#345 農協の全てが悪ではない! 農協と40年闘った農家議員が語るその真相とは!?  岡本重明氏×深⽥萌絵

(深田)

皆さん、こんにちは。政経プラットフォームITビジネスアナリストの深田萌絵です。

今回は、農業に従事される傍ら、愛知県田原市の市議会議員も務めておられる岡本重明さんにお越しいただきました。もっとも、正確には私が岡本さんのもとにお伺いしての取材となっております。本日はよろしくお願いいたします。

(岡本)

よろしくお願いいたします。

(深田)

本日は、農家であり市議会議員でもある岡本さんに、「農協問題」について詳しくお話を伺いたく、対談の機会を頂きました。

(岡本)

農協の問題というのは、一つの視点だけで語ることはできません。地域に根差した「単位農協」は、しっかりと機能しています。その上には県単位で全体を取りまとめる組織があり、さらにその上部組織として「全農(全国農業協同組合連合会)」が存在しています。問題があるのはこの最上部の組織です。単位農協自体には大きな問題は見られません。

(深田)

一般には「農協が悪い」といった批判が広まっているように感じられますが、実際には農協全体が悪いわけではなく、問題の本質は上層部にあるということですね。

(岡本)

その通りです。もともと農協は、「農民の経済的自立」や「社会的地位の向上」を目的に設立されたものです。農家というのは、もともと商人などに比べて立場が弱く、騙されないように互いに協力し合おう、米も共同で販売しようという意識から、「村の農協」がつくられました。戦前には立派な庄屋が存在しており、もちろん中には悪質な者もいましたが、多くの地域では善良な庄屋によって村が繁栄していたのです。

戦後になると「農地改革」が行われ、それまで小作人だった人々が農地を所有し、自立するようになりました。しかし、農家は依然として弱い立場にありましたので、庄屋が担っていた地域的な調整役の機能を、今度は農協が代わりに果たすようになったのです。

(深田)

なるほど。つまり、小規模な農家は個々では弱いため、地域をまとめ、守る存在として、戦後の農村社会では庄屋に代わって農協のような組織が求められたということですね。

(岡本)

はい、戦後しばらくの間はその形でうまく機能していたのです。しかし、その後に問題を引き起こす存在が現れました。それが、農林水産省なのです。

(深田)

農水省ですか。

(岡本)

人を集団化すると、そこにはお金が生まれます。農協という仕組みを通じて、たとえば「愛知県全体を一つにまとめましょう」と呼びかけ、その上で上納金、つまり手数料を納めさせる構造ができあがったのです。その集まったお金は、最終的に国、すなわち農林水産省が設立した全農へと吸い上げられていきます。要するに、かつて庄屋が担っていた利益の美味しい部分を、今では農水省や全農が組織として取り込んでいるというわけです。

(深田)

つまり、かつては地域ごとに存在していた庄屋が、地元の米農家の利益を代弁していたわけですが、それが農水省により農協として一元化されることで、逆に各地から利益が吸い上げられるような構造になってしまったということですね。

(岡本)

その通りです。米づくりには、まず「コストを下げる仕組み」が必要です。たとえば減反政策は、その逆でコストを押し上げるものです。田んぼを工場にたとえると、農機具は生産設備にあたります。これをフル稼働させ、最大限の生産を行えば、減価償却を早められます。そうすれば生産コストは下がります。

その結果、米が余剰になりますが、その余剰分は輸出に回すのです。今や和食は世界的に人気がありますから、日本産の米を海外に届けるルートを整えればいいのです。国内ではとにかく最大限にコストを下げて生産し、その後は流通量のコントロールによって価格を維持すればよい。そうしておけば、有事の際には輸出を制限するだけで、国内の食料安全保障が確保できます。

しかし、全農は「権力が欲しい」という思惑だけで動き、海外に売る力もないのです。結局は減反政策などの政治的な手段を使い、農政を操作しているような状態です。

農協問題といっても、単位農協には確かに多少の問題はあるものの、基本的には農家とともにある存在です。それに対し、最も甘い部分、つまり「濡れ手で粟」のような利益だけをかすめ取っているのが全農なのです。

