氷河期世代支援は単なる企業利権!? 本当に必要なのは〇〇支援という真相 海老原嗣生氏 #336

【目次】
00:00 1. オープニング
01:42 2. 氷河期世代は金融資産100万円少
04:36 3. 低年金で本当に困っているのは誰
08:26 4. 氷河期世代は特別じゃない
09:59 5.男性の給与を下げた?構造的問題
12:30 6. 企業が学歴で選ぶ理由
15:18 7. 無駄な氷河期支援策へ
(深田)
皆さん、こんにちは。政経プラットフォームITビジネスアナリストの深田萌絵です。
今回は、雇用ジャーナリストの海老原嗣生先生にお越しいただきました。どうか本日は真面目にお願いいたします。よろしくお願いします。
(海老原)
はい、暑さが増してまいりましたね。
(深田)
そうですね。
さて、今回は「就職氷河期世代の政策をどうするか」というテーマで、3回目の対談となります。
前回もお話ししたとおり、就職氷河期世代は、他の世代と比較して同年代における金融資産が約100万円少ないとされています。
この金融資産の差には、何か原因があるのでしょうか。
(海老原)
本日は、この点についてしっかりと掘り下げていきたいと考えております。私自身も、就職氷河期世代に関する調査を行っています。たとえば、30歳前後になると収入は徐々に追いついてくる傾向があります。しかし、その30歳に至るまでの非正規雇用だった方々も、一定数存在しているのです。
さらに、たとえ初めから比較的良い企業に就職できた場合でも、「もう少し条件の良い企業に入ることができたかもしれない」というケースが見受けられます。
こうした小さな差の積み重ねが、最終的には何パーセントかの経済的格差として表れていると考えられます。
しかし、統計上においては、その差が極端に大きいわけではありません。実のところ、別の要因が影響している可能性もあるのです。
たとえば、これは男性の大卒者のデータに基づいた話ですが、実は、女性側の状況が大きく影響しているのです。
つまり、女性が経済的に優位な立場を獲得してきているという現実があります。まずは、その点に着目したいと思います。
具体例として年金制度を挙げると、男性の年金受給額は平均してマイナス6.1%となっています。
年金は積立方式であり、給与に応じて拠出額が決まる仕組みであるため、年金額の減少はすなわち、生涯にわたる給与水準が低かったことを意味します。
この点から考えると、貯蓄額も同様に減少していると考えられ、年金受給額が6%減少しているのであれば、貯蓄もおおよそ6%程度減っていると見なすことができます。
結果として、「やはり状況はかなり厳しい」という評価にならざるを得ないのです。
(深田)
これは将来的に受け取れる年金額が少なくなっていることが、金融資産の減少に結びついているという理解でよろしいでしょうか。
(海老原)
そのとおりです。すなわち、給与水準が低かったために、年金に対する拠出金額も十分ではなかったということです。年金というのは、将来において給与の一部を受け取る仕組みであるため、拠出が少なければ、当然その受給額も減少します。
このように、構造的な要因によって年金が低くなっているという説明が可能なのです。
(深田)
なるほど。それでは、これは年金制度そのものに問題があるということでしょうか。
(海老原)
いえ、年金制度自体に問題があるわけではありません。年金制度の内容については、また別の機会に詳しくお話ししたいと思いますが、制度そのものは非常にしっかりと設計されています。
ただ、こちらをご覧ください。これは男性の年金受給額に関するデータですが、ぜひ「平均値」に注目していただきたいのです。つまり、男女を合わせた全体の平均値です。
(深田)
女性も同様の傾向が見られるのでしょうか。
(海老原)
これはあくまで平均値に基づいた数値です。そして、男女の平均で見た場合、実はそれほど大きな差はありません。むしろ、女性についてはプラス5.4%という結果が出ています。
(深田)
それはどういう意味なのでしょうか。
(海老原)
もともと、女性は高等学校卒業が大多数であり、就職においては事務職以外にほとんど選択肢がないという状況に置かれていました。
しかしながら、時代が進むにつれて、たとえ短期大学を卒業しても事務職自体が減少傾向にありました。そうした背景のもと、「短大に進学しても意味がない」と考えるようになり、女性の高学歴化が急速に進んでいったのです。
そして、学問に取り組めば、能力的には男女に差はありませんから、当然ながら早稲田大学や慶應義塾大学といった難関校にも入学する女性が増えていきました。深田さんご自身が、その象徴的な存在といえるでしょう。
