#343 睡眠と寿命の関係がスゴすぎる!脳のないヒドラが眠る理由とは? 金谷啓之氏×深⽥萌絵

(深田)

こんにちは。政経プラットフォームITビジネスアナリストの深田萌絵です。

今回は、東京大学博士課程に在籍されている金谷啓之先生にお越しいただきました。金谷さん、どうぞよろしくお願いいたします。

(金谷)

よろしくお願いします。

(深田)

金谷さんのご著書『睡眠の起源』についてお話を伺いたいと思います。私がこの本を知ったきっかけは、何かの記事を読んでいた際に偶然表示された広告でした。そこで私の目に飛び込んできたのが、「脳がないヒドラが眠る」という帯の文言です。その瞬間、衝撃を受けてしまいました。というのも、子どもの頃に「眠るとは、脳を休めるための行為である」と教わってきた私にとって、脳のない生物が眠るという事実は非常に衝撃的だったのです。

そして、本日二つ目の驚きだったのは、金谷さんがお越しになった際、そのご年齢の若さに気づいた瞬間でした。まるで「少年のような方が来られた」と思うほどで、「こんなに若い方だったのか」と、本当に驚かされました。

さて、今回この『睡眠の起源』をご出版された経緯について、まずお伺いしたいと思います。どのような背景があったのでしょうか?

(金谷)

はい。私たちは今からおよそ5年前に、ヒドラのような脳を持たない動物にも睡眠に近い状態がある、という内容の論文を発表しました。この研究成果が、私たちの想定を超えて社会的に大きな反響を呼び、SNSなどでも広く話題となりました。そのような中、出版社の方からご連絡をいただき、今回の出版に至ったというのが経緯です。

(深田)

ヒドラが眠っているという事実を発見されたとき、これほどまでに話題になるとは想像されていなかったのでしょうか。

(金谷)

はい、まったく想定していませんでした。私たちは、目の前で観察できる現象を淡々と記録し、それを論文としてまとめるという、非常に基礎的な科学的研究を行っている立場です。ところが今回の研究は、想像以上に社会的なメッセージ性が高く、多くの方の関心を集める結果となりました。そのことがきっかけで、今回のように出版のお話をいただく運びとなりました。

(深田)

確かに、これはインパクトがありますよね。私たちは日常的に眠っていますが、「睡眠とは脳が疲れているから必要なのだ」と教えられて育ってきました。そのような中で、「脳がないヒドラが眠っている」というこのキャッチコピーは、非常に印象的です。では一体、私たちは何のために眠っているのだろうか、という疑問が自然に湧いてきます。

(金谷)

私たちの睡眠が、完全に脳のためだけに存在しているわけではないということが、今回の研究の示唆するところです。つまり、睡眠は脳があるから必要なのではなく、脳がなくても睡眠のような現象が生じるということが重要です。さまざまな動物の睡眠を比較すると、進化の過程において、脳がなくても睡眠が必要とされることがあると分かってきました。これは、私たちの研究によって明らかになった、ひとつの大きな成果だと考えています。

(深田)

おそらく、この対談をご覧になっている方の中には、「そもそもヒドラって何なのか?」と疑問に思っている方も多いと思います。ヒドラというのは、どういった生き物なのでしょうか。

(金谷)

ヒドラは、動物の分類で言えば、イソギンチャクやクラゲの仲間にあたります。これらは「刺胞動物」と呼ばれており、「刺胞」とは、漢字で書くと「針の胞」となりますが、要するに針のような構造を持っていることが特徴です。クラゲが針で刺すように、ヒドラも体中に針を備えており、それを使って餌を捕まえて食べる生き物です。

重要な点として、ヒドラは動物でありながら「中枢神経系」、すなわち脳を持っていません。神経細胞は存在していて、情報の伝達は行われていますが、いわゆる中枢的な司令塔が存在しないのです。つまり、非常に原始的で、かつ独特な構造を持った生き物であるということが言えます。