(深田)

実際に汗を流して働いているのは現場の農家の方々であるにもかかわらず、その労働の果実を吸い上げて利益を得ているのが全農であると。

(岡本)

本来であれば、農家が農協職員を雇っている立場のはずです。ところが実際には、農家のほうが「農協様、全農様」と頭を下げているような逆転した関係になってしまっています。

(深田)

実際に、「農協に逆らうといじめられるから、逆らえない」とおっしゃる農家の方もいらっしゃいますね。

(岡本)

農業というのは、すべてが農協を中心とした構造になっていて、農水省の施策もそこを基点に決まってくるのです。農協に加入していないと、助成金が受けられないというケースもあります。

これは、明らかに“いじめ”だと思います。しかし、それを口にすると「泣き言」だと受け取られてしまう。それでも私は、自分の生き方として「農協とは関わらない」と決めてきました。

(深田)

一般の農家さんにとっては、農協を頼ることで資金の調達もできるという面がありますよね。

(岡本)

農協は「制度資金」を扱っているため、農協に出荷し、部会員として登録し、農協から資材を購入するという関係にあれば、そうした資金を利用することが可能です。

(深田)

けれど、農協に加入していないと、その制度資金や助成金は使えないということですよね。

(岡本)

そうです。ただ、最近は少しずつ改善が進み、銀行でも利用できるようになってきました。農業金融公庫が代理で扱うケースも出てきましたが、私が農業を始めた当初は、それもできなかったのです。

私の著書が出た後に、政府関係者や農水省、さらには農林中央金庫の専務クラスの方々とも議論する機会がありました。私は農林の専務に対し、「偉そうにしているが、かつては金融を締め上げたではないか」と指摘しました。するとその方は、「確かに当時はそうでした」と認めたのです。つまり、「農協という組織を守る」という大義名分のもとで、産業として真剣に取り組んでいる農家を切り捨てるような施策が、過去には実際に行われていたということです。それを「なかった」と言うのであれば、それこそケンカを売っているようなものです。

(深田)

普通の農家の方々は、やはり農協を頼らざるを得ないのでしょうか?

(岡本)

「頼らざるを得ない」というよりは、「努力をしていないだけ」です。

(深田)

努力すれば、農協を使わなくても農業を続けていけるのですか?

(岡本)

経営者として本気で取り組む覚悟があれば、農協を使わずに農業を成り立たせることは可能です。

(深田)

経営者の視点を持ち、真剣に農業を運営する意思があれば、農協に依存せずともやっていけると。

(岡本)

まさにその通りです。農業も一つの「商売」です。ですから、「利益になる農協」とは取引を続ければ良いし、「利益にならない農協」であれば関係を断ち切るべきです。そのように割り切らなければ、農業経営はうまくいきません。

しかし、それを妨げているのは「地域の空気」や「人間関係」、「仲間外れへの不安」、「田舎で浮いた存在になりたくない」といった、人間的な側面に根差した感情です。これは本筋とは異なる部分ではありますが、こうした要因が農家の自立を妨げているのが現状です。

私は、農業経営者として自立するには、その組織が自分にとって利益になるかどうかを冷静に見極め、必要であれば関係を持ち、そうでなければ関わらないという明確な姿勢が求められると考えています。

(深田)

農協で苗や肥料、農薬などの資材を購入すると、一般的な市場価格よりも高くなるという話をよく耳にします。

(岡本)

実際に高いです。それは「農協の単価」というものが存在するからです。その価格を参考に、民間業者が「うちはそれより安く提供できますよ」と営業をかけてくるのです。農協の価格が市場の基準になっており、それより安く売ることで競争力を持つ業者もいます。中にはある農家には100円で提供し、別の農家には120円で売るような業者もいますが、いずれにしても農協が価格のベースを提示していることで、市場の価格帯がある程度整理されている面はあります。その点については、私も農協に感謝している部分です。

(深田)

なるほど。農協にもそのように市場の指標として機能している側面があるのですね。

農家の方々は、農協以外からも資材を自由に購入できる、つまり、すべてを農協から調達する必要はないということですね。

(岡本)