このようにして、女性が高等教育を受けることが一般的になった結果、女性の社会的地位は大きく向上しました。加えて、一定の地位に就いた後も、かつては「早く退職すべきだ」と言われていたものの、現在では長期にわたって勤め続けること自体が評価されるようになってきています。
つまり、女性が積み立てた年金資産額、すなわち年金への拠出額は、給与の増加に伴って上昇しているということです。女性は給与水準が向上したことで、結果として年金額も増加しているのです。
ただし、トータルで見た場合、全体の年金水準は依然として減少傾向にあります。
1974年から1979年に生まれた方々、いわゆる「就職氷河期世代」がこれに該当します。
(深田)
そうですね。私は1978年生まれですので、そのちょうど中間にあたります。
(海老原)
まさにその世代の中心に位置されるわけですね。
では、こちらをご覧ください。これがいわゆるバブル世代にあたるデータです。
バブル後期世代と比較しても、年金資産額にはほとんど差がありません。さらに、バブル前期世代と比べても、わずか1000円の差に過ぎず、バブル前世代との比較でも、2000円程度しか違いが見られません。
当時は、男性が高収入を得ていた一方で、女性の多くは短大卒であった時代です。
つまり、これは単なる「世代間」の問題ではなく、「同一世代における男女間の格差」が縮小したという現象なのです。そこにぜひ注目していただきたいのです。
たしかに、男性のデータを見れば、年金受給額が減少しており、それに伴って貯蓄や給与も減っています。したがって、金融資産において100万円程度の差があることは、十分に理解できる話です。
しかし、その裏側では、女性の年金や金融資産はむしろ増加しています。これはつまり、「男女間の経済的平等」が着実に進展してきたことを意味しているのです。
(深田)
なるほど。
(海老原)
こちらの資料もご覧ください。次に論じたいのは、就職氷河期世代に対する対策として、「低年金者」をどう支援するかという点です。
「低年金」とは何を指すのかは、こちらのデータを見ていただければ明らかです。将来的に受け取れる年金額の分布を示したもので、青は「月額5万円未満」、オレンジは「5万円〜7万円」、グレーは「7万円〜10万円」を示しています。いずれもいわゆる「低年金」とされる層です。
この「低年金」層が、各世代でどれほどの割合を占めているのかを見てみるとたとえば、バブル前々世代に該当する1959年生まれでは、44%がこの低年金層に該当します。バブル世代では42%、その次の世代では41%と、徐々に割合が減少していることがわかります。
(深田)
本当ですね。これはどういう現象なのでしょうか。なぜ、低年金の人の割合が減ってきているのですか。
(海老原)
それには、いくつかの明確な理由があります。まず、かつては女性が専業主婦である場合、「第1号被保険者」として扱われ、受給額は月額5万円程度にとどまっていました。
しかし現在では、女性が積極的に就業するようになり、結果として年金に対する拠出額が増加しています。これがまず一つの大きな変化です。
加えて、年金制度そのものも拡充されてきました。かつては中小企業などで社会保険への加入義務を免れていた労働者が多く存在していましたが、現在ではそうした企業に対して厳正な摘発が行われ、適切な加入が徹底されるようになっています。
さらにもう一点、従来は短時間労働者、すなわちパートタイマーのような非正規雇用の人々は、年金制度への加入対象外でした。もちろん、専業主婦であれば夫の扶養に入ることで一定の年金カバーはなされていましたが、病気や家庭の事情などにより短時間しか働けない人たちは、制度から完全に排除されていたのです。
しかし現在では、そうした非正規労働者に対しても年金制度への加入が可能となっています。このように、制度の対象範囲、すなわち裾野が大きく広がってきたことにより、結果として低年金層の割合が着実に減少しているのです。
こうしたデータを見る限り、実は「低年金対策」は、就職氷河期世代よりもむしろバブル世代やその前の世代に対して講じるべきではないか、という議論にもつながるのです。
(深田)
確かに、思い当たるところがあります。私の両親も、国民年金しか納めていませんでした。
(海老原)
それはなかなか厳しい状況ですよね。
(深田)
実際、月あたりの受給額は5万円程度です。
(海老原)
本当にそうです。生活が厳しい状況に置かれている方々に対しては、きちんとした支援が必要です。
にもかかわらず、現在は「就職氷河期世代に対する対策」として制度設計が進められています。しかし、実際には、氷河期世代の中で本当に困窮している方の割合はそれほど多くないのです。
