#92-下斗米伸夫 × 深田萌絵「プーチンに数十回会った学者が語るロシア問題」

(深田)

自由な言論から学び行動できる人を生み出す政経プラットフォーム。ITビジネスアナリストの深田萌絵がお送りします。今回は国際政治学者の下斗米伸夫先生にお越しいただきました。先生、よろしくお願いします。

先生、プーチン大統領に20回程度お会いになられた日本人でも数少ない方だという風に認識していますが、プーチン大統領とはどんな人か今回教えていただければと思います。

(下斗米)

お会いしたことはそれぐらいなのですが、目の高さが私とほとんど同じなのです。つまりやや小柄な方です。

(深田)

身長はどれぐらいですか。

(下斗米)

公称166にしていますが、実際はわかりません。しかし、やや小柄です。ジュウドウイストだし、その意味でも比較的日本人には気さくに付き合ってくれる感じがいたします。私がお会いしたのは小泉政権の時に、日本とロシアの賢人会議というのがございまして、双方6、7人ずついろんなタイプの方が自由に討議する、それこそプラットフォームがありまして、そこで最初にお目にかかったのが一つです。2002、4年でしたか、プーチン氏が大統領になった直後です。そして、その会議が解散された後、ヴァルダイ・クラブというのが始まったばかりでして、つまりあの当時はむしろ西側のハーバードだとか、パリ大学だとか、そういったところのロシア問題の専門家やジャーナリスト、若干政治家もいましたけれども、そういった人たちと対話する会議体があって、そこのメンバーにしていただきました。大体50人ぐらいがメンバーですが、当時アジア枠は10人ということで、中国から二人、日本から二人、イスラエルもアジア枠でした。

(深田)

 イスラエルがアジア枠ですか。

(下斗米)

トルコもです。その会議体でお目にかかって、一番最初にお話して印象に残ったのは、ちょうど六者協議というのが朝鮮半島を巡ってありましたがそれについて質問したときのことです。この六者協議のようなものが、ヨーロッパでその頃はまだ機能していましたが、ヘルシンキ協定的な安保を討議するメカニズムになり得るかという質問をしたらそれはもう当然なるだろうと、一言さっとお答えになった。六者協議がそういうことになるかもわからないという2000年前後のプーチン政権の楽観主義です。あの頃はロシアだってNATOに入ろうかという議論があったわけですから。

(深田)

NATOに入ろうかという議論があったのですか。

(下斗米)

アメリカの中にも、今の政権にやや批判的なグループの中には、大体外交評議会を含めてそういう人たちがいます。そういう人たちは今度の戦争をなるべく早くやめろというキャンペーンだとか学会、シンポジウムとかをやっています。日本でそういうのがあまりないのは残念ですが。

(深田)

プーチン大統領に直接お会いしてみて、イメージと違ったことはありますか。

(下斗米)

まず、お酒を飲まない。人前では飲まない。もうひとつは、西側の名うてのジャーナリストや学者たちからボンボン質問が、2時間半、3時間来るけれども、それをメモも見ずに全部即答する。最初の頃はメモを見ていたという説もありますけれども、もうほとんど2時間半から3時間ぐらい一切メモなしでお話しされる。

国民との対話というのも毎年やっていますが、そこでも似たようなことです。今、YouTubeなどで見られますが、大体同じようなパターンです。隣に補佐官とか報道官がいることもあるけれども、それもほとんど相談することもなく、まさに立て板に水です。日本の政治家でこういうことができる人はどれだけいるのかなと思います。

(深田)

動画を見ていると プーチン大統領の答弁というのが、いつも的を射ているのと皮肉が効いていて結構面白いです。

(下斗米)

ですからこのあいだのタッカー・カールソンというFOXニュースの名うてのジャーナリストを相手に最初にロシアの歴史を30分ぐらいお話になりましたが、そういうことほど左様に何でも一応のことがきちんと喋れる政治家という意味では私は希有な存在だと思います。

(深田)

プーチン大統領は意外とお酒を召し上がらないということですが、何かこうその人柄が分かるような部分はありますか。

(下斗米)

その辺はよく分からないところがありますけれども、彼の対話というものは本物だと思います。立場の違う人たちとも話をするという、そういう才能はやっぱり大変なものだと思います。

(深田)

