#375 日本の原発は実はヤバい?元裁判長が語る裁判で明らかになった事実が危険すぎる!樋口英明氏
(深田)
みなさんこんにちは。政経プラットフォームITビジネスアナリストの深田萌絵です。今回は元裁判長の樋口英明先生にお越しいただきました。樋口先生よろしくお願いします。
(樋口)
よろしくお願いします。
(深田)
樋口先生、こちらのご著書「司法が原発を止める」(※)にあるように、原発を止めた裁判長として非常に有名でいらっしゃると思うのですが、このような判決を出すというのは、国家や政府の思いに反するわけですよね。
※司法が原発を止める旬報社 井戸謙一 (著), 樋口英明 (著)
(樋口)
はい。国策に反しますね。
(深田)
国策に真っ向から反する判決を下すまでには、どのような経緯があったのですか?
(樋口)
経緯というか、私自身はもともと「日本の原発は極めて安全性が高い」と思っていました。しかし、あの事故の後に「何かおかしい」と感じるようになりました。それでも当初は、さまざまな悪いことが重なって起きてしまった事故だと考えていました。
ところが、実際に訴訟を担当することになって初めて、「日本の原発は地震に対して極めて弱い」という事実を知りました。
(深田)
そうなのですか。原告が準備した資料を読んでいるうちに、そのようにお考えになったということですね。その差し止め請求を出したのは、一般市民の方々だったのですか? それとも専門家の方がそういった資料を集めて、原告の証拠として提出されたのですか?
(樋口)
原告の方は専門家の意見も聞き、一般的な文献も出して、それらに基づいて主張するということですね。
(深田)
そうやって原発の危険性に気がついてしまったのはいいとしても、国策に反する判決というのは出せるものですか?
(樋口)
もちろん出せます。
(深田)
そうなのですね。その過程の中で圧力がかかるとか、あれこれ直接的な指示はないのですか?
(樋口)
ないですね。
(深田)
ないのですか?
(樋口)
こうした「国策に反する判決」をすると、世間からは、事実上不利益処分を受けるのではないかと思われるのですけどね。確かに以前には、そういうこともありました。
(深田)
以前はあったのですか?
(樋口)
以前はありました。例えば「安保は憲法違反だ」というような判決を出した人は、その直後から裁判長の地位を奪われる形で干されるのです。ひどい扱いでした。だから、世間からはそれが今でも続いているのではいかと思われていますが、今はそうではないですね。
(深田)
そうですか。
(樋口)
今はそういうことはありません。
(深田)
何か忖度を求めてくるようなやり方などは無いのですか?
(樋口)
それが微妙なところで、明確な圧力はないのですが、“それらしきもの”はあるのですよね。
(深田)
“らしきもの”とは何でしょうか?
(樋口)
具体的には、私が福井地方裁判所で大飯原発の差し止め訴訟をしていた時のことですが、その時に、全国の原発差し止め訴訟担当の裁判長35人ぐらいが東京に集められ研修が行われる、というようなことがありました。
(深田)
原発差し止め訴訟を担当している裁判の裁判長だけが集められた勉強会があったのですか。それはどこが開催するのですか?
(樋口)
司法研修所です。
(深田)
司法研修所というのは法務省管轄のところですか?
(樋口)
最高裁ですね。
(深田)
なぜ最高裁はその勉強会を行ったのでしょうか?
(樋口)
やはり、国策に真っ向から反対するような判決をしてほしくなかったのでしょう。そう思わせるような雰囲気なのです。
(深田)
そこでは “原発は良い”というような勉強会なのですか?
(樋口)
そういう話ではないです。
(深田)
どういう話をするのですか?
(樋口)
もっと法律論ですよ。
(深田)
法律論?
