#337 【都知事と利権屋】明治神宮のイチョウ並木が消える!? 再開発の闇を暴露!  森山高至氏

(オープニング)
明治神宮の再開発でイチョウの木が切り倒され始めている。今後未来に向かってどうするかというスキームを、いつの間にか三井不動産が挿げ替えた。並木は切り倒さなくてもいい計画を立てればいいだけなのですよ。仕事が荒っぽい。築地市場でも、建てた後は放置されている。もう結局、あの小池さんが・・・

(深田)
皆さんこんにちは。政経プラットフォームプロデューサーの深田萌絵です。今回は建築エコノミストの森山高至先生にお越しいただきました。先生、よろしくお願いします。

いよいよ神社問題。最近、X(元ツイッター)上で話題になっている明治神宮の再開発で、最近イチョウの木が切り倒され始めているということで、大騒ぎになっているのですが。何が一体原因なのですか?

(森山)
原因は、これは明治神宮を今後未来に向かってどうするかというスキームを、僕も考えたのですが、それをいつの間にか三井不動産が中身を変えて進めている、それが原因ですよ。

(深田)
あ、乗っ取られたのですか。

(森山)
だと思いますよ。当時、以前にお話した米田勝安先生と、あと三菱総研の人など、いろいろな人たちと集まって検討をしていたのですよ。明治神宮は象徴的な物件だから、明治神宮をどういうふうに活用するか、つまり明治神宮を維持するために、周辺の土地に容積を移して、全体の開発を進めればいいのではないかと。それで明治神宮にはずっと収入が入るようにしましょうというのが最初の趣旨でした。

(深田)
それは明治神宮の中の再開発という話ですか?

(森山)
そうです。だけどいつの間にか、周りのビルの所有者や住民と再開発の調整を行うのはめんどうくさい。小さな雑居ビルもあって、「時間かかる」と思った人がいるのではないか。それで、「こんな周りは放っておいて、明治神宮の中だけ再開発して、これに協力する会社2,3社に参入させればいいのではないか。」というような感じに、今の計画はなっているでしょう?

(深田)
あの開発で、環境がどれぐらい変わるのかということを地域の人に説明する説明会、環境アセスメントのような会があったのですが、小池百合子東京都知事の力で形式的なシャンシャン会議で終わらされた。それと、それを裏で支えていたのが、森喜朗元総理にお願いされた萩生田光一衆議院議員だったのです。

(森山)
なるほど。もともと森喜朗元総理は、明治神宮をきちんと維持していくことに関しては積極的だったのですよ。石原慎太郎元東京都知事も、慶應義塾大学病院が高層化する時には「やめろ。神社の景観を壊すのではないよ」と言っていました。それが、まあなんというか、「明治神宮の中だけでやれば話が早い」と変わっていった。
あと、明治神宮から、明治神宮名誉宮司の外山勝志氏が追放されているのですよ。

(深田)
えっ、その方は本家の方ですか?

(森山)
そう。戦後の明治神宮の宮司をずっとやっていた人で、明治神宮の企画は、外山宮司だけの権限でできるということになっていたらしいのですよ。それで、オリンピックのスタジアムを何処に設置するかの問題で揉めている時に、外山さんの家に銃弾を撃ち込まれ、物騒な事件がいろいろあった後に、いつの間にか外山さんがいなくなった。

(深田)
それは普通、逃げますよね。

(森山)
そう。最後は、九州の福岡かどこかにおられたらしいです。

その後は、明治神宮は11人か12人かの合議制ということになり、意見を聞く委員会というのができて、その委員会の中に三井不動産の社長や会長、小池都知事が入ってきて、結果的に、意思決定する人と、それを受け持つ人が一体化したようなメンバーでの開発になっていったのですよ。

(深田)
なにかプンプン匂います。

(森山)
そう。再開発地区に住んでいる住民と、再開発推進側とが、同一人物のような状態になっていく。

(深田)
もうほとんどマッチポンプ(調整できたように見せ掛けて物事を進める)ですよね。

(森山)
アセスメント(正しい監査)に関しては日本で1番の権威という先生がおられますが、その先生も呆れていましたよ。本当にアセスメントに全然なっていない。

(深田)
アセスメントになってないまま、イチョウ並木を切り倒していっている。

(森山)
あれも本当は、イチョウ並木を切り倒さなくてもいい計画を立てれば良いだけなのですよ。神社の形を維持するような計画を立てれば良いのに、「この辺を変更したいな」と神社の形を変える話を始めるわけですよ。野球場の近くにホテルを建てたら、野球が見えるホテルとして高く売れるとか、すごくしょうもないことをやり始めたわけです。それで、あの配置計画が少し難しい配置になっているから、「この辺のイチョウを少し切らなくてはダメだ」みたいな話になってしまったのですね。そこがそもそもおかしい。