(深田)

「脳がない」とは、具体的にどういうことなのでしょうか。脳を持たない生き物というのは、意外と多く存在しているのですか? 例えば、プラナリアなどはどうなのでしょう。

(金谷)

プラナリアには脳がありますね。

(深田)

そうなのですか。プラナリアは脳を持っているのですね。では、ミカヅキモやプランクトンのような生き物には脳があるのでしょうか。

(金谷)

プランクトンについては、基本的に多くの種類が動物ではありません。

(深田)

なるほど。プランクトンは必ずしも動物ではないのですね。

(金谷)

たとえばミジンコのようなものになると話は違ってきます。ミジンコは昆虫に比較的近い分類に属しており、中枢神経系、つまり脳に近い構造を持っています。一方でヒドラは非常に特殊な存在です。神経細胞自体は持っているのですが、それらは体全体に均等に分散しており、我々の体で言えば「腸管神経」、つまり腸に分布する神経のような配置をしています。このような構造が、ヒドラの大きな特徴です。

(深田)

ということは、ヒドラは一応「動物」なのですね?

(金谷)

はい、れっきとした動物です。自力で動き回ることができます。

(深田)

自分で動くことができる。しかし、脳はない。

(金谷)

そうです。脳は持っていません。にもかかわらず、非常に興味深い生活様式をしているのです。

(深田)

なんだか、だんだん混乱してきました。私たちは、体を動かすというのは、脳から命令が出されているからだと教わってきました。しかしヒドラの場合、その脳が存在しなくても、自分の意思で動いているように見えるということですよね?

(金谷)

その通りです。ヒドラのような生き物がどのようにして動いているのかという点は、研究として非常に面白いところです。私たちは、ヒドラの動きを詳細に観察するための解析システムを独自に構築し、動きのパターンを解析しました。その結果、ヒドラは想像以上によく動いていることがわかりました。

とはいえ、観察していると時折ぴたりと動かなくなる時間があるのです。このような状態が、他の動物で見られる「睡眠に近い状態」であると私たちは捉えました。つまり、脳を持たないヒドラでも、一定の周期で活動を停止する状態があるという発見が得られたのです。

(深田)

これまで私たちは、眠るという行為は「脳を休めるため」「夢を見るため」、あるいは「脳内の情報を整理するため」に必要なものだと理解してきました。ところが、脳を持たないヒドラまでもが眠るとなると、では一体「睡眠とは何か」という根本的な問いに立ち返ることになりますね。

(金谷)

まさにその通りです。睡眠の役割、すなわち「なぜ眠るのか」という機能や目的については、進化の観点から考えることが重要だと私は考えています。動物が何億年もの進化の過程を経る中で、睡眠の意味や役割は徐々に変化してきたのではないでしょうか。

少なくとも、ヒドラのように脳を持たない生き物が眠るという事実は、睡眠が必ずしも脳を休ませるための現象ではないことを示しています。そして、おそらく現代の私たちにもその「名残」のようなものがあり、たとえば末梢の臓器を休ませる目的で眠っているという可能性もあります。

一方で、人間は脳を高度に発達させてきた生物でもあります。そうした中で、睡眠と脳の関係が進化の過程で徐々に強く結びついていった、というのが私の考えです。

(深田)

たしかに、脳も内臓の一部ですものね。ですから、睡眠という現象が脳だけのために存在しているのではなく、身体全体のさまざまな機能を保つためのものだということも理解できます。

一方で、ご著書に出てくる「断眠」、つまり意図的に睡眠を阻害する実験がありますが、あれは動物にどのような影響を及ぼすのでしょうか。たしか、健康に重大な障害が出るという結果が出ていましたよね。

(金谷)

はい。これまで、動物を対象にしたさまざまな断眠実験が行われてきました。最近では倫理的な観点から問題視されており、制限が強くなっていますが、過去には長期間にわたって動物を眠らせない実験が行われていました。