そうなると、「では、一体誰がこの政策の恩恵を受けるのか」という疑問が生じてしまいます。このような議論を進めると、制度設計の妥当性そのものが問われることになります。
(深田)
実際、私の発信するコンテンツのコメント欄などにも、「70代で年金が本当に月5万円しかなく、生活が苦しい」という声が寄せられることがあります。こうした方々は決して少なくないと思います。
(海老原)
一方で、こちらのデータをご覧ください。図の右下、緑色で示されている部分に注目してください。
これは、企業年金をしっかり受給し、60歳で早期退職を果たし、現在は悠々自適に暮らしているような、前世代に該当する層を表しています。いわゆる「緑の人たち」です。
こうした方々を見ると、少々やっかみたくもなりますね。実際、このような層には、医療費の自己負担率を3割、あるいは4割とするなど、それ相応の負担を求めることが妥当ではないかと思います。
重要なのは、社会全体を精緻に区分した上で、必要な支援と負担を適切に配分することです。
こちらをご紹介したいのですが、近藤絢子氏という労働経済学者による『就職氷河期世代』という本があります。彼女は極めて誠実に、事実に基づいて本書を執筆されています。
その中で繰り返し出てくるのが、「あれ? 就職氷河期世代は、思ったほど悲惨ではない。これは、これまで学会で語られてきた通説と違う。どうしたものか…」という趣旨の記述です。
(深田)
そうなのですね。近藤絢子さん、ですね。
(海老原)
こちらのデータをご覧いただきたいのですが、これは大学および大学院卒業者における給与推移を示したグラフです。
黒い実線はバブル世代、破線は氷河期前期世代、そしてより細かい点線は氷河期後期世代を表しています。
これらの世代間でどれほどの差が生じているかというと、バブル世代と氷河期後期世代とを比較した場合、20年間の給与蓄積においておよそ7%の差が確認されます。
この差が、結果として金融資産にして約100万円の違いとなって表れているわけです。これは確かに事実として存在します。
(深田)
なるほど。
(海老原)
しかし、もう一点注目していただきたいのは、さらに若い世代、いわゆるポスト氷河期世代や、リーマンショック期に就職した世代のデータです。
これらの世代の給与推移の線が、グラフの中でどこにあるかおわかりになりますか?
(深田)
すべて重なっていますね。
(海老原)
そうなのです。これらの世代の給与推移は、すべてほぼ同じライン上に重なっているのです。
つまり、これは「氷河期世代だけが特別に給与水準が低下した」という話ではなく、時代の変化に伴い、全体として給与水準が漸減してきたという構造的な問題なのです。
氷河期世代が突出して低迷しているのではなく、若年世代全体がこのような傾向に置かれているということを理解していただきたいのです。
(深田)
なるほど。つまり、「バブル世代が特に恵まれていた」ということなのですね。
(海老原)
まさにそのとおりです。バブル世代こそが、もっとも高い給与水準を享受していた世代なのです。
逆に言えば、氷河期前期世代はまだ恵まれていた部類に入りますが、氷河期後期世代になると、状況は格段に厳しくなっていきました。こうした背景があるのです。これが、まずお伝えしたい一点目です。
そして次にご説明したいのは、「なぜこのような変化が起きたのか」という点です。
これは単純に「氷河期だったから」という理由にとどまりません。
実は2000年以降、給与カーブ、すなわち、年齢に応じて上昇していく給与の傾向自体が大きく変化してしまったのです。
具体的には、初任給には大きな変化が見られない一方で、キャリア後半におけるピーク時の給与が段階的に削減されるようになったということです。
(深田)
確かにその通りですね。現在では、「50歳を過ぎると給与が伸びなくなる」とよく言われています。
(海老原)
おっしゃるとおりですが、今ではそれがさらに早まり、40代や30代からすでに給与が伸びなくなっているのです。
なぜそのような変化が生じたのかというと、かつて定年は60歳とされていましたが、定年延長の流れを受け、65歳まで引き上げる必要が生じました。その際、企業は生涯賃金の総額を維持しつつ、給与配分を見直さざるを得なくなったのです。
この制度変更の影響を具体的に見てみましょう。
バブル世代は、就職後の最初の10年間ほどにわたり、非常に高水準の給与を享受し、きわめて恵まれた経済的環境にありました。その後、定年延長に伴い、給与体系に調整が加えられることとなったのです。
