#331 神社乗っ取り、日本を暗躍する地面師と政治家の不都合な関係とは? 森山高至氏×深⽥萌絵
(深田)
皆さん、こんにちは。政経プラットフォーム IT、ビジネスアナリストの深田萌絵です。
今回は、建築エコノミストの森山高至先生にご登場いただきました。森山先生、どうぞよろしくお願いいたします。
前回は、「神社の境内にマンションを建設するのはけしからん」と思っていたところ、実はその背景に、GHQによって解体されそうになった神社に資金を循環させ、再生させるためのスキームを構想されたのが森山先生であった、というお話がありました。
(森山)
そうです。私たちの当時の活動には、「神道界のフィクサー」とも呼ばれるような年配の方々が関わっていて、私もその方々と連携していたのです。
(深田)
もともとの構想としては、神社の境内そのものには手を加えず、境外地を緑地公園のように整備し、その周辺に限って高層建築を認めるという内容でしたよね。
(森山)
はい、それを制度的な調整を通じて実現しようとしていたものでした。
(深田)
そのような、神社と地域の双方にとってメリットのある関係を築こうとしていたところ、その構想が神社側のフィクサーのような人物によって乗っ取られてしまい、気がつけば境内の内部にまで手が入る事態になってしまったということでしょうか。
(森山)
その通りです。そのフィクサーのような人物に、私たちは「こういう計画があります」と説明していました。その内容をもとに、さまざまな大手ゼネコン、広告代理店、三菱総研をはじめとしたシンクタンク、さらに商社などへプレゼンも行っていました。その過程で、実際にプロジェクトが進むのかどうか曖昧なまま話は中断されたように思っていたのですが、気づけば神社の土地そのものに直接関与する動きが始まっていたのです。
(深田)
つまり、森山先生はプロジェクトから外され、結果としてデベロッパーが神社そのものを乗っ取ろうとしたということですね。
(森山)
はい、私にはそのように見えています。
(深田)
こういった話、本当によくありますよね。
(森山)
おっしゃる通りです。もともと、深田さんもおっしゃったように、神社の境内には本来、マンションのような施設などが入ることはありませんでした。たとえば、宮司の住居や、神事に必要な施設、美術品の展示、あるいは能舞台など、そういった目的のものでした。
つまり、神社という空間は本来的に、商業的な要素を持ち込む場所ではないのです。
(深田)
それがいつの間にか、境内の中にマンションが建設され、販売まで行われるようになってしまった、と。
(森山)
まさにそうなのです。非常に奇妙な流れで、たとえば明治神宮も当初は何も建っていなかったのですが、ある時点で、たしか東北芸術大学の関連校舎か何かが敷地内に入ってきたのです。それは京都芸術大学系列の学校でしたが、「一体どうやって入ってきたのだろう」と疑問に思ったものです。そしてその後は、「経営的に厳しいから土地を活用する」という名目のもと、定期借地として貸し出されるようになり、商業利用が進んでいったのです。
(深田)
そして、気づけばそこに隈研吾さんが関与していたと。
(森山)
そうです。実際にいらっしゃいました。
(深田)
どこにでも登場されますね。
(森山)
そうですね。やはり「おいしいところ」に登場されるのだと思います。隈さんが関わる背景には、彼が在籍していた高校や大学の同級生によるネットワークの存在があります。
(深田)
隈さんは、どちらの学校を卒業されたのですか?