そうした実験では、残念ながらどのケースでも数日間の断眠ののちに動物が死亡してしまうという結果が出ています。特に有名なのは1980年代に行われた実験で、「ラット」と呼ばれる大型のネズミを断眠させたところ、概ね2週間ほどで命を落とすことが確認されました。長くても1ヶ月は生きられないという結果でしたが、逆に言えば、それほどまでに耐えていたとも言えます。

また、最近の研究では、ネズミが断眠によってわずか4日間ほどしか生存できないという報告もあります。これらの結果からも、睡眠が生命維持にとって極めて重要な生理現象であることが、明確に示されていると言えるでしょう。

(深田)

睡眠が寿命に関わるというのは、非常に驚きです。

(金谷)

そうですね。

(深田)

では、ヒドラの場合、断眠させると命を落としてしまうのでしょうか?

(金谷)

そこが興味深い点なのですが、ヒドラという生き物は、そもそも非常に特異な性質を持っているため、いわゆる「寿命」という概念が当てはまりにくいのです。

(深田)

ということは、ヒドラは死なないのですか?

(金谷)

はい、その通りです。ヒドラは無性生殖によって増殖する動物で、分裂や出芽のような形で新しい個体が生まれます。つまり、生殖によって「世代交代」が起こるのではなく、いきなり新しい個体が生まれるような仕組みです。

もちろん、クローンとして生まれた一つの個体が正確にどれほど長く生きるかを、実際に何千年も観察したわけではありませんが、長期間にわたる観察や推定を行っている研究者によれば、「おそらく1500年ほど生きている可能性がある」とされています。

(深田)

1500年ですか!? それは本当にすごいですね。なかなか死なない生き物ですね。

(金谷)

本当にその通りです。ただ、そんなヒドラであっても、睡眠を妨げるような実験、すなわち断眠をさせるような状況をつくった場合について、我々の現在の観察では、断眠しても命を落とすことはないようです。

(深田)

ヒドラは断眠しても死なないのですね。

(金谷)

本の中でも少し触れているのですが、断眠させたヒドラに「頭が複数できる」ような現象が見られる場合があります。これは、断眠によって通常とは異なる強い刺激が生体に加わるためだと考えられます。もちろん、「睡眠をとらなかったから頭が増える」と単純に結びつけることはできず、直接的な因果関係があるかは現時点では分かっていません。

(深田)

断眠によって、ヒドラの体に何らかのダメージが生じているということなのでしょうか?

(金谷)

そうですね。ダメージそのものも確認されますし、それに加えて非常に強いストレス反応も見られます。

(深田)

そして、頭が増えると。

(金谷)

はい。断眠によるストレスや刺激が、細胞内の分子シグナルに影響を与えているようです。通常とは異なる生理状態が生じることで、その結果として頭部が増えるような現象が起こる可能性があります。ただし、詳しいメカニズムについては、まだ十分に解明されていません。ただ少なくとも、断眠によってもヒドラは命を落とすことはないようだ、というのが今のところの結論です。

(深田)

そもそも「ヒドラ」という名前自体、ギリシャ神話に登場する「九つの頭を持つ龍」から来ているのですよね。そう考えると、実はその神話上のヒドラも、もしかしたら睡眠不足で頭が増えたのかもしれない、ということになりますね。

(金谷)

ええ、その可能性もあるかもしれません。

(深田)

では、人間が眠らなかった場合はどうなるのでしょうか。

(金谷)

これは睡眠研究の中でも非常に有名なエピソードですが、1960年代に、ある高校生が自らの意思で断眠の実験を行いました。彼は10日間以上、正確には264時間、眠らずに起き続けるという記録的な挑戦を行ったのです。

(深田)

はい。

(金谷)

その実験では、被験者が断眠に挑戦しましたが、幸いにも実験直後には明らかな後遺症は確認されませんでした。ただし、断眠中には明らかに言語能力が低下し、言葉がスムーズに出てこなくなったり、全体的な認知パフォーマンスが著しく低下したりするという影響が見られました。

