#86-山崎拓 × 深田萌絵「保守分裂 北朝鮮拉致被害問題」

(深田)

自由な言論から学び、行動できる人を生み出す政経プラットフォーム。ITビジネスアナリストの深田萌絵がお送りします。

今回は元自由民主党副総裁山崎拓先生にお越しいただきました。先生よろしくお願いします。

山崎先生は北朝鮮拉致被害問題を交渉された小泉純一郎元首相を支えてこられましたが、その後の拉致被害問題をどのように評価されているのか、自民党が拉致被害問題にどのような対応を取ってきたのかというところをご解説いただきたいと思います。

(山崎)

拉致被害が発生したのは、1970年代ですね。横田めぐみさんが拉致されたのは1977年ぐらいではないかと思いますけれど、そこからもう50年近くのなると思います。横田めぐみさんが拉致されたのは多分13歳ではないですか。そうすると50年近く経って、存命だとすると60歳ぐらいになるのです。それぐらい年月が経ってしまっているので、それ以外の方々の年齢を考えると今も生存しているということは生物学的にはなかなか難しい問題になっているのではないかという気がします。だらだら年月が立ってしまって、もっと早く解決しないと取り返しがつかない問題になると思います。

(深田)

本当にそうですね。小泉政権時代には訪朝をして、5人の拉致被害者を日本に奪還できたのですけれども、その後安倍晋三政権時代になって以降、拉致被害問題は一向に進んでいる様子が見えません。その辺りは何か事情をご存知でしょうか。

(山崎)

5人が帰還された時に小泉訪朝が行われて平壌宣言が発せられたのですね。2002年の9月17日だったと思います。その平壌宣言の中にはどのようなことが書かれているのかというと、日本は北朝鮮に対して経済的な支援をする。金額は明示していないけれども、日韓関係が正常化した時に、日本は韓国に5億ドル拠出をしたことが一つの計算の基礎になっている。そういうことがまず書いてあって、それが行われた場合には北朝鮮は核開発を断念し、ミサイルの開発も凍結する。その他の日朝間に横たわる懸案に関しては引き続き協議し、これを解決するということが書いてあるわけです。

拉致問題と書いてはいないけれど、日朝間に横たわる懸案に関しては、引き続き話し合うということになっているので、その時に5人を返しました。家族は一緒ではなかったけれども、5人は返してくれたわけですね。日朝間に横たわる懸案では、北朝鮮はこれで全部だと言って後はみんな亡くなったという言い方をしたけれど、日本側はそれを認めないで、引き続き話し合う 。

同時に日朝共同宣言であって、平和条約ではないのですね。日朝平和条約を締結するということは戦争状態をなくして、両国に大使館を置くという意味です。その平和条約を年内に作るということになっていたのです。

(深田)

2002年の9月の段階でなっていたのですか。

(山崎)

10月1日から交渉を開始して年内に友好協力条約を締結するという話になっていました。

(深田)

そうだったのですね。

(山崎)

ところが1回も開かれなかった。北朝鮮は「5人の拉致被害者は、一旦、日本に帰国させるが、戻してください。戻したら今度は家族を連れて一緒に返します」ということだった。しかし、当時の官邸には福田康男官房長官と安倍官房副長官がおられて、安倍官房副長官が猛烈に反対して、結局5人とも返さなかったわけです。その後2年遅れて、私が交渉に行きました。

(深田)

2004年のことですね。

(山崎)

4月だった思います。2004年の5月に小泉総理が行ったのですが、僕は4月に行って、平沢勝栄議員と一緒に大連会談をやったわけですね。

(深田)

ああ、平沢先生と。

(山崎)

ええ一緒に、大連にいる北朝鮮の大使とその下にいる宋日昊(ソン・イルホ、日朝政府間協議北朝鮮代表)という人と会談をしました。その時に北朝鮮側が平壌宣言を実行に移すならば、家族は別途返しましょうという話になっていた。

(深田)

そういう話になっていたのですね。

(山崎)

そうです。それで本当に平壌宣言を実行するかと。向こうは経済協力の方に重きがあって、お金が欲しいわけですね。韓国に出した5億ドルをベースにして彼等は彼等の計算があったのでしょう。日本は朝鮮半島を北も南もなく全体を併合したわけですから、半分だけ賠償して、残りの半分の北朝鮮側はしていないではないかというのが向こうの言い分です。それはこちらも認めたわけです。