(樋口)
法律論として考えると、原発が地震に対して危険かどうかは、本来「耐震性が高いか低いか」で判断されるべきで、これはごく当たり前のことです。しかし、実際には東日本大震災(3.11)以前まで、そうしたシンプルな判断方法が原発の安全審査や裁判で採用されてこなかったのですよ。
(深田)
それはすごく怖いですね。
(樋口)
「耐震性が高いか低いか」で安全性の判断をしていないのです。
(深田)
建築許可を出すための耐震性議論はなかった、ということですか。
(樋口)
そうではありません。裁判所が“危ない”と言われた建物の安全性を判断する際は、耐震性が高いか低いかという判断様式ではなかったということです。
では、どういう判断様式かというと、現在、原子力発電所の審査は原子力規制委員会が行っていますが、以前は保安院や保安庁など別の組織が担当していました。そこで「その審査に大きな判断ミスがあったかどうか」という部分を判断の対象にするのです。
(深田)
原子力審査委員会に判断ミスがあったかどうかを判断する、ということですか。人の判断をさらに判断することに意味があるのでしょうか?
(樋口)
意味はないと思います。最近、鹿児島、広島、松山、名古屋で住民側の敗訴判決が続いていますが、その裁判というのは、1年半で判決しました。ですが、残りの裁判は10年以上かかっているのですよ。
(深田)
10年かかっているのですか?そんな裁判はなかなかないですよね。
(樋口)
なかなかないのですが、それが当たり前だと思われているのですよ。
(深田)
原発を止めるか止めないかという判断に、10年以上もかかるというのはいけないのではないですか?
(樋口)
ダメだと思います。なぜそのように判断するかというと、原子力規制委員会の判断に大きなミスがあるかどうかを判断するわけですが、原子力規制委員会の判断が出ない限り、裁判所は判断ができないのですよ。
(深田)
国や裁判所がこれまでそのような裁判官を育成してきたため、その影響を受けた裁判官たちは、原子力規制委員会の判断をただ受け身で待つという姿勢になってしまった、ということでしょうか
(樋口)
311前は間違いなくそうでしたよ。
(深田)
311前まではそうだったのですか?
(樋口)
私は、少なくとも東日本大震災(311)後、あのような原発事故が起きたのだから、裁判所の判断枠組み ―― つまり判断の方法も変える必要があると感じました。しかし、全国の約35人の裁判長が集まった協議会では、「これまで通りでよい」という結論になりました。すなわち、原子力規制委員会の判断が出た場合、裁判所はその判断に重大なミスがあるかどうかの確認をする、という従来の枠組みを維持する方針のままでした。
(深田)
少し補足させていただきたいのですが、裁判長と呼ばれる方については、通常の裁判では裁判官が1人で担当でも、難しい問題を扱う裁判では裁判官が3人で審理し、そのうちの1人が裁判長を務める形になっていますよね。
(樋口)
そうですね。
(深田)
全国の裁判所から35人の裁判長が集められた原子力差し止め訴訟に関する研修では、「原子力発電そのものの是非を問うのではなく、原子力規制委員会の判断が妥当かどうかを判断しなさい」という内容だった、ということでしょうか。
(樋口)
そうですね。「原子力発電は非常に専門的な技術が関わる問題なので、その危険性について、君たちが直接判断するのは難しく、そうした判断能力もないでしょう。ですが、原子力規制委員会が「安全」と判断した場合、その手続きに大きなミスがなかったかどうかくらいの判断はできるはずで、それができれば十分です。」ということですね。
(深田)
少し馬鹿にされていますよね。
(樋口)
馬鹿にされていますよ。ある意味、裁判官は謙虚すぎますね。
(深田)
そうですよね。それでその35人の裁判長の中では、「確かにお上の言う通りだね」と「いやいや違うでしょう」という人に別れていくわけですよね。
(樋口)
別れていきますね。この一連の話を聞いて、私は非常にけしからんと思いました。あれだけの甚大な事故があったのに、原発の危険性を判断せず、原子炉規制委員会の後追いをすべきだというわけですから。
(深田)
あの時メディアも狂っていると思いました。原子力発電所の壁に何か穴が開いているという報道を見て、どう見ても爆発した後の映像なのに、「爆発した」とは絶対言わなかったですよ。自分の国がおかしい国だなと思い始めたきっかけではありますね。
(樋口)
間違いなく、誰が見ても爆発ですよね。
(深田)
爆発した穴でしかないですよね。
(樋口)
私があの爆発を見た時、核爆発かそれとも水蒸気爆発か、あるいはそれ以外の何かの爆発かわからなかったですね。あの時は本当に怖かったですね。核爆発の可能性も否定できないですからね。
(深田)
そうですよね。しかもあれほど巨大な穴が開いているのに、「壁に穴が開きました」ぐらいの話で済ませようとしていて、爆発したことを絶対に言わない。この国はもう私たちの想像を超えた範囲で、報道規制を敷いているのだということを感じました。
(樋口)
報道規制だけでなく、裁判の世界でも「そうしなさい」とは絶対に言いません。具体的な話でいえば、協議会では次のようなことが行われます。35人ほどの参加者が平場で座り、前方には5、6人のパネリストがいて、そのパネリスト同士が議論を交わします。議論の方向性としては、裁判所が積極的に判断を下すのではなく、まず原子力規制委員会の判断を待ち、その判断を踏まえて裁判所が判断すればよいのではないか、という内容を議論するのです。
(深田)
そのパネリストの方々は、国が選んだ人ではないのですか?