また、因果関係が明確に証明されたわけではありませんが、その挑戦を行った方が、何十年か経ってから不眠症に悩まされるようになった、という報告もあります。直接の関係性は不明とはいえ、断眠が神経活動に大きな影響を及ぼすこと、さらに神経系だけでなく身体全体にとっても有害であることは間違いないと考えられます。

(深田)

脳を持たないヒドラが眠るという事実から考えると、私たち人間が眠っているときに休んでいるのは、脳の細胞だけではなく、他の細胞や臓器も一緒に休んでいる可能性がある、ということでしょうか?

(金谷)

はい、その通りです。実際に現在、世界中の研究者たちがこのテーマに大きな関心を寄せており、さまざまな研究が進められています。おそらく、睡眠は脳だけでなく、脳以外の臓器、あるいは細胞レベルでの回復にも重要な役割を果たしていると考えられます。

たとえば「ショウジョウバエ」は、生物学の研究で広く用いられるモデル動物ですが、そこで行われた実験の中に興味深いものがあります。それは、腸から分泌される「ペプチド」と呼ばれる分子シグナルが、睡眠に関与している可能性を示す研究です。

(深田)

腸から何が出ているのですか?

(金谷)

腸から分泌されるペプチド、つまりタンパク質の一種のようなシグナル分子です。それが睡眠を誘導する働きを持っている可能性があるという報告が出てきています。ショウジョウバエの研究ではそうした現象が確認されており、これが人間にも当てはまる可能性は十分にあると考えられます。現在、まさにそのような研究が進められている最中です。

(深田)

私たちが眠くなるのは、もしかしたら腸が「もう寝なさい」と指令を出しているから、という可能性もあるのですね?

(金谷)

はい、そのような可能性を示唆する研究結果が、少しずつですが出始めているところです。

(深田)

確かに、満腹のときや胃腸に張りを感じているときは、なかなか眠りにつきにくいものですよね。

(金谷)

そうですね。そうした感覚にも、もしかすると何らかの関連性があるのかもしれません。まだ明確には分かっていませんが、メカニズムとして存在している可能性は十分にあります。

(深田)

やはり腸って、大事なのですね。

それにしても、「脳のない動物が眠る」というこの衝撃的な事実を実際に観察されたわけですが、そもそも、脳がなくても眠るのだとしたら、「眠る」という行為は一体何なのか、という根本的な疑問が湧いてきます。

(金谷)

おっしゃる通りです。「眠る」という現象は、生物学における生命現象の中でも、特に定義が難しいものの一つです。

とはいえ、歴史的には、私たちの直感とも一致するように、「脳波を測ることで、眠っているかどうかが分かる」という技術が、すでに100年以上前から存在しています。少なくとも人間においては、脳波によって睡眠状態を判別することが可能です。

ただし、脳を持っていても、その脳が非常に小さい、あるいは体のサイズが小さいといった理由から、脳波の測定が困難な動物は数多く存在します。そうした背景のもとで、1980年代ごろから、「睡眠は複数の指標に基づいて定義できる」と提唱する学者が現れました。

その定義のひとつ目は、「睡眠中は活動が停止する」ということです。我々人間であれば、横になって静止し、姿勢を保ったまま動かなくなるといった行動が見られます。

重要な事として、反応性が低下している。眠っているときには、周囲の刺激への反応が鈍くなります。たとえば声をかけられても、すぐには反応しないという現象がそれにあたります。

(深田)

ただ、完全に反応がなくなるわけではないのですよね?

