終末医療の矛盾。 家で〇ねば、国民負担が減って幸福度爆増のカラクリとは!? 森田洋之氏 #382

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【目次】

(深田)
皆さん、こんにちは。政経プラットフォーム、プロデューサーの深田萌絵です。今回はひらやまのクリニック院長、森田洋之先生にお越しいただきました。森田先生、よろしくお願いします。

(森田)
はい、よろしくお願いします。

(深田)
先生の「何かがおかしい」という新刊を、いろいろな方からすすめていただいたのですが、本当に面白い本をご紹介いただきまして、本当にありがとうございます。森田先生といえば、終末医療の問題で非常に有名だというふうに周りの方から教えていただいたのですけれども、終末医療には何か問題があるのでしょうか?

(森田)
うん。研修の時に、もう本当に医者やめようかなって思ったことがありました。

(深田)
え、どうしてですか?

(森田)
これは終末期医療の問題なのですが。日本人は大体病院で亡くなるのですよ。自宅や施設で亡くなる方は大体2割、まあ3割はいかないです。その病院で亡くなる時に、なかなか最後まで活き活きとしている人はあまりいなくて、どちらかというと、過剰な医療が介入しすぎてしまっている。いわゆる、よく言う「管だらけ」。

(深田)
ああ。スパゲッティ状態。

(森田)
ご飯を食べられなくなったら胃に穴を開けて、直接胃に食べ物を送るとか、酸素が足りなくなったら鼻に酸素を入れる、尿が出なくなったら尿の管を入れる。腕には点滴の管が入っている、心電図のモニターがついているとか、もう体中「管だらけ」になっているという状態で亡くなる方がほとんどだったのですよ。僕が研修行った病院では、もう本当にずっと天井を向いて、ほとんど意識もないような状態で、口を開けて、管だらけになって、結局亡くなるようなご老人が山ほどいました。

(深田)
失礼な話なのですが、ご家族の方はそれでその分の医療費用ってお支払いになっているわけですよね?どれぐらいの負担なのですか?

(森田)
終末期医療になると、年間の医療費はもう100万円、200万円は軽くいきます。濃厚な治療をすればもっといきます。

(深田)

それは健康保険で負担が減っているということは、国民の負担が重たくなっているということですよね?

(森田)
もちろんそうです。後期高齢者は、基本的に1割負担なので、9割は保険、もしくは税金から出ている。自分の手出しは、300万円かかっても30万円なのですよ。

(深田)
ただ、そうやってスパゲッティ状態になって病院で最後を迎えるということが、果たしてその人にとって幸せな最後なのかどうかというのは、議論の余地があるのかなと思います。

(森田)
その通りです。僕はそういう問題意識を持ったから、せっかく医師免許取って医者になったのに、本当に僕らが今やっている医療が人々の幸福や健康の役に立っているのかなという気がしてきて、すごく嫌な気分になったのですよ。

(深田)
特にどういうところで嫌な気分になったのですか?

(森田)
人の役に立ちたいと思って医者になったのですね。医療や介護や、そういう仕事につく人は、人の役に立ちたいと思っているわけですよ。それが突き詰めてみると、人の役に立ってないのではないかと思うわけです。頑張っても、人を健康にできない、幸福にできない。もしかしたら不幸にしているのではないかと思うと。すごく心がざわつくわけですよ。嫌じゃないですか。

(深田)
そうですね。では、終末期医療の中で「この人を不幸にしているのかな?」という典型的なこととは何でしょうか?