(森山)
たしか、鎌倉の栄光学園出身で、大学は東京大学です。その人脈の中には、「コネクティング」で話題になった和泉さんなども含まれています。
当時、和泉さんは内閣府に所属していました。いわゆるオリンピックのスタジアム問題の際、「剛腕で解決した」と評価された人物ですが、実際には隈研吾さんを呼び込んだだけなのです。その背景には、東京大学の内田研究室の存在があります。
内田研究室は、建築構法の研究で知られる内田祥哉先生が率いていた研究室で、多くの人材をゼネコン業界に輩出してきました。OB会のようなつながりも強く、隈さんとも深い関係があるのです。かつては全ての大手ゼネコンの社長が内田研究室の出身であった時期もあり、業界内での話が通りやすかったのではないでしょうか。
(深田)
なるほど。神社がマンションに変わっている背景には、利権の存在があったのですね。
(森山)
私の著書にも書いていますが、もともとは「都会の中のオアシスを守ろう」という理念に基づいた計画だったのです。しかし、「神社には明確な所有者がいないのだから、ここを事業者にしてしまえば簡単に話が進む」と考える人がいたのでしょう。
東京都内の会社に森ビルというところがありますが、森ビルでは社員が六本木の地域に入り、住民との交流を重ねながら説明会を繰り返し、20年から30年をかけて六本木ヒルズを完成させたのです。
(深田)
本当に、長い時間をかけて住民の理解を得ているのですね。
(森山)
ええ、ですから大きなトラブルも起こっていません。それほど地域開発というのは、時間と根気が必要な作業なのです。しかし、現在のデベロッパーの社員は、いつまで会社に在籍するかもわからず、途中入社の方も多くいます。そうなると、自分が課長や部長である間に成果を出す必要がある。そのためには、5年以内に案件を進める必要があるわけです。成功報酬型のインセンティブがあれば、「何としてもこの5年の間に結果を出したい」と考え、丁寧な地域説明会を省いてしまうことにもなりかねません。
そうなると、手をつけやすい場所、つまり地権者が少ない場所が狙われやすくなります。公園や神社といった公共的な土地がその対象となるのです。たとえば、神社が理事会のような少人数の組織で管理されている場合、そこに入り込むことができれば、プロジェクトが一気に進んでしまいます。こうして、理事会に入り込む動きが進んでいるのです。
(深田)
そのようにして、少しずつ乗っ取られていくわけですね。
(森山)
その可能性は十分にあります。ですから、神社にはお祭りの時だけ訪れるのではなく、地域の方々が「自分たちの共有財産である」という意識を持たなければなりません。これは地域にとどまらず、日本全体の問題でもあります。神社という仕組みや制度は、私たちみんなで守っていかなければならないのです。
現在の商業資本の視点から見れば、「こんなものは簡単に乗っ取れる」と思われてしまいかねません。
(深田)
まるで、ニュージーランドのキウイが「どうぞ、いつでも食べてください」と無防備に座っているようなものですね。
(森山)
本当に、そのような印象を受けます。新幹線に乗っていると、車窓から小さな森のような場所がたくさん見えるでしょう。あれはすべて神社なのです。
(深田)
あれだけ多くの神社があるということは、やはり持ち主が不明なものが多いのですか?
(森山)
はい、所有者が不明だったり、いつの間にか宮司個人の所有になっていたり、敷地の境界が不明確であったりと、問題のあるケースが非常に多いのです。
(深田)
それは非常に不安ですね。
(森山)
だからこそ、「観光地化しましょう」とか、「宗教法人として買い取りましょう」といった形で、ある種の資本的介入が可能になってしまいます。たとえば、「この井戸でお金を洗えば増える」といった銭洗弁天のような神話的演出も、実際には簡単に捏造できてしまうのです。
(深田)
なるほど。納得がいきました。
(森山)
それは本来の神社の在り方や、日本の風土、風習・文化とは大きくかけ離れたものになってしまっています。
(深田)
おっしゃる通りですね。最近、神社の境内に不自然にマンションが建っているように見えるのも、そういった理由によるものだったのですね。そこに隈研吾さんや、和泉元首相秘書官の名前も出てきて——
(森山)
さらに、ゼネコンも絡んできます。実際、あっという間にマンションが建ってしまう。
というのも、地権者とのトラブルが発生しにくいためです。通常、マンション事業をスムーズに進めようとすれば、そのエリアの住民、たとえば日影規制に関わる方々を対象に説明会を開き、「ここをこう変更します」「道路を付け替えます」といった計画に対して、同意の印鑑をもらう必要があります。
(深田)
和泉さんも、そのプロジェクトに関わっていたのですか?
