的関与を否定しつつも、「個人的には36票やった」とか、「100票ぐらい投票した」と告白している方もいます。
(深田)
それは自分で言っているのですか?でも、投票する時は身分証明書が必要ないからできてしまうのですね。
(長井)
そうです。それに、投票用紙がなくても投票できますしね。記日前投票では住所と生年月日を記入するだけで投票が可能です。
(深田)
ということは、もし学校の名簿や卒業アルバムなどが流出した場合、他人になりすまして住所順に投票することもできるということですよね?
(長井)
できますね。当時は高齢者や認知能力の低い方の投票券を使ったという事例もありました。また、投票券自体を買って投票していたという事例もあります。
近年では、2010年の選挙で「粟田晋さん」という方が他人の投票用紙を買ったり譲り受けたりして、自分で投票したという事件もありました。
(深田)
それは犯罪ですよね?
(長井)
犯罪です。その方は聴取を受けておそらく書類送検されたものの、最終的に不起訴処分となりました。
(深田)
なぜ不起訴なのですか?
(長井)
その点についてはご本人に聞いていただくのが一番ですが、私の想像としては、国政政党、つまり公明党だったからだと思います。もし起訴されてしまえば、公明党という政党全体の名誉や信用に関わることになるためではないでしょうか?
(深田)
検察側に忖度が働いたということですか?
(長井)
そう思います。36票投票したとされているその方は、最終的に不起訴となりました。無罪というわけではありませんが、検察に起訴されなかったという意味で、結果として罪に問われなかったのです。
私は当時、武蔵村山市に住んでいたのですが、そこでも替え玉投票が行われていたという話を耳にしていました。私は直接その場を目撃したわけではありませんが噂はありました。1987、88年から1990年くらいまでの間で聞きました。
(深田)
「替え玉投票」についてですか?
(長井)
「替え玉投票」と言うことは憚られるらしくて、「豚骨(とんこつ)」とか隠語を使っていました。
(深田)
「豚骨」とは何ですか?
(長井)
ラーメンで「替え玉」をするでしょう?「豚骨やってきたよ」みたいに言うのです。学会の中では、ヤバい内容の話をするときには、そういった隠語を使う文化がありました。
(深田)
ということは「自分たちがやっている行為はヤバい事だ」と言う認識はあったということですね。
(長井)
はい。明らかに自覚はありました。私自身は活動員にはなりませんでしたが、当時の現場の様子はよく見ていました。選挙期間中に、悪質なヘイトスピーチのビラをばら撒くといったことも行っていました。現在では公職選挙法上も認められない行為だと思います。
当時は、創価学会の会合が終わったあと、40歳以下の男子部のメンバーだけが残って、深夜にそうしたビラを配布していました。内容は主に「金」と「女」です。共産党候補者については「テロ行為に加担していた」などと書かれていました。
そして、3日後くらいに座談会を開いて集まったときに、婦人部長が「共産党の候補ってテロリストらしいのよ。そしてお金に汚いのよ」と話し出すのです。それは男子部がばら撒いたチラシですが、さも普通に入っていたかのような感じで話すのです。
それに対して男子部長が「本当ですか!?そんなやつだったのですか!?」と驚いたふりをする。そうした“小芝居”を私は見ていました。
(深田)
(爆笑)
(長井)
この茶番を私たちは「集団的ヘイトスピーチ」と呼んでいました。
(深田)
なんだかものすごく残念な国ですね(笑)
(長井)
特に1980年代末から1990年代、更には2000年代になっても、こういった活動が続いたかもしれません。
創価学会の中でも、特に男性は実行部隊になりやすかったです。私も興味はあったのですが、当時まだ20歳前後でしたが、「お前はまだ早い」と言われて参加はできませんでした。その雰囲気にはどこか秘密活動をしているようなスリルがあって楽しそうな感覚がありました。
(深田)
若かったのですね。
(長井)
創価学会の選挙活動はその頃からガリガリとやっていました。高校までは勧誘活動や選挙活動にはあまり組み込まれないのですが、大学生になると組み込まれます。そこで、実動部隊の実情を見てきました。それが結構楽しかったです。
(深田)
どうやって足抜けされたのですか?いつ目覚めたのですか?
(長井)
私は、実は創価高校という学校に通っていました。池田大作氏のお膝元は八王子と小平と信濃町なのですが、いわゆる「池田チルドレン」を育成するための養成機関が創価小学校、創価中学校、創価高校とあります。私はその創価小学校の1期生です。
(深田)
スーパーエリートですね!
(長井)
スーパーエリートです。「池田培養液」の中ですくすくと育ちました。その頃、池田大作氏は学会内で疎外され、創価高校や創価小中学校のような施設にしか行けない時期でした。
当時、私は小学生でしたが、池田氏にとても可愛がられていました。
(深田)
直接ですか?会ったことがあるのですか!
(長井)
はい。私は70回お会いしています。
(深田)
70回ですか!すごいですね。
(長井)
ですから、歴史的な「昭和の怪物」とも「昭和の汚物」とも称される池田大作大先生に、彼が40代から80代くらいまでの間、何度もお会いしています。
(深田)
なんだか、長井さんがだんだんと偉大に見えてきました。
(長井)
全然偉大ではありません(笑)
高校時代には、池田氏の周囲にいた幹部の息子や娘たちと同じクラスになることが多く、そこで自然と池田先生に関する話を聞いていました。勿論、「これから創価を世界に広めていく」という話も聞きましたが、例えば「英雄色を好む」という話も聞いていました。ですから「池田大作大先生には実は愛人がたくさんいた」という話も私が高校生の頃からすでに耳にしていました。
なので「無謬性」のような宗教としての凄さのようなものには高校生の頃からすでに疑問を持っていたのです。「現人神」と呼ばれる人が実際には多くの女性に手を付けていたと知っていたので、やはり信仰心にひびが入るのは当然だと思います。
(深田)
それは煩悩にまみれていますよね。
(長井)
そうです。108どころか、450の勲章の数以上かも知れません。もちろん、私は池田大作氏を「政治と宗教のコングロマリットを作った企業家」としてはとても評価しています。
(深田)
確かに、政治と宗教とビジネスを複合体にして成功させましたよね。
(長井)
そういった面では第一人者です。
(深田)
そうですよね。それは「統一教会モデル」を参考にしたのでしょうか?
(長井)
詳しく説明すると、池田大作氏の前に戸田城聖(とだじょうせい)という先代がいました。その人物が新興宗教ブームに乗って創価学会を立ち上げたのですが、その際に「不特定多数ではなく特定の信者に何度も買わせる」というビジネスモデル、いわゆる「AKB商法」のようなモデルを作ったのです。
このモデルの元となったのは「立正佼成会」の書籍です。当時の戸田氏はそれらを読んで、「中身がつまらないのによく売れている」と感心し、その仕組みに注目しました。そして「信者を作って何度も買わせることがビジネス的に最も効率がいい」と気付き、学会にもその手法を取り入れていったのです。
(深田)
なるほど…。
さまざまなお話をお聞かせいただき、本当にありがとうございます。続きが楽しみです。次回は「国税局」の問題について教えて頂きたいと思います。
今回は西東京市議会議員であり、宗教2世の長井秀和さんにお越しいただきました。どうもありがとうございました。