(深田)
そうですよね。環境問題をすごく軽んじていますね。

(森山)
あと、都営住宅での問題も色々あったわけです。本来は、そこの住民の人たちを巻き込んで、新しい地域創り、住民を増やすことをまずやらないと、街は盛り上がらないですよね。結局、都営住宅は調整に時間が掛かるから、再開発デベロッパーは手を付けようとしない。だから本当に仕事が荒っぽい。

築地市場もそうですよ。築地市場もややこしい権利がたくさんあったので、あれを白紙状態にすれば再開発できのではないかと、今は更地になって放置されているでしょう。もう何年放置されているのだろう。6年、7年経つのではないか?

(深田)
築地は、どうなったのですか?

(森山)
築地は今も更地のまま放置ですよ。

(深田)
なにかそこにマンションが建つような話はありますか?

(森山)
読売新聞の渡邉恒雄元社長が生きていた時は、ジャイアンツのスタジアムを持ってきて、周りにマンションを建てるという案が発表されていました。でも本当にできるのかという問題がある。

(深田)
どうしてできないのですか?

(森山)
そこに本当にスタジアムが必要なのかという話もあるでしょう?

(深田)
そうですね。

(森山)

少しでも、みんなのためと言えるような絵面を作っているわけですよ。あれも三井不動産。だから「ジャイアンツスタジアムだったらみんな文句言わないのではないの?」とすごく安易に置いているのではないか。

(深田)
今その開発が進んでないのはどうしてなのですか?

(森山)
良い絵面がないからなのでしょう。

(深田)
少なくともマンションだけでも建てればよいのでは?

(森山)
三井不動産さんはやりたいのでしょうけど、今は建設費が高騰しているし、中野のサンプラザの再開発も止まっている状況もあって、担当者が「俺が部長の時に間に合わないな」と思って、やり始めていないのではないか。

(深田)
あーなるほど。

(森山)
多分そういう開発の担当者の心持ちだと思う。

(深田)
わざわざあそこを利権化するために築地市場を豊洲の方に移転させたわけですよね?

(森山)

そう。そもそもバブルの頃、築地市場は取扱量が多くて、「少し手狭だからなんとかしよう」という話になり、その場で広く建て直すか、他に移すかで揉めていたのです。それで、近くの晴海というエリアに移そうかという話もあったのですよ。

(深田)
あそこには晴海フラッグが出来ましたね。

(森山)
そうそう。結局は、その埋立地で、地権の権利者が少ない所にしようと決まった。

築地の方が銀座に近いからより価値があるとされていましたが、だんだん流通量が減っていったのですよ。市場ルールが崩れていった。生鮮食品には、卸売市場制度というのが元々あって、「市場を通して取引する」、「食い物を投機に使わない」とされていました。大正時代に、お米が買えなくなるという米騒動が起きたことがあり、今後はそのような事が二度と起きないように、特定の商社や人の買い占めが起きないようにと、卸売市場制度を作ったのです。

その象徴的な存在が、あの築地の市場だったわけです。だからその頃に作られた同じような趣旨に沿って、築地移転計画を練れば良かったのですが、市場の取引ではなくて、直接相対取引ということをやってもいい、スーパーは買い付けてもいいとなり、築地の取扱量がだんだん減ってきたのです。それで無理に広くしなくてもよいという状況になった。

ただ同時に逆の現象も起きました。築地は外国からの観光客に受けが良くて、一大観光地化していったのです。築地市場も築地場外市場(民間の卸問屋街)も。飛行機で日本に来て、時差ボケ状態だから夜中の2時、3時に起きても、遊びに行く所はないじゃないですか。でも「その時間帯に賑わっている場所がある、それは築地だ!」ということで、外国人がたくさん築地に来るようになったのです。

(深田)
その時間に起きている人にとって、あんなにすごくエンターテイメントな場所はないですよね。

(森山)
そうそう。それで築地市場は外国の人たちにすごく有名になったので、元々の一部の機能が縮小している状況でも、日本の食文化の発信地みたいになる可能性があるから、「移転しないで」と私は言っていたわけです。規模縮小して新しくすればいいじゃないですかと。

あと、中央区とか港区というのは、日本中の町のお土産物屋のようなアンテナショップがたくさん集まっているのですよ。私は「それを築地に集めろ」と言っていた。そしたら新しい市場ができるじゃないですか。「築地に行けば、どんな地方の名物も買える」、「食のメッカみたいにすればいい」、「豊洲は、別の新しい流通にすればいいじゃない」という話をしていたのですが、結局、小池都知事が「あっちもこっちも、どっちもダメ」、「AIが決めたのよ」と言って全部壊した。

そもそも小池都知事の取り巻きには変な人物がたくさんいたのですよ。その人たちが毎日いろいろなこと言っていた。私から見たらバカばかり。小池都知事になにかご進言している変な人物がたくさんいた。だから小池都知事は自民党と折り合いを着けようというふうにしたのではないか?