氷河期前期世代についても、就職後5年間程度は比較的好待遇であったものの、その後同様の調整を受けています。
ところが、いわゆる「超氷河期」と呼ばれる後期世代以降の人々は、最初からすでに給与水準が調整された後の賃金体系に組み込まれていたのです。したがって、この世代は就業初期から一貫して不利な条件下に置かれており、構造的に損を被ってきたといえます。
そして、もう一つ注目していただきたい損失があります。それは「大学進学者数の増加」に伴う影響です。
バブル前からバブル期にかけては、大学進学者数はおおよそ40万人弱にとどまっていました。
しかし、氷河期前期になるとその数は50万人に増加し、後期にはさらに55万人へと増加しました。
このように、大学の数や定員が拡大した結果、入学者の層が広がり、偏差値分布は下方に膨張したのです。
(深田)
なるほど。
(海老原)
当然のことですが、大学進学者全体の学力平均値は下がる傾向となります。
(深田)
確かにそうですね。いわゆる「Fラン大学問題」といった議論がよく取り上げられていますし、その影響も大きいと思います。
(海老原)
もともと高等学校を卒業して就職していた層までが、大学進学という進路を選択するようになったことで、大学生の枠が大きく広がりました。したがって、結果として大学卒業者全体の平均給与水準が低下するのは当然の流れといえるでしょう。
そして、さらに注目していただきたい点があります。
かつて、大学進学者における女性はわずか9万人に過ぎませんでした。
それが現在では、24万人にまで増加しています。倍以上の伸びです。
この「9万人」の時代における女性進学者の多くは、女子大学に通い、進路としては介護、看護、保育などの分野に就くことが主流でした。総合職として企業に就職するという進路は極めて少数派だったのです。
しかし現在では、早稲田大学や慶應義塾大学などの有名大学に女性が普通に進学し、男性と同等の条件下でキャリアを積む例も珍しくなくなりました。
ここで重要なのは、こうした女性の活躍によって、男性の就業ポジションが一部置き換えられたという構造変化です。これが、男性の平均給与が低下した第二の要因と考えられます。
具体的に申し上げますと、現在、全体の年収がバブル世代と比較して約7%減少しているとされますが、私の見解では、このうち「就職氷河期による影響」として説明可能なのは、せいぜい2~3%にとどまると考えています。
残りの2~3%は、大学の大衆化と、それに伴う偏差値の下方膨張の影響によるものです。そしてさらに2~3%は、女性が企業内でキャリアの座を得たことによる影響です。
すなわち、男性の給与が減少した背景には、氷河期という時代的要因のみならず、大学進学構造の変化や、性別を超えた競争環境の変化といった、世代内の構造的な要因が大きく作用しているのです。
また、賃金カーブにおけるピークが引き下げられたこと、すなわち年収自体のピークカットについては、定年延長の制度的変化によるものであり、これによって2~3%程度の年収ダウンが発生したという理解が妥当です。
(深田)
つまり、2〜3%分の賃金を損しているのは制度変更による影響ということですね。
(海老原)
そのとおりです。
そして残る5%の減少分については、大学の大衆化と、女性がキャリアポジションを獲得したことに起因するものです。これは、世代内での構造的な変化によって生じたものであり、単純に「氷河期のせい」と一括りにはできない問題なのです。
(深田)
なるほど。
(海老原)
これはやや失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、かつて私たちの世代では、どのような人であっても、男性である限り正社員として総合職に就くことができていました。
これは、男性にとっては確かに大きな利点であり、その点に関して批判を受けるのはやむを得ない部分もあると考えています。
ただし、その一方で、女性は明らかに不利な立場に置かれており、苦しい状況にあったことは間違いありません。世代全体として捉えるならば、「女性の方がむしろ過酷な状況にあった」というのが、当時の実態であったのです。
(深田)
とはいえ、その世代の女性の中には、結婚して家庭を持ち、幸せな生活を送った方も多いのではないでしょうか。
(海老原)
もちろん、結婚によって得られる幸福もありますが、結婚だけが人生における幸せの全てというわけではありません。
では最後に、大学進学者数の急増によって、社会にどのような影響が生じたかを確認していただきたいと思います。
これが本日の議論の最後のポイントとなりますが、データを一目見ていただければ、非常に明確にその傾向が読み取れるはずです。
