#334 山上徹也からのDM。 闇を暴けば議員から脅迫、政治とカルトの深い関係とは? 鈴木エイト氏
(深田)
皆さんこんにちは、政経プラットフォーム、ITビジネスアナリストの深田萌絵です。今回はジャーナリストで作家の鈴木エイトさんにお越しいただきました。これまでは統一教会と自民党の問題についてお話しいただきましたが、今回は山上徹也被告について、この人がどのような人物だったのか、今後どうなっていくのかなど、お聞きしたいです。
(鈴木)
今、どうなっているのかという点に関して、皆さんも疑問を持たれていると思います。「裁判まだ始まっていないの?」など、色々と言われていますが、現状では、公判はまだ始まっていないです。
おそらく今年の秋ごろに始まるのではないかと思われます。動機面であるとか、なぜ彼が事件を起こしたのかという点については、警察発表や弁護団が一部を記者に説明している話しか出ていません。彼の肉声や公判が始まった際に何を語るのかという点については、まだわからないです。あくまで憶測の段階です。
ただ、僕は彼の弁護団に継続的に取材を行っており、どういう状況なのかという点については追い続けてきました。
彼の母親は今も統一教会の信者で、亡くなった夫の保険金などを含めて、1億円以上のお金を教団に献金しており、それにより家庭が崩壊したという経緯があります。そのような恨みが動機ではないかと言われていますが、そこの繋がりはまだ詳しくはわかっていないのが実情です。ただ、少なくとも報道されていない話をすると、彼は「自分のためにやった」という感じではないという話もあります。
教団から数千万円が返金された時期があったのですが、それに関して「自分はいい、自分の生活はできるから、それは兄弟に当ててくれ」と言っていたそうです。つまり、単に自分の恨みで事件を起こしたというのではないという指摘もあります。それで皆さんの一番の疑問は「なぜこんなに裁判が始まらないのか」という点だと思います。
(深田)
そうですよ。
(鈴木)
事件が起きたのは2022年7月8日で、もうすぐ3年が経ちます。一方で、その後に起こった和歌山の爆発物(パイプ爆弾)投げ込み事件(2023年4月、岸田文雄前首相殺人未遂)は、一審の判決(木村隆二被告、懲役10年)がすでに出ているという状況ですよね。
(深田)
そうですよね。
(鈴木)
そうです。それと比べても遅いのは明らかです。しかし、意図的に遅らせているというわけでは決してないです。証拠の数が多すぎるのです。事件に関しては、証拠が4000点以上あります。
(鈴木)
弁護方針を決定するにあたり、まずは争点整理をしなければいけません。当然、証拠開示請求を行うのですが、4000点以上ある証拠にはタイトルしか示されておらず、内容の推測をもとに開示請求を行い、それに対する吟味をして「では、次はこれ」とやり取りに相当な時間がかかっているのです。
検察から自動的に任意開示される証拠は一部いかないので、それ以外はすべて個別に開示請求が必要です。そうしたやり取りが続いていて、争点整理がなかなか進まなかったという経緯があり、これだけ時間がかかっていると思います。3か月半おきに公判前整理手続をして、その合間には進行協議も行われていますが、なかなか前に進まなかったというのが、ここまでの流れです。
(深田)
そうなのですね。そもそも山上被告は、容疑を認めているのですか?
(鈴木)
警察の取り調べに対してはそうですね。事件直後の警察署での弁解録取では、自分がやったことを認めており「自分ではない」といった供述はしていません。裁判で「自分ではない」と言い出す可能性はないとは言えませんが、おそらくないだろう思われます。では、何が争点になるのかというと、なぜ彼が事件を起こしたのか、という点になります。ただ、情状鑑定は却下されています。
(深田)
情状鑑定?