(森田)
まず病院は大体2種類に分かれます。1つは急性期医療の病院で、交通事故の救急、急病、大きな手術をするなど。そういう大きな総合病院的な医療を行う病院。もう1つはそれとは別に、慢性期医療、療養病院、今は地域包括病棟など、いわゆる高齢者医療、終末期医療をやっているような病院です。それで、こちらの慢性期医療、終末期医療をやっている病院の方が、そういう「管だらけ」が多い。急性期病院で「管だらけ」の人がつくられて、こちらに送られてくるみたいなところがあるのですよ。療養病院では、そういう光景が多いです。

研修は、一般病院、つまり急性期病院で行われるのですよ。だから僕も最初の5年ぐらいは、急性期医療の世界でずっとやっていて、人を治療することが主な仕事だから、役に立っているなと思っていたのですが、それが一転して、療養病院で勤務してみたら「実は僕たちが見てない部分、自分たちが“管だらけ”にして送っていた先の病院では、こうなっていたのか」と実感しました。

(深田)
それは、もっと悲惨なのですか?

(森田)
そう、もっと悲惨です。大部屋の6人部屋、8人部屋には、ずらっとそういう人たちが寝ているのですよ。もう植物状態。酷いことを言う先生は「水栽培」と言っていましたからね。

(深田)
え?「水栽培」ってどういうことですか?

(森田)
僕が言ったのではないですよ。体に点滴入れて。ご飯食べられないから水を入れてという感覚になるのですよ。

(深田)
「どんな状態でも生きてればいい」みたいな感覚ですか?

(森田)
そう。やはり医療で助けられる手段があるのなら、助ける。そして命を延ばす。その人の生活の質や人生とは関係なく、とにかく時間を延ばす。延ばせるのであれば延ばした方がいいという考え方の人の方が多いですからね。それを望む家族もあります。

だけど僕は、思い悩んでいたところがあって、その後、北海道の夕張市に行ったのですよ。夕張市というのは財政破綻して、医療崩壊して、病院がなくなったのですね。そこで村上先生という先生が、病院がなくても市民が健康に暮らせるように、地域医療や在宅医療など、新しく夕張市の医療再生を始めたのです。僕はそれを勉強したいなと思って、夕張市に行ったのです。そしたら、全く違う世界だったのですよ。

(深田)
どんな世界があったのですか?

(森田)
今まで僕が経験したような、「高齢者は急性期病院で治療して、管を入れて、慢性期病院でずっと亡くなるまで天井を見ている」みたいな世界とは違って、病院がない。地域医療や在宅医療を通して、高齢者の方々が自分の人生を自分で考えるようになったのですよ。

お医者さんは偉そうだし、何でも知っているように見えるから、自分の健康を「お任せしたくなる」のですよ。交通事故でケガして救急車で運ばれたら、それはお任せですよね。自分じゃ何もできないしね。だけど高齢者の病気は基本的に、まぁこんなこと言ったら身も蓋もないけど、「高齢者の加齢によるいわゆる病気」は基本的に治らないのですよ。

(深田)
まぁ、老化ですよね。普通に老化現象ですもんね。耐用年数が近づいてきているってことですよね。

(森田)
そう、そういうことなのです。90歳を超えてだんだんご飯を食べられなくなってくるというのは、それはもう治るものではない。お腹に穴を開けて、管を入れるというのは対症療法ではあるけど、決して治しているわけではないのですよね。だからその「治らない」ということを前提に、では「自分はどう生きたいのか」ということを主体的に考える。そしてその主体的な想いを、医療の側も受け入れて、「ではそれでいいよ」と言ってあげられる。そんな医療が展開されたら、病院に入院する人がほとんどいなくなったのですよ。

詳しく言うと、夕張の医療は、もともと171床の病院があったのですが、夕張の財政破綻によって、19床になったのです。ほぼ1/10にまで病床が減った。それで、在宅医療などいろいろ整えて、なんとかしようということになった。19床しか病床がないから、病院に入院できない人は在宅にみたいなイメージを持たれると思うけど、村上先生や僕が、きちんと膝を突き合わせて腹を割って、「あなたの人生、ご家族も含めて、どうやって生きていきたいのか」「最後までどうやって生活したいのか」と患者に向き合った。病院に入院したい、胃に穴を開けてでも病院で過ごしたいという人もいれば、施設で過ごしたいという人も、家にいたいという人もいる。それは本人が決めることであって、さきほども言った通り、老化は決して治らない。治らないけど対処療法はあります。だけどそれは病気の問題ではなくて「人生の問題」だから、あなたが、僕たちと一緒に相談して決めましょうというようなことを言うと、なんと19床しかなかった病院の病床は、ほとんど埋まらなかったのですよ。埋まったのは、平均5~10ぐらいかな。