(深田)
まあそうですよね。そもそも移転させたいと言っていたのは誰だったのですか?

そういえば、築地の元々のドン(権力者)のような人が居ましたよね。

(森山)
老舗パン店「築地木村家」4代目の内田秀司さんという人がいましたね。でも、あの人は築地にはこだわってはいなかったと思います。

ただ、石原慎太郎元都知事が「移せばいいじゃない」って言ったのです。「ここを活用しよう。銀座も近いし」と。その視点は分かるのですよ。本当は新しい形の市場として活用するのが一番良かったわけですよ。食文化の発信地にしよう。周りに料理学校も集めようとね。

それが実現すれば、あそこには朝から晩まで人がいる、すごい街になったと思います。

(深田)
そうですよね。

(森山)
でも今は更地。何もない。

(深田)
何もない。何故こんなにずっと更地なのかな?晴海フラッグはゴーストタウンみたいになっていますね。

(森山)
そう。開発している人たちにビジョンが全く無いからではないか。

(深田)
ああ、そうですよね。その新しい豊洲の市場の隣に建てられた和風のセンターがあるじゃないですか。インバウンド向けに、そこの海鮮丼はとても高いのですよ。

(森山)

そうね。だからもう全く間違っているのです。あんなに遠い場所、市街地とは少し繋がりがないでしょう?

(深田)
繋がっていないです。

(森山)
だから東京の他の町とも繋がっていないし、元々の豊洲の町とも繋がっていない。だから本当に孤立した状態。

(深田)
豊洲市場とは言っているのですが、豊洲とは関係ない場所にありますね。

(森山)
既存の豊洲の町の若い人たちの集まっているエリアとは関係ない。地図で見ると近そうに見えるけど、すごく距離が離れていますからね。

(深田)
あそこは遠いですよね。

(森山)
だから人が歩いて町として繋がってくような距離感では全くないのですよ。スケール感がおかしいから。

(深田)
全然違いますね。築地市場だと、銀座から少し歩いて、夜にタクシーに乗らなくても、銀座にお泊まりの人は徒歩で遊びに行ける場所だった。

(森山)
そうそう。それとあの辺は、少し細い路地のような道がたくさんあるでしょう。やはり人がそこにいて、楽しい場所というのは、小さくないといけないのですよ。

(深田)
なにかこう冒険している感覚ですよね。

(森山)
そうそう。だから、すごく土地が広くて大きな道路が通っているところは、歩いていても冬は寒いし、夏は暑いし、少しも楽しくないじゃないですか。辛いじゃないですか。

(深田)
そうですよね。

(森山)
だからそれを、なぜか戦後の都市開発というのは「広い道路を通して、広い区画にする」ということしかやっていなくて。細かく小さくすることを全然計画しないのですよ。だから、やはりこう人間が感じ取る快感という空間にはならないですよね。

(深田)
そうですね。やはり細い路地の中にある小さな店が意外と美味しかったりします。

(森山)
そうそう。だからゴールデン街には、すごく外国の人が来ているじゃないですか。新宿ゴールデン街とか、駅裏のなんとか横丁とかもね。やはりそういったところの方が、たたずまいもやっぱり楽しい。あとね、若い人がチャレンジしやすいですよね。小さい分だけ、家賃も安くなる。それで失敗しても撤退しやすい。だからやはり本来は、テナントを小さく並べてあげることを、これからは商業施設開発で考えていかないと、新しい人が参入しづらい。

(深田)
うん、そうですよね。

(森山)
大規模開発になると、大手会社しか参入できない。

(深田)
そうですよね。それで、築地移転問題の時は、築地市場移転反対を訴えて、東京都議会議員選挙に立候補したのですか?

(森山)
そう。築地の「自分たちは、あそこに残りたい」という人たちから、「応援するから、都議選に出てくれ」と言われて、「まあ仕方ないな」という感じで出馬しました。それで築地の場外に選挙事務所を作った。初めて中央区に、築地に選挙事務所ができたと言って、みんなすごく喜んでくれました。

(深田)
そんなに好かれていたのですか?