(金谷)

はい、その点が非常に重要です。たとえば麻酔をかけられた状態では、どんなに大声で呼びかけても気づきません。ところが、睡眠中は反応性が鈍っているだけで、完全に消失しているわけではありません。ある程度の刺激には反応を示すのです。これが二つ目のポイントです。

そして三つ目は、「睡眠には恒常性がある」ということです。これが睡眠を語る上で最も本質的な特徴と言えるかもしれません。つまり、生物はどれほど外部環境が過酷であっても、一定の睡眠時間を確保しようとするということです。

たとえば「一日何時間は眠らなければならない」という生理的な必要があり、それを満たすために本能的に眠りにつくのです。このような三つの性質を満たすことで、「それは睡眠である」と定義できる、という考え方が出てきました。

当初は、「このような定義で本当に睡眠と言えるのか?」といった議論もあったようですが、現在ではこの定義に沿った睡眠様行動が、先ほどお話ししたショウジョウバエのような昆虫にも存在していることが明らかになってきています。

(深田)

ショウジョウバエを観察していると、腸からペプチドのシグナルが発せられ、活動が低下し、反応が鈍くなるような状態が見られるということですね?

(金谷)

はい。ショウジョウバエは遺伝子の解析が非常にしやすい生物として、長年研究に用いられてきました。そのショウジョウバエに見られる「睡眠のような状態」を詳しく解析してみると、どうもその状態に関与している遺伝子と、我々哺乳類、つまり人間を含む動物の睡眠に関与している遺伝子との間に、かなりの共通点があることが分かってきました。

(深田)

「眠らせる遺伝子」ということですか?

(金谷)

はい、その通りです。睡眠を積極的に制御している、いわば「眠らせるための遺伝子」が存在しているのです。

(深田)

「眠らせる遺伝子」とは、具体的にどういったものなのですか?

(金谷)

それは、睡眠をコントロールするために働いている遺伝子群のことです。生物の種類によってその形や数は多少異なりますが、人間でいうとおよそ2万個ある遺伝子の中のいくつかが、睡眠に深く関わっていることが分かっています。これらの遺伝子の一部は、脳や腸などの器官に作用し、我々を眠らせる方向に働きかけるのです。

(深田)

つまり、たとえば「腸からペプチドを分泌しなさい」といった命令を出す“説明書”のようなものが、遺伝子として存在しているということですね?

(金谷)

はい、その通りです。

(深田)

なるほど。では、こうした「眠らせる遺伝子」が存在しない人もいるのでしょうか?

いわゆるショートスリーパーとロングスリーパーのような個人差が存在しますよね。

(金谷)

基本的に、生物として備えている遺伝子というものは、個体間で「まったく存在しない」ということはほとんどありません。つまり、誰にでもある程度は共通した遺伝子が備わっているのです。

ただし、現時点では明確に解明されてはいないものの、睡眠に関わる重要な遺伝子に何らかの変異や機能異常があることで、「眠りづらい人」あるいは「よく眠れる人」といった個人差が生じる可能性は十分に考えられます。

(深田)

先生のご著書の中で、睡眠障害の一種である「ナルコレプシー」について触れられていましたが、これは具体的に何が原因なのでしょうか。

(金谷)

ナルコレプシーに関しては、「オレキシン」と呼ばれるペプチドが関係しています。オレキシンは、覚醒を維持する上で非常に重要な役割を果たしている分子で、これもペプチドの一種です。

(深田)

眠たくなるのも、起きるのも、どちらもペプチドの働きによるものなのですね。

(金谷)

その通りです。ペプチドは体内で多様な機能を持っており、たとえば食欲の制御にも関わっていることが分かっています。脳内で働くペプチドは特に重要で、睡眠や覚醒の制御にも深く関与しています。

中でも、覚醒を維持するためには「オレキシン」というペプチドが不可欠であるとされています。これは、櫻井武先生と柳澤正史先生という日本人の研究者によって発見された物質です。

ナルコレプシーの患者さんの多くは、オレキシンを生産する機構、つまりオレキシンを生成して覚醒のシグナルを発信する神経系に異常が見られるとされています。その結果、覚醒状態を持続させることが難しくなり、日中活動している最中でも突然強烈な眠気に襲われ、まるで意識を失うかのように眠ってしまうことがあるのです。