そうです。私自身は「農協に一円も払いたくない」という信念を持っていますので、民間業者に農協と同等の資材を製造してもらっています。ただし、農協の資材の中には品質が優れているものも確かにあります。

(深田)

農協のほうが優れている資材もあるのですね。

(岡本)

はい、あります。しかし私は使いたくないので使っていないだけです。

(深田)

それほどまでに距離を置かれるのは、何か確執があるのでしょうか。

(岡本)

若い頃に本当に苦労したからです。

(深田)

それは農協が原因だったのでしょうか。どのようなご苦労があったのですか?

(岡本)

田舎で独立して農業をやろうとすると、単に経営の問題にとどまらず、地域のコミュニティからの“いじめ”にも直面します。

(深田)

いじめに遭われたということですか?

(岡本)

はい。地域の役員からは完全に無視され、「あいつは変わり者だ」と見なされました。日本人には「和を尊ぶ」という価値観がありますよね。私もその精神は大切だと思っていますが、農協という組織はその価値観を悪用しているのです。

(深田)

つまり、「和をもって尊しとなす」という考え方があるがゆえに、それに従わない者は徹底的に排除されてしまう――いわゆる「村八分」になってしまうということですね。

(岡本)

その通りです。ですから、私が議員バッジをつけたのは、ある意味“リベンジ”でした。「嫌われ者の岡本」「どうしようもない半端者」といったレッテルを貼られて、苦しい日々を過ごしてきました。しかし、仕事を通じて仲間ができ、「落選しても構わない、自分の意思で立候補してみよう」と決意したのです。

幸いなことに当選させていただきました。私は、「本当に悪い人間だったら、議員バッジなんて持てないだろう」と思っています。国会議員のことは分かりませんが、地方議員であれば、悪人がバッジを持つことはできないと考えています。

(深田)

承知しております。国会議員には……いろいろな方がいらっしゃいますが。

(岡本)

「和をもって尊しとなす」というのは、日本で最も大切にされる価値観だと思います。そして、それを巧みに利用して権力を握ってきたのが農協であり、自民党であり、現在の国の制度そのものです。

「和」の精神を大切にしている地方のおじいちゃんおばあちゃんたちは、自らがその価値観のもとで利用され犠牲になってきたことに気づいていないのです。

(深田)

それは非常によく分かります。私も、日本国民は国から搾取されているにもかかわらず、その自覚がないと感じることがよくあります。

(岡本)

ですから、私が言っている「農協が悪い」というのも、すべての農協が悪いわけではありません。「全農」や「中央会」といった上層部の構造が問題なのです。

(深田)

なるほど。ですが、農協から高い資材を買わされて、それでも不作だった場合、借金が返せなくなり、最終的には「お前には農業を続ける資格がない」「赤字だから農地を手放せ」といった圧力をかけられるような話も聞いたことがあります。

(岡本)

そうしたケースも確かにあります。

(深田)

それは、ひどいことではないでしょうか。

(岡本)

確かにひどい部分もありますが、しかし、それも「経営」の一側面です。農業は経営なのです。農協と付き合うことで得があるのであれば付き合えばよいし、支払い能力がなければ事業として成り立たないのは当然のことです。「ひどい」という感情より先に、経営判断としての結果であることを理解すべきでしょう。

(深田)

つまり、農家の方々もより賢くなり、使えると判断すれば農協を使えばいいし、使えないと判断すれば使わないという割り切りが必要だと。要は、農業も「経営」であるという視点が、まだ十分に浸透していないのではないかということですね。

(岡本)

まさにその通りです。

(深田)

今回は、岡本さんに農業に関するさまざまな問題、特に「農協が悪い」とされる背景や実態についてお話しをお伺いしました。「農協と戦って30年のつもりが、いつの間にか40年経ってしまった」という岡本さんからのアドバイスは、「意外と農協にも役に立つ面はある。だからこそ、農家自身がしっかりと考えなければならない」ということでしょうか。

本日は貴重なお話を、誠にありがとうございました。

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