私たちが学んだ歴史はウソ!? 「日本軍は蒋介石の承諾を得て中国へ」は日本最高機密だった?  元航空幕僚長田母神俊雄氏 #344

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【目次】
00:00 1. オープニング
00:40 2. 日本が悪!は誰が作ったのか
02:46 3. 日本軍は蒋介石に招かれた?
05:16 4. 学校が近代史を教えられない
06:27 5. 韓国の若者が認識を変えた
11:11 6. 中国が反日になった理由
13:39 7. アメリカの分断工作と台湾軍
16:37 8. アパ論文事件全貌

(オープニング)

ついに閣下が、私の番組に!先生の話題になったアパ論文は何がいちばん問題だったのですか?歴史は誰によって作られるか?戦勝国によって作られるわけですよね。日本が悪く、連合国が正義と。これが真実かというと、まあ嘘なのですがね。侵略戦争を、15世紀ぐらいからずっとやっていたのは白人国家ですよね。そういう全体構造が間違っていたのと、アパ論文に書いたわけですよ。

(深田)

皆さんこんにちは。政経プラットフォームプロデューサーの深田萌絵です。今回は第29代航空幕僚長・田母神俊雄先生にお越しいただきました。田母神先生、よろしくお願いします。

閣下!ついに閣下が私の番組に出演してくださいました。

(田母神)

私は本当にいい人なのです。

(深田)

本当にいい人です。こんなところにまで来てくださって。

(深田)

田母神先生に前からお伺いしたかったことがあります。先生の話題になったアパ論文(公益財団法人アパ日本再興財団が募集する「真の近現代史観」論文)についてです。あれが国会で大問題になって、いろいろなことが起こったわけですが、あの論文は何がいちばん問題だったのですか?

(田母神)

村山談話や河野談話などで、「日本というのは侵略戦争を起こして、中国大陸、朝鮮半島、東南アジアに迷惑をかけたのだ」というふうに、言っているわけですよね。もう完全に間違いですが。歴史は誰によって作られるかというと、戦勝国によって作られるわけです。

戦勝国アメリカが、戦争に負けた日本にアメリカ発の歴史観を強制するわけです。それは戦後に、渡部昇一先生が「東京裁判史観」と言っていたように、「日本が悪、連合国が正義」という風な歴史観です。これは真実かというと、まあ嘘なのです。日本が侵略戦争をしたのではなくて、侵略戦争を15世紀ぐらいからずっとやってきたのは白人国家です。

日本が大東亜戦争に立ち上がる時点のアジアの独立国は、日本とタイだけですよ。アフリカではエチオピアがもう1か国です。その時、タイはイギリスとフランスが合意の上で、残していたようなとこがあった。自力で残ったのは日本だけですよ。この日本が、白人国家の圧力に屈して、全部言うこと聞いて収まっていたら、多分日本も白人国家の植民地になっていたでしょうね。そうすると、白人国家の全世界植民地化計画が完成ですよ。

(深田)

そうですよね。私が特にお伺いしたかったのが。「日本は中国に侵略しておらず、蒋介石に招かれて日本軍は行ったのだ」というその一言がものすごく気になっています。

(田母神)

日本が朝鮮半島に出ていったとか、中国大陸に出ていったという話がありますが、相手国の意見を無視して出ていったわけではないのです。話し合いをして、相手国との合意の上で出ていっているのですよ。これがなぜ侵略になるのか。世界の常識に照らし合わせれば、侵略しているのはむしろ白人国家です。日本はみんな合意の上で出ていったのですからね。

(深田)

蒋介石の承認を取って、中国大陸まで入っていったのですか?

(田母神)

はい、そうです。

(深田)

蒋介石は合意していたのですか?

(田母神)

そうです、当初は。

(深田)

何故、日本軍が中国に入ることに合意が得られていたのですか?

(田母神)

裏工作ですね。明らかになってきたCIA、USAIDのような組織があったのではないかと思います。それで蒋介石が寝返ることになったわけですよね。

(深田)

蒋介石は、最初は友好的だったのですか?

(田母神)

そうです。蒋介石は、日本に留学しているわけですから。陸軍士官学校に席を置いて、新潟の高田の連隊で教育も受けていた。だから日本派だったわけです、それが、工作によって、彼は寝返ったということでしょうね。

(深田)

なるほど。では彼は日本語を流暢に話せたのですか?

(田母神)

日本に長い間、居たわけですから、ペラペラに話できました。

(深田)

最初は、彼は日本軍に「中国に来て」と言ったのですか?

