#306 フードコートは世界の縮図 席に座れない日本人は地球に居場所がない!? さとうみつろう氏

(深田)
皆さんこんにちは。政経プラットフォーム、プロデューサーの深田萌絵です。今回は作家のさとうみつろうさんにお越しいただきました。

(さとう)
実は出演依頼をいただいくまで、僕は深田さんのことは顔と名前だけは知っていたけれども、何をしているのかは全く知らなかったのです。それで、僕のチャンネルで1時間半位、深田さんの壮絶なる過去を聞かされてびっくりしました。とにかく僕のチャンネルを見に行ってください。

(深田)
政経プラットフォームをどうして始めたのかという話が聞きたいということでしたので、お話ししました。

(さとう)
もう、そんなレベルではなく『こんな人が日本にいるのだ!?』と思って、僕は本当にびっくりしています。もう怖くて中国の話は何もできません。さっき僕のチャンネルで伺った話で、少し気になったことがあります。僕のような浅い知識からまずお話させていただきますね。

最近、台湾に行って初めて知ったのですが、台湾には日本の文化が保管されているということを見せられました。昔の良き日本人の精神性、礼儀正しさ、そういった日本の良きものが台湾人の中でインストールされている。そこに日本人が行くことでそれに触れて、日本人らしさを取り戻せるのではないかと思いました。

台湾に行くので台湾を調べたぐらいの薄い知識ですが、台湾は元々、先住民が住んでいたわけですね。僕は沖縄の石垣島で生まれて、母親は与那国島出身です。与那国と台湾はものすごく近いのです。

(深田)
そうですよね。

(さとう)
ただ台湾と与那国の間に非常に早い黒潮が流れていて、日本の国立博物館の実験で台湾からたくさんのブイを流したのですが、与那国にはたどり着かなかったのです。

昔、台湾と大陸は引っ付いていたのですが、台湾と沖縄列島は繋がっていないのです。したがって、人的な交流はなかったはずです。僕の母親は与那国で生まれました。戦時中、与那国の人たちはみんな疎開先が台湾だったので、僕のおばあちゃんも台湾に疎開しました。僕のおじいちゃんも台湾に来ていて、そこの病院で出会って、僕の母親が台湾で生まれました。

沖縄の与那国や石垣では台湾で生まれた人のことを湾生(わんせい)と言います。疎開先で生まれて、戦後3歳、4歳でまた戻ってくる。僕は45歳になるのですが、母親が湾生だったので、人生で一回行っておこうと思い、初めて台湾に行きました。

そこで浅い知識で調べた限りでは、台湾は先住民が住んでいて、最初にオランダがやってきて、植民地にして、先住民をみんな殺しました。オランダが台湾を乗っ取っている時に、中国大陸は明と清の攻防があって、明が清に押されて「やべえ、やべえぞ」となって、一旦台湾に逃げた。

その時に鄭成功という、父親が福建省出身で母親が日本人の武将が台湾で明の残党として、清を押し戻した。「いつの日か国を取り返そう、もう一回盛り返すぞ」といって台湾を本拠地にした。この時に初めて中華の文化が台湾に来た。

鄭成功が「清には勝てない」と諦めているうちに、今度は日本と中国(中華民国)が戦争になったわけですね。中国には蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が対立しているのですが、日中戦争では二つが手を組んで日本と戦ったわけですね。それで日本が負けてしまったので、結果、中国が日本から台湾を奪った。

その中国で今度は国民党と共産党が争って、共産党に押されて蒋介石が台湾にきました。蒋介石も台湾を足がかりにして、いつの日か中国を取り戻そうとするのですが、先住民からすると、中華文化圏の兄弟げんかは大迷惑だと思います。

今回、台湾の方に色々話を伺う機会があり、やはりみんな「日本人には感謝している」と言うのですね。市場では97歳のおばあちゃんが、野菜を売っていてびっくりしたのですが、日本語がペラペラなのです。

日本は50年間、植民地ではないけれども、日本が初めて併合した地域を海外に作った。1500年代以降、西洋列強の白人たちが、世界中に植民地を支配する中で、日本の統治は植民地支配ではなく、きちんと教育を施して、勉強を施す。神社も作った。だから、台湾人は当時の日本の教えをすごく受けているのですね。

日本は敗戦になって、僕たちはGHQによるワー・ギルト・インフォメーション・プログラムで、戦争に対する罪悪感を持たせる教育を受けてきた。したがって自国史に対して、また自分たちの文化に対して恥じるような教育を受けているわけですね。

