対米従属の原因徹底解析 日本をダメにした首相たち

【目次】
00:00 1. オープニング
00:38 2. アメリカにとって日本は隣の国
04:09 3. マッカーサーの野心と昭和天皇
07:52 4. 石破首相は対米従属ではない
11:41 5. 戦勝国アメリカに従った岸信介
15:13 6. 憲法9条誕生の経緯
19:11 7. マッカーサーの本心は分からない
(深田)
皆さんこんにちは。政経プラットフォーム、ITビジネスアナリストの深田萌絵です。今回はジャーナリストの佐藤章さんにお越しいただきました。
佐藤先生、よろしくお願いします。
先日はフジテレビの件で、一度そちらのスタジオにお世話になりまして、本当にありがとうございます。
今回は、新刊を出されたということで、日本はどうしてこんなに対米従属なんだろうっていう方向を、ぐっと分かりやすく教えていただければと思います。
(佐藤)
そうですね。これは新しく出した本ですね。これは2月の25日に、一般の書店とか、AMAZONなんかでも売り出すのですけども、『「星条旗の下」の宰相たち』という本なんですけどね、要はですね、日本というのは戦前と戦後で、とりあえず大きく変わったということがあるんですよね。だけど、戦後ですね、アメリカに戦争負けたので、その勝ったアメリカにいかに対応していくかというね、そこらへんが日本の戦後政治の非常に根幹なのですよね。
そこのところを、この本では、吉田茂、岸信介、佐藤栄作、田中角栄の4人に絞って、そしていろんな記録にあたったり、あるいは今生存している人も関係者でいるのですよね。その人にインタビューして、アメリカに行って研究者に当たったり、公文書館に行って資料を見たり、そして、この本をまとめたということなんでね。
(深田)
なるほど。やっぱり、こういう人たちって、ものすごくアメリカにすり寄ってきたわけなのですけれども、そこまでどうして日本がアメリカにすり寄らないといけないんだろうとかね。
しかも国益を損ずる形でずっと日本の政治ってきているわけなのですけど、これって、一番の原因って何かあるんですか?
(佐藤)
やはりですね、太平洋を隔てて日本とアメリカは、太平洋は大きいですけど、隣国だっていうことですよね。隣の国って言うことですよね。
(深田)
確かに。
(佐藤)
もちろん中国とも、もっと近いですけども、とにかく日本が明治維新を迎えたのは、徳川末期に黒船が4艘来て、開国したわけじゃないですか。その時、アメリカは捕鯨船の補給地として日本を必要としていたのですけども、そこのところで、アメリカが日本をとにかく開国させて捕鯨基地として、補給基地として何とか開国させたいと言うのがあったんですよね。
いずれにしても、アメリカにとって日本は太平洋の対岸にある国なので、なんとかしてやろうと昔からあってですね、それと同時に、「ウェスタン・インパクト」と言うんですけど、ヨーロッパが西からどんどんくるわけですよね。インド、中国、日本と。その「ウェスタン・インパクト」がアジアの一番東にあったので、一番遅くやってきたのですよね。
その攻めぎ合いのところに日本列島というものがあって、一番影響力の強いアメリカ、つまり隣国、その影響というのは、もう徳川末期からあったのですよね。それがずっと今も続いているということではあるんですよね。
(深田)
なるほど。でも日本って、中国にも政治が動かされているのだろうなって見える部分もあり、アメリカの言いなりになっている部分もあり、この国って、いつになったら自立した政治ができるのかなって、すごい疑問なのですけれど、どうですかね?
(佐藤)
だから、あれですよね。自立した政治と言っても、世界中で、本当にそういう政治があるのかなっていう気もしないでもないのですけども。とにかくアメリカの影響というのはものすごく強くて、特に戦後ですよね。戦後、日本がアメリカに戦争で負けて、どうやって生きていくかという時に、一番最初の首相になった吉田茂ですね。
なんとか対等にやっていきたいというふうな気持ち、考えでやってきたのですけどもね。
その時、この本でも『「星条旗の下」の宰相たち』でも書いたんですけども、吉田茂の時、つまり1945年ですね。この時アメリカはマッカーサーですよね。日本で、「日本をどうするか」と、マッカーサーと対峙して、それを責任を持って取りまとめたマッカーサーに対峙した政治家は誰かというと、これが吉田茂ではなくて、実は驚くべきことに昭和天皇だったのですね。
(深田)
へえー!昭和天皇の方が外交能力があった?