(森山)
関わっていたかどうかははっきりしませんが、隈研吾さんと一緒に動いていたのは事実です。特にオリンピックの際には、和泉さんが隈さんを呼び込んだとみて間違いないでしょう。
(深田)
そもそも隈さんは、当初はそれほど有名な方ではなかったですよね?
(森山)
その通りです。隈さんは若い頃に一度、建築家として失敗した経験があり、その後は地方の仕事を中心に活動していました。人柄が良いことで知られている方でもありますが。
(深田)
その隈さんが、和泉さんとつながって……
(森山)
もともと知り合いだったのかもしれませんね。
(深田)
高校時代の友人だったりしますか?
(森山)
たぶん、先輩後輩の関係だったと思います。
(深田)
それでオリンピックをきっかけに、一気に知名度が上がったわけですね。
(森山)
そうです。オリンピックのスタジアム案については、当初はザハ・ハディドさんの案が採用されていましたが、規模が大きすぎる上に、工法の問題などもあり、ゼネコンを含めて混乱が生じていました。
そのとき、日本建築界の重鎮である槇文彦さんが、「このままでは問題がある」として、建築家たちに協力を呼びかけ、シンポジウムを開催したのです。私もその企画を手伝っていました。
その際に、隈さんだけが参加されなかったのです。一度、伊東豊雄さんと中沢新一さんと私たちでシンポジウムを開いたことがあり、中沢さんは隈さんと知り合いだったので直接電話をかけて、「どうして来ないの? 隈くん、なぜ来ないの?」と何度も聞いていました。
結局、裏ではすでにオリンピックのスタジアムを隈さんが手がける方向で決まっていたのではないか、という話になりました。
(深田)
なるほど。そういった経緯があったのですね。
(森山)
はい。隈さんが来なかったことを私たちも不思議に思っていたのです。当時、そのスタジアム計画を推進していたのは、安藤忠雄さんと内藤廣さんという建築家で、両氏を中心に、文部科学省にも足を運びながら、かなり本格的な議論が繰り広げられていました。
(深田)
しかし、最終的には隈さんに決まったのですね。
(森山)
そうです。実際にはコンペも行われましたが、それは設計案による一般的なものではなく、変則的な形式で、「ゼネコンと組んだ応募者しか認めない」という条件が付けられていました。その時点で、隈さんと大成建設はすでに組んでいたのです。どちらも内田研究室出身ですから、つながりがあったのです。
伊東豊雄さんも応募しようとしましたが、なかなか一緒に組んでくれるゼネコンが見つかりませんでした。
最終的に竹中工務店の会長に頼み込んで、ようやく「やりましょうか」と言ってもらえたものの、結局、提案は2案しか集まりませんでした。
(深田)
そうだったのですね。
(森山)
はい、そのような経緯があったのです。
(深田)
つまり、当初からゼネコン側も積極的には参加していなかったということですね。
(森山)
他にも設計を提出したい建築家は多数いたのですが、「もしゼネコンが協力してくれるなら出したい」と考えていた人たちは、最終的に皆、身を引いてしまいました。「どうせ大成建設で決まりだろう」と感じていたからです。それも無理はありません。
(深田)
ただ、入札の形式上、応募者が1人では成立しないので、コンペの相手が必要だった。そのため、伊東豊雄さんが“当て馬”的に利用されたということでしょうか?
(森山)
まさにその通りです。ただ、伊東さんの案のほうが実際には良かったのです。予備審査、つまり本審査の予行演習のような審査を行った際、審査員の評価は伊東さんに集中しました。そこで、「これはまずい」と判断されたのか、審査方法、具体的には配点の基準が本番でこっそり変更されました。その結果、最終的には隈研吾さんの案が選ばれたのです。
(深田)
それはかなり不正に近いのではありませんか?