(鈴木)
はい、情状鑑定です。精神鑑定はすでに終了しており、刑事責任能力はあるとなっています。情状鑑定というのは、なぜ彼が事件を起こしたのかということについて、精神科医や臨床心理士などいろいろな専門家が情状面を鑑定するものです。弁護団としては、宗教学者や社会学者、臨床心理士などの専門家でチームを組み、弁護方針を立てる中で、情状鑑定を請求したのですが、却下されました。
争点整理で、裁判で何を争点とするのかという点については、ある程度整理が進んでおり、弁護方針もある程度固まってきています。状況としては、夏は無理だが秋ごろに公判が始まるのではないかという見通しです。
この事件に関しては、僕はずっと第三者的に取材をしてきました。当然、この問題を追ってきたので、クローズアップされることになりましたが、あくまで取材者という第三者的な関わりだったのですね。ただ、2冊目と3冊目の本にも書いたのですが、実は事件の9日前に、彼は僕にメッセージを送ってきていました。
(深田)
本人からメッセージがあったのですか?
(鈴木)
そうです。Twitter(現X)です。最初、僕はそのメッセージに気づいていなかったのです。事件から半年後に、弁護人から「そういえば、この間、接見した時に『事件の9日前にエイトさんにメッセージを送ったけど、返信がなかった」言っていましたよ」と、ぽろっと言われて、ものすごくショックを受けました。もしそれが事件を示唆する内容が書かれていたとしたら、自分は事件を止められたのではないかと思うのです。
(深田)
自責の念ですか。
(鈴木)
そうです。安倍晋三という政治家が命を落とさずに、正当な政治追及ができたのではないか。教団の被害者である山上徹也という人間を犯罪者にすることを止められたのではないか。僕は基本的にあまり落ち込まないのですが、その時は自責の念でものすごく落ち込みました。
その後、僕の落ち込みを感じ取った弁護人が、次の接見の時に「実は返事は来ていたそうですよ、やり取りしていましたよ」と言ってくれました。その内容を詳しく聞いてもらったところ、事件を示唆する内容ではなかったのですが、彼が僕の記事をずっと読んでいたということが書かれてありました。
彼が安倍元首相を狙ったのは、統一教会との関係を確信したからであり、その根拠になったのが僕の記事だった、ということになるのです。そうなると、自分は取材者としての第三者的な立場から、重大事件の犯人の動機に関わる存在になってしまった。そうすると、取材者としての自分の立ち位置が変わり、第三者から当事者性を帯びてしまうという別の葛藤が出てきたのですね。
(深田)
安倍さん自身と統一教会が、そこまで深く関わっていたということですか?
(鈴木)
安倍さんは一時期、距離を置いていました。しかし、2013年の第二次安倍政権発足にあたり、統一教会側からのアプローチもあって、彼自身が統治教会と協力するようになった。そして2021年9月には、統一教会系のイベントにビデオメッセージを送って、リモート登壇という形で参加しました。そこまで関係を隠さなくなり、明らかに一線を越えてしまったということはあります。
多くの被害者がこれを見たとき、憤りや絶望感を抱いたので、それがトリガーになったことは間違いないです。安倍さんがあそこまで統一教会にコミットしてしまったことが引き起こした悲劇という側面はあります。逆に言えば、「そんなことをすると、とんでもないことになります、こんな団体と関係を持ってはいけません」という重大性を、僕も弁護士団体も、政治家に理解してもらえなかったところがあります。
教団の被害者が教団のトップを狙うというのは、それはあり得るだろうと思っていました。実際、そういう事件は過去にも少しありました。しかし、まさか教団と関係を持ってきた政治家に憤りを向けた事件が起こるとは自分自身も想定できていなかった。そういう点でも、自分の理解が足りなかったのではないかという反省はあります。
(深田)
山上被告は、安倍さんを恨んでいたのですか?
(鈴木)
それが分からないのです。現状は、教団への恨みを、教団と関係を持っていた政治家に向けたという流れになっています。ただ、彼が安倍さん個人に、直接的な憤りや恨みを向けていた可能性もあるし、逆に社会を変えようという意図で行動したという可能性もあります。ただ、彼の証言として現在出てきているのは、「こんなことになるとは思っていなかった」という状況です。したがって、この事件は非常に危うい議論を呼びます。
この事件がテロかどうかという点については議論があるにしても、大きな事件なりました。これにより、社会が動いてしまったとか、犯人の思う壺になってしまったという議論をする人がいますが、それは全く筋違いで別の論点の話です。
事件は報道自体をすべきではないという議論になることがあるので、そこは全部潰していかないといけないと思っています。「犯人の思う壺じゃないか」という議論は、一見、分かりやすいので、これをどのように潰すのか少し悩ましいところです。
(深田)
山上被告自身は、動機を語っているのでしょうか?