(田母神)

おそらくそういう話し合いはあったでしょうね。蒋介石の面倒を見た日本の人たちもたくさんいたわけです。そういう人たちも当然、中国を訪問したり、蒋介石がまた日本へ来たりした。蒋介石が「来るな」というのに行ったわけではないのです。

(深田)

なるほど。では最初は蒋介石に誘われて、行っていたのですね。

(田母神)

はい。中国が仕掛けてきたようなところがありますね。

(深田)

罠にはめてきたのですか?

(田母神)

罠にはめるために、お誘いをした。それに日本がどんどん引き釣り込まれていったというようなところがあるのではないでしょうかね。歴史的な事実を、本当に1つ1つ検証すべきです。ですが、ほとんどの現代の日本人は、「日本は中国大陸を侵略した」という話を教育でされて、それ以前がどういう状態だったのかについて話し合われることがないですね。

(深田)

そうですね。私が学校で習った歴史でも、「尊王攘夷で討伐だ!」のような話から、次は「終戦後の歴史」といったように、教育内容が端折られていました。

(田母神)

そう。だからNHKなどは、豊臣秀吉、徳川家康、織田信長の番組を繰り返し放送するけど、近代史のことはほとんど放送しないですよね。近代史の史料は、焚書でずいぶん破棄されたとは言っても、まだかなり残っています。近代史のことを教育でやると、本当の出来事・史実が見えてくるわけですよね。NHKは、日本を悪く言いたいから、近代史の放送をやろうとしない。

(深田)

視聴者が気になって調べたら本当のことが明らかになりますからね。

(田母神)

そうそう、ばれる。

(深田)

最近、韓国では、ユン大統領が罷免されたことを受けて、若者が「実は反日派が韓国人を陥れているのではないか」ということを言い出して、歴史を調べたら「なんだ、日本人は良い人だった」、「韓国の王朝は自分たちを放ったらかしにして、日本からお金もらって贅沢していた」ということに気がついたみたいですね。

(田母神)

そうですね。韓国という国家は、常にロシアに付くか中国に付くか日本に付くか、どこかに身を寄せようとする国でした。そういう中で、日韓併合が1910年にあって、韓国は戦争後の35年間、日本の統治下にあったわけです。その間、日本は本当に韓国を日本の国内だと思っていろいろ面倒を見ました。だから学校をたくさん建てたし、大学まで建てたわけです。韓国の「京城帝国大学」は、帝国大学の中では6番目に作られたのですよ。東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、北海道大学、その後が京城帝国大学を建てた。その4年後に建てたのは台北帝国大学。さらにそれから3年後に大阪帝国大学、8年後に名古屋帝国大学という順番ですよ。

(深田)

大阪よりも先ですか。

(田母神)

大阪や名古屋よりも先に朝鮮半島、台湾に帝国大学を作ったのは日本なのですよ。何のために作ったのかというと、それは現地の人たちにも高等教育を与えるためです。日本がやってきたことというのは、白人国家がやったこととは全く違うのですよ。

(深田)

保守派の塾の先生から歴史を勉強した韓国の若い人たちが、「実は自分たちに教育を与えてくれたのは日本人で、前の王朝は自分たちを奴隷のように扱っていただけなのではないか」と最近言い始めていますね。

(田母神)

全くその通りですよ。日本は「五族協和」(日本、朝鮮、満州、モンゴル、中国の五民族が協調して暮らせる国)を言っていましたでしょう。だから、朝鮮半島の最後の皇太子殿下で李垠(リギン)殿下という方が、10歳の時に日本に来られて、学習院を卒業されて、陸軍士官学校の29期生まで進学されたのですよ。大正天皇と仲が良かったみたいです。終戦時は、宇都宮の陸軍中将でした。そしてこの方の元に嫁いだのが日本の梨本宮家の方子(まさこ)様です。

これは、例えばインドとイギリスでいうと、当時の宗主国イギリスから従属国のインドの王朝へ嫁に行くことはないわけでしょう。でもそれを日本ではやった。大学も建てたし、朝鮮半島の人を士官学校にも入れて将校にもしているのですよ、朝鮮人が、帝国陸軍・海軍の将校になっているのです。当時のインド人がイギリスの士官学校を出てイギリスの将校になることは、ありえないでしょう?でも日本はそれをみんなやったのですよ。

アメリカは、「この日本が悪事を働いた」と、東京裁判などで日本人を裁いた。それに頭を犯されている人たちが、「日本が侵略戦争した」と言っているわけですよ。そういう全体像が間違っているよということを、私はアパ論文の中では言ったのです。

(深田)

それが元で、議会でも問題になったのですか?