2000年の初期にはプーチン大統領はNATOに入ってもいいと考えていたのが、どの辺りから変わってきたのでしょうか。

(下斗米)

これはアメリカの責任も相当大きかったと私は思います。私はゴルバチョフさんも含めて若干お会いしたこともありますけれども、ゴルバチョフさんのソ連崩壊があった後、アメリカ政府の中ではほとんどの人はもうロシアになったら、対話の相手であっても敵ではないという考えが中心だった。しかし、一人二人、国防次官のウォルフォウィッツさんだとか、いわゆるネオコンと呼ばれた人たちがロシアも敵だという発想を持っていた。それがこの問題に大きく絡んだのだろうと思うのです。私もあの頃ハーバードでロシア研究をしていましたので、そこで気がついたのは実はクリントン政権がNATO東方拡大を内政的な理由で使ったということ、これが一番の躓きだったと思うのです。

(深田)

それは2000年よりもっと前ですよね。

(下斗米)

そうです。1996年に、クリントン氏が再戦の時に、今と同様で五大湖周辺の錆び始めた自動車工業だとか鉄工業の人たち、あそこで当時は民主党の票田だったポーランドや東欧の移民票が1000万票ありましたので、それを動員したいがためにクリントン氏がNATO東方拡大ということをやってしまった。しかし、これは先ほどのネオコンの発想をそのまま、つまりロシアは敵だと言い始めたから、そこからだんだん反転した。 今ちょうどトランプ氏の副大統領候補でバンス氏という方がそれと正反対の議論をしています。むしろ戦争をやめろ、むしろアメリカが産業的に立ち上がることが重要だという、そういう論調でウクライナ戦争はやめるべきだとはっきり言っています。実は民主党と共和党のパワーベースがそこで違っていたということが不幸の元だったと思います。

ただし私の見るところ、まだそこまで深刻だとは誰も思っていなかった。けれども専門家たちは危ないと言った。冷戦が始まった時の1945年の臨時大使だったジョージ・ケナン氏という人、あるいは彼の反対派だったポール・ニッツェ氏だとか、あるいはマクナマラ氏とか、それこそ日本に来たペリー提督のお孫さんのペリー国防長官、こういった人たちもこれは危ないということをあの頃言ったわけです。

(深田)

あの頃というのはいつ頃ですか。

(下斗米)

1996、7年です。

(深田)

投票をまとめるために—

(下斗米)

そうそう。だから国内政治のためにロシアは敵だと言ってしまった。クリントン氏の関係者には民主党の中のロシア嫌いの人たちが集まってしまった。そういう種類の問題でそれがだんだん国境線にNATOが来るに従って、 ロシアが態度を硬化していった。そしてウクライナというのは、ロシア人からすればほとんど兄弟国家なわけです。同じ宗教を信じて、キエフ・ルーシという同じ祖先を持つ国家の末裔国家だという風になっているわけですが、兄弟喧嘩から兄弟殺しになってきた。結局そういう形で2014年、今から10年前ですけども、その会議に出た時ぐらいからだんだんアメリカの学者やジャーナリストの方と、プーチン政権の態度が非常に違ってきた。

ただし、アメリカでは共和党系の人たちもいたし、民主党の中でももちろんリベラル派もいるわけで、そこまで行くかどうかということはまだわからなかったわけですが、あの時クリミア併合がありまして、そこからだんだんこの10年間厳しくなった。

(深田)

元々オバマ政権あたりからロシアに対して強行な姿勢というか、2016年の大統領選の時にトランプ氏がロシアから応援されていると、ロシアのスパイと繋がっているというようなロシア・スパイ疑惑がずっと言われていた。

(下斗米)

そうですね。ミセス・クリントンが大統領候補でもあったものですから、トランプ氏と。だから民主党系、特にクリントン系がそれを使ったのだろうと思います。オバマ氏は若干バランスを取ったところもあると思いますけれども、しかし止めるというわけでもない。むしろトランプ氏の一期の時にはかなり米ロ関係改善の動きが出るかと思ったのですが、なかなかトランプという大統領も後期はやっぱり国務省的な、ネオコン的な動きが強まってしまった。だからそれがうまくいかなかった。