(鈴木)
警察の取り調べのレベルであるので、実際のところは分かりません。彼が事件前にTwitterに書いていた内容などから、分析はされていますが、ただ悩ましいのは、公判が始まって彼が罪状認否であるとか、何を語るかということです。
それが事件当時の彼の心証とイコールとは限らないので、その辺は難しいところです。当然、弁護方針に則って話すでしょう。ある程度正直に話すと思われます。ただ、誰とも接見しておらず、手記を出すかもわかりません。内心ではどう思っているのかもはっきりとは分かりません。ただ、頭の良い人ではあると思います。私とのやり取りでも非常に理知的でした。
僕は彼を擁護するつもりはありませんが、山上徹也という存在は、秋ごろ公判が始まってくるあたりから、いろいろな意味で注目されると思います。
(深田)
山上被告は、自分の生い立ちから、統一教会を憎むようになったということでしょうか?
(鈴木)
そうですね。家庭を崩壊させた元凶だと当然思っているでしょう。教団からの返金が止まり、お兄さんが病気を抱えていたこともあって、自殺してしまったという経緯もあります。彼自身の生活も、うまくいっていなかった部分があるでしょう。
彼の生家はなくなっているのですが、この前私はその跡地から、彼が長年暮らしてきた所をすべて回ってきました。事件当時に彼が住んでいたマンションにも行ってみました。
(深田)
新大宮ですよね。
(鈴木)
そうです。
彼の視点はどうだったのかということを追体験してきました。すごい孤独といろいろな寂寥感を感じました。その帰結点が2022年7月8日、大和西大寺の駅前だったのです。
今は大分、様変わりをしていますが、事件の翌月に現地へ行って、安倍さんが立っていた場所も含めて、同じ場所に立ってみました。あの事件が起こるまで何かできなかったのか、そういうことを考えさせられる非常に大きな事件だったと改めて感じました。
(鈴木)
あの衝撃からもうすぐ3年になりますが、深田さんはあの時どこにいたのか、当日のこと覚えてまいすか?
(深田)
当日のことは覚えています。インドカレー店でカレーを食べようとしたときに
うちの会社を一緒に経営している人から電話がかかってきて「安倍さんが今、殺された」と言ったのです。
(鈴木)
「撃たれた」ではなく「殺された」ですね。
(深田)
「殺された」と言いました。それで、「すぐにどこか信頼できる人のところに行け、一人でいるな」と言われました。
(鈴木)
それは深田さんも危ないという意味ですか?