(深田)

私自身、実は10代から20代前半にかけて、似たような経験がありました。さすがに倒れることは10代で収まりましたが、当時はいろいろと不思議な症状があったのです。

たとえば、睡眠不足の状態で電車通学をしていた際、吊り革につかまった瞬間に安心感から眠りに落ち、そのまま「バタンッ」と倒れてしまうことがありました。また、エスカレーターを上っている最中に手をついた拍子に眠りに落ち、歩いている間は大丈夫でも、ふと立ち止まると「バタンッ」と倒れ、そのまま下の段にゴロンゴロンと転げ落ちる、そんな経験も何度かありました。

私の場合、「動いている間は大丈夫だけれど、止まった瞬間に突然眠る」という傾向があり、その寝方が普通ではなかったのです。倒れるように眠る私を見て、周囲の人たちは「キャー!」と驚くのですが、親友だけは「また寝ただけだ」と冷静で、「どうして止まった瞬間に寝るの!」と、よく怒られていました。

(金谷)

なるほど。もしかすると、一度、検査を受けてみてもよいかもしれませんね。

(深田)

私も「もしかしてナルコレプシーではないか」と思ったことがあるのですが、当時はお金もなく、どの病院に行けばよいかも分からず、結局そのままにしてしまいました。

仕事中にも「バタン」と眠ってしまうことが何度もありました。とくに睡眠不足のときに多かったのですが、普通なら人と話している最中に寝ることはあり得ないですよね?

(金谷)

そうですね。それは確かに、普通の状態ではないと思います。

(深田)

でも私は、上司と会話している最中にも突然「パタン」と寝てしまうことがありました。

(金谷)

それは確かに、ナルコレプシーの可能性も否定できないですね。

(深田)

最近は、その眠気のパターンが少しずつ分かってきました。たとえば、チェーンの蕎麦屋さんやうどん屋さんなどで食事をすると、ひどい眠気が襲ってくることがあります。グルタミン酸ナトリウムが大量に含まれているような食事を摂ると、眠くてどうにも起きていられなくなるのです。

それで、グルタミン酸ナトリウムが眠気を誘発する可能性があると分かっているにもかかわらず、それがまるで“睡眠導入剤”のように扱われていることに、少し憤りも感じています。これはアミノ酸の一種なのですよね? 何か関係があるのでしょうか?

(金谷)

そうですね。摂取した成分がどれくらいのスピードで脳に届き、どのように影響するのかは、まだはっきりと分かっていない部分もあります。

(深田)

私の体感では、だいたい20〜30分くらいで強い眠気が出てきます。ですから、そういった食べ物はなるべく避けるようにしています。

講演会などに出席する際には、お弁当が出されることもありますが、私は過去に食べたことのあるお店のものしか口にしないようにしています。参加者として出席するだけならまだしも、登壇者である場合は、途中で眠ってしまうわけにはいきませんから。

なので、眠らないように気をつけていますし、コーヒーなどで覚醒状態を維持しようとすることもあります。ただ、そのせいで今度は夜に眠れなくなってしまうこともあるのですが…。

(金谷)

おっしゃる通りです。起きている最中に急激な眠気が襲ってくるというのは、やはり非常に危険な状態です。

それが睡眠不足によるものであれば、ナルコレプシーとはまた少し異なる話になるかもしれませんが、それでも「睡眠の圧力」が高まっている状態にあると考えられます。

(深田)

「睡眠の圧力」というのは、どういうものなのですか?