(森山)
はい、まさにその通りです。この審査で委員長を務めていたのは東京大学の香山先生でしたが、「こんなことがあった」として、私のもとにすぐに電話をかけてきました。
(深田)
先生も怒っていらしたのですね。
(森山)
ええ。「これはおかしい、ぜひ公表したい」とおっしゃって、実際にシンポジウムの場で発表されました。
(深田)
「不正なコンペが行われた」と。
(森山)
その通りです。「このコンペは明らかにおかしい」と強く主張されていました。そして、以前にも似たような不透明な手続きがあった中で、再びこうした問題が繰り返された、と。
「このままでは日本の建築界がダメになる」と危惧されていた通り、実際に今、建築界は衰退の兆しを見せています。すでに手遅れと言ってもよいかもしれません。
(深田)
その背後には、やはり隈研吾さんと和泉氏の存在が?
(森山)
ええ、ただ、和泉さんは「極端に悪意ある存在」とは考えていません。むしろ、目の前の仕事を確実にこなす能力に長けた方です。「大きな構想を描く」というタイプではなく、「言われたことを正確に、しかも迅速に実行する」というスタイルです。
(深田)
なるほど。「やれ」と言われたら、即座にやり切るタイプということでしょうか。
(森山)
そうです。実行力があり、スピードもある。そのスピード感が、建築のファスト化を助長してしまった一因でもあります。長期的なビジョンに基づく構想というよりも、目の前の課題に対する解決に秀でた人物です。そもそも彼は国土交通省の事務次官にはなっていません。
(深田)
昇進できなかったということでしょうか?
(森山)
はい。そういう経緯があり「どうだ、俺はやれるんだぞ」と見せつけるような行動に出たのかもしれません。決して悪人ではないのですが、結果として、全体としては良い方向に進まなかった。その影響が今のさまざまな問題につながっていると感じます。
(深田)
たとえば、オリンピックや万博の問題ですね。
(森山)
実は、万博にも和泉さんは関わっていました。大阪の維新系の委員会に呼ばれて、委員長を務めていたのです。「なぜ和泉さんを起用したのか」と疑問を感じるほどでした。
「大阪を盛り上げよう」「大阪で万博を開催しよう」という方針がありましたが、当初その流れを作っていたのは経済コンサルタントの橋爪さんという方でした。ところが、その橋爪さんは途中で姿を消し、最終的には和泉さんが委員会の中枢に残っていました。
(深田)
その結果、本来は混雑が予想された大阪万博が、意外なほど空いているという……
(森山)
そうです。実際、会場は閑散としていると聞いています。本来ならば、1日あたり10万人の来場者を想定していたはずが、それを達成できていません。
(深田)
それも来場者のうち、1万6千人から2万人程度は関係者であるにもかかわらず、その内訳については公開されていませんよね。
(森山)
不正とも言える事態ですよね。このような事例が始まったのは、おそらく2014年か2015年頃からだと思います。そこから、様々な分野で同様の動きが加速していったのではないでしょうか。特に第2次安倍政権の時期から顕著になりました。
安倍元首相自身は、お話を伺う限りでは誠実な方で、「周囲が仕事をしやすい」と言われていたようです。逆に言えば、内閣府の中で物事が次々と決められるようになり、「うまくやっておいてね」と任せるスタイルだったのかもしれません。
(深田)
ただ、その取り巻きは必ずしも良い方とは言えなかったですね。
(森山)
本当にそう思います。もっと優秀で見識のある人材を周囲に置けばよかったのに、と不思議に思います。取り巻きの人選が首をかしげるようなものだったのです。
(深田)
それはやはり、優秀な人物を周囲に置くと、恐れが生まれるからではないでしょうか。寝首をかかれるのではないか、というような。
(森山)
確かに、それはあるかもしれません。安倍さんという方は、家庭教師に東大生がつけられても、「こういう人は怖い」と感じてしまうようなタイプだったと聞いています。
(深田)