かつては、大卒者でありながら、いわゆる「ホワイトカラー」以外の職業、すなわち販売職やサービス業、あるいは保安・技能・運用系の職に就くようなケースはごく少数でした。
しかし現在では、大卒でありながら、そうした職種に就かざるを得ない人が確実に増加しています。
これは、統計データにも明確に表れている現象です。
(深田)
なるほど、そういうことだったのですね。
(海老原)
このような状況こそが、全体の給与水準を押し下げている主因の一つなのです。
したがって、単に「学歴が高ければ高収入になる」という従来の前提は、すでに成り立たなくなっているという現実を、ぜひ正しく理解していただきたいのです。
(深田)
つまり現在では、かつては高等学校卒業者が就いていたような職種に、大学の偏差値が相対的に低い層の学生が就職するようになっている、という理解でよろしいでしょうか。
(海老原)
やや率直すぎる表現ではありますが、ご指摘のとおりです。
大学の数や規模が大きく膨張した結果、従来のホワイトカラー職種だけでは卒業生の受け皿として十分ではなくなりました。
そのため、卒業生は必然的に周辺職種へと分散するようになり、結果として全体の給与水準が下がるという構造が生まれているのです。
つまり、これは個人の努力や能力の問題ではなく、雇用構造の変化によってもたらされた現象であるということです。
(深田)
私自身、就職活動を二度経験しました。
一度目は短期大学卒業時、二度目は四年制大学卒業時で、そのときはすでに28歳から29歳になっており、社会の仕組みについて一定の理解を持っていました。
その中で強く感じたのは、企業ごとに「どの大学から採用するか」が極めて明確に決まっているということです。
「28歳でようやくその事実に気づいたのでは遅すぎた」と思いました。本来であれば、18歳の時点で進路選択をする段階で気づいておくべきことだったのです。
(海老原)
おっしゃるとおりです。
ただし、それは多くの若者にとって、誰かに教えてもらわなければ気づけないことでもあります。
たとえば大学のパンフレットには、就職実績として名だたる企業の名称が多数掲載されています。「三菱○○」といった有名企業が並ぶこともあります。
そのため、受験生は「この大学に入れば、自分もその企業に就職できるかもしれない」と誤解してしまうのです。
しかし、実際にはその企業に就職した卒業生は一人だけであったり、特別な実績を持つ学生、たとえば全国大会レベルの運動部出身者などが採用されたという例も少なくありません。
(深田)
確かにそうですね。私は偏差値44の高校に通っていたのですが、その高校から東京大学に進学した卒業生が一人だけいました。
それは何十年という歴史の中で唯一の事例だったのですが。
(海老原)
にもかかわらず、その高校は「東京大学合格者を輩出した学校」として扱われるわけですね。
実際、大学でもまったく同じことが起きています。たとえば、三菱商事に一人だけ就職した卒業生が何十年か前にいた場合であっても、その実績は大学の就職パンフレットに掲載され、「三菱商事に就職可能な大学」という印象が生まれてしまう。
このような誤解が、進路選択や職業観のミスマッチを生む原因となっているのです。
(深田)
やはり私たちは、小学校や中学校の教育において、「人間は平等である」「学歴ではなく中身が大切だ」といった価値観を一貫して教えられてきました。
そのため、私自身も「学歴は関係ない」と本気で信じ、短期大学への進学を選択しました。
しかし今思えば、もし義務教育の段階で、社会の現実や就職市場における学歴の影響についてしっかりと教えてもらえていたならば、もっと真剣に勉強に取り組んでいたかもしれない、と感じるのです。
(海老原)
そのように、データを基にして現実を正しく伝えることは、極めて重要だと思います。
ところで、企業がなぜ応募者を学歴でふるいにかけてしまうのか、その理由についても理解しておく必要があります。
たとえば、大企業であっても、文系における年間の採用人数は、おおむね100〜150人程度にとどまります。銀行のように一度に1000人規模の採用を行う企業もありますが、それはあくまで例外です。トヨタやパナソニックといった大企業でも、文系採用は平均して150人前後にすぎません。
一方で、こうした企業には毎年2万人規模の応募が集中します。全員を面接することは、物理的にも人的にも不可能です。
そのため、まずは応募者を2000人程度に絞り込んだ上で、面接選考に入る必要があります。
「整理券を配って先着順に選ぶ」といった方法は現実的ではありませんので、結果として、最初の選別基準として学歴が用いられることになります。