(金谷)

はい。以前にも申し上げたように、睡眠には「一定の量を確保しようとする性質」があります。これは、睡眠の中でも最も重要でありながら、非常に謎に包まれた特性です。

つまり、起きている時間が長くなればなるほど、体の中で「そろそろ眠らなければならない」とするような力、いわば“圧力”のようなものが徐々に高まっていきます。この力が、我々を眠りへと導こうとするわけです。

したがって、長時間の睡眠不足が続くような状況では、日中に起きている間にも、身体の内部ではこの「眠らせようとするシグナル」、すなわち“睡眠圧”が強く作用している可能性があります。

(深田)

それは、先ほどの「腸から出るペプチドのシグナル」とは別物なのですか?

(金谷)

関連している可能性はありますが、もちろんそれだけで説明できるものではありません。睡眠圧の正体については、現在も研究が進められている分野で、完全には解明されていないのが現状です。

そのため、動物実験などを通じて「睡眠圧とは実際に何なのか」という根本的な問いに対する探究が続けられています。

(深田)

なるほど。今日は、睡眠について予想もしなかったような側面をいろいろと知ることができて、本当に驚きの連続でした。

では、私たちは必ずしも「眠らなければいけない」わけではなく、「横になるだけ」でもある程度の効果があるのでしょうか?

よく「睡眠不足でも横になるだけで回復する」といった話を耳にしますが、実際のところはどうなのでしょう?

(金谷)

よく「何時間眠ればよいか」「この睡眠時間では足りない」といった議論がありますが、基礎研究者の立場から申し上げると、必要な睡眠時間というのは個人差が非常に大きく、一概には言えないというのが実際のところです。

そのため、自分にとって最も適した睡眠時間を見つけることが大切です。また、「横になっているだけで睡眠がとれているか」という点については、やや慎重に見る必要があります。

睡眠中には脳波の活動パターンが大きく変化します。つまり、ただ目を閉じて横になっているだけでは、本当に“眠っている”とは限りません。脳波において、睡眠に特有の変化がしっかりと現れているかどうかが、睡眠としての質を決定づける要素となります。

ですので、自身の脳や身体にとって適切な睡眠の質と量を把握し、それを確保していくことが、日常生活において非常に重要だと考えています。

(深田)

眠っている間に、私たちの体は自己修復を行っている、ということですよね?

そこでよく話題にのぼる「ショートスリーパー」について伺いたいのですが、あれは一体どういった現象なのでしょうか?

(金谷)

そうですね。ご自身をショートスリーパーだとおっしゃる方の中には、実際には単に「睡眠を我慢している」だけのケースも少なくないと聞いています。

本当の意味でのショートスリーパー、つまり「1日3〜4時間の睡眠で十分」という方は、ごく限られた少数の人々に過ぎないのではないかと考えられています。

たとえば、アメリカの研究グループによる報告では、1日5時間程度の睡眠で日常生活を問題なく送っている方々の集団が確認されており、その傾向は家族内で遺伝しているということが示唆されています。

(深田)

ショートスリーパーって、遺伝するものなのですか?

(金谷)

はい、一部の方々では遺伝的な要因があるとされています。

つまり、祖父母から両親、そして子どもへと、その短い睡眠時間で済む体質が受け継がれているケースがあるのです。

そうした家系に注目して遺伝子解析を行ったところ、特定の一つの遺伝子に、一般的なパターンとは異なる変異が見られることが確認されています。

この変異は、覚醒を維持しやすく、また「長時間眠らなくても大丈夫」という生理的特性に関係していると考えられています。

(深田)

そうなると、「では一体、私たちはなぜ眠らなければならないのか?」という根本的な疑問に戻ってしまいますね。

(金谷)

おっしゃるとおりです。まさにその点が、先ほども触れた「眠らせる遺伝子」や睡眠の生理的意義と関係してくる部分です。

ただし、注意が必要なのは、睡眠が単一の遺伝子だけで制御されているわけではないということです。

(深田)

金谷先生は、もともと最初から睡眠の研究を志していたわけではないと伺いましたが、それは本当でしょうか?