操られることに対する恐れがあったのかもしれませんね。そして、安倍さんが亡くなられた後、清和会は次のリーダーを決められず、「五人衆」と呼ばれる体制になったまま裏金問題で空中分解してしまった印象があります。
(森山)
安倍さんに近かった人物で、私がよく知る方々がいます。たとえば福島県選出の荒井さんです。「政界の一寸法師」とも呼ばれていた、非常に優秀で口も立つ人物で、体格が小柄だったことからそのような愛称が付けられました。おそらく最後は安倍事務所の事務所長も務められていたと思います。
そして、もう一人が衛藤晟一さん。彼も安倍さんの熱心な支援者でした。この二人は本当に誠実で、私も面識があり、よく知っている人物です。こうした方々が中心であればよかったのですが、なぜかあまりにも多くの“妙な人物”が周囲に集まってしまいました。
(深田)
衛藤晟一さんは、とても真面目な方ですよね。
(森山)
そうです。「日の丸の精神」とでも言えるような、非常に誠実な国家観を持つ人物です。
(深田)
彼は利権に関わるようなことを絶対にしないという、芯の通った方でしたよね。
(森山)
まさにその通りです。私も一度ご紹介いただいてお話したことがありますが、本来であれば、こうした方こそ「日本文化の精神」を体現する存在だと思っています。安倍さんが掲げていた「美しい国づくり」というビジョンがまさにそうであったはずなのですが……
(深田)
今では、建築の世界が崩壊しかけています。かえって景観が破壊されるようになってしまいました。
(森山)
本来であれば、「景観を守ろう」という政府の旗振りのもと、美しい街並みが保たれるべきでした。しかし実際には、無秩序な太陽光パネルの設置が進み、景観は損なわれています。
(深田)
そして、神社の中にまでマンションが建てられるような事態に……
(森山)
これは極めて深刻な問題です。私は著書の中でも、神社を取り巻くこうした問題について繰り返し指摘しています。今後もこの問題は続くでしょう。
(深田)
神社は日本人の民族的・精神的な土台を支えている存在ですから、それが、外国人に買収され、デベロッパーの金儲けの道具として利用されるのは、見過ごすわけにはいきませんね。
(森山)
まさにその通りです。神社には、何百年という樹齢を持つ大木が立ち、その姿に日本人は感動し、畏敬の念を抱きます。ただの「木」であっても、そこに苔むした石や石垣、社殿が重なり合うことで、「神が宿る場」としての空間が成立するのです。
そして、「神様はどこにいるのですか?」と問われたとき、「あの山です」と答えられるような存在感。これこそが神社の本質です。
(深田)
そうしたところが、日本的で素晴らしいと感じます。
(森山)
「この人物を崇めよ」といった押し付けもなければ、「こうしなければならない」という規範も少ない。それが良さです。「すべての存在に神が宿る」と考える日本独特の感性は、二項対立を避け、あらゆるものを一体としてとらえる一元論的な思想に通じます。
神道の本質は、言語によって明示するのではなく、空間や感性によって表現されるものであり、極めて日本的な信仰の形です。
(深田)
実は私も、廃れてしまった神社をなんとかできないかと考えています。
(森山)
そうですね。それにはさまざまな方法があると思います。たとえば、「この地域に管理できる人はいないのか?」というところから始めて、地域単位で運営の仕組みを再構築することも一案です。
また、スタンプラリーのような形で、あまり知られていない神社を巡り、可視化し、人々に紹介するという方法も考えられます。あるいは宿泊施設として再活用するなど、現代の暮らしの中で神社の存在を再定義していくことも必要ではないでしょうか。
(深田)
私もそのような取り組みを考えており、廃れてしまった神社に関する情報があれば、ぜひ多くの方からお寄せいただきたいと思います。ご意見も歓迎です。
(森山)
本当に、皆でどのようにして守っていくかを考える時期に来ていますね。
(深田)
今回は建築エコノミストの森山高至先生に、神社をめぐる現代の問題と、そこに隠れた人物の関与についてお話をうかがいました。ありがとうございました。