たとえ学歴で選別したとしても、倍率はなお30倍にもなります。
それでも優秀な人材はその中に多数含まれていますから、「その中から選べばよい」というのが企業側の考え方です。
これは、企業にとって一種の「必要悪」であるといえるでしょう。
(深田)
なるほど。ありがとうございました。
就職氷河期世代については、確かに困難な状況に置かれた方々が存在します。
しかし、それは他の世代にも見られる現象であり、氷河期世代「だけ」が特別に不遇であったと断定することは適切ではないと思います。
特定の世代に限定した支援策を講じてしまうと、本当に支援を必要としているわけではない人たちにまで予算が配分されてしまう可能性があります。
その意味でも、支援の対象は世代ではなく、「困窮している人そのもの」に向けられるべきだと考えます。
(海老原)
まさに、そのとおりです。
(深田)
しかも、就職氷河期支援策の一つとされる「ジョブトレーニング」についても、実際に利益を上げているのは、その業務を請け負っている企業ばかりです。
(海老原)
まさに“リスキリング”という名目のもとに実施されていますが、実態はどうかというと、そのトレーニングを提供している事業者が、あまり実効性のない内容でプログラムを回しており、そこに多額の公的予算が投入されているというのが現状です。
結局、そのような研修を受けたからといって、実際に就職や転職がうまくいくわけでもありません。それにもかかわらず、膨大な金額が投じられてしまっているのです。
(深田)
確かに、地方では、カルチャーセンターの延長のような形式で、実務に直結しない内容を教えているケースも散見されますね。
(海老原)
まさにそのようなケースが存在しています。そうした事業者は、すべて補助金の流れの中で活動を行っているのです。
たとえば、「教育訓練給付金制度」は1997年から導入されましたが、この制度には最盛期には年間で数千億円規模の予算が投入されていました。
しかし、その巨額の予算にもかかわらず、日本国内における給与水準は上がりませんでしたし、転職率の向上も見られませんでした。
こうした事実を、多くの人々がすでに忘れてしまっているように思えてなりません。これほどの公費が費やされながら、実質的な成果が得られていないというのは、あまりにももったいない話です。
(深田)
結局のところ、これらの事業は、本来の目的である労働者支援ではなく、「トレーニングを提供する講師たちの雇用の受け皿」となっているにすぎません。
(海老原)
それにもかかわらず、こうしたプログラムに関わる事業者たちは、実際には確実に利益を得ているのが実情です。
(深田)
本来、支援の対象であるべきは、就職氷河期世代や職を必要としている人々であるはずです。
しかし、現状ではそうした人々の「雇用の受け皿」にはなっておらず、その点こそが本質的な問題であるといえます。
(海老原)
そのとおりです。これは率直に申し上げて「利権」と言わざるを得ません。
このような制度は、もはや見直されるべき時期に来ているのではないでしょうか。
とはいえ、私もそうした実態をあまりに率直に発信しすぎたせいで、ある出来事がありました。
実は私はかつて、厚生労働省の「労働政策審議会」の中の「人材育成分科会」の委員を務めていたのです。
通常、この種の審議会の委員は2年ごとの任期更新が行われますが、一度就任すると慣例的には10年ほど継続して務めることが多いのです。
ところが、私は任期4年で委員を退任することとなりました。2回目の更新を前に、「もう海老原さんは結構です」と言われてしまいまして。
言うべきことを言いすぎた結果、委員から外されてしまったのです。
(深田)
以上、本日は雇用ジャーナリストの海老原嗣生先生をお迎えし、「就職氷河期世代」について詳しくお話を伺いました。
たしかに、就職氷河期世代には一定の不利益を被ってきた側面があることは否めません。しかしながら、それが極端に不遇であったというわけではありません。
それよりも、より的確に、本当に困窮している個人に対して支援の手が届くような政策設計が求められている。そのようなご提言を本日いただきました。
(海老原)
石破さん、こうした政策を打ち出しても、正直申し上げて票にはつながらないと思いますよ。
「就職氷河期世代が1700万人いる」と言っても、そのすべての人が選挙に行くわけではありませんし、票を投じてくれるとも限りません。
たとえば、堀江貴文氏も氷河期世代に該当しますが、こうした政策によって投票行動を左右されるような方ではないでしょう。
したがって、的を射ていない支援策に巨額の予算を投じることは、慎重に再考すべきです。
(深田)
本日は誠にありがとうございました。