(深田)
なるほど。選択肢があるよと。病院に行くもよし、施設に入るもよし、そして自宅で最後を迎えるもよし、「どれがいいですか?」と訊くと、皆さんご自宅を選ばれるということですね。

(森田)

ほぼ自宅です。もしくは施設。

取り組みを始めた時は、病院がなくなったら、健康度が下がるとか寿命が縮むとか、みんな不安になると思うし、救急もなくなるなど、いろいろな不都合が出てくるかなと思っていました。でも蓋を開けてみると、病院があった時代と、病院がなくなった時代と比べてみたら、死亡率はほとんど変わっていなかったのです。

(深田)
変わらないのですか?

(森田)
全く変わらないです。

(深田)
ただの老化現象だからですよね。

(森田)
そう。老化現象だし、治るものは治るけど、治らないものは治らない。だから実は、病院があってもなくても、そんなに関係ないのですよ。

(深田)
では、そこにお金を使う意味も、その地獄のような病室で過ごす意味も、あまりないと。

(森田)
うん。あまりないのですよ。だから意味のないことにずっとお金を使って、人々の健康とか幸福を損ないながらお金を使っていた。

(深田)
それって何のためなのですか?

(森田)
多分、手段があればやりたくなるのですよ、人間って。医療とか技術とか、手段とかがあると、とりあえず1回はやってみたくなるのでしょうね。でもやってみたら、あまりみんな幸せにならないということなのではないかなと思いますよね。ちなみに夕張では、死亡率は全然変わらなかったけど、医療費は下がったのですよ。

(深田)
医療費は下がったのですか?

(森田)
医療費は、下がりましたね。

(深田)
それで、財政を再生することができますね。

(森田)
そうそう。しかも死亡率は変わらず、健康には影響がなく、医療費は下がった。そして1番大事なのは、「人々の笑顔が増えた」。自宅で亡くなる人は、最後の最後まで寿司を食べていたりする。

(深田)
寿司食って死にたいです!

(森田)
そうでしょう?寿司食って死にたいですね。

(深田)
体に穴を開けられて、液体を送るとかされたくないですよ。寿司食って死ぬ方がいいじゃないですか。

(森田)

自分の意思に反して、家族が望むからという理由で、「1秒でも命を延ばしてください。先生にお任せします」と言われたら、医者がやることは1つしかないわけです。命を延ばすという選択肢しか取れない。「先生にお任せします」というのは、かなり危険な言葉です。

(深田)
それは、単なる日本人的な責任回避の言葉ですよね。自分が決めたら、なにか責任を取らなくてはいけないということがあるので、多分そういうふうに言うと思うのですが、私はもう母親から「延命治療はなし」「スパゲッティ状態になったら、そっと線を引っこ抜いといてくれ」と言われているのですが、それをやると犯罪になるので、だから「線を繋がない」という選択をしましょうという話をしています。

(森田)
最初から繋がないということを選択しないと。線をいきなり抜くのは厳しいです。

(深田)
そうですよね。殺人罪に問われますね。終末期医療について、やってもやらなくても死亡率変わらないとは驚きです。

(森田)
変わらないです。

(深田)
「原因は、あなたが年を取っただけですよ」ということですね。終末期医療をやめたら、財政負担は軽くなるし、家で寿司を食べることができる。

(森田)
家で寿司を食いながら死ぬ。

(深田)
幸せな最後を迎えることができる。財政問題から医療問題まで、一気に解決できる方法があるということです。

ということで、今回は『何かがおかしい』の著者であり、ひらやまのクリニック院長の森田洋之先生に、幸せな終末期医療のあり方についてお話をいただきました。先生、どうもありがとうございました。

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