(深田)
一人でいるのが危ないかもしれないということです。まずは「安倍さんに対する追悼の意を出して、その後、信頼できる人のところに行け」と言われました。ちょうどカレーが出てきて「いただきます」と食べようとした時に電話が鳴ったのです。「安倍さんが今亡くなった、殺された」と言われ「嘘でしょう」と思い、ニュースを見たら本当だった。
すごく印象的でした。安倍さんが亡くなったというのも驚きで、カレーを食べずに出ることになった未練がありました。変な話ですが、そのカレー屋さんのカレーが好きだったのです。
それですぐに「安倍さんにツイートを出さないといけない」と思い、タクシーで自宅のスタジオに向かって、そこでツイートを出しました。その後、すぐに信頼できる人のところに移動して、自分の気持ちが落ち着くのを待つ、という状況でした。
(鈴木)
あの日のことはみんなよく覚えていますよね。
(深田)
覚えています。すごく鮮明に覚えています。
(鈴木)
僕も自宅でニュースを見て、その後、家族で出かけてホテルに泊まる予定だったのですが、本当に血の気が引く思いで、とにかくものすごいショックでした。
当初は「イデロギー的な問題や対立、暴力団絡みの話が出て「これで自分が追ってきたことは一切、闇に葬られるんだな」という寂寥感がありました。
その中で“ある団体への恨み”というのが、ちょうど午後2時か3時ぐらいに報じられた瞬間に「ああ、これはもう統一教会に間違いないな」と思いました。
逆の意味で血の気が引いて、これはもう自分を巻き込んだ大騒動になるなという感覚でした。そこから人からいろいろな人から連絡が来て、激動の日々が始まったという感じですよね。だから僕も、あの日のことは自分の感情を含めて鮮明に覚えています。
この事件の衝撃の大きさに最初は受け止められなくて、2、3週間は精神的にもかなり不安定な時期がありましたね。
(深田)
自分の国で、我が国の元首相が白昼堂々と銃殺されるというのは、すごくショックですよね。
(鈴木)
ある意味、日本で一番有名な政治家が、ということですよね。
(深田)
そうです。私も、安倍さんが「すごい人だな」と思う時と「この政策はひどいんじゃないの?」と時があり、両面の気持ちがありました。ただ、彼が撃たれた場所は、私が子供の頃に毎日使っていた場所なのです。私も西大寺の近くに住んでいて、西大寺幼稚園に通っていました。
ものすごく狭い道のバスターミナルの前で撃たれたというのと、変な三角地帯のゼブラゾーン、あんなところで演説する⁉と驚きました。それから、当時の奈良県警のトップ(県警本部長)と会ったことがあるのです。
(鈴木)
そうですか。 事件の前ですか?
(深田)事件の前ですね。2019年の12月にお会いしました。パナソニックの子会社で、軍事に転用できる半導体を作っている会社があるけれども、それを中国系の会社に売るという話がありました。これはワッセナーアレンジメント違反になるかもしれない。我が国の輸出規制違反にもなるし、外為法違反にもなる可能性がある。それに加えて、アレンジメントに抵触するのではないかと話をしに行ったのです。
その時の担当者が鬼塚友章さんという方で、安倍さんがすごく信頼している人物でした。もともと内閣情報調査室のひとです。そういう人が警備に当たっていた。
(鈴木)
僕も関西に行くたびにあの場所を訪ねるのですが、行くたびにいろいろなことを考えさせられます。あの場所が強く心に刻まれているのですよ。これはまだずっと続いていくのだろうなと感じます。事件の翌年の7月に行った時に、献花の現場で「何しに来たんだ? 帰れ」と言われたこともありました。
(深田)
ああ、そうですか。
(鈴木)
僕に対して、安倍さんを貶める活動をしていると勘違いしていると思うのです。一方で「応援しています」という人もいました。そういったギャップをどうやって埋めていこうかとも考えました。去年も、その献花を仕切っていた自民党の奈良県連の方とあまり良くない関係だったのですが、その後は和解して、やりとりしています。
今度でちょうど3年になりますので、去年のような献花とか式典はやらないかもしれませんが、僕は現地に行くつもりです。公判が始まるまでに、この事件の重みや衝撃を再び多くの人が追体験することになるのかなと思います。
(深田)
そうですね。今年の秋に公判が始まるということで。
(鈴木)
まだ確定ではないですが、おそらくそういう流れではないかと思っています。始まったら、僕もずっと向こうに行こうとは思っています。ものすごい倍率になると思いますので、傍聴できないかもしれませんが、彼の第一声というのはかなり重要になってくると思います。
(深田)
そうですよね。私も行こうかな。地元の人間としては、なぜあの時に近くの病院ではなくて、遠い病院まで搬送されたのか、すごく不気味ですよね。
(鈴木)
いろいろな陰謀的な話が生まれやすい環境と状況がありましたね。確かに。
(深田)
はい、今回はジャーナリスト・作家の鈴木エイトさんに、山上徹也という人はどういう人物だったのかということについてお話を伺いました。先生、どうもありがとうございました。
(鈴木)ありがとうございました。