メインテーマは拉致問題というよりは核開発をやめさせることで、その通りにしておけば、今の北朝鮮が核実験をやったりミサイルを飛ばしたりすることはなかったわけです。北朝鮮のことなので、分かりませんけれど、国際法上はそういうこと(核開発中止)になる。残念ながら交渉を拒絶してしまい、行われなかった。

拉致被害者だけは返してもらったけれど、北朝鮮は「誰かもう一度、小泉首相かあるいは福田官房長官が来れば(家族を)返しましょう」と私とも話したのが4月1日だった。それで、小泉首相が「俺が行く」と言って、5月に2回目の訪朝を行い、曽我ひとみさんのご主人のチャールズ・ジェンキンスさんを除いて家族を連れて帰った。

ジェンキンスさんは米軍の逃走兵なので「軍法会議にかけられると死刑になるので帰らない」と言った。そこで、日本に帰らずインドネシアに行かせてもらった。インドネシアに行っている時にアメリカと交渉をして、アメリカはジェンキンスさんが日本に行っても厳刑にはしないことになった。一応裁判はするが、厳しい刑にはしないという密約ができた。ジェンキンスさんはそれを信じて日本に来て裁判になり、軍事法廷には出たけれども、解放されて曽我ひとみさんと一緒に住めるようになった。

(深田)

なるほど、そういった経緯があったのですね。

(山崎)

そういうところまでは行ったけれど、北朝鮮は核開発をやめないし、その他の拉致被害者を日本に返さないので、日朝関係はそこで行き詰まってしまったわけです。それで六者協議に切り替えた。六者協議とは西側が日本、アメリカ、韓国、東側がロシア、中国、北朝鮮で、2003年の8月23日に合意して始まりました。(第一回開始は2003年8月27日)2002年の9月17日に平壌宣言が出されて、その後、年内に日朝交渉があって平和条約を結ぶという約束だったのだけれど、それが全く頓挫してしまった。

六者協議は中曽根康弘首相・ロナルド・レーガン大統領会談で決まりました。1985年にドイツのボン・サミットで中曽根・レーガン会談があり、私はそこに同席し、中曽根さんが6者協議を提案したのです。たすき掛け承認というものです。韓国は中国、ソ連と国交がない。北朝鮮は日本、アメリカと国交がない。東側と西側をたすき掛けで国交を承認する。それをレーガンがそのまま合意して、実行に移されました。韓国は2000年にロシアと国交を正常化させて、2002年に中国と国交を正常化しました。しかし、北朝鮮と日本、北朝鮮とアメリカはその後も国交がない状態が続いている。

六者協議のスキームはできたのですけれど、実行に移されなかったので中国側にその旨を話した。私が曾慶紅(そうけいこう、元中国国家副主席)という人に六者協議を説明し、実行にされることになり始まった。六者協議はかなり頻繁に行われました。2005年の9月19日だったと思いますが、共同声明が出されました。その中で日本と北朝鮮、アメリカと北朝鮮、韓国と北朝鮮の関係について、もちろん他に中国と北朝鮮、ロシアと北朝鮮もありますけれど、全部どうするかが決められて日本と北朝鮮の間で平壌宣言がそのまま移されたような状況だったのです。これで北朝鮮は核開発をやめるかなと期待したのですけれど、その後なぜか北朝鮮がこの共同声明を放棄した。

(深田)

北朝鮮側から突然放棄されたのですね。

(山崎)

そうです。北朝鮮がこの六者協議の共同声明に従わなかったということです。 従ってもらえば良かったのですが。

(深田)

そこから拉致被害者問題は解決の糸口が見つからなかった。

(山崎)

拉致被害者問題はあまり前面に出なかったのです。核の問題、経済協力と拉致の問題は一体だったわけです。今でも北朝鮮は日本が経済協力をやれば拉致害者問題は解決するという含みを持たせています。

(深田)

そこはまだ含みを持たせているのですか。

(山崎)

持たせていて、それがジュネーブ宣言というものになったのですが、向こうからそれを放棄してきた。ということは、これを言うと拉致被害者家族の会その他が非常にショックを受けるので言いたくないのですが、おそらく北朝鮮側には、それができない事情がある。

(深田)

拉致被害者を返せない事情があるということですか。

(山崎)