(森山)
わからないけど、「築地を残せ」と言ったからだと思う。築地市場問題の時に、反対している人がたくさんいる中、実は私は反対ではなく、「これはおかしいよ」「こうするべきだよ」としか言ってない。だけど、その町のいろいろな人が応援してくれましたよ。

(深田)
そうですよね。

(森山)
まあ築地は、時間が変わっていて、朝3時4時から活動がスタートしている町だから、選挙活動を私は朝4時からやっていたからね。朝4時に「おはようございます」と言っていました(笑)

(深田)
分かります。私は築地市場の人が結構住んでいるマンションに居るので、朝の3時は騒がしいですよ。

(森山)
そうでしょう。トラックも来るし。

(深田)
はい、ガサガサしていて。

(森山)
していますよね。早朝からガサガサし始めて、せわしなくなってくる。でも、それがいいのですよ。あの街に少し住んでいたから、大体朝3時4時は騒しく、市場の仕事が終わった後のお昼頃はシーンと静かになるからね。だからお昼頃、私は寝ていました。

(深田)
私も、銭湯で風呂に入っている時に、築地のおばさんから「あなた深田萌絵さんね、築地市場移転反対に協力してください」と裸で言われることがありました(笑)。

(森山)
そうそう。築地おかみさん会といって、築地の市場で働いているお姉さんたちからずいぶんと私の応援をしてもらったのですよ。

(深田)
あー、わかります。

(森山)

東京の人では全然ないのですけどね。

(深田)
そうそう、全然違うのだけどね。

(森山)
あそこは東京のど真ん中だけど、なにか田舎のような所なのですよ。下町とも少し違う。

(深田)
そうそう、すごく良い街ですよね。

(森山)
良い所でしたね。でも今は、市場がなくなってからは、家を売ったり、建て替えてビルにしたりしている人がどんどん出てきていますね。そもそも築地の場外のことを調べると、あそこは元々本願寺の宿坊(宿泊施設)の跡なのですよ。あと、川や運河の上に平気で建物を建ててきた所だから、さきほど言った神社と同じで「この土地、誰のものなの?」というような土地所有者が不明な土地もある。

(深田)

そこでなにかのお店をやっていた人も、誰の土地なのかよくわかっていないこともあるというような話ですね。東京ミステリーですね。

(森山)
あと、築地場外市場の中にお墓があったのですよ。ラーメン屋などが並んでいる通りの裏がお墓だったりしたのですよ。日本橋にも結構昔の旧借地権(契約期間が更新され継続的に土地を利用できる)の人が居ますでしょう。だから街並みが同じ様な感じ。それと、甘酒横丁(日本橋人形町)の辺りも、昔のままの土地のしがらみが残っている場所が結構あるのですよ。

(深田)

この明治神宮問題、神社マンション問題、そして築地市場問題については、大体なにか森喜朗元総理や小池都知事の影がチラつきますね。

(森山)

そうです。彼らは後から東京へ来た人たちだから、元から住んでいる人、きちんとアドバイスできる人が加わって、本当に建築、その事業のこと、文化なども分かる人たちで委員会を作らないと、街が壊される。

(深田)
その委員会を作る時に、御用学者だけを入れていますね。

(森山)
そうですね。それは、役所の人が自分の仕事をスムーズに進めたいものだから、御用学者を登用するし、御用学者も関わったことが勲章のように感じて参入してくる。

だから、そんな人ばかりが関わってくる。本当にどうすればいいのですかね?

(深田)
ええ、本当にどうすればいいのですかね。築地問題では、みんなで頑張って反対運動されていましたね。

(森山)
そうね。だから築地は、これから本当にどう利用するか、考えるチャンスはあります。単に分譲マンションなどにしたら本当にダメでしょうね。

(深田)
でも分譲マンションにはなるのではないですか?

(森山)

その部分は必要でしょう。一部は分譲して資金回収しなくてはいけない。では「どんなコンセプトでやるの?」ということが大事だから、あの場所は、食文化にもう1回戻すべきだと思います。

(深田)
そうですよね。

(森山)
食文化を創って料理学校を呼び込んで、また新しい流通拠点を作って、もう少し人が集まって、いつも楽しい、賑やかな街にした方がいいと思いますね。

また、あそこは神社のような場所でもあり、波除神社があった所です。築地は埋立地で、海が近く洪水に浸かり易い場所だから、そのようなことが起きないように、禍が来ないようにと、波を避ける願いを祀る神社を建立した。水神様も恐ろしいからね。そういうのを鎮めましょうという場所ですから。

(深田)
はい、ということで今回は、現築エコノミストの森山高至先生に、東京都内で起こっている様々な問題について…

(森山)
まあ神様の話ね。このまま行くと、神様に怒られるかもしれないよという話。

(深田)
そうですよね。「天罰よ、下れ」ということでした(笑)。ありがとうございました。

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