そしてバイデン氏が大統領になった時も選挙キャンペーンの時からロシアは悪魔だという言い方をしていて、それに応じてプーチン氏の対応も固くなっていくという、そういうスパイラルが動いてしまったと私は見ています。

(深田)

なるほど。私はもともとプーチン大統領は親日的なのかなと思っていたのですが、日本の政府対応もかなり急にロシアに対して強行になったこともあってこの日ロ関係が今後どうなっていくのか気になるところです。

(下斗米)

そうですね。安倍政権の時には、あるいは小泉政権の時も、少し対ロ関係を改善するという動きがありました。安倍政権の時にはエネルギーの相互依存だとか、ロシアが東方シフトという北極園を使ってエネルギーの道を作ろうとか、いろんな動きや試みもあったわけですけれども、肝心要のアメリカの態度がだんだん固くなってくるにつれて、それがうまくいかなくなった。あるいは日本にロシアとの付き合いはほどほどにというようなオバマ氏のそういう警告もありました。ですから、そういう形で東西関係全体がうまくいかなくなるということがこの10 年間続いた。その結果、2年半前の不幸なことに至ってしまった。ちょうど今日が901日目です。

(深田)

今、ロシアのウクライナ侵攻から901日目ということですが、今後ロシアと日本の関係は、このままだとどうなっていくのか心配です。北方四島の交流、お墓参りの交流などがもうできなくなっているような状態ですが、今後はどうでしょうか。

(下斗米)

逆にこの戦争がどういう風に終わるのかということにひとえにかかっているのではないかと私は思います。その後、もう一回平和の方向に動くのか、それとも、形を変えた戦争はやっていないけれども、形を変えた冷たい関係なのかという、今そこのギリギリのところに来ているのではないかと思います。

ですから、ロシア側を事実上応援しているBRICSだとかそういう国々は、だんだん西側と距離を置き始めていますし、それこそトルコのようなNATO加盟国とか、ハンガリーのようなヨーロッパのNATO加盟国までプーチン氏との対話を重視すべきだという人たちも出てきている。しかしそうではなくて、これからもさらに冷戦的なものを続けるべきだというような発想はヨーロッパの中にもないわけではない。むしろトランプ氏的な政治になってアメリカがやや距離を置き始めるようになると、西ヨーロッパがロシアと対峙するというような可能性もないわけではない。ですからひとえにこの戦争がどういう風に終わるのかに今後はかかっている。

私の見るところ、今のところやはり体力の差がありすぎて消耗戦をやるとウクライナはどうしても勝てない。むしろプーチンが求める対話をすべきだった。実は機会は何度もありました。

一番最初にあったのがあの戦争が始まった直後です。この戦争が大体3日で終わるとプーチン氏は考えていた。理由はと言えば、これは情報機関が間違ったのでしょうが、自分たちが軍隊10万人で特別軍事作戦だというものをやった時に、行ったら拍手で迎えられる、花束で迎えられると思っていた。ハルキウ、ここはロシア人の市長さんがいてロシア語がまだ話せる地域ですが、その150万の都市を攻めた150人の軍隊のうちの何人かは軍楽隊だった。つまり花束で迎えられると思っていたというまさに情報分析上のミスがあった。その一月後にトルコが仲介して、領土を棚上げして平和条約を結ぶということを、当時はイスラエルも協力していたわけですが、それが出かかったところで、アメリカのバイデン大統領とイギリスのジョンソン首相が、特にジョンソン氏がキーウに乗り込んで兵器を出すから戦えということを言った。ですから、長期戦になったことは英米首脳にも相当な責任があるのです。

(深田)

ロシアのウクライナ侵攻があってから、もう今日で901日目ということで、あそこから日本も円安やインフレに見舞われて、輸入物価も上がり、いろんな物資が入らなくなってきて値段がどんどん上がっていっています。日本の国民が実は経済的なデメリットを受けているにもかかわらず、日本政府がどちらかというとあの戦争を長引かせるようなことばかりしていて、国民生活を全く見てくれていない。そこが国民として残念です。

そろそろもうロシアとウクライナの戦争も終盤に向かっているということで、次回そのことについてお話しいただければと思います。

(下斗米)

なるべくそれが早いことを願っています。

(深田)

ということで、今回は下斗米先生にロシアとプーチン大統領はどういう方なのかということを、お話をいただきました。先生、どうもありがとうございました。

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