(樋口)
最高裁が選んだ人です。
(深田)
裁判官の世界をよく知らないのですが、順調に出世すれば最高裁判事などになれるのですか? それとも最高裁の裁判官になることが出世コースとは限らないのですか?
(樋口)
最高裁の裁判官になるのは最高の出世コースです。
(深田)
最高の出世コースなのですね。最高裁の裁判官のトップのような方もいるのですか?
(樋口)
いますね。
(深田)
それは何と呼ばれる人なのですか?
(樋口)
長官と言います。
(深田)
その最高裁長官が政府に忖度して、そうした勉強会を開いていたかもしれないという可能性はありますか?
(樋口)
誰がやっているのかわからない。本当にわかりにくい組織で、誰に決定権があるのかが私もわからないのですよ。
(深田)
何か闇ですよね。
(樋口)
私にしてみれば、最高裁の人事も全部おかしな人事なのです。深田さん、裁判官の中でどういう人が最高裁に入れると思われますか?
(深田)
さっと判決を出す人ではないでしょうか?
(樋口)
そう思われるでしょう。大きくて有名な事件などを迅速に判断し、上告審で破られないようなイメージでしょう? でも、実はそうではないのです。
(深田)
いわゆる “とんでも判決” を出す裁判官が出世するのですか?
(樋口)
いえ、一言で言うと「判決を出さない裁判官」が出世するのです。
(深田)
それでは普通の官僚じゃないですか?
(樋口)
官僚的でしょう?
(深田)
判決を出さない裁判官が一番出世するというのは、何か日本的ですよね。
(樋口)
日本的といえば日本的ですが、かなり深刻な問題です。例えば最高裁に上がるためには、確か、地裁、高裁で35〜40年ぐらいは裁判を経験して、大体65歳になってから最高裁に行くのですよ。
(深田)
そうなのですか。定年ではないのですね。
(樋口)
最高裁の定年は70歳で、普通は65歳までです。65歳で定年、または、最高裁に行く、のどちらかになります。だから40年ぐらい裁判をしている人は多いのですが、その中で20年間法廷に立っている人は極めて稀ですね。
(深田)
「20年間法廷に立っている人が稀」とは、どういうことですか?
(樋口)
例えば、所長をしたり、最高裁や法務省に行っていたりして、法廷に立たない人が多いということですね。
(深田)
なるほど。「所長」というのは、裁判そのものには携わらず、裁判官のマネージメントをする人のことなのですね。あとは法務省に出向したりする。そうなると、現場を知らない人たちが最高裁にどんどん来ることになりますよね。
(樋口)
これはとてもおかしい話なのです。なぜかというと、最高裁は人事だけをするところではなく、一番大事な仕事は「最高裁における裁判の仕事」なのですからね。
(深田)
そうですよね。新しい法案が出てきた時、その新しい法律が憲法と相違ないか?というところも判断しますよね。
(樋口)
最終的には最高裁が極めて難しい裁判をするのですよ。例えば、仮に天皇陛下が心臓の手術を受けようとする際、「大病院の理事長」を選んではいけないのですよ。
(深田)
それはそうですよね。論文ばかり書いている人など絶対にダメですよね。
(樋口)
成功率の高い豊富な手術の経験があるような人が、天皇陛下の手術をするべきですが、それは最高裁も同じなのですよ。たくさんの良い判決をするような人を最高裁に抜擢しなければいけないのですが、現実はそうなっていないですね。
(深田)
なるほど。私が一番信じられないのは、「能動的サイバー防御」に関する法律が本当に成立しようとしていることです。もしこの法律が施行されれば、私たちのメールの内容まで見られる可能性があり、憲法で「検閲をしてはならない」と明記されているにもかかわらず、それに真っ向から反する法律が今の日本で作られつつあるわけですから。
更にはSNS規制法なども同様に、表現の自由や検閲禁止の原則に反する法律が次々と成立している状況です。それにもかかわらず、最高裁がこれらの法律を違憲だと判断しないのは、少しおかしいのではないかと感じています。
(樋口)
実は、最高裁にはそうしたことへの権限がないのですよ。
(深田)
教科書で私たちが学んできた三権分立では、「内閣が行政を仕切り、国会が法律を作り、その法律を最高裁が審査する。よって、権力は集中していない立て付けになっている」教わりましたが違うのですか?