(田母神)

そうそう、本当に国会議員は、左巻きだから。もう大体、体も左に傾いているから(笑)。

だから日本がやったことを1つずつ検証していけば、朝鮮半島にたくさん学校を建てて、そして台湾にも、例えば八田與一氏が監督して烏山頭ダムを建造するなど、朝鮮半島も台湾も、日本の内地と同じようにお金を投資して、開発してあげたのです。収奪したわけではないのですよ。

当時は、日本の東北地方などはすごく貧しかった。もっと国内に投資すべきではないかという意見があったにも関わらず、朝鮮半島や台湾に日本はどんどん投資をして、日本国内と同じように発展させようとしたわけですよ。

(深田)

ではなぜ中国大陸に行ったのですか?

(田母神)

中国は、1980年代の半ばまでは、日本が中国を侵略者とは言ってなかったのですよ。いつから言うようになったかというと、中国が、江沢民が主席になってからです。1980年代までに中国に進出していた日本の商社や銀行、そういった人たちは、「中国人は非常に日本に感謝の気持ちを持って、非常に礼節を持って接してくれた」というふうに言っています。

(深田)

なるほど。

(田母神)

だけど江沢民になって、この反日教育が始まったわけです。私はこの裏には、多分アメリカの工作があったと思うのです。中国は1980年半ばぐらいまでは毎日、朝昼晩、アメリカ敵視のラジオをやっていたわけですよ。それが止まり、攻撃の対象がアメリカから日本に移ったのです。だからそこにアメリカかなにかの工作が多分あったのだと、私は推測しますね。

(深田)

では元々は中国も別に反日ではなかったけれど、江沢民の時代から変わってしまった。それで、蒋介石は何年頃に、日本軍を中国大陸へ誘い出したのですか?

(田母神)

アメリカの工作が当然あったのでしょうけれども、蒋介石が、彼の奥さんの宋美齢がアメリカへ行っていた時に、「日本と仲良くするより、もっと力のあるアメリカと仲良くした方が得なのではないか」と思うようになったのではないのかと思います。

(深田)

それに日本がまんまとは嵌められたというところなのですね。

(田母神)

今も日本は嵌められたままなのですよね。長期的に、その後ずっと続いている中国の共産政権に、はめられたままということですよね。

(深田)

そうですよね。台湾は親日だというイメージを持っていますが、どう思われますか?

(田母神)

台湾は、軍が案外親日的ではないのですよ。でも一般の台湾人は非常に親日的ですよね。

(深田)

やはり国民党軍の流れを継いでいるからですか? 

(田母神)

はい、そうです。

(深田)

以前、通信関係の仕事で台湾に行っていて、台湾の軍事関係の通信機器を作っている中小企業のメーカーに仕事を発注したことがあったのですよ。その時の彼らの売り文句は、「自分たちは台湾海軍にも通信機器を納品している」だったのですが、その後、それと同じものを中国にも納品していることが分かったのですよ。「え?同じ通信機器納品していたら危なくないですか?そんなことやっていいのですか?」と聞いたら、「あ、大丈夫。台湾軍は別に気にしないので」という感じで作業をしていたので、「敵対しているはずの台湾と中国の関係性は大丈夫?」と思っていました。

(田母神)

私は、このようなことの裏には、今までアメリカのいわゆる他国に対する内政干渉がすごくあったと思うのです。トランプ大統領になってからは「内政干渉をやめる」ということになってきているけれど、それまでのアメリカ外交の基本方針は「分断」で、いろいろと動いていた。だから、日本と韓国が仲良くなることは、全力を持って妨害する。日本と中国、日本と台湾が仲良くなることも全力で妨害するということですよね。そういう手を次から次と打ってきたのが、アメリカの外交でしょうね。

(深田)

では台湾軍はアメリカの外交政策・戦略に乗って、日本寄りではなくて、違う考えを持っている可能性が高いですか?

(田母神)

あるでしょうね。国民党軍と近いですからね。

(深田)

では我々は、学校で習ったような歴史教育の認識のまま現実にそれを当てはめようとすると、見誤ってしまうということですね。

(田母神)

そうです。だから台湾国民は、日本の統治時代を知っているから、親日的なのでしょう。韓国もそれは知っているけれど、日本が戦争に負けた後すぐに、李承晩(リ・ショウバン)という徹底的に反日感情を持っている男を、わざわざアメリカが大統領に据えたわけですよね。そこから韓国と日本の分断が始まっているのです。

(深田)

なるほど。でも日本国内で、村山談話や河野談話のような政府からの声明があったわけですが、それに反する発言は航空幕僚長であっても許されないのでしょうか?