(佐藤)
そうです。外交能力なんていう洒落た問題ではなく、生きるか死ぬかですよね。昭和天皇にとっては、何一つ心身の保証がないわけですよね。まず、当時のソ連とかオーストラリアとかニュージーランドとかカナダとかですね、とにかく「天皇を処刑しろ」「戦争責任を取らせろ」という国際世論が強かったのですよ。
それに対してアメリカは、アメリカといってもマッカーサーは「昭和天皇だけは守るんだ」、「守ってやっていくのだ」、どういうことかというと、マッカーサーにとっては利害関係があって、マッカーサーは1948年のアメリカ大統領選に、共和党候補として立候補したかったんですよ。
そういう野心持っていたのですよね。そのためには、占領軍の司令官として日本を模範的な民主国家として蘇らせて、そして凱旋して花吹雪の下で、大統領選に打って出るという作戦があったのですよ。
でも、1948年まで3年間しかないので、そんな短い期間でそれができるのか?ということで、そうしたらね、これは日本のまさに天皇制、官僚国家ですね、この官僚組織を使わないとできないのですよ。そのために、もし昭和天皇を戦争責任を問うことになったら、暴動が起きると。
アメリカから軍人や行政官僚を数千人規模で呼ばないといけなくなると。3年なんてとんでもない、5年、10年はかかるだろうということで、昭和天皇だけは守るのだと、そこで巨大な取引が成立したのですよね。
昭和天皇は、自分を守りたいというのが一つと、それから天皇制を何としても守らないとならいけないというこの2つですよね。
そこでお互いに取引、巨大なディールをやってですね、そして成立したと。いうことが戦後日本の最大の行く道をね、コースを決めた最大のポイントなのですよ。
その時、吉田茂は非常に脇役なのですよ。
(深田)
あんまりなんの力も発揮できないと。でも昭和天皇は「自分の命よりも臣民、国民のことを大事にしてほしい」ともおっしゃられたっていうふうに言われているのですけど。
(佐藤)
言われているのですけど、どうもね、それも一つの神話ですね。研究者というかな、公の席ではそういうふうに公式的に言ったのかもしれませんけれども、マッカーサーとの会談では、そういう記録は残っていないのですよね。
(深田)
記録としてはないのですか?
(佐藤)
ないのですよね。11回会談をやったんですけども、全部公になってかというと全部公になってないんですけども、第1回の会談では、マッカーサーの回顧では、「昭和天皇は、責任は全部自分にあるのだと。ついては国民は関係ないというか、自分をとにかく責任問題で言えば問うてくれと」ということを言っているのだけども、記録にはないのですよね。
マッカーサーのもしかすると、それは自分で作った話かもしれないかもしれないですよね、アメリカ向けの、アメリカの世論向けにね、そう言う話かもしれないですよね。
(深田)
でも、そこ作る必要ありますかね?
(佐藤)
だからね、アメリカの世論も要するに、パールハーバーに沸き立っていたのですよね。
(深田)
なるほど。責任を取らせて、パールハーバーの責任を取らせるのだっていう、世論を収めたかったと。そういうふうに言うと、アメリカの国民も感動するっていうことですよね。
(佐藤)
そういうことですよね。パールハーバーについては、アメリカの国民、怒っているわけですよね。マッカーサーとしては、自分が大統領選に出るためには、抑えないといけないので、とにかく、裕仁は、そういう人じゃないのだということをアピールするためにそういうことを言ったということは、考えられますよね。
(深田)
でも言ってくれたんじゃないのかなって、期待しているのですけど私としてはね。
(佐藤)
そうですね。そういう期待の心はありますけどね。だけど、残念ながら、マッカーサーと昭和天皇の会談の、第一回の記録には残っていないのですよね。
(深田)
なるほど。今って日本って、対米従属でアメリカの言いなりだと言われている中で、日本はトランプ大統領の政策についていくのかっていう、そこも気になるのですけれど、どうなのですかね?