(金谷)

はい、その通りです。実は、ヒドラの研究を始めた当初は、睡眠という現象には全く着目していませんでした。

当時、研究室でヒドラの行動を日々観察していたのですが、ある時、「どうもこの個体は眠っているのではないか」と感じる場面がありました。

餌を与えても反応せず、まったく動かない。ビーカーの中でじっとしていて、「へたっている」というか、まるで倒れ込んでいるかのように見えるヒドラがいたのです。

その姿を見て、「これはもしかしたら、睡眠のような状態なのではないか」と思い、そこから本格的に研究を始めました。

そうした経緯を経て、現在では睡眠そのものを主な研究テーマとするようになった、というわけです。

(深田)

ところで、クラゲには脳があるのでしょうか? ヒドラと同じ「刺胞動物」に分類されますよね。

(金谷)

クラゲもヒドラと同様に、脳はありません。刺胞動物全般において、脳という器官は基本的に存在しないと考えられています。

一部には中枢神経に近いような構造や、眼に似た感覚器官の周辺に神経が集まっている部位もありますが、いわゆる脳は備えていないのが通説です。

(深田)

海でクラゲがぷかぷかと浮いている様子を見ると、「あれ、泳いでいないし、もしかして死んでいるのかな?」と思うことがありますが、実はあれ、寝ていたということでしょうか?

(金谷)

はい、その通りです。私がヒドラの研究を進めていたとき、ちょうど九州大学で研究していたのですが、福岡のある漁師の方から「クラゲが昼寝しているように見える」と言われたことがありました。

つまり、私たちが科学的に研究を始めるよりも前に、すでに漁師の方々は自然観察を通じてその兆候に気づいていた、ということなのですね。

(深田)

なるほど。漁師の方のほうが先に気づいていたとは……これは、後れを取りましたね。

(金谷)

ええ、まさにその通りです。

(深田)

さて、今回出版されたご著書ですが、博士課程の在学中に出版されたとのことで、周囲の反応もかなり大きかったのではないでしょうか?

(金谷)

はい。ありがたいことに、さまざまな方々から反響をいただきました。

(深田)

たとえば、クラスメイトの方々とか?

(金谷)

そうですね。高校の同級生にも読んでもらえて、感想のメッセージをいただいたこともありました。

(深田)

本当に素晴らしい本だと思います。

(金谷)

そうおっしゃっていただけて嬉しいです。ありがとうございます。

(深田)

何が特に素晴らしいかというと、私たち昭和世代からすると非常に懐かしい“科学者の原点”が詰まっている点なのです。先生は何年生まれですか?

(金谷)

平成10年生まれです。

(深田)

平成10年!? いやはや、それは世代差を感じますね。

私たちが子どもの頃に読んだ伝記には、「虫の観察が好きだった子が、そのまま研究者になって有名になった」というような、いわば“良き物語”が多くありました。

本書には、そうした古典的な科学者像が色濃く描かれていて、非常に教育的な価値が高いと感じました。

教育というものは、必ずしも学校の授業の中だけで完結するものではなく、身の回りのものを真剣に観察し、探究することで育まれていくものである――その本質がこの本には込められているように思います。

読み進める中で、著者が子どもの頃から研究に親しみ、試行錯誤を重ねながら発表を続けてきた姿がしっかりと描かれており、非常に感銘を受けました。

(金谷)

本当にありがとうございます。

(深田)

この本は、子育て中のお父さんやお母さんにとっても大きな励みになると思いますし、たとえヒドラや「睡眠」というテーマに興味がなくても、読んでいて楽しめる内容だと思います。

そして私が最も心を動かされたのは、「脳を持たないヒドラが眠る」という、まさに生物学的には重大ともいえる衝撃の事実です。

この帯の一文に惹かれて本を手に取りましたが、科学的な視点、教育的な視点の両面から見ても非常に優れた一冊だと感じました。ぜひ、多くの方々に読んでいただきたいと思います。

ということで、本日は東京大学博士課程の金谷啓之さんにお越しいただきました。金谷さん、本当にありがとうございました。

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