(樋口)
立付けとしては間違いではないのですが、その法律を「憲法違反かどうかを判断する」ということは予定されてないのです。
例えば、法律に罰則があり、その罰則に当てはまるということで刑事処罰を受けるとします。そして、それについて憲法違反の主張がなされたため、その憲法違反かどうかを地裁で判断します。それが不服であれば高裁で判断し、そしてはじめて最高裁で判断がでるのですよ。
(深田)
最高裁では、これまでの判決については憲法と照らし合わせながら、相違がないかどうかは判断できますが、国会で成立した法律そのものが憲法と相違がないかという点については、そのような判断をする権限はない、ということですか。
(樋口)
具体的事件を通してでしか、憲法違反の判断ができないのですよ。
(深田)
そこについては、私も少し勘違いしていました。今、内閣から色々な法案が出てきて、議員立法など殆どできない状態ですが、時の内閣が好きな法律を作りたい放題で、それをチェックする機能がほぼない状態なのですよね。
(樋口)
以前は、内閣法制局というところである程度そうしたチェック機能を果たしていました。ですが、安倍さんの時代に内閣法制局の人事がおかしくなって、事実上、内閣の下になったのですよ。
(深田)
それを内閣の下に置いてはダメですよね。
(樋口)
やってはいけないことなのですが、事実上、内閣の言う通り黙って(法案などを)通してしまうという感じですね。
(深田)
以前までは、内閣法制局が内閣から出てきた法案を「正しい法律かどうか」と確認していたのですね。
(樋口)
確認していましたね。それが十分か不十分かの議論は分かれるでしょうけれど、そういうチェック機能は果たしていました。それが今は全くその機能を果たしていないのです。
(深田)
いや、闇が深いです。怖いですね。最近、裁判所は独立した機関であるとはいえ、以前ほどの力がなくなってきているように感じます。国から「こういう判決を出すべきだ」といった誘導がなんとなく働いていて、人事についてもどのように決まっているのか分かりにくいです。それに、新しい法律についても裁判所のチェック機能がほとんど働いていないように思います。裁判所としては、新しい法律の合憲性などを判断するのは、実際の事件が起きて最高裁まで争われたときにしかできないのでしょうか。
(樋口)
実際の事件でしか判断できない…。ただし、最高裁に対して政府からの圧力がかかっているのか、単に忖度しているだけの話なのかは、実際よくわからないですね。
(深田)
そうですよね。忖度の可能性も高いですものね。
(樋口)
日本の社会では、私の身近な地方裁判所でも、直接的な「忖度しろ」というような圧力はほとんどありません。それよりも、空気感や忖度といった“雰囲気”の方が、実際にははるかに大きな影響を持っていると感じます。最高裁判所も同じような状況かもしれませんが、私は最高裁に行ったことがないので、その点は分かりません。
(深田)
なるほど。裁判所に通っている身からすると、果たして忖度に忖度を重ねる司法判断でいいのだろうか思いますし、“裁判所の闇”をものすごく感じています。その辺りまた、次回お話しをさせていただきたいのですが、今日はとても面白かったので、もう少し裁判所の話を聞かせてください。
今回は、元裁判長の樋口英明先生から、私たちの知らない裁判所の闇について教えていただきました。先生、どうもありがとうございました。
(樋口)
どうもありがとうございました。