(田母神)

結局、そういうことでしたね。政府の方針に空幕僚長が反対するようなことを言っていいのかと追及されました。私はあからさまに「談話が間違っている」などとは、『アパ論文』の中では1回も触れずに書いたのですが。

(深田)

大人の対応として、ですね。

(田母神)

そうそう。だけど、その村山談話に反しているのではないかと国会に呼ばれ追及されました。

その時は、役職を解かれた後なので、「村山談話は間違っています」ということをおそらく言ったと思います。それまでは、公然と批判をしたことはなかったですね。

(深田)

意見が違うことを言うと、追及を受けるのですか?

(田母神)

そう。日本は民主主義国家だから、何を言うのも自由であるはずなのですよ。他人を誹謗中傷したり、人に迷惑をかけたりしない限りはね。でも日本は、この言論の自由がかなり後退しています。

(深田)

そうですよね。歴史をいろいろな視点から見ると様々な姿が見えてくるので、いろいろな意見があって当然ですよね。

(田母神)

当時の石破防衛庁長官が、「自衛官はもっと外に向けて発言すべきだ」と海上自衛隊の幹部候補生学校の卒業式かなにかで言われたことがあったのです。私は、国会答弁の中で、「大臣が、もっと外に対して喋れと言っている」、「外で論文などを書いたら、みんな出せ、勉強して。と言っている」と発言しました。

アパ論文を出した経緯についてですが、私は、たまたま石川県の小松基地勤務でした。小松市は、アパグループ(APAホテル経営等の事業グループ)が事業を始めた土地だったのです。私がお世話になっていた人が、「田母神さん、アパ論文に応募しましたか?」と言ってきたのですね。私は、いや出していませんが、現職空幕長なのに応募していいのですかと聞いたら、「ぜひ出してください」と言われまして、そして応募したのですよ。8月の初めに言われて、8月末が締め切りでしたので、2週間ほどで書いて出したのですよ。

それがたまたま最優秀論文に選ばれた。審査委員長の渡部昇一先生に選ばれて、それが元で自衛隊を辞めることになったということです。

(深田)

なるほど。田母神先生のその波乱万丈の人生の始まりですね。

(田母神)

そうそう。でも、自衛隊を退職になったおかげで、講演依頼が殺到しましたね、1年間で330回も講演しました。

(深田)

1年は365日しかないのですが(笑)。

(田母神)

1日2回、3回という日が何度もありました。収入も、空幕長の年収の5倍ほど貰えましたよ。だから当時の麻生総理大臣と浜田靖一防衛大臣に感謝状を差し上げようかなと(笑)。

(深田)

自由になって好きなことが言えるようになったのですね。

(田母神)

それともう1つ面白かったのは、私の再就職先はある程度決まっていたのですが、防衛省が「田母神空幕長の最終就職の面倒を見ない」と言い出した。それで私が職を辞した後、私が外でガンガン好きなことを喋れるようになって2年ほどしたら、防衛省が「防衛産業に入りませんか?」と私に言ってきた。

(深田)

黙らせたいのですね。

(田母神)

そうです。人伝てに理由を聞いたら、「田母神は、外で喋りすぎるから、防衛産業に入れて喋れなくしろ」と防衛省が言っていたらしいのですよ。

(深田)

今度は、黙らせるために職を与えようとしたということですね。

(田母神)

私は「いや、もう間に合っていますから結構です」と断りしました。

でもね、私が辞めた直後には、JR東海の葛西敬之会長と、産経新聞の住田良能社長が、1週間も経たないうちに夕食会をやってくれたのです。葛西会長がその時に、「田母神さん、このような形で自衛隊を辞めたから、多分防衛産業に再就職するのは無理でしょう。よければうちに来ませんか」と言っていただきました。大変嬉しかったのです。

(深田)

それは、お受けになられたのですか?

(田母神)

「よろしくお願いします」とお返事をしていたら、もう1カ月も経たないうちから、講演依頼が殺到して、再就職できる状況ではなかったのですよ。それで葛西会長にお会いして、「会長、本当にありがたいのですが、少し時間がありませんので、とりあえずはお断りします」ということで、就職はしなかったのです。

(深田)

なるほど。

(深田)

今回は、言論の自由を行使して、そして楽しい人生が始まったという晴らしいお話でした。次回はその後の知見の話についてお話をいただきたいと思います。

第29代航空幕僚長の田母神俊雄先生にアパ論文事件についてお話をいただきました。どうも先生ありがとうございました。

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