(佐藤)
どうなのでしょうかね?とにかく石破さんとトランプが会談して、とにかく日本からの投資、151兆円ですか?150兆円投資するのだと言ってですね。
日本に帰ってきて、記者会見で、「それは民間がやることだから、政府がどうこう言う話じゃないよね」と石破さんの得意なね。
(深田)
そうですよね。結局、石破さんは、上手いことはぐらかしてばかりで、トランプちょっと怒ったかなって気はしましたね
(佐藤)
握手もしなかったとか何とかね。
(深田)
会談が終わってからは、握手はしなかったのですよ。
ただ、「アメリカのオイル買います、天然ガスも買います」っていうところで、一応それなりのお土産は置いていったよって、形ですけど、実質的に約束はあんまりしていないので、対米従属型ではない首相なのかなという感じはしますよね。
(佐藤)
そこのところでね、僕は面白い話しと思うのだけども、石破さんって戦後日本のコースを決めた、政治家ということで、よく引き合いに出すのが重光葵なのですよね。
(深田)
どういう人なのですか?重光葵さんって。
(佐藤)
重光葵というの、戦争に負けた時の外務大臣だったのですよね。東京湾上のアメリカの戦艦「ミズーリ号」が来てですね、その上で降伏調印式があったのだけども、その時の全権団を率いたのが、重光葵外務大臣なのです。
でね、戦後まで外務大臣を務をやってですね、アメリカに1957年に渡っているのですよ、外務大臣としてですね。その時について行ったのが、岸信介と河野一郎という人なのですよ。
でね、重光がその時に、アメリカの国務長官のジョン・フォスター・ダレスという人といろいろ話し合ってですね、重光が言うのですよ「日米安保条約を対等なものにしてほしい」と。ついては「日本は集団安全保障もやると、グアム島も守ってあげると、ついては対等にして欲しいと」と言うことを重光が堂々と言うわけですよ。
そういう堂々とした性格だったのでしょうね、そこでダレスが言うわけですよ。
当時の1957年の朝日新聞、読んで知っているのだけれども、なんて言ったかというと「重光君、君はそんなに偉そうに言うけど、日本そんな力を持っているのかね?」、「偉そうに言うなよ」みたいなことを言うわけですよね。でも、石破さんにとっては、その重光の態度は、対等求めるということで偉かったということを言うわけですよ。その次に岸信介がついて行っているわけですよね。
岸信介が何て言ったかというと、発言を求めてこう言っているのですよ。「日本はアメリカの期待に添えるように、政治、そして経済、すべての力を結集して、強い力を持てる国になりたい」と言うことを言うわけですよね。そこでダレスをはじめとして、みんな「うん、よしよし」となるわけなのですよ。
でも、この話には裏があって、岸信介というのは、もう巣鴨プリズンに入っていた時から、アメリカに目をつけられていたわけですよ。
こいつは、アメリカの日本におけるストロングマンとしてやっていけると言うことでね。ダレスからその前にサジェッション受けているのですよ。どういうサジェッションかというと、その時、日本の保守勢力というのは、自由党と民主党に分かれていたのですよね。
それをお前の力で合併させろと。そして憲法を改正しろと。そして岸はそれを密かに受けていたので、そういうことをダレスに言うわけですよね。そしてその後、首相になって、自由民主党というのを作るのですよ。
そして、憲法第9条を改正すると。それがアメリカ、ジョン・フォスター・ダレスを代表とする保守勢力と、日本の岸信介を代表とする保守勢力の共同の願いなのですよね。9条を改正すると。
(深田)
9条改正って、それってアメリカから来ているのですか?