(深田)
うんうん。

(さとう)
漢字も、昔は難しい旧字体で、例えば「体」という漢字はにんべんに本ですが、昔は骨に豊で「體」と書きました。深田さんも僕と同じ世代だと思いますが、僕たちが小さい頃は体育館でまだあの文字が使われているのがありました。

それがGHQに「簡単な漢字にしなさい」と、日本は変更させられたのですが、台湾に行って「體」という漢字を見たのです。あとは「気」という文字、気功の「気」です。あれも僕たちは「メ」と書くが、台湾は「米」の「氣」が使われている。

50年間教育して、日本の昔の文化や礼儀正しさなどが壊れていない。僕たちがGHQ、アメリカにやられて白人寄りになっていく時に、台湾に行くと「昔の俺たちの魂を思い出せよ」と思えるぐらい、台湾の人たちは礼儀正しい。列にも割り込まない。僕たち日本人観光客が神社で戸惑っている間、何にも文句言わないでずっと笑顔で待っているのです。

(深田)
はい。

(さとう)
神社に行ったら弁当を振る舞ってくれたり、アイスクリームをただでくれたりして、優しさを感じました。

(深田)
はい。

(さとう)
日本に帰る日に空港へ行くと、中国大陸の人たちがいっぱいで、初めて割り込みの人たちに出会いました。空港の中に100人のフードコートがあって、席がいっぱいだったのですが、台湾の人は一切割り込まなかった。

4泊5日の旅行期間に久しぶりに割り込んでくるやつがいるなと思ったら、やはり中国大陸の人たちだった。僕たちが4人で座っていて、2人が買いに行っている間に「ここは誰もいないのだろう」という様子で、その椅子を勝手に持っていくのです。「いるよ、いるよ」と言って、どうにか椅子を奪い返しました。それが中国大陸系の人たちです。

一方、お子さん連れの日本人家族がトレーに食事を持って、席を探せないでいるのです。この100人のフードコートは世界の縮図だなと思いました。日本人がどこにも座れない状態に対して中国大陸の人たちはどこでも奪っていく。

この100人のフードコートでさえ日本人は生き残れない。多分これを80億人に広げても、もう生き残れないような世の中になっているのだなと、僕は思っています。

(深田)
はい。

(さとう)
台湾に行ったら日本の古き良き心に触れてまた昔のような気持ちに僕はなれたので「優しく、人に優しく」と思いました。それが僕のチャンネルで話を聞くと、台湾と中国は仲良しという話で始まりました。

(深田)
あ、そうそうそう。台湾と中国は仲良しなのですよ。

(さとう)
「そうそうそう」が、もう全然意味がわからないのです。何が「そうそうそう」なのか。

(深田)
なぜかと言うと、台湾は中国に対する西洋文化、欧米技術の入り口になっているのです。

(さとう)
ああ、そうなのだ!?

(深田)
台湾が欧米の兵器技術を中国に移転しているのですね。

(さとう)
あっ、そうなの!?

(深田)
そうです。

(さとう)
あそこは前哨基地的なものなの?

(深田)
そうですよ。

(さとう)
「そうですよ」って、表では習わないから。そんな「当たり前ですよ」というテンションで言われても、こっちは困るけれども。

(深田)
それは、もうアメリカ政府もある程度疑っています。

(さとう)
ああ、そうなのだ。

(深田)
今のトランプ政権はものすごく台湾に弱いのだけれど、アメリカ政府は元々台湾のことを疑っているわけですよ。なぜかと言うと、アメリカ政府は、ずっと国民党軍を応援してきたのだけれども、最終的には国民党軍に騙されて金を巻き上げられただけだなっていうことに気がついたわけです。

だから、終戦後からずっと蒋介石や台湾に対しては警戒をしているというのが一つあるのだけれども、ただ台湾が中国と戦って負けるのも困ると思っているので、支援はしているのだけれども、最先端の武器は渡さない。

(さとう)
あ、台湾にね。

(深田)
という建て付けなのだけれども、台湾は中国のためにアメリカではなくてフランスなどヨーロッパからも買おうということで、最先端の兵器を買っていたのですね。
その最先端兵器は、1990年代で言うとラファイエット級フリゲート艦などです。

(さとう)
うーん。

(深田)
あとはミラージュ2000という戦闘機などを買って、艦艇の設計書やレーダーシステムを、全部中国に横流しをして、中国共産党から色々もらっていたのですね。

(さとう)
あ、そうなの。

(深田)
これが、国際裁判の訴訟になっているのですよ。
クリアストリーム銀行事件と言って、スイスにあるクリアストリーム銀行に、兵器を売買したマネーロンダリングしたお金があるということで国際裁判にもなって。14人ぐらい殺されたのですね。

【続きは動画をご覧ください】

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