それは冒頭に申し上げた50年も経っているということですね。その中で色々なことが起こり、生存者はいると思いますが、日本側が求めている横田めぐみさんの生還ということが難しい状況にあるのではないかと思います。

(深田)

そういう可能性があるということですか。

(山崎)

横田滋さん、早紀江さん夫妻がモンゴルでお孫さんと会っていますね。お孫さんと会ったということは何を意味するかということを考える必要があると思います。

(深田)

そのセッティングをしたパイプ、調整役は一体どなただったのですか。

(山崎)

日本の外務省だと思います。

(深田)

外務省のセッティングで、お孫さんとは会えた。ただめぐみさんとはお会いできなかった。

(山崎)

そうです。めぐみさんの話、つまりお母さんの話は絶対に出さないという前提条件があったと思います。

(深田)

今後、拉致被害問題を解決できる可能性はあるのでしょうか。それともここからは年齢の問題もあるので難しいのでしょうか。

(山崎)

当然のことですが、時間が経てば経つほどなくなるわけです。だから安倍さんは一丁目一番地の外交問題として自分の時に片づけると言った。けれども、金正日(前朝鮮労働党総書記)から金正恩(現朝鮮労働党総書記)に至るまで自らは一回も交渉はしなかったわけです。岸田文雄首相はそれではいけないから、自分は必ず直接会って談判するということだったのだけれど、それも実行に移されないままになっています。

(深田)

安倍さんも拉致被害問題に取り組むと言ってきたけれども手をつけなかった。岸田さんもできなかった。

(山崎)

手をつけようと思ったのでしょうけれど、結局アメリカに頼りすぎたのではないでしょうか。アメリカは核問題が大事なので、北朝鮮の核開発を阻止したいのですね。拉致問題は日朝間の問題だというのが前提にあります。

自分の国の問題として交渉するわけではないから「日本はこう言っている。返してやったらどうだ」ということは発言する。ドナルド・トランプ(前アメリカ大統領)も金正恩に発言した。拉致問題が発生したのは金日成(元朝鮮労働党総書記)の時で、金正恩にすれば、彼のおじいさんの代の問題ですよね。私が北朝鮮に初めて行ったのは1994年6月だったのですが、まだ金日成は生きていましたからね。

(深田)

そうですよね。岸田さんも訪朝すると言って行けずじまいで、このまま総裁戦に突入すると、拉致被害問題解決はさらに遠のいてしまう。ところが遠のいてしまうと年齢の問題が出てくるということで、実質的に非常に難しい状態にあるということですね。

(山崎)

難しいですね。

(深田)

何か、こういう条件が揃えば、もしかしたら拉致被害者を返してもらえるかも しれないという条件はあるのですか。

(山崎)

それは今の前提は拉致被害者が全員生きていて、全員を生還させるという要求になっています。全員が生きているという前提の話です。

(深田)

全員生還ですか。

(山崎)

要求がそうなっています。生存者だけでも返せという話にはなってないから非常に難しいのです。

(深田)

日本側の要求を「生存者だけでいいので、返してください」と変更して、もう一度交渉する可能性はあるのですよね。

(山崎)

それはないです。拉致被害者の会が認めないです。絶対に認めなく、口に出さない、口に出せないようになっている。

(深田)

色々な側面からこの問題自体が非常に難しいことになっているのですね。

(山崎)

 難しいですね。条件が全員生還ということになっていて、めぐみさんを含めて、全員が生きているはずだということになっている。めぐみさんは拉致被害者問題のシンボルです。この方が生きてなければ何もならないぐらいのシンボルですが、北朝鮮は絶対に認めないです。

(深田)

横田めぐみさんがどうなったのか。

(山崎)

めぐみさんが生きていれば、解決します。日本はお金をいくら出してもいいですから、お金の問題ではないです。

(深田)

横田めぐみさんが実際にどうなっているのかというところが拉致被害問題解決の最大の鍵ですね。

(山崎)

名目上は全員ということになっています。横田めぐみさんは、大体13歳で拉致被害にあって一番かわいそうで、シンボル的な存在ですから。

(深田)

めぐみさんがどうなっているのかというところが、北朝鮮拉致被害問題を解決する鍵だということで、今回は自民党副総裁山崎拓先生に拉致被害問題について解説いただきました。先生ありがとうございました。

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