(佐藤)
そうです。
(深田)
ちょっとなんか9条は、アメリカから押し付けられたものだと思っていたのですけれども。
(佐藤)
そうそうそう。要はちょっと話は複雑なのだけれども、簡単に言ったらアメリカは2つあるですよ。アメリカ世論はね。簡単に言ったら、共和党と民主党があるじゃないですか。要はですね、GHQの中に「G2」と「GS」というのがあって、「G2」というのは参謀第2部と言ってね、これは保守派なのですよ。共和党系。「GS」というのは民主党系で、ルーズベルトとか、それのニューディーラーたちなのですよね。簡単にいうと、左がかっている。
左がかっている人たちが頑張って日本国憲法を作ったのですよ。マッカーサーと協力して。マッカーサーは本来、右の人なのだけども、とにかく大統領選でたいので、日本を民主国家として蘇らせたいというのがあって、その憲法、彼は3つ出してですね、
「天皇主権」主権じゃない、天皇を中心とする、それから憲法9条「戦争放棄」、それから「封建制の廃止」それを出したのですよ。
それで頑張って作ったのが今の日本国憲法。それで9条があるのですよ。この9条には、日本の民主的な勢力も協力しているのですよね。非常に協力しているのですよ。なので押し付け憲法では決してないのですよね。それが一つ。だけど、共和党系の方は、それは我慢できないということなので、ずっとアメリカ世論は、共和党系の人たちが「9条は邪魔だ、邪魔だ」と。ニクソンなんかはもろそれを言っているわけですよね。
そういうことで、9条を変えろと。ジョン・フォスター・ダレスももちろんそういうことなのですよ。「9条を変えろ」と。その岸信介もそれに呼応していたのですよね。その岸信介のラインにいた人が安倍晋三さんなのですよね。
安倍晋三は、もちろん9条をかえて、集団的自衛権をとにかく導入するとやったわけなのですよね。
石破さんも重光を言うのだけども、石破さんもアメリカと対等になるために、集団的自衛権が必要だという論者なのですよ。なので、石破さんと安倍さんは結局は変わらないわけなのですよ。同じなのですよ。ということがあるんですよね。
(深田)
なるほど。でも、石破さんと安倍さんって、かなり経路が違いますよね。
(佐藤)
経路は違っても、形は同じだって言うね、「毛の色は違うけど、形は同じだ」みたいな。
(深田)
そうですか。この9条の話って、すごく意外なことを知れました。9条があるのもアメリカの都合、そして9条を変えましょうもアメリカの都合で。
(佐藤)
そうなのですよ。つまりね。9条がアメリカにとって何で必要だったかというと、これは当時マッカーサーがやっていたときに、極東委員会というのが、1949年だったかな、できるんですよ。極東委員会というのは、要するにソ連とかオーストラリアとか、要するに「昭和天皇を何とかしろ」というそういう人達っていうのかな、国際社会なのですよ。
その動きを抑えるためには、その極東委員会ができるまでに、日本国憲法を作んなくちゃいけなかったのですよね。急遽。それでさっきの話しにつながっていくのですよ。
その時に、昭和天皇を何とかしろという世論を抑えるためには、昭和天皇を保護する代わりに、憲法9条を入れると。取引きなのですよ。
憲法9条を入れて「戦争を放棄」ということを日本に守らせると。そのかわり、天皇は、天皇制はいかせてくれと。というソ連に対する取引きなのですよね。
(深田)
はー、なにかこう、聞いていてため息が出てしまいますね。
9条があるのは、マッカーサーが早く出馬するのに、3年しかなかったという、こういう、マッカーサーの都合がすごく大きかったと。
本当は9条いらないと思っていたのですね、マッカーサー自身。
だけど、自分が選挙に出て、大統領選にでるには、早く話をまとめなきゃいけないから9条入れざるおえなかた。
(佐藤)
そうなのですね。さっき、極東委員会は1949年と言いったのだけど、1947年ですね。それからマッカーサーは本音がよくわからないですよね。つまり最後まで「日本はスイスのような永世中立国になるのだ」ってことを、公式の場でずっと言っているのですよね。本音はどこにあったのか、よくわからないところあるのですよね。
(深田)
永世中立国であるスイスって、武器を近隣諸国に売って、戦争させて、自分儲かっている国ですから、そういうことを目指していたのかも知れないですよね。裏を返すと。
(佐藤)
なるほど。マッカーサー、それをどこまでわかっていたかはわかんないですけどね。
(深田)
はい、ということでですね。今回はジャーナリストの佐藤章先生に、日本の9条って、あるのも、それを変えようとするのも、結局はアメリカの都合だったんだと、ちょっと驚きの話しを教えていただきました。先生、どうもありがとうございました。
(佐藤